Silent History 109





危なげもなく猫が梁を悠々と歩くように、細い石橋を渡っていく後姿を追う。
下を見たら渡れなくなるからという忠告を素直に受け止めて、息を整え正面を見据えた。

この広間に主がいたころは、今は空気しか溜まっていない濠には水が溢れるばかりに湧き出で、神殿の中隅々まで行きわたっていたという。
その時ならば落ちても濡れる程度だが、今横に傾けば打撲では済みそうにない。

不格好を承知で、両手を横に広げてバランスを取りながら肩幅程の石橋を慎重かつ足早に進んでいった。

背中にした入口近くには目を覆おうと鼻に両手を被せたタリスが控えており、渡りかけた彼のすぐ後ろには頼もしい親友が構えている。
やめておけと散々言われたが押し切って進んだ。
それでも心配で堪らない友人は、バランスを崩しかけたらすぐさま後ろから掬い上げるつもりなのだろう。
落ちれば諸共な気が大いにする。

大きく体が揺らぐこともなく、無事に向こう岸に辿りつき一息ついたところで、しゃがみ込んでラナウの手元を覗きこんだ。
石を彫られて作られた灯篭のようなものが地面から突き出していた。

あらかじめ造られた彫塑を置いたというのではなさそうだ。
ラナーンがラナウの許可のもと、四角い像を上から下まで撫でてみたが表面は滑らかで、分断されていた跡も接着した形跡もない。

ということは、一つの巨大な石を彫りこの石の台とこの部屋の中の孤島を造ったことになる。
大がかりで繊細な技術だ。
カリムナの重みが染みてくるようだった。

ラナウは灯篭に手を入れて石を取り出した。
すぐさま逆の手に握っていた新しい石を嵌め込んだ。

取り出した青緑色の丸い宝玉を地面の窪みに嵌め込んだ。

「少し離れていた方がいいわよ」
危険な力でも漏れ出しているというのか。
アレスにも先の予想は定まらないまま、ラナーンの両肩を後ろから掴んで引き摺るように後退した。
衣服に脇から手を入れるとそのまま後ろに手を回した。
腰から手を抜きだした中には短剣が鞘を被ったまま取り出された。
腰に結わえていた紐を手早く右手に捲きつけ剣と手とを固定し、左手は鞘に添えられている。
短剣の剣先は屋根のない天井を向いていた。

「破片が飛ぶかもしれないから、気を付けて」
細く息を吸い、腹にため込んだところでラナウの目つきが鋭くなった。
この一瞬で、鳥肌が立つほど集中した。
石橋を渡りきったばかりのタリスも、瞬間に研ぎ澄まされた空気の中で圧されるように息と足を止めた。

力一杯短剣を垂直に振り下ろす。
柄頭が宝玉の中央に吸い込まれるように突き刺さる。
ガラスを床に叩きつけたような耳に痛い音が空間を裂いた。
緑の欠片、緑の粉が周囲に散った。




「宝玉を入れ替え、古い宝玉を砕くまでが仕事なの」

一仕事を終えラナウが先に広間に膝をつけた。
『家』が持たせてくれた水とカップを袋を探って取り出す。
カップを四つ布を敷いた床に並べて、水袋から水を注いだ。
彼女の左右正面に三人が同じように腰を降ろすと三人にカップを手渡していく。
夕焼けの中にいるような淡い朱の光の中、手元の水に浮かぶ顔は暗く不鮮明だ。
感傷的な気分に呑まれてはしないが、どこか落ち着かないのはラナーンの頭に『家』の母が口にした心配事がこびり付いているからだった。

「私たちのところにも来たのよ。監察官がね」
脚を組み直しカップを床に置くと、楽な姿勢で天井を仰いだ。
砂嵐を恐れるように、隠れるように、ひっそりとヘランは構える。
ヘランはカリムナがその役目を終えると、生きたカリムナの代わりに宝玉を埋められ人は去る。
ラナーンらの言う夜獣(ビースト)、ソルジス人の言う異形を抑え込むための蓋となる。
近づけなかったが、ヘランの奥には神門(ゲート)がある。
今でも夜獣(ビースト)を吐き出し続けている。

ここは、森と同じ場だ。
それをソルジス人は人の手で造り出した。



「監察官たちは『家』の子供たちに目を付けて何度も足を運んでいる。どこから嗅ぎつけてきたのか知らないけれど、今までこんなことはなかったのにね」
「あそこは、特別な場所なのか」
タリスに向かってラナウは頷いた。

「ソルジスはカリムナが支えているわ。カリムナがいなくなれば豊穣の土地はもたらされない。繁栄はあり得ない。捨てられたアミト・ヘランからは異形が湧きだしソルジスを覆う」
それでは千五百年前の再来だ。

「けれどそれらの仕組みから外れ、カリムナの恩情から遠い場所に身を置く人たちがいる」
「『家』の子供たちのこと?」
「あなたたちは何を追ってここまで来たの」
「エストナールで、サロア神とは対極に黒の王を神として仰ぐ人たちのことを知って」
「神王派って言ってたわね。もし彼らがどこかに生きていたら?」
「会ってみたい。知ってるのか」
「彼らは森にいるわ。深い深い森の中」
「神の棲む島に似てる。エストナールの小さな島だったけど、森に手をつけず、森を尊び畏れ生きていた」
「カリムナの恩情から遠いってどういう意味だ」
飲みかけのカップを床に置いた。
娯楽も人も水もない場所で、外は闇、明け方まではまだたっぷりと時間があった。

「カリムナはアミト・ヘランを守り、バシス・ヘランに繁栄をもたらす。けれど彼らは森で息を潜めたまま、ヘランやカリムナに近づかない。互いに干渉しなかった」
敵対関係ではなかった。

「ヘランに属さない『家』はそんなヘランと森との狭間にいる。バシス・ヘランの視界には入っていなかったのに」
「バシス・ヘランは子供たちを連れていくつもりなのか」
「かもしれない。まだ判断に迷ってるんでしょうね。拉致したり強奪したりっていう強引な手は使わないと思うけど」
監察官の焦りみたいなものを感じて、不安が去らない。

「手持ちの石が少なくなってきたわ。そろそろ、バシス・ヘランに戻らないと」
口の奥で欠伸を噛み潰し、ラナウが手のひらで

「バシス・ヘランのカリムナってどんな子なんだ。双子だから、ラナウとそっくりなんだろうな」
タリスが腰をずらし、床に転がった。
ラナウも瞼が重くなってきたころだ。

「意外と、そうでもないのよ」
男女四人が雑魚寝となると、思春期の少年少女は互いに神経を尖らせるものかもしれないが、気にする様子もなく体を伸ばしている。
多少砂ぼこりに服が汚れようが今さらのことだし、顔に土がつけば布で落とせばいいじゃないかと言う頼もしい女性二人だった。






ラナウとは少し異なり、彼女の姉妹であり現カリムナのラナエは大人しい少女だった。

不安になるといつもラナウの腕を抱え込み、震えていた。
監察官が来た日もそうだった。

扉を叩く音に、ラナウの細い肩が小さく跳ねた。
半年前に母親が他界した。
残された二人は母の見様見真似で生きる糧を得、細々と街の外れに生きていた。
以来、訪問者は途絶えていた。

扉を薄く開くと、目の前には背筋正しい白衣の胸が見えた。
首を持ち上げると、訪問者はフードを後ろへ押しやった。
彼の年齢も位も目的も幼いラナウには分からなかったが、ヘランの人間であることは確かだ。
たまに必要物資を買いに出る街で、目にしたことがあった。
ヘランの中枢に仕える人間は同じような色の衣服を着ていた。

そんな彼らが、ヘランとは直接関わりのない子供二人だけの家にやって来た。
嫌な予感が背中を引き締めた。
具体的に、その時ヘランに召喚されるとは思いはしなかったが、ラナウとラナエの二人の生活が揺るがされる気がした。

二人はその後バシス・ヘランに連れられ、ラナウは巡廻士となりラナエはカリムナに就いた。

「カリムナはバシス・ヘランから出られない。最近はカリムナの間からすら、ラナエは出てこようとしなくなった」
「ラナウは旅をして回って、帰ってきても二人で遊びに行ったりはできないのか」
城にいる頃から奔放に生きてきたタリスが、他人事ながら残念そうに息を吐いた。

「そうね。面会できるのも、僅かな時間だけ」
互いの近況をあっさりと述べて、ラナウは席を外す。
バシス・ヘランに留まれるのも数日間だけだ。

「誰でもカリムナになれるわけではないの。素質、技能に秀でた者がカリムナに上る」
力が強いだけではだめだ。

「機会があれば、会えるかもね」











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