Silent History 100





日数を掛けて徐々に高地へと上ってくるにつれ、重ねる服の枚数も増えてきた。
空気も薄くなってきたように思える。
だが道は一通り、行くか、戻るか。
選択肢はなかった。
昼間に村と村の間を移動し、日が高いうちに宿に入る。
人間ですら住みやすいとは言えないこの高地にも、夜獣(ビースト)の出没が囁かれていた。
日中、山道で襲われたという物騒なものではなかったが警戒はしていた。
夜、昼間でも森の中には立ち入るなというのはこの土地では幼子から誰もが知っていた。
深い森のどこかに、やはり夜獣(ビースト)の現れる空間の裂け目、神門(ゲート)が息を潜めているのだろうか。

「ソルジスは昔、地下燃料で栄えていたことがあった。今は魔石とか採掘されて、エストナールにも流れてるみたいだけど、よく分からない」
村での雑談で得た情報だった。
シーマはエストナール人だ。
多少地方の訛りは見られるものの、同じエストナールの人間と話をするのには彼女が一番いい。
子供というだけでなく、彼女にはどこか他人の警戒心を解すような空気がある。

「三十七のヘランと三十七のカリムナ」
シーマとアレスが仕入れてきた情報をタリスとラナーンが咀嚼する。

「カリムナ?」
「巫女みたいなものらしい」
小柄で、ふくよかとは言い難いシーマには少し寒い。
標高が高くなり、常緑樹も消えたこの道には風が吹きつける。
寒いと口には出さないシーマを妹のようにタリスが気遣う。
気が強くラナーンを強引に引っ張りまわすタリスだが、ファラトネスでは上に四人の姉を持つ末っ子だ。
妹が欲しいと思うことは何度となくあった。

もう二時間も歩けば次の村に着く。
時間配分も狂いはない。
天候の読み方も事前に村人に教わっておいて助かった。
悪化する兆候は今のところない。

「神と人間の媒介者、ってこと?」
神が送ってくるメッセージを翻訳して人に伝える役目。

「ヘランっていうのは?」
道幅は狭く、足元も良いとは言えない。
四人が広がって歩くには窮屈だ。
先を行くタリスが後ろのアレスへ首を巡らせた。

「神殿、みたいなものだろう。カリムナがいる神聖な場所だ」
ヘランの数は三十七。
一つのヘランに、一人のカリムナが納まっている。
ヘランという神殿がどのようなもので、カリムナと呼ばれる巫女がどれほどの地位や立場にあるのか分からないが、興味は湧いて来た。


ふと息をついて左手を見た。
高山植物と華奢な木の間から下界が見下ろせた。
山脈のエストナール側は足場が悪いが、ソルジス側は鉄道で下れる。
鉄道を組み上げる資材もソルジス側から提供された。
あと一息。
一時間もあれば鉄道の村と俗称される集落に到着する。
空を見上げたアレスが微かに険しく陰る。

「雨が来るかもしれない」
日は照りつけているし、厚い雲もありそうにない。
だがアレスは全員を促した。

「急ごう」


アレスの予報が的中したのはそれから半時間後だった。
視界が遮られるほどの豪雨ではなかったが、泥水に足が取られる上、冷たい雨は容赦なく体温を奪っていく。

四人は徒歩半時間のところを駆け抜け、大幅に時間短縮して村に駆けこんだ。
宿に転がりこんで、身を震わせるシーマ、外套の水を絞り出すタリス、宿屋の人間から預かったタオルを頭から被ったラナーンから少し離れて、アレスが宿泊手続きをしていた。
ペンを置いたアレスの頭にタオルを乗せる。
体中が水浸しで気持ちが悪い。

宿の主人が順次風呂に入るよう勧めてくれたので、その厚意をありがたく受け取った。




先にシーマが風呂を済ませ、窓辺に両足を下ろし窓辺を抜ける風で髪を乾かしていたら、アレスがやって来た。

「ラナーンとタリスは?」
「タリスは階下で話し込んでる。ラナーンは今入ってる」
「そう」
シーマが外に下ろした両足を前後に振った。
息が切れるほど走って、雨と汗と泥とでぐちゃぐちゃになった体を洗い流した。
さっぱりとした服と体で、潜り抜けてきた降りしきる雨の幕を高い位置から眺めている。
こうして過ごす雨の日も悪くはない。

「よかったのか?」
「何が」
アレスは言葉が足りない。
だからラナーンともすれ違うんだ。
話し合えばどうとでもなりそうなのに。
などと他人のシーマが思ったところで本人同士の話だ。

アレスは自分の身を犠牲にしてラナーンを守ろうとする。
ラナーンは何に縛られることなく自分自身の人生をアレスに生きていて欲しいと願う。

「こんな遠いところまで来て」
「もともと、国境を越えるまで見送ろうと思ってたんだ。私がそうしたかったから、いいんだよ」
ディールのことは気になっていた。
アレスたちと旅をしてきて忘れることなどなかった。

「ラナーンはいいやつだな」
「ああ。知ってる」
「けど、消極的過ぎる。どうして思ってることをぶつけようとしないんだ」
「兄に国を押し付けたと思ってるんだろう。それでも今はまだ思うことを口にできているほうだ」
「けど通じてない」
「別に喧嘩をしているわけじゃない。今までだって四人、うまくやってきただろう?」
シーマは足を引き上げて、窓辺で尻を重心に部屋へと回ると床に飛び降りた。
長い髪も乾いた。
下ろしていては邪魔なだけだ。
布で無造作に巻き上げた。

「近すぎるから見えないものってあるよね。一生懸命だと見えないもの」
シーマの意味することが見えず、アレスが沈黙する。

「見るんだよ。アレスの洞察力は悪くない。だから」
控えめのノックが入口から響いた。

「入るよ」
「ラナーンの部屋なんだから、黙って入ってこればいいのに」
中の様子を伺いつつ入って来たラナーンにシーマが声をかけた。
風呂が空いたのを知らせに来たらしい。
茹だった顔を覆うように白いタオルが被さっている。
アレスが入れ替わりに部屋を出る際に、宥めるようにラナーンの頭に手のひらを乗せて通り過ぎた。

「子供扱いなんだな。いったいどっちのが子供っぽいんだか」
呆れたようにシーマは呟く。

「ラナーン。この村でお別れだ」
嘘だろうとか、冗談は止せとか、驚きの表情は見せなかった。
ラナーンは覚悟していたというような、寂しげな顔を見せた。

「他の、二人は」
「タリスには言った。アレスもちゃんと分かってるよ」
「山、一人で」
「大丈夫、戻れるさ」
イリアについて調べるため、長い間一人で旅をしてきたのだ。
それも今より幼い頃の話だ。
引き留めても無駄なこと、却ってシーマを困らせることは分かっている。
しかし今までずっと側にいたのに、いきなりシーマの消えた日が始まって
しまうのは想像がつかない。

「ラナーンは術、使えないのか? 剣に膜を張ってっていうのは聞いたけど」
剣の上に均一な薄い水膜を張る。
デュラーンの宝剣では膜が乗りやすく、鮮やかな切れ味だ。

シーマを伴いバルコニーと室内を仕切る、ガラス張りの扉を半分開けた。
バルコニーの半面は屋根が被っておらず、水溜りが薄く張っていた。

水溜りの手前まで歩み寄ると、雨が当たらない屋根付きの端にしゃがみ込む。
ラナーンが手のひらを持ち上げた。
人差し指や中指、薬指らすべての指が傀儡を操るように宙で動いている。
シーマもラナーンに並んでしゃがみ込んだ。

「水が、持ち上がった」
小さな針のような山が水面に立つ。
水滴が水面に落ち、衝撃で浮き上がったその水が静止したような不思議な光景だった。
ラナーンの動きに合わせて水の柱たちは揺れ動く。
炎のように凹凸は入れ替わるように揺らぐ。
指に見えない糸が付いているような不思議な感覚だ。
雨音を背景に、水面が隆起しては糸が切れるようにまた重力に引かれて沈み込んでいく時に、水音が弾ける。
ラナーンの指が水平に素早く振られると、水柱も引き攣れて水面を走る。
開いた両手を左右に躍らせると、真下の水は石で水切りをした風に水面を切って走る。
幻想的な光景だった。

「奇術とそう変わらない。それだけしかできない。弱いんだ」
「私から見ればすごいよ」
お世辞でなく、目を輝かせながらラナーンへ勢いよく振り返った。

「見たかったんだ。別れる前にさ」
「満足してもらえたなら」
「もちろん」
シーマがラナーンに両手を伸ばした。
何をするのか分からないまま、シーマの隣で姿勢を低くしていた。
シーマの腕はラナーンの頭や首を包み込むように巻き付いた。

「ありがとう。心から」
どこかぎこちない、シーマの精一杯の感謝の表現だった。

「私、ラナーンが好きだよ。タリスもアレスも。だから、ラナーンも自分を好きになって」
ラナーンの返事を聞く前に、ラナーンがシーマの言葉を反芻して顔を上げる前に、彼女は部屋を出てタリスの元に下りて行った。

「うん」
噛みしめるような小さなラナーンの声が部屋に残った。











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