Silent History 117





慈愛に満ちた森を抜け、乾いた大地を踏みしめて一日半。
急に木々が茂り始めたのを目にし、また神の棲む森のようなものが現れたのかと回りを見回した。
しかし雰囲気が異なる。

人が群れている。
人家が道に並ぶ。
間もなく街らしくなっていった。

子供が通りを駆けまわる。
車を見たのは何日ぶりだろう。
久しぶり過ぎて初めての機械を目にした子供のように圧倒されはしゃいだ。
エストナールの大都会と空気が違う理由には程なく行き当たった。
まず大通りが直線ではない。
大蛇の背を歩いているようにうねっている。
大木は切られて道に均されるのではなく、堂々と曲がり角に腰を据えている。
広場にもほとんど弄られることなく木々が伸びる。

街全体が生きているかのように活力に溢れる。
これがカリムナの力なのだと見せ付けられたかのような迫力があった。

ヘランという器を得たカリムナという柱が、地中を行き交う力を吸い出して地上に噴き出させている。
夕闇を跳ね除け湧きあがる光は、カリムナがもたらした力による電力だった。
繁栄の核にカリムナがいる。

ラナウを通して、彼女の姉妹でありカリムナのラナエと面会できるチャンスを得た。
街の観光をしたかったが、そのために滅多に人目に触れることのないカリムナに会う貴重な機会を手放すことはない。
街の中心部に腰を据える、堅牢なバシス・ヘランに案内された。

二列に並ぶ石の太い柱の前に、強面で屈強な守衛が二人槍を手に直立不動だった。
ラナウは彼らの間を抜け、長く続く柱の回廊を抜けていく。
守衛が二人一組で柱の間に堂々と構える真ん中を通る間も、ラナウの連れであるラナーン一行を呼び止めることはなかった。

その間、ラナウは街とバシス・ヘランについて簡単な説明と疑問に答えていた。

「そこがバシス・ヘランへの入口。最奥にカリムナがいるわ。すぐには会えないかもしれないけど」
石像のような門番が両開きに重い扉を開く。
話は通されていたようで、ヘランの女がラナウに近寄り一言二言言葉を交わしたのち、荷物を取られて部屋へ案内された。

一つの広間に部屋が三つ付いている。
部屋に荷物を置いた後、案内した女がラナウのところまでラナーンら三人を連れて戻って来た。

「湯殿に案内するわ」
ここのバシス・ヘランには湯が出て、市民にも供給されているのだと教えてくれた。
まず身を清めてから。
さすが神殿と納得するところだが、土道を歩いてきた体はすぐにでも水で流したい今は嬉しかった。

「上がって着替えたころにはラナエも一休みできると思うから」
手を振るラナウから離れて、見知らぬ場所で少しの不安を抱え込んでいたラナーンは瞬きしながら周囲を観察した。
白を基調にした石造りの建物は、彫刻がシンプルに施された長い柱で支えられていた。
天井から流れ落ちる水か砂の筋のように幾つも、天井と床とを繋いでいる。
城のような広さと部屋数の多さだ。
人は流れるように歩いているのに、雑談や笑い声は少ない。
なじみの深いラナーン城やファラトネス城と無意識にも比べてしまう。

人の温かみをあまり感じない場所だ。
滑らかな内壁と同じに、人と人との引っ掛かりも少ない場所だった。
最初は余所者の扱いかと思っていたが、そうではなかった。
皆一様に同じような顔で床を滑るように通り過ぎる。
仕事中だからという理由でもなさそうで、ヘランの者同士交わす目線が重なることが少なく、ラナーン達は好奇か排他的な視線に晒されることを多少覚悟していたが、覚悟も杞憂に終わった。
ラナウの人懐っこさに慣れていたのでバシス・ヘランの人間も同じだと思っていた。

気を使わなくてもいいのだが、ここがラナウのホームであり彼女の姉妹はずっとここから出ることもないのだと思うと、彼女たちの生活や思いが遠く感じた。

カリムナは選ばれた存在で、カリムナは継がれる存在だと聞かされた。
バシス・ヘランに立つカリムナは一人。
バシス・ヘランを支えられるだけの力に秀でた者がカリムナとして立つ。
カリムナの素質に恵まれた者には迎えがやってくる。
迎えに導かれてラナウとラナエはバシス・ヘランへ昇った。



湯の中に浮かびながら、ラナーンは両腕を水面へ持ち上げた。
澄んだ水は疲れを溶かし出す。
静謐な空気で、気付いたら緊張していた気持ちも温かさで解れてくる。
水に顔を浸して息を止めた。
水の中にいると落ち着く。
息苦しさを感じるまでの数十秒間、水を通して自分の鼓動を聞いて、水の温度を感じて、遥か遠いデュラーンを思い出した。

三女神の話が重なった。
デュラーン城の地下水に沈む神体は、藍妃(ランヒ)のものだ。
藍妃の香りを纏うデュラーンからの三人は藍妃とともにある。
デュラーンと共にある。
それが素直に嬉しかった。
逃げるようにデュラーンを出てきた以上、そう簡単に戻ることなどできないし、覚悟もしている。
それでも故郷であることには変わりない。
土地には家族がいる。
捨てることも忘れることもできない。
だからこそ、細い糸ででも繋がっていたいと思う。

三女神の残り二つ。
焔女(ホムラメ)と樹霊姫(ジュレイキ)と聞いた。
神であるなら、森にいた神のように対面することはできるのだろうか。

顔を引き上げて、水面を枕にするように体を仰向けに倒した。
湯気が粒子のように頭上で流動していく。
板で仕切られた簡易な個室状態の場所に放り込まれたので、浮かぶなり沈むなり自由に動き回っても誰も見咎める者はいない。
逆上せるくらいまで湯を堪能してから上がった。
用意された服に袖を通して表に出ればすでに着替え終わって寛ぐタリスがアレスと砕けた様子で雑談していた。

「完全に茹で上がってるんじゃないのか」
「気持ちよかった」
「顔を見ればよく分かる。もうじきラナウも湯から上がってくる。
そうしたら案内したいところがあるんだと」
出された茶で口を湿らせながらタリスが首をソファの上に乗せた。

「お腹は空いたかしら?」
話をしているうちに清潔な衣服に着替え、すっきりした顔でラナウが現れた。
彼女の登場に注目した三人は、大丈夫だとそれぞれに応えた。
バシス・ヘランに入る前に、ラナウとともに簡単だが食事は済ませていた。

「結構。じゃあ行きましょう」
彼女の雰囲気が違って見えるのは機能性が高い軽装からヘラン風の大きな布を幾重にも巻きつけた重い衣装に着替えたからだった。
長くひと束に纏めていた髪も、柔らかに頭の後ろへ巻き上げている。
いつも軽快な歩調も空気に染まってか、忍ぶような滑らかな足運びになっていた。
磨き上げられた白い石の床は顔が映りそうだ。
バシス・ヘラン内の空気が冷えて締まっているように思えるのもこの床や壁のせいだった。
火照っていた体も今は収まった。

皆背筋正しく、囁くように言葉を交わしているので、自然とタリスも口数が少なくなっている。

広い回廊が奥へと延びる。
広間に柱を打ち込んで猩猩緋の絨毯を敷いたのかと思えるほど幅のある回廊だ。

「折角のホームなんだろう? 挨拶は済ませたのか」
「それはこれから。といっても言うほど知り合いは多くないの。一年のほとんどは移動とアミト・ヘラン巡回ですからね」
アレスが言葉を引き、ラナーンが継いだ。

「ラナウの部屋は」
「あるわよ。でも寝室と衣裳部屋みたいなものね」
こんな衣装ばかり吊るしてあるのよと、服の裾を持ち上げて踊るように回ってみた。

「それでも帰ってこられるのは嬉しいわ。ラナエに会えるし」
両開きの扉の前にはまた人が両端に立っている。
畏まってはいるが、バシス・ヘランの表に並んでいた門番ほど強張ってはいない。
形式的に顔を伏せて開けた扉を四人は潜った。

「久しぶりだねラナウ」
また今まで以上に冷たい空気に当てられるものと顔が引き締まっていたラナーンは、砕けた口調に驚いて顔を持ち上げた。

「お客さん連れとは聞いてたけど、賑やかに帰って来たものだ」
皮肉で言ったような嫌らしい言い方ではなく、笑いを含んだような声だった。
ラナーンがアレスの後ろからそっと顔を出した。

「ああ、ごめん」
声をかけておきながら名乗るのが遅れたねと、中背の男が手の上に開いていた厚みのある本を畳んで小脇に抱えた。
仕事中に立ちあがって入口まで迎えに出たようだ。

「イグザと言います。昔はラナウみたいに外で仕事をしていたのだけど、今は内勤で引きこもりがちなんだ」
「彼はラナエに付いて仕事をしてるの。私がラナエについていられないから、アミト・ヘランにいるときは、ラナエの様子を彼の連絡で聞いてるのよ」
「よければ奥でゆっくりするかい。カリムナは仕事中でね、面会時間までもうしばらく掛かりそうだ」
二十代後半だろうか、アレスに届きそうな体格ではあるが柔和な顔つきで少年のように笑っていた。


「それで、どうだった? ソルジスという国は」
一通り旅の話をしてからイグザは興味深げに机へと両肘を置いた。

「乾燥地帯も多いけれど、住む人は力強いと思う。カリムナの恩寵、だから?」
「みんなカリムナが好きだからね。カリムナに憧れて。でも、ラナウの役目だってなかなかなれないんだよ」
「労働条件は劣悪だけどね」
ラナウが笑い飛ばした。

「巡廻士、増やせないのか?」
「誰にでも勤まるって訳じゃないからね。問題は人材の質なんだよ」
ラナウ自身から、彼女の役割について詳しく聞いたことはなかった。

「ラナウだってカリムナにはなれなかったけど、相当に力があるんだ。アミト・ヘランを維持しているんだからね」
「あれは嵌め込んだ石のお陰じゃないのか」
「石は電池みたいなものだよ。確かにそれなりに力はあるんだけど、アミト・ヘランから湧く異形を留めるには力不足だ」
バシス・ヘランからアミト・ヘランを監視しているカリムナと、時期を迎えたアミト・ヘランに派遣される巡廻士。
二つでこの国は支えられている。

「ラナウとラナエとは古くから知り合いでね。ラナウ、話は?」
「してない」
「縁があるんだよ。まあ、あまり良い縁とは言えないかもしれないけどね」
「そんなことないよ」
強引に繋がった縁だと、イグザは言った。

ラナウとラナエは昔からバシス・ヘラン近郊に住んでいたわけではない。
両親を亡くし、二人で生活を始めたころに迎えはやってきた。
以前訪れた『家』にやって来た監察官と同じものだ。

ラナウとラナエを迎えに来たのがイグザだった。
二人での生活も将来も不安定だった弱みに付け込むようで、気が引けたのだとイグザは吐露した。

「実際、あのままあの家に居続けて、まともな生活が送れたとも限らない。私たちは小さかったけど、その時できる最良の道を選んだよ」
「そう言ってもらえると、救われるよ」
ラナウらが後悔しているとなると、強引に連れ去った、まるで誘拐のような話になる。
それが仕事だったとはいえ、罪の意識はイグザを戒めていた。

「そうして二人はバシス・ヘランに招かれ、カリムナが選ばれた」
「カリムナって決まってから迎えが来るんじゃないのか」
手のひらに顎を乗せながら、タリスが目を開いた。

「候補はラナウとラナエ。どちらも突出した力を持っていた。けれどカリムナの座は一つ。そこで選抜に掛けた」
座に就いたのはラナエ。
カリムナにこそなれなかったが、巡廻士の過酷な役目を負うことを呑んだ。
バシス・ヘランにおける巡廻士の地位の高さではなく、純粋にラナエを助けたかったからだ。

「イグザ。カリムナが」
「客人もいいか?」
奥の間が開いた。

「いいそうだ」











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