Silent History 98





「さて、どうしようか。私は拷問の仕方など分からないのだが」
尊大な態度で男を見下ろす王女が一人。
足元に縄で縛られ転がされている男は、主に怯える奴隷のようにも映る。

埃と黴の濃い臭いにシーマが布で口を塞いでいる。
立体駐車場だった廃ビルには、雨の吹き込まない場所に逃げ込むように人が転がっているだけだ。
彼らは自身に危害が及ばない限り、起こることに関心はない。

儀式のように、転がった一人の人間を取り囲む四人の人間。
異様な光景だったが、誰も見咎める者はいない。

風がよく抜ける、ほとんど崩れた天井と床ばかりの建物の中、電気など通るはずもない。
真夜中で明かりといえば、遠い商業ビルに灯るネオンか、ビルの周りに賑やかな電飾の眩さが流れ込むばかりだった。
地上から遠いこの階層では喧噪からも離れている。

本来影ばかりが濃い放置された駐車場で、焚火のように小さな火の玉が地面で揺れる。
タリスが灯したものだ。
幻想的な炎も、今は冷たく残酷な目をしたタリスを下から舐め上げている。
もとより美しい顔立ちなだけに一層冷淡さが際立ち、かつ無抵抗のまま見下ろされるしかない状況下で、男はひたすら委縮していた。

「お前が運び、官吏へ渡した石。忘れたとは言わせない」
「ディグダの石だ」
アレスが威圧感を強める。

「ディグダで精製された石はいくらでも運んでるさ。人為的に魔力を封じたものなど」
「この世に五つだけ、灰色の石は詰まれば黒になる」
「知らん。そんなもの」
汗で湿った髪に埃と砂が絡みつき、額に張り付いていた。
視線からして、アレスら尋問者から逃れようとしていた。

「全力の否定は肯定。では、本題に入ろうか」
タリスが前に出て男の体に足を掛けて、床に体を押しつけた。
右手をシーマの前にかざし、後ろに下がるよう促した。

アレスもラナーンの前に重なるように立ちふさがった。
タリスの陰からシーマがラナーンへ顔を寄せた。


「捕獲作戦、見せてやりたかったよ」
まだ饐えた臭いに鼻が慣れないので、押し当てた布越しにシーマは状況を話し始めた。
布の上から覗いた目だけが動く。

揉み合っていたアレスらを尻目に逃走したクルト・エマルシの前にシーマが飛び出した。
弱々しい街灯を背に立ちふさがる小柄な人影エマルシは足を止めた。
動きを止めた目標をシーマが逃すはずがない。
用意していた五本のナイフをエマルシ目掛けて投げつけた。
刃先は揺らぐことなく真っ直ぐエマルシへ突き刺さるかに見えた。
怯むエマルシの頬、肩の側、股間をナイフが突き抜けた。
致命傷を負わせるなとは事前にタリスから与えられていた指示だ。
目的は足を止めること。

襲撃に逃げ場を探したエマルシが振り返る。
戻ればアレスと黒衣の人間らの闘争の舞台へと戻ることになる。

その目の前がいきなり明るくなった。
地面から渦巻きながら湧きあがった火の中から美女の姿が浮かび上がる。
見惚れる間もなく炎の手はエマルシを取り巻いた。
絡みつく炎はエマルシの髪を焦がした。

「凄かった。一瞬だったけど。こいつ失神しちゃってさ」
シーマが悪戯好きの子供のように笑っていた。




等間隔で円に配置された火の玉がクルト・エマルシへ、まるで意識のある生物のようににじり寄る。

「お前はどこから石を受け取った。ディグダへ足を運んだわけではないだろう?」
タリスの滑らかな口調が、すり寄るようにエマルシへ恐怖を塗りつける。

「俺は、何も」
「ほら、きれいだろう? 汚いものを浄化する揺らめきだ。石は、五つあった。お前は知っていたか? それは魂を喰らう石」
エマルシの表情が明らかに凍結した。
半開きの乾いた口は酸素を求めて痙攣している。

「そうだ。お前が手渡された時に聞いた通り、それは嘘じゃない」
「お、俺は死んでない」
「今は、な」
タリスが言葉を切り、アレスへと繋ぐ。

「これを生み出したディグダの施設は燃えた。屍は朽ちていったがこれは無事だ。どうしてか、分かるだろう」
「喰うわけがねえ! たかが、石じゃねえか!」
「ディグダが造り出した特別な石だ」
「俺は、エストナールの役人に頼まれて運んだだけだ!」
「どいつだ」
強情だ。
それ以上口を割らない。
繋がりが漏れればエストナールに、確実に消されるのが分かっているからだ。

アレスの横でタリスが屈み込んだ。
床に置き去りにされていた、エマルシを拘束している縄をおもむろに取り上げて立ち上がる。
タリスの手に火が乗った。
油の上を走る炎のように、手のひらで燃えている。

火は縄を伝ってゆっくりとエマルシへ下りていく。
燃え落ちていくはずの縄は炭化することなく、不思議に炎だけが歩いていた。

それをエマルシは引き攣った顔で、ラナーンとシーマは驚きの表情で見つめていた。

「私の特技でね。縄を切らずに炎を伝わせられるんだ」
火の綱渡りだとシーマは胸の内で喜んだ。

「これが、どういうときに役立つのか、分かるか? クルト・エマルシ」
「石を、渡した人間の名前など知らない。だ、だが、もうそいつとの取引はない。石も、あの灰色のやつ以上にやばいものなんて触っていない」
「もう一つ、同じ石が流れているはずだ」
「知らん! 俺は知らない!」
五十に近い男が、悲鳴を上げて喚いている。
タリスの火は容赦なくエマルシの体へ迫ってくる。

「縄を渡る火はお前を縛る縄に潜り込み、燃え尽きることなくお前の皮膚を焼いていく」
巻き付けられた縄に沿って火が肉を抉るように通って行く。

「炎は皮膚を焦がし、肉に分け入り、お前は自らの皮膚が焦げる音と、焼ける臭いを聞くんだ。火に捲かれるより楽じゃない」
クルト・エマルシは髪が焦げた臭いを思い出した。
ほぼ無傷の体に火傷の筋が刻まれていく。
じわりじわりと死に向かっていくのを想像して背筋が伸びた。

「石は、ひとつだけだ。エストナールに流れてきたのはそれだけだ」
「あと一つは?」
アレスが男の肩に靴を乗せて仰向けにさせる。
目が泳いで定まらない男を足で揺さぶった。

火は男の手を縛る縄まで降りてきた。
手に触れる熱さに体を跳ね上げて狂ったように悲鳴を上げ泣き叫び続ける。

「ディグダに、まだあっちにあると聞いた。三つはディグダが回収したらしいが、一つは知らない! 本当だ」
唾を飛ばしながら、涙と汗で濡れ崩れた顔を揺さぶって命乞いをする。

鼻が捻じれそうな臭いが上ってきた。
焼けて弾ける音がする。
シーマは異臭に眉を寄せた。

目の前で急速に弱まる呻き声をあげながら、クルト・エマルシは弛緩した。
縛られたまま、黒目はまぶたの下に隠れ、失禁していた。

「ここまでだな」
タリスが縄を床に落とすと火は消えた。

「エマルシは?」
ラナーンがアレスの横に顔を出した。

「気を失ってるだけだ。縄を解いて放っておけばいい。もう会うこともないだろう」
アレスが左手でエマルシの拘束を解いた。
エマルシは上の階が見える崩れたコンクリート天井を見上げるように仰向けに転がったが、完全に意識はなかった。

「行くぞ。用事は済んだ」
タリスは全員の背を叩き、上って来た砂だらけの階段へ向かう。

「嫌な臭いがした。人間が焼ける臭いって」
ラナーンが言葉を詰まらせる。
さすがにやり過ぎではないかとも思ったからだ。
一緒になって拷問に立ち会っていたが、思い返せすと気分が悪くなる。

「演出だ。まさか本当に焼き殺すわけには行かないだろう?」
四人が縦に並んで階段を降りていく。
後ろから着いてくるラナーンに、先頭を行くタリスが肩越しに左手を後ろへ回した。
左手の下に、ラナーンは両手を差し出す。
落ちてきたのは茶色い塊だ。
暗くてよく見えず、顔を寄せた。

「革財布? 焦げてる」
黒い跡を指でなぞった。

「人間が焼ける臭いなど嗅いだ奴は少ない。私を含めてここにいる人間、それにあのクルト・エマルシだってないだろうな」
それらしい臭いと音をさせておけば効果は十分だ。

「魂を喰らう石。それは本当だが、それが意思で以て人間を殺すなどあり得ない」
ディグダの施設炎上、事故であれ人為的であれ石の呪いではないのは確かだ。

「だが石はあってはならないものだ。今は使えばそいつも命を奪われる代物だが、いずれ本当の兵器となるだろう」
「造り出すだろうな。より完全なものを」
悔しげにラナーンは唇を噛みしめた。
長い階段も終わる。
蹴破られたように蝶番の壊れた扉を潜った。
湿った、心地いいとは言えない空気が淀んでいる。

建築、技術、などディグダの影響を受けた表がある一方、歪んだ裏もある。
エストナールに限らず、どこも美しいばかりではない。


「残念ながら、俺たちが探れるのはここまでだ」
殿を務めたアレスが調べた情報を話し終えると、シーマに呼びかけた。
もうしばらく行けば明るい道に出る。
この血生臭い場所からすぐにでも離れたい。

「十分だ。でもディグダは、止められそうにない。ラナーンが言う通り、完全な石を生み出すのはきっと時間の問題」
「私たちは見届けることしかできない。でも、知れば何か対策を講じられるかもしれない。世界は小さいけど、自己防衛くらいなら」
ディグダの脅威がファラトネスやデュラーンに及ぶ前に、せめて自国を守りたい。

「私が変えてみせる。止めてみせる。世界を危機から救うとは、言わないんだな」
「大きな野望だな」
ラナーンが笑う。

「残念ながら、俺たちは勇者さまじゃないんでね」
「英雄でも何でもない」
英雄は千五百年前に伝説となった人だけでいい、とタリスは苦笑する。

「ただの旅人ってわけでもないでしょ。旅するお姫様と王子様とそのお守り?」
「お守りはラナーン専属。分かってないな、シーマは」
「世界平和のために戦ったりしなくてもさ。ずっと笑えればいいよね。こうしてさ」
何気なく呟いたシーマの言葉は胸に焼き付いた。
シーマは恥ずかしさを紛らわせるように、光の漏れ入る大通りへの道を先に駆けて行った。











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