Silent History 107





岩と乾いた砂の大地。
太陽が近く見えた。
温くなった水で口を湿らせながら人影のない道を進んだ。
時折小動物が視界の端を過ぎると、巣穴に逃げ込んでいった。
骨のような枝振りに木肌に潤いのない幹。
似たような風景ばかりに飽き始めたころ、些細な空気の変化に気付いた。
岩肌に枯れた草が貼りついていた。

「みんな雨を待っているのよ。人も、植物も、動物も、虫も」
「降るのか。こんなに晴れているのに」
「当り前じゃない。降らなければ生きていけない」
剥き出しの岩肌ばかりの砂地に、植物が低くして這う。
そこには生きようという必死さを目にしているようで、暑さと単調な風景で気力を削って進んできた道だが、体の底に力が入る。

岩に顔を寄せれば蔦の小さく密集したものだった。
ラナウにそっと先を促されながらも、タリスは自国とは違う風景と空気、環境に生きる植物にしばしば足を止めた。
ラナーンも興味をそそられ、親指程の蔦の葉を人差し指で持ち上げて、タリスとはしゃいでいるのだから先に進まない。

アレスが気がかりなのは、日暮れ前に宿に辿りつけるのかということと、砂嵐の接近だ。
前回のように、追われて危うく逃げ込むのは勘弁願いたい。
だが自然というのは、なかなかその脅威を予測し辛いのも事実だ。
この中で道を知るのも、空を読めるのもラナウだけだ。
この状況に、彼女は呆れているのではと目を向けてみたが、彼女は足並みを乱す二人の動向に辟易するどころか、どこか楽しげな様子もある。
話相手のいない一人旅と単独任務の連続だ。
多少煩くはあるとはいえ、同行者は歓迎してくれているのだろう。
その気持ちはアレスにとってもありがたい。

「休みながらで調度いい」
空模様も安定し、焦る道でもない。
越える山は前にないし、渡る大河が横たわってもいない。
いたって単調で起伏の激しさに一同が弱音を上げる程のものでもない。
ただ、暑さは参る。
日陰を避けようにも、岩と日差しに体を焼く葉の薄い木に身を寄せる他はない。
何度かの休憩と、乾燥地帯で懸命に生きる堅い外皮の草花を眺めて行程を消化していった。
保存食を水で戻した軽食も腹に入れて、再出発の腰を上げた。
先はまだ長い。
移動中の食事は簡素な方がいい。
満腹よりまだ空きがあった方が体がよく動く。


この調子なら、陽が落ちる前には着けそうね、と未だ軽快な脚を動かしながらラナウは水をアレスへ回した。
あれだけ騒ぎながら歩いてきたものの、タリスとラナーンは疲れることを知らない。

城の中で大切に大切に育てられてきた王子様に野性味が付いてきた。
強かに生きるのは良いことだ。
ただ、多分にタリスの影響を受けているので、彼女のように無茶をしないよう目を光らせている心配は増えた。

「ラナウー」
すぐに干上がりそうな小川を踏み越えると、上空から甲高い声が降りてきた。
前後を見回すが、姿が見えない。
崖から小石が崩れ落ちてくる流れの先を見上げると、子供が器用に斜面を脚二本だけで滑り降りてくる。
両手は抱え込んだ小さな籠で塞がっていた。
蔓で目を細かく編み込まれた籠の中身を溢さないよう、絶妙なバランスで眼前で水平に保ちながら崖下のアレスらの前で滑走を止めた。

「おかえりなさい」
語尾が延びた柔らかな話し方が妙に心を和ませる。
だが、こんな場所に十二、三歳の少女が一人で何をしているのかが一番の疑問だ。
その点はラナウもまず先に心配したらしい。

「薬草とりよ。トリトとネランもいるから平気」
少女が籠を振ると、乾いた草の音がした。
タリスが籠を覗きこむと、少女は顎を引いて警戒した。

「この人たちは、私の友達よ。ずっと一緒に歩いてきたの。『家』に連れて行ってもいい?」
「分からない。でもラナウのお友達なら、きっといいよって言うと思う」
生成りの民族服は、ラナウのそれを縮小した感じだった。
手首まで長い服の袖口だが、ゆったりと作ってある分だけ風通しは良さそうだ。
一見すると体にまとわりつきそうな服装でいて、見上げてようやく頂上が見えそうな崖を一気に滑り降りてくる軽快さは、ラナウに似ていた。
少女は大きく息を吸い込むと、同行していた友人の名を呼んだ。 鋭い声は崖の裏側まで届いたようで、頂上から二つの頭が覗いた。

一人は少年、彼がネランという。
もう一つが、トリト。
こちらは『家』で飼っている犬だという。

「いつもこんな遠くまで?」
「少しずつ摘んでいて気がついたら来ちゃってるの」
まだ警戒の取れないネランが一行に付かず離れずの距離を付いて歩くのに対し、少女の緊張は随分と解れたようだ。

「どこから来たんだよ。お前たち、ここの言葉じゃない」
「デュラーンとファラトネスっていう国なんだけど、知ってる?」
他には聞こえない声で呟いた少年に対応したのはラナーンだ。
アレスは二人の様子を、気づかれぬよう耳を欹てて注意している。
アレスの足もとには、犬が舌を垂らして寄り添うように歩いていた。
なかなか懐かれたらしい。

「知らない」
「だろうね。小さな国だから」
「何しに来たんだ」
それを聞かれると一番困る。


結婚が嫌で逃げてきて、夜獣(ビースト)に興味を持って海を渡り、『神』の存在を知った。

それまで、英雄のガルファードと彼を支えた大魔術師サロア神が、魔や混沌と災厄の根源である『黒の王』を封じて平和をもたらしたのが世界の真実だった。
常識や真実が覆るかもしれない。
あるいは、その裏にあるもう一つの真実が明らかになるかもしれない。
見てみたい、知ってみたいという気持ちが肌を泡立たせた。

エストナールで掴んだ、『黒の王』の別の顔を求め細い糸を手繰り寄せて今ここに辿り着いた。

今、何を目的にここにいるのか。
何を求め、何を目指すのか。
それに答えるのはとても難しい。

「色んな国を見てみたいと思って。みんな、違う考えを持っていて。見て聞いて、理解して、吸収したい。自分が持っている考え方が正しいとは限らないだろう」
一つの決断を下すにも、考えるための材料、知識が豊富な方がより良い選択ができる。
色んな知識、他人の多種多様な考えを取り込んで、自分の意思を鍛え上げていく。
それで納得したのかは定かではないが、少年は黙り込んだ。

水の音がする。
アレスが顎を持ち上げた。
河というほど存在感のある流れではないが、微かながら耳を掠る。

「小川があるの。涸れない綺麗な水が流れてるから、食事とかの水はそこの川から引っ張ってきているのよ」
「地下に水路を通してる。その点検も、ぼくたちの仕事だ」
ここには川も森もあると、少年は言った。
アレスが興味を持った様子を見せると、少年は説明を厭わず話し始めた。
森は『家』より離れた場所にあり、やはりここでも近づいてはいけない
場所だと聞かされていたという。
神の棲む島との共通点を感じた。

他に何もないところに、横に広い一軒屋の頭が見えた。
微かな起伏のある坂道を上り、細い体の木々の向こうで子供たちが走り回っている。
彼らに纏わりつかれながらつま先立ちで洗濯物を取り込んでいるのも、ラナーンよりも幼い子供だ。
他の子供より年長の、洗濯係がいち早くこちらに気づいた。
一度屋内に引っ込むと、抱えた洗濯物の代わりに大人の手を引いて現れた。

「おかえりなさい。元気そうでよかったわ」
「相変わらずよ。ここも変わりなくて嬉しいわ。ああ、こっちは」
旅の間で知り合って、道知らずなので連れて来たのだと紹介した。

「ラナウはこう見えて、なかなか話好きなの。一緒に旅ができる友達ができて嬉しいのよ、本当は」
中年の女性がラナウの頭を撫でる。
この『家』の主である彼女の前では、ラナウも完全にここにいる子供と同じだ。
洗濯係の少女は再び自分の仕事に移り、帰りが一緒になった少年と少女も犬を引き連れて家の中に消えた。
豊潤な土地とは言えない痩せた土をしているが、草木は根を張っている。

突然現れたにも関わらず、当然のように夕食を勧められた。
ちょうど用意をしているところだから、大人三人分なんて問題ないと微笑んだ。

「そうまで恐縮するのなら、そうね。お手伝い、お願いしようかしら」
人手はいつだって足りないくらいなのよと家の中に招き入れた。
横に広い、石造りの家屋だ。
屋根には重い瓦が隙間なく重ねられている。

「まだ明るいわね。ちょうど良かった、瓦が傷んでいるところがあるの」
荷物を引き取りと顔を拭う清潔な水と布をそれぞれに手渡して、飲み物を渡しながら館の主は言った。
年は先月四十二になったばかり、クレスタと名乗った。
夫に先立たれ、子供はバシス・ヘランの役職についている。
生まれ育ったこの『家』へ顔を覗かせれば、先代の母は数年前に会った
時とは別人のように老けこんでいた。

「夫はいない、息子は遠い、寂しかったのよ。それでここに居ついてしまったわけ」
間もなく先代の母はなくなり、代わりにクレスタが母となった。

「びっくりでしょう? 今はこんなにたくさんの子供たちのお母さんなんだから」
ラナーンが瓦の取り換えを申し出るが、不器用なお前が上ると取り替える瓦より落して壊す枚数の方が多いとタリスに容赦なく却下された。
代わりにアレスが上る。

「じゃあ、おれは」
口ごもる彼にクレスタが慈愛に満ちた救いの手を差し伸べた。

「食事の手伝いか、子供をみるかどちらがいい?」
「私は子供の方な!」
その一言で、ラナーンとタリスの割り振りが決まった。
ラナーンはラナウ、クレスタとともに調理場へと消えた。
タリスは表に出て、子供たちを屋内にかき集めるところから始めた。
落葉時期の木々のように、掻いては端から散り散りになっていく子供た
ちに負けじと声を張り上げながら、追いかけては家に流し込む様子を、
アレスは屋根の上から眺めていた。

「いつもああなのか」
新しい瓦を、一緒に屋根に上がったネランから受取り、屋根に嵌め込んでいく。
タリスの体力もなかなかだ。
子供を一人、また一人と追い抜いては球を拾い上げる要領で腕を取り家の扉の中へ押し込む。
牧羊犬の方がまだ楽だ。

「今日は特にはしゃいでる。追いかけてくれる人がいるからな。あれも遊びの一つなんだろ」
「なるほど」
作業を一通り終えてから、ネランが立ち上がって棟を指し示して次の仕事を依頼した。

「通気口、ずっと掃除しようと思ってたんだ」
棟を渡って角の下に口が開いている。
不器用でないアレスは、どの仕事も合格点に処理した。
汗で湿った服の腹を掴み、風を送っているところで眼下から声が上がって来た。
夕食の時間だ。











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