Silent History 119





乾いた目を透き通る天窓へ向ける。
彼の瞳の色と同じ、漆黒の空がガラスを塗り潰している。
息をする音すら伝わりそうな静けさに、ただでさえ冴えた空気が冷たく感じられる。

灼熱の土地だった。
ガラスを砕いたような星を見上げながら細く息を吐きだした。
バシス・ヘランには澄んだ空気が流れていた。
カリムナの間から絶え間なく湧き流れる水がヘラン内を巡っているせいだ。
水音を立てず、水面は床を滑る。


重くならない目蓋を閉じたまま、寝床を転がり回った。
枕が変わったから眠れないなど繊細に神経は作られていない。
午睡を貪った覚えはない。
昼間に気が昂ったわけでもなし。
仕方がないので、体を起してみた。
大窓の外は星の光が眩い。
薄明かりのなかを散歩でもすればそのうち眠気もやってくるだろうと開き直って一人部屋を出たのはついさっきだ。
バシス・ヘランは広い。
隅々まで回っていると外が明るくなってしまう。
迷わない歩いたことのある廊下を進んでいくと、カリムナの間へ繋がる長い回廊へと抜けてしまった。
真夜中ではラナエは寝所へ入っただろうし、警備も側女も立っていないということは、カリムナの間への扉は固く閉ざされているはずだ。
昼間より更に静まり返ったカリムナの間の扉まで行って、部屋に戻るとしよう。
軽く運動もしたし、重い睡魔に襲われるようなことにはならないが、目を閉じていれば眠れそうな気がした。
それでも冴えた頭があるのなら、飽きるまで大窓から星を眺めていればいい。

カリムナの間に続く手前の扉が開いている。
まだ誰か中で仕事をしているのだろうかと覗いてみた。
イグザが執務している部屋だったので、彼がいればカリムナについて興味深い話が聞けるかもしれないと少し期待して顔を突き入れた。
机の上は夜より先に使われた形跡はなく、イグザの姿はなかった。
隣のカリムナの間に続く扉が薄く開いている。
漏れる光に誘われて扉に身を寄せると指を掛けた扉の隙間に顔を近づけた。
明るさに目が眩んだが、光の中に影が二つ寄り添う。
開いた帳の中、ラナエの傍らで彼女を包み込むように抱いているのはイグザだった。
遠目だったが、ラナウが白い顎を上向けてイグザの話に応えている姿があった。
絡ませ合う視線に戸惑った。
逢瀬を偶然目撃しただけなのだが、いけないものを目にしたような罪悪感に駆られてラナーンは目を引き離し、音を立てぬように身を翻した。

二人はずっと扉を挟んで仕事をしているのだし、好い仲になるのは考えられる。
カリムナであろうと、ラナエは年若い少女だ。
カリムナの間の続きで足が止まってしまったラナーンを急かしたのは背後で足音が小さく鳴った音だった。
絨毯を踏み締める音だが、雑音が息を潜めたバシス・ヘランではそれにも気づく。

慌てて廊下へと滑り出した。
カリムナの間へ一直線に伸びる回廊に逃げ場はない。
側にあった純白の柱へ取り付いた。
イグザが苦しげな様子で、ラナーンが身を潜める柱の前を通り過ぎる。
イグザの足音が遠く消えていくまで、ラナーンは身じろぎせず柱を抱えるようにその場で息を潜めていた。




自室に戻る道で縦に長い人影を見つけた。
服のシルエットからヘランの者ではなく、音を忍ばせる身の熟しからしても只者でないので一瞬身構えたが、近寄ってみれば何のことはない、ラナウの客人だった。

「真夜中の散歩はなかなか趣があっていいよな」
昼間の衣服から裾の長いものに着替えて、イグザは裾を脚に絡ませることなく軽い歩調でアレスに歩み寄った。

「眠れないのか」
「ああ、それもある」
目の前で話をしながらも、周囲を窺っている。
二人以外に人はいない。
人の目を気にすることもないはずだが。

「うちの王子様を見かけなかったか。部屋を出て行ったようなんだ」
「ラナーンのことか? さあ。執務室からここまでにはいなかったけど」
本心か探る視線をさり気なくイグザに向けて、目を伏せてからしばらく考えた。

「表には常時守衛が立っているし、真夜中の開放は許可されていない。デュラーンに敵意を持つ者もいないだろうから」
政治的にも、取り立てて友好とも逆に敵対する位置にもいないのだから、いきなり襲いかかったりはしない。
第一、バシス・ヘランの人間がそんな下卑た真似はしない。

「寝つきが悪いようだったから、部屋の外の空気を吸いにでも言ったのだと思うんだが」
「心配し過ぎだろう。万一ヘラン内で迷子になっていたとしても、巡回してる警備が拾ってくれるだろうよ」
「そうか」
「安心したら眠くなったか? 眠れそうにないならしばらく話に付き合うぞ」
目も冴えてしまったアレスは、イグザの誘いで彼の部屋で話をすることにした。
カリムナに近いところで働く彼の話をゆっくり聞く機会が持てていなかったからだ。
昼間は部屋に籠って仕事中の彼を、ただの客人であるデュラーンの人間たちが邪魔するわけにもいかない。


鎮静の効用がある茶を寝る前に口にするのがイグザの習慣になっている。
男の部屋にしては茶器が一式揃えられ、小ぶりな食器棚と流し台が付いていた。
あとは簡素ながら清潔な部屋だったが、ヘランの廊下のような冷たさはない。
戻って来たラナウから旅の話を聞かせてもらうための座なんだと、アレスを柔らかく厚い絨毯の上に座らせた。
傍らには肘置きのような四角く小さな机が置かれていた。

「中で働いている人間からしても、ヘランでの生活は堅苦しいと思うよ。実際、規律や行儀見習いでやってくる女の子たちもいるわけだからね」
「ラナウとラナエは双子らしいが、あまり似ていないな」
「並べば顔容は似ているだろうけど、性格は全然違うね」
ラナウは明朗快活で、決断力がある。
漢気溢れるタリスとも気が合うようだった。

「ラナエは大人しい感じがするだろう? でも中身はなかなか芯の強く、思うことは貫く子だよ」
「カリムナの束縛された生活をしていてもか」
「ラナエはカリムナとして生きざるを得なくなった。けれどその中でできることはしているよ」
バシス・ヘランにも階級がある。
ヘランに上れる人間にもそれに応じて仕事を与えられる。
カリムナの側女が一番の例だ。
行儀見習いにしろ、特権階級から選抜される。

「側女の数も削ったよ。十数人いるはずが、三人で譲らなかった」
他のヘランの内情をイグザは知らないが、国の柱であるカリムナの側近が三人というのはあり得ない話だ。

「階級は問わない。三人、カリムナのお気に入りを集めた」
「ただ流されるだけの姫君ではないということか」
「彼女だって堅苦しいのは嫌いなんだ。外から見る彼女の立場以上に彼女は自分の考えを持って生きている」
一息ついてから、イグザは目を下に落とした。

「むしろ繋がれているのはラナウの方かもしれない。ソルジスを飛びまわれる、けれどその手には長い鎖の枷が付いている」
イグザにはそう思えてならない。

「引きこんでしまったのは責任がある。可哀想だと思う」
ヘランから離れられないから、外の誰かに愚痴を聞いてもらいたかっただけだからと、イグザは目を上げた。

「アレスとラナーンも不思議な関係だな。ただの家臣が王子の家出に付き合うのか? それとも連れ戻す説得中なのか」
「どちらでもない。ラナーンは俺の大切な友人で、守るべき主でもあり。連れ戻すというよりもむしろ、俺はこの旅を楽しんですらいる」
デュラーンへは戻る気がないラナーン、訳がありそうな父王、
アレスの行きつく先は見えず、旅の終わりは誰にも読めない。

「本当に、何なんだろうな。ラナーンの生きていく姿を守り、見守りたいだけなのに。どうもうまくいかないな」
「思春期だからな。反抗とかかもしれないぞ」
何を置いても守るべきもの、訊かれたイグザはやはりカリムナだと答えた。

「カリムナという器ではなく。守るべきものがあるとすれば、ラナエだ」
しかしラナウはイグザに執心している。
彼女の目を見ればアレスにも分かる。

「そろそろ部屋に戻るよ。あいつも戻ってるかもしれない」




柱に異物が取りついている。
隠れているつもりだろうが後ろから丸見えだ。
しかも気配を消しているわけではないのに、こちらに気づこうともしない。
いつ振り返るかと一歩一歩にじり寄ってみたら、ついに手の届くところまで来てしまった。
どれだけ鈍いんだと心の中で溜め息を吐き、持ち上げた指先で髪の間から飛び出した耳を掴んだ。

予想通り、人間に摘ままれた小動物のような飛び上がる反応を見せる。
恐怖が顔に張り付いた大きな目で、震える顎をこちらに向けると、気を失うように膝から崩れた。

「び、びっくりした」
背中を柱に押し当てて体を支え、胸元を掴んで前かがみになりながらも潤む瞳でタリスを上目遣いで見上げた。

「まったく、どこの少女だその軟弱な反応は」
声を抑え気味に叱咤すれば、怯えたように目を瞑って謝った。
小声でもそれなりに響く静けさだ。
声を上げてから、周りを見回した。

「それで、何から逃げ回ってるんだ」
「イグザ」
「何かしたのか?」
「え?」
タリスにはさっぱり分からない。
ラナーンがここにいることも、なぜ隠れているのかも。
更に言えば、いつも以上に委縮している理由も分からない。

「イグザがラナエとカリムナの間にいて、仲が良さそうなのを見てしまって」
「いいじゃないか。二人が好い仲になろうと、不思議じゃない。一緒に仕事していればそういうことにも」
そこでタリスは思い出した。
そうだ、ラナーンには耐性がない。
デュラーンの女といえば城に仕える侍女ばかりで、ラナーンに好い感情を持とうと立場を超えられる者はいない。
他に彼を知る女はファラトネスぐらいのものだが、デュラーンと似たようなものだ。
羨望や愛玩の対象になりはしても、だれも手を触れることはない。

幼馴染のタリスが側にいれば、それも無理な話なのかもしれない。
ファラトネスとデュラーンでの立場くらいは理解している。
強烈な女性に囲まれた生活。
一見幸せな暮らしに見えるだろうが、ラナーンにとっては不幸な環境なのだろう。

しかしそれはそれ。
愛があれば貫き通せる強さがなければならない。
ラナーンはあまりにも女々しい。

「純だな。まったく」
たかが男女が親しげに肩を寄せ合っている姿になぜそこまで動揺する。

「アレスだってそれなりに男になっているというのに」
目を白黒させて言葉を紡げない様子に、タリスの悪戯心がもたげた。
体は縦に長くなってタリスを僅かに追い越そうとも、中身はまるで変わっていない。
小さなラナーン。
いじめがいがあって、可愛らしく拗ねたり泣きそうになりながら付いてくるので、ちょっかいを出していたラナーン。
全開の笑顔になりそうなのを口元だけに抑え込んだ。

「聞きたいのなら付いておいで。さっき星のきれいなテラスを見つけたんだ」
おいしい餌をぶら下げながら、未踏の地散策で見つけた無人のテラスへとラナーンを誘った。











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