Silent History 105





「そう。私は使われなくなったヘランを巡回している」
太陽が燦々と降り注ぐバザールで、品定めの指が止まりラナウの目に適った果物がボールのように彼女の手の上で回されている。
危なげもなく落ちてくる黄色の果実を、また上へ抛っては真下で受け取る。

「どう? 目が覚めるほど鮮やかで、きれいでしょう」
日除けのテントの下で顔をラナーンへと向けた。
ラナーンより少し年長だが、歯を覗かせて笑顔を見せる姿は、年の離れを感じさせない子供のようだった。
片手には日差しを存分に吸い込み鮮明に輝く黄色と紫の果実を乗せている。

「これが乾燥と熱波の大地に根を張り、実らせるのよ」
奇跡でしょう、と跳ね上がる声を押さえながら二つの果実を手の上で転がせた。
ラナウは人差し指と中指で挟み込んだ硬貨を、布を巻きつけた服の店主の手の中へ落とした。
振り向くと同時に、タリスへと果実が一直線に飛んできた。
迷いのない投球と的確な狙いで、黄色の果実は反射的に胸の前に持ち上げたタリスの両手の中へと滑り込んだ。
気持ちいい音を立てて受け取ったタリスは、手の中に埋まった果実と素晴らしい腕をもつ投手とを交互に見つめた。

「食べてみて、甘くて瑞々しくて美味しいから。喉、乾いてない?」
紫の方をアレスの頭の斜め上、見当違いのところへ投げる。
それも弧を描くような穏やかなキャッチボールなどではなく、当たれば確実に痛い。
先に黄色い果実へ歯を立てたタリスならば、その硬さを保証できる。
指先を立てれば凹むが、彼女が片手で握り潰すには困難なほど弾力がある。
中からは果汁が滴り落ちるほど柔らかだが、左右の指で二つには割れそうにない。

アレスは左手で頭上に飛び込んできた果実を捉えた。

「なるほど。なかなかの神経を持ってるようね」
満足そうに口元を上げたラナウが、隣で色とりどりの果実や野菜を食い入るように観察しているラナーンの頭へ、赤い果実を乗せた。

「温度が上がって来たから水分補給。さて次はと」
ラナウの話を聞くだけのはずが、気がつけば買い物に同行していた。
街の様子や、真新しい物を目にでき好奇心も風土の知識も満足できたので結果的には良かったが。

「倒した夜獣(ビースト)はどうなるんだ。あのまま遺跡の中で腐っていくのか」
貰った果物を両手に抱えて、先行するラナウの後をラナーンが追った。
野外で朽ちていくのとは訳が違う。
腐臭は籠り、扉が再び開け放たれた瞬間群がった蝿たちが。
そこまで想像して流石のタリスも眉を寄せ、半分以上減った果実から口を離した。

「問題ないわ。二日と経たないうちに異形の討伐部隊が回収に行くはずだから」
すでに連絡はしてあるのだと、ラナウは指に残った果汁を懐から取り出した布で拭った。

事も無げに言うもので、ラナーンはそうなのかと聞き流しそうになったが、よくよく考えれば未だにラナウと彼女を取り巻く環境が理解できていない。

「一人でヘランを回ってるのか? ずっと」
「そうよ。バシス・ヘランから派遣されてね」
ラナーンの手の中にまだある果物に人差し指を立てて、食べないのと勧めた。
話すことばかりに集中していたラナーンの口が、ようやく果実へ吸い寄せられた。
人の肩が触れ合いそうなテントのバザールから、土壁の建物が密集したバザールへと道は変わっていた。
品物も変わり、衣類や反物といった布製品中心となっている。
ちなみに、とラナウは続けた。

「バシス・ヘランっていうのは、私の拠点というか」
「ホーム、だな」
「的確ね」
アレスの答えに頷いた。

「あ、足元気を付けて」
タリスを指摘しつつ、自分は器用に軽く飛び上がり、道へはみ出して並べられた店の商品を避けた。
彼女の衣服といえば、ラナーン達のように一枚布の外套を纏っているわけではない。
店の人間と同じような、長い布を重ね合わせた袖口の広い、裾は地面に擦りそうな露出の少ない格好だった。
決して薄着ではない彼女は、先ほどからひらりひらりと人混みを縫い、店と店の隙間をすり抜けている。
目は大きな方だが、目尻はタリスほど鋭くはない。
眼光も睨まれれば痛覚が反応しそうなタリスのように、研ぎ澄まされてはいない。
朗らかな雰囲気の少女だが、身の熟しは軽い。

「加えて言えば、カリムナのいなくなったヘランはアミト・ヘランと言います。しばらくこの国に居座るのだったら、それくらいは覚えておいてね旅の人」
「悪いな勉強不足で」
軽い嫌味混じりでアレスが笑った。

「補足事項。カリムナが治めるヘランとその周りは栄える。異形の力も弱まるのよね。でもカリムナが退いてしまうと」
「遺跡のようになるわけか」
放っておけば夜獣(ビースト)の巣窟となるわけだ。
やがて遺跡は決壊して、夜獣(ビースト)は流れ出す。

「やはり遺跡には神門(ゲート)が」
ラナウに聞き取れないほど声を落してアレスが低く唸った。
確認はできなかったが、密閉されているだろうアミト・ヘラン内で突如現れたのだから、奥の部屋のどこかに神門(ゲート)があるのは間違いない。
ただ今までと状況が違うのは、ここが森でも山でもないことだ。
岩と砂ばかりの場所で、今までの条件である森と夜獣(ビースト)の関連性は見いだせない。

「放っておいたら大変なことになるから、私たちがアミト・ヘランに潜って異形を退ける効力が弱まった石を取り換える」
「封魔の石」
それと同じようなものはファラトネスでも、夜獣(ビースト)を足止めするのに使われていた。

床に広げられた品物で目に止まった物があったのか、ラナウは腰を曲げて品定めを始める。
この地、ソルジスの服は見る限り二枚か三枚の長い布を重ねて作られている。
釦で留めるのではなく、紐を左右に渡して着崩れないようにしていた。
細く丈夫な糸で織られているのか、目は細かく薄い生地でできていた。

「私たちは異形とは戦わない。確実に死ぬからね。あくまでも異形をアミト・ヘランの奥へと封じ込めるのが役目なの」
夜獣(ビースト)に立ち向かうのは、先ほどラナウの口から出た、討伐部隊だ。

「遭遇すれば逃げる。扉の向こうまでね」
「でも間に合わなかったら。大怪我をして動けなくなったら、助ける仲間はいない」
「そうね。でもアミト・ヘランにはまた新しい人間が派遣される。バシス・ヘランのカリムナには、アミト・ヘランの異変が分かるのよ」
分かるのは異形がどこまで扉を破ったのかということだけで、その中で起こった人の生死は感知できないのだけれど、と感傷もなく言った。
彼女の興味は、新しい布地を選ぶことに傾いている。

「カリムナってすごい力を持っているんだな」
「まあね。この地に平穏を与えるのがカリムナの務めだから」
手にした布を元に戻し、ラナウが腰を伸ばした。
明るかった彼女の顔に一瞬影が過ぎったのをタリスは見逃さなかった。
その視線を察したのか、ラナウはタリスへ顔を向け微笑する。

「その代り、カリムナは外には出られない。バシス・ヘランでずっと過ごすの」
カリムナとは力を有し、それに比例するだけの権力もあるだろうとラナーンらは想像していた。
宗主か、宗教的指導者のような立場の権力者のようなものだと思っていた。
だが、ラナウの口ぶりからは彼に対する畏怖や敬意とは違う、同情にも似た翳りが感じられた。

「さて、あなたたちはこれからどうするの? 宿を取るなら取ってあげるけど」
タリスとラナーンは揃ってアレスに顔を向けた。
一団のリーダーはアレスだ。
三人の行動は彼の最終判断で決まる。

「目的地があってエストナールからソルジスに来たわけじゃないんだ。この先もどう進めばいいのか、実際のところ何も見えていない」
「一人であてもない放浪の旅ならまだしも。あなたたち、変わってるわね」
「特にラナーンなんて結婚を蹴り飛ばして、幼馴染と逃避行だからな。国では今頃アレスとラナーンの噂で」
タリスが笑いを堪えながら悪戯を楽しむ子供のように、横目でラナーンを見た。
タリスの言うことは事実だが、言い方というものがあるだろう。

「いろいろと、それには深い理由が」
ラナーンは説明したいがうまく言葉が纏まらない。

「それは追々聞くとして、とりあえず宿は押えるわね。私と同じところでいい?」
バシス・ヘランから派遣された人間用に宿の一室は常に確保してある。
宿屋の人間に言えば、もうひと部屋くらいは融通して貰えるだろうという。
タリスはラナウと同室になる。

「部屋は広いとは言えないけど、寝台一つくらいなら余分に入るわ」
テンポよく寝床も決まり、しばらくラナウに同行させて貰えるところまで話は進んだ。
地理も不安で、文化や風習だけでなく気候や環境もまるで今までとは違う。
それは最初の砂嵐で痛すぎるほど実感した。
迂闊に動けば身を危険に晒すことになる。
それも前兆も予兆も感じる間もなく突然に、だ。

「迷惑じゃ、ないかな。仕事の邪魔になったり」
「異形の一件で、十分に腕の程は知れたわ。こちらとしては合格ラインの護衛三人に囲まれるのは心強い限りだし」
戦えないラナウはアミト・ヘランでの危険回避方法は逃げるだけだ。
アミト・ヘランで派遣者が倒れても、代わりの派遣者が送り込まれアミト・ヘランと周囲の環境は保全される。
だが派遣者は、その身を救う手は差し伸べられない。

「アミト・ヘランでは大人しくしていてくれれば問題はない」
バシス・ヘランからすれば、任務を遂行する派遣者と放浪している素性の分からない人間とが接触するのは好ましくないのではないか。
好意は大変嬉しいが、安易に他人を信じて受け入れ過ぎるラナウが却って心配になった。

「バシス・ヘランのカリムナが監視しているのはアミト・ヘランの状況だけ。バシス・ヘランの人間もカリムナしか見ていないの」
きちんと任務さえ熟せば、勤務時間外には口出ししない。
把握しようという意思もない。

派遣者の任務の重要性は決して軽んじられるものではない。
アミト・ヘランが夜獣(ビースト)に制圧されれば周囲に人は住めなくなる。
森のないこの地では、夜獣(ビースト)は湧きだす水の如く広がっていき。

アレスはそこで思考を一時停止した。
その先を考えるのが怖くなった、と同時に何かを掴みかけて指の中をすり抜けてしまった。











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