Silent History 115





陽を求め高さを競い合って折り重なった木々の層を見ていると、生命の輪が目の前に浮かぶ。
高く手を伸ばし、少しでも暖かな恩寵を受けたものだけ繁栄を許される。
育ちきれず下層にとどまったものは、取りこぼされた光を求めるか、あるいは朽ちて他の養分となる。
ヒトはそれを生存競争の中で敗北と位置付けるが、それはヒトだけの定義だ。
すべては輪であり和である。
いずれもやがて訪れる衰退の果てに他の生命の輪の一部となる。
それが生命の真理だ。
美しい流れに身を任せるのに、他と比較するしかない勝利や敗北の価値観は陳腐なものだ。
ただ生を求める姿こそ純粋で崇高で美しい。
高みにいて他を見下ろすではなく、さらなる光を求めて手を伸ばす姿こそ生の本質だ。



エフトが来客を連れてきた。
遠い昔に隆起した断層の上から、遮る木々を透かせて連れ立つ彼らを少女が一人見送った。
エストナールでも街のものでもない貫頭衣を纏う彼女の顔は引き締まり、伸びた背筋と微かに上向き加減の顎は超然としていた。
衣服からすらりと伸びた手足は脂肪に代わり、バネが利きそうな薄い筋肉に覆われていた。

体の真横に垂らされた両手は朱に染まっている。
木の実を手の中ですり潰した朱はすでに乾いて、手のひらに張り付いていた。

眼下の一行が、見張る彼女の姿に目を止めることなく消えてしまってから、彼女は踵を返した。
意図は知らないが、森は彼らを害とは見做さなかった。
森は善きものを受け入れる。
森の意思は、すなわち神の意思だ。

岩を飛び歩き、木の枝に手を掛けて振り子に前後させた体を前に飛ばした。
滑らかな放物線と軽やかな着地。



片足を垂らして、神の座に腰を乗せた彼は突然現れた人影に片眉を動かすことすらしなかった。
目の前の空気に語りかけるような囁きを漏らす。

「エフトが来ていた」
「見た」
「声は掛けなかったね」
「他の人間と話すこともないから」
ずいぶん素っ気ない会話だが、お互い合わせる顔はほとんど他にないのだから、気にもならない。
付き合いは長く、世代を超えている。

神の座の前へ、苔生した岩を滑り降りてきた彼女を目の前にし覚った。

「セネカ、そうか」
来るべき時が来たのだと、いつもとは違う重みを感じながら瞬きをした。
彼女はその母と姿が重なる。
何度も、数え切れぬほど繰り返し連なって来た姿だ。

「手を前に出して」
言われた通り差し出した両手を下から掬い上げた。
上に開いた手は鮮やかで冴えた朱に染まる。

「母がいない」
彼女は父を知らない。
彼女は祖母も知らない。
一族が一族であるために必要なことでもあった。

彼女が大人へ歩み始めると、母親はしばしば姿を消した。
朝目覚めて夜眠るまで、常に隣にいたはずの母の影が、日中消えるようになる。
今朝、母の姿はなかった。
母と顔を合わせる時間が短くなっていくにつれ、やがて隣に姿がない日が訪れるのを予感していた。
母がどこに行っていたのか、なぜ彼女を置いていくのか、訊いても答えは返らなかった。
これも母がいつも口にしていたキマリゴトの一つなのだろうと、呑みこんだ。

彼女は数少ない知っている者、エフトがいる環境に属していないことを感じ取っていた。
また、神と並ぶことがないことも知っていた。
彼女はいずれにも属さない。
例外は母だけだった。

その母はもういない。
彼女の元へ帰ってくることはもうないだろう。

母に聞いていたように、その日彼女は手に色を握った。



映える朱色が目に沁みる。
彼女は母を一人失った。
生命の車輪は一つ廻された。
彼女は新たな一つを手に入れた。
これはその証だ。

喜びと悲しみを巻き込みながら回り続ける輪。
廻す朱の証を感慨深く目に刻みつけた。

飽きるほど、見続けたこの儀礼を感慨と敬意を持って手にしている。
儚く散れども、人間の命の尊さは輝く。
手の甲に沿えた両手でまだ年若い朱の手を内に包み込んだ。





「セネカって言っていたけど、他にも人が来るのか。こんなところに」
ラナーンは首を巡らせた。
聳え立つ大樹たち、先の見えない厚い木々。
狭間を縫いながらまた何時間もかけて街に戻らなくてはならない。
どれだけ広いというのだ、この森は。

「あるいは棲んでいるのか。ここにいると人は動物であるべきなのだと思いさせられる」
額に手の甲を押し当て、目に流れる汗をアレスは拭った。

「濃い木々の向こうに堂々たる立ち風情の女がいた」
「セネカを見たのか」
軽快だった歩みを止めたエフトが、踊るように体を回してアレスへ振り返った。

「直視ではないけどな。エフトのような格好ではない」
はっきり目にしていないが、一人にしてはみすぼらしさなど微塵もなく、むしろ清浄な空気が流れ出すようだった。
孤高の美しさはまるで神を象った石像のようだった。

「森に溶けるようにいた彼女に気付いた時、人間もまた動物であるはずなのだと思ったよ」
「彼女がセネカだ」
歩き始めた背中のまま、エフトが再び口を開いた。

「彼女は忌み者だから」
イミモノ。
それがどのような人間のことを指すのか聞く前だが、いい思いはしなかった。

「多くの人間は哀しいことに、誰かに恨みを向けずにはいられない。自分とは違う者が必要だった。セネカは街の疎ましさを背負って生きている」
無根拠の迫害で平穏は保たれている。
森には忌み者がいるから。
それが外へ出る好奇心の抑止力になったりもする。

「幸いなことには、セネカや神のもとへ行けるのは極限られた人間だけ。その一人が私」
「なるほど。セネカという人間は、周りがその女を疎む心を知らずに済むわけか」
「完全にというわけではないけれど。これも、森が濾過してくれてるってことかな」
「森が外からの人間を選択して中に導くように?」
「そうだね」
街が見えてるまで、エフトはセネカという存在について話してくれた。
帰りは雨に見舞われることはなく、飛び越えてきた雨水の小川は土と木の根に吸われて消えた。
湧きあがるような湿気だけが森全体を包み込んでいる。
苔を纏う木の根と腐葉土が折り重なった木々の隙間をすり抜けていると、まるで自分が小人になった気分がする。

「忌み者は女しかなれない。セネカも母親も祖母もだ。全てが女で父親はいない。そして生まれるの子供は一人だけ」
「男子禁制ってことなのか」
男は森に入れない。
だとしたら今ラナーンがこの場にいるのはまずいことだ。

「そういうわけじゃない。男が生まれないんだよ」
「そんな、あり得ない話が」
「あるんだよ」
エフトが笑い混じりに答えた。
人間の性別までも神が管理する権限があるはずがない。

「神の仕業じゃないと思うけどね」
「長い血筋なんだろう、忌み者っていうのは」
「だけど無いのよね、一度も。男が生まれたことなんて」
答えを聞いてタリスはぞっとした。
嫌な想像をしたからだ。
男が生まれればなかったことにしてしまう。
それしか考えられない。

「そんな酷いことはしない。私の家系はずっと忌み者の側にいた。生まれた男児を殺めるなどしていない。共犯? だったらそもそもこんな話を持ち出さない」
「そもそもこの森には神がいて、人間を選別する森がある。それだけで十分不思議なんだから、他にどんな不思議があったって驚くものじゃないのかもね」
今さら気づいて、ラナーンが黙り込んだ。
何が作用しているにしろ、彼らに解く時間も関わりの深さもなかった。

「彼女はひっそりと生きて、ひっそりと子を宿し、ひっそりと森に消える。それが忌み者の生き筋なのよ」
エフトは小休憩で足を止めた。
距離感が見える帰りの道は行きより足が軽いが、素人三人は歩いたことのない道に疲れ気味だ。
無理をすることはない。
周りは陽の光が弱まってきたが、何とか街に辿りつけそうだ。

「どこに彼女はいたの」
「崖の上だ。赤いものが見えたから、花かと思って見上げたら」
「赤って、何? セネカが怪我でも」
「いや、しっかり立っていたし怪我ではないと思う。遠目だったが、両手が薄い赤で」
「そう、そうなんだ」
少し寂しげにエフトが微笑んだ。

「彼女はね、母親になったのよ」
「子供ができると、手が赤くなるのか」
そういう人間もいるのか。

「そんなわけないじゃない。真っ赤な木の実を摘み取って握り潰すの。それが子供ができた印」
息が整ったあたりで、エフトは立ち上がった。
後半はペースを上げて街を目指さなければならない。
空気は闇に冷やされてきた。
夜の森は迷うと怖いが、ここは神の棲む森だ。

「子供ができると母親は森の奥に消える。死にに行くわけじゃなくて、一人でひっそり暮らしていくんだ」
「繰り返して聞くようだけど、父親は」
「森があるとき男を招き入れる。母親が娘の側を離れ始めるのはその時期から」
「招くって、街の人間か? それとも外の」
「街の人間」
「彼女は忌み者だろう。夫になろうなんて人はいないんじゃ」
「それを選別するのが神の役目のひとつ。偏見に凝り固まった人間ではない者を選ぶ」
「その夫と選ばれた人は?」
そもそも、忌み者を疎ましく思う隔絶された集落で、思想に染まらない人間が生まれるのかも怪しい。
あるいは神が、忌み者を人として扱う人間を生み出すのか。
まるで種を植え付けるように思想を植え付け、苗となり樹として育てて忌み者の森へ送り出す。
どのようにせよ、忌み者を嫌煙しない人間が生まれ、彼は忌み者の夫となるべく森に導かれた。

「夫は忌み者と睦み、森を去る。残るのは忌み者の中に宿した子だけ」
子を宿せばもう二人は会うことはない。

「それは母も祖母も辿って来た道筋なんだよ。姉妹もなく、忌み者は二人きり。母と娘が繰り返される」
「忌み者がそこにいるって思ってさえいればいいんだろう? 一人の男以外誰にも会うことはなくて、誰も実際誰がそこにいあるのか知らなければ、いなくてもいいじゃないか。街に戻れば」
二人だけで生き続ける彼女たちはあまりに可哀想過ぎる。
寂しすぎるとラナーンは胸が痛んだ。

「それは外からの勝手な思い込みだ。可哀想だなんて、本人たちは思ってはいない」
頬を叩かれたような顔をラナーンがした。
エフトは決して非難する口調ではなかったが、衝撃はラナーンの体を焼いて火傷を残した。

「あと一息で街に着く。急ごう」
街までの距離でラナーンは聞いた話を反芻した。
エフトの言葉を噛みしめた。

他人の気持ちを慮るのは悪いことではない。
だが主観的になり過ぎれば善意は悪意に転じる。

街にでたところで、ラナウの友人が灯りを持って出迎えた。
ラナウの帰還を告げた。
放花が上げられ、明日の朝迎えに出るのだと宿までの道で話した。











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