Silent History 110





滴が葉の上で跳ねる音が止み、虫の音が低く響き始めた。
雨の止み間を敏感に感じ取った鳥たちが、忘れていた唄を思い出したように歌い始める。

たっぷり水を吸い込んだ森は生命力に満ちている。
草の露が裾を濡らし、葉が足に絡むが気にせず切るように突き進む。




渇いた国に点在する貴重な森。
至るまでの道は、この大地の歴史を逆巻きにしていた。

岩と砂粒ばかりで道標すらない地面を踏みしめる。
やがて白骨のように色を失った木が置き去りにされ、朽ちる日をただ待っていた。

手持ちの水の残りを気にしつつ、摂取した水分は汗となって流れていく。
ラナウが砂嵐の兆しを風から嗅ぎ取り、四人はアミト・ヘランや岩穴に身を隠した。

二日も経つうち、味気ない乾いた大地にくすんだ緑が混じり始めた。
硬い外皮で歯を食いしばって生きる底力だ。
その草木は徐々に密度を増し、蔓は柔らかい腕を木に絡めてくる。

密林に踏み入れたとき、今この場所がソルジスなのだと信じるのに何度も自問した。

雨が降る。
木の幹は水を吸い上げ太く、光を求め高く伸びていく。

人が通らないのか、獣道のような頼りない隙間をラナウに先導されて連なった。
殿はアレスが名乗り出るまでもなく担った。
逸れないよう目を光らせるあたり、長年の保護者としての職業病と言えなくもない。
ことがラナーンに関わるとなると神経質になる。
それは今に始まったことではない。




ラナウが足を止めたので、背中にラナーンが接触しそうになり体を引いた。
何か気配でもしたのか。
ラナウは異常を口にしない。
ただ視覚と聴覚を尖らせ、周囲の様子を窺っている。

夜獣(ビースト)か。
状況が把握できない他の三人は身を固くして、周囲の様子を探った。
風が草を薙ぐ音に緊張を走らせるが、相手の姿はない。
ラナウが短剣を鞘のまま腰から外すと、木の幹を鞘で叩き始めた。
行動の意味を理解しようとそれぞれが周囲を見回した。
不自然に草が擦れる音がした。
動物か。

ラナウは一秒間隔で、短剣で幹を鳴らしている。

「怖がらないでいいわ。道案内を呼んだだけ」
深い森の中、さすがのラナウもこれ以上踏み込めば彷徨い外には出られなくなる。
ラナウもまた、この森にしてみれば侵入者の一つに過ぎない。






説明するだけでは収まらず、納得してもらうのに時間が要った。
密林はある種防壁でもあるのだとラナウの口から聞いたが、それは森だけの話ではない。
外部との接触は常に危険を孕んでいる。

「久しぶりに来ると知らせがあってから、見れば三人も連れてくるんだし」
ラナウに代わり先導を務めたのは、森から現れた女性だ。
彼女の友人で、この先を案内するという。
短剣で等間隔の音を立てている中、木の狭間からラナウと同じ年恰好の女性が現れた。
森の中から湧いて出た女性が、都会の小路から顔を覗かせたような気軽さで姿を現したのには強い違和感があった。
獣のような姿をして遭遇する方がまだ納得できる、鬱蒼とした森の中だ。
驚きは通り越し、呆然と眺めた。

艶やかな栗色の長い髪、汚れもない洗練された衣服、聡明な切れ長の目はラナウから同行者へと視線を流した。

警戒をしない方が変でしょう、と言いながら観察するほど直接的でなく、ラナーン達の様子をさりげなく気にしている。
にこやかに、愛想たっぷりで迎え入れられるより正直でいい。




ヘランに属さない森の民。
黒の王を神王と祀り、黒の王を排したサロア神の対極にあるものだ。

エストナールの海に浮かぶ、神の棲む島でその歴史の欠片に触れた。
だが現存する神王派に直接接触するのは初めてのことだ。
未だ、黒の王がどのような道を生きたのかラナーン達は知らない。


木の根がうねり隆起する危うい地面を手を付きながら進む。

口数の少ない案内人の長い髪が揺れるのを眺めながら、子供を寝付かせる昔話、当然として語り継がれてきた歴史を思い返した。



魔を操り世界を統べ、破滅と混沌とを大地にもたらした黒の王。

討ち滅ぼし、闇の深くに沈めたのはガルファードやサロアといった伝説の英雄だ。

絶対の正義と疑問の余地のない英雄譚を子供の頃から擦り込まされていた。
そうあることが、当然だった。

サロアは神へと昇り、今はルクシェリースの聖都シエラ・マ・ドレスタでサロア神として揺るぎない神位と畏敬と信仰をまとい、覚めるとも知れない眠りについている。

まとめて、封魔の時代と呼び本の中に生き続けている。



それが偽りだとしたら。
覆すことのできる、抑圧された真実があったとしたならば。

初めて見た神門(ゲート)、神の棲む島で、身の震える思いをした。
夜獣(ビースト)が森から現れる理由。
神門(ゲート)の存在。

何より、アレスが受けた言葉が解けるかもしれない。


凍牙の祠、始まりの言葉。
無意識に手は左耳に掛かる。
下がった藍色の宝玉は、凍牙の祠で凍りついていた剣が姿を変えたものだ。
氷の洞窟に刺さっていた剣に触れると、ラナーンは昏倒した。
意識を失っている間の言葉はアレスにだけ与えられた。


神を知り 神と在る

人間の罪

神々の没落

そして音もなく扉は開かれ、現の世に魔はあふれ出す


断片的で意味の繋がらない単語の羅列も、繋がる気がする。
繋げようとするのは強引か。

だが実際、それまで目にすることのなかった神門(ゲート)から夜獣(ビースト)は湧いていた。

アレスが言っていた女の言葉通り、現の世に魔が溢れだしたのだ。

神王と拝された黒の王、エストナールから追われてきた神王のもう一つの姿を知る者たちが側にいる。


和やかで打ち解けた雰囲気とは言えないものの、案内人がラナウの知人が同行するのを許したのは、ラナウの人徳。
加えて、ラナーンたちがソルジス人ではなく侵攻や暴挙を働く意思が皆無だという説得。
何気なく口にした、エストナール・ソルジス間の道で、神王派が彫ったとみられる女神像の話は意外にも相手の心を動かした。
目的は、「神王」の存在と纏わる話を聞くことだけなのだと話すと、ようやく招き入れる決意をした。

「ソルジスの人間を排除しようとしているわけでも、敵対したいわけでもないの」
ソルジスの土地で、深い森の中で息を潜めて生きていたいだけだ。
多くは望まない。
領土拡大など考えない。
エストナールを追われ、サロア神信仰が広まるにつれ居場所のなくなった彼らは森を求めて逃げ込んだ。
森は彼らを守る。

「失礼な質問だったら悪いが、どうしてそう森に拘るんだ」
森はただそこに自分たちの繁栄のためにあるだけだ。
人間に意思を傾けることなどない。
自然が語りかけてくるなど夢を見るのは幼子だけでいいはずだ。

「私たちにとって森は外界との緩衝材なの。ヘランに属さない、その意に賛同できない意味、一緒に来て考えてみるといい」

「俺たちはカリムナのいるヘランに行ったことがない。だからヘランが具体的にどういう働きをしているのか感じられない。カリムナが豊穣を与えるのか? カリムナが消えれば繁栄も消える。だが逆には考えられないか」
「逆、とはどういう意味だ」
「ラナウたちのいう異形、俺たちのいう夜獣(ビースト)、昔話の中での魔は、神門(ゲート)から湧きだしてきた。神門(ゲート)は森に沈んでいる。バシス・ヘランはもともと森があった」

「森は緩衝地帯。魔の世界である神門(ゲート)の向こう側と、人間や他の生物が生きるこちらの世界、森の代わりにソルジスは」
呑み込みの早いラナーンが続け、答えを口にするのを躊躇った。

「ヘランを置いた。森は、どこにいった」
タリスもそれ以上は続けなかった。
ヘランに属し、カリムナに親族を持つラナウがいるからだ。
言い過ぎたと自覚した。

「構わないわ。私だってカリムナが何をしているのか知らされていないもの」
一年でひと時、顔を合わせるラナエは旅の話を請う。
豊穣のカリムナの笑顔は、昔と変わらない。
外を散歩しようと誘うが、首を横に振りカリムナの間から出ようとはしない。
彼女が何をしているのか尋ねるのは禁忌のような気がしていた。
カリムナは祈り、人々の繁栄とアミト・ヘランの平穏を願い、影を読むと聞かされた。
慕われる姿、拝される姿に安心し、バシス・ヘランを離れアミト・ヘランを巡回できた。
カリムナは愛されている。
それだけが、ラナウの安らぎだった。











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送