Silent History 97





背中に伝わるローブの感触、合わさった体から持ち上がった香り。
香水。
背中のこいつは、女か。



闇夜で視覚が狭くなる中、ほかの感覚が研ぎ澄まされる。






肋骨をやられて動きが鈍ったのが一。
まだまともに動けるデカ物が一。
どこから湧いてきたのか加勢にやって来たのは優男だが、腰は引けていない。

左手で背を合わせている黒尽くめの人間の腕を叩いて合図した。

目の前にはまだまだ元気な筋肉男、奥からは脇腹の苦痛が火種となって激昂した男。
手前の男の殴りかかった腕を手前に引き寄せた。
押して来た勢いを借りて横に流すと、前かがみになった鳩尾に膝を叩き込んだ。
胃から押し出された空気が口から呻きとなって漏れる。
崩れる前に低くなった襟首を両手で掴み、引き落とす。
惰性で斜め後ろに傾れ込んだ男は、弱々しい光を落していた街灯へタックルし、電池が切れたように柱の真下に蹲った。
瀕死の灯りは息も絶え絶え、途切れ途切れの灯を散らしている。

与えられた僅かな隙に、アレスは振り向いて周囲の様子を窺った。
後ろでは視認できないながら、かなり手こずっている物音がする。
短剣が瞬く街灯の光を返し煌めくのが視界の端に映る。
どちらの剣か。
黒のローブと優男と闇が溶ける。
金属と金属のぶつかり合う音が空気を割る。
洩れる息遣いはどちらも苦しげだ。
長く布の裂ける音がした。

嫌な予感がし、向かおうと体を反転させたが、いつの間にか起き上った男が迫ってきていた。
態勢を低く保ち、殴りかかる腕の下を潜った。
男の背に回り込んだら男の膝裏に蹴りを入れた。
体の軸を奪われた巨漢は派手な音を立てて崩れていく。
だが安心している暇はなかった。
間髪入れずに肋骨を痛めた男が、棍棒を振り上げるのが目の前にあった。
街灯の下で脱力していたはずだが、何と回復が早いことか。

打撃をまともに当たれば頭蓋骨が陥没、反れれば鎖骨がやられる。
地面を蹴り、体が傾いている左へ大きく跳躍した。
間に合わず、右腕が掠った。
激痛に息が詰まった。
腕を庇いながら地面を転がり、立ち上がりながら肺を緩めるように息を吐く。
腕に力を入れる。
骨は折れていない。

巨体で筋肉達磨だけあって、動きはなかなかだが小回りは利かない。
暗闇で鈍る視界の中、続けて振り下ろされる棍棒の距離とタイミングを見計らって脚を振り上げた。
素手で受けるには無謀過ぎる。
落ちる棍棒の勢いを借りて、棍棒を蹴り軌道を反らせた。
相手の懐はがら空きだ。
素早く潜り込むと、太い腕の下に自分の肩を乗せて背負い、地面に叩きつけた。
派手な音と地響き、受け身をうまく取れず、厚い胸板の中で肺が押し潰される。
むせて上半身を起こそうとする男の喉元に、容赦なく足を踏み下ろした。

巨漢とは横幅が違えど、アレスも背丈は育っている。
加えて強烈な脚力で踏み押さえると、間もなく足下の男は静かになった。


俊敏な優男と黒のローブは交戦中だ。
時折光に当てられる二人の姿は、ローブが有利に動いている。
抜き身の剣を振るう優男は、体も曲芸師を思わせるゴムのようにしなやかに曲がる。
他方、ローブは身軽さを活かして巧みに避ける男の腕を、その手は確実に捉えていく。
軽やかに闇の中を舞い、ローブは翻る。
軽そうに見える打撃の一つ一つが、絡め取るように的確にダメージを与えていく。
後ろへ飛び逃げつつも押され、隙を窺いつつも怯んでいるのが分かる曲芸師の男。
濃く、目深に被ったローブが発する仄かな香水の匂いが、空気を伝わる。

助けをと思い、アレスが駆け寄ろうとする間にローブがゴム男を地面にねじ伏せて決着をつけた。
ゴム男の関節の柔らかい腕を男の背に回し、動脈に手を押しつけて失神させた。

一仕事終え、裂けた黒のローブの胸元を引き寄せ息を吐いた、その体が突然硬直する。
黒服から延びた白い手が震えながら自分の喉へと持ち上がり、絡みつく何かを掻き毟った。
垂れたローブの下裾が釣り上げられるように浮き上がる。
その陰から浮かび上がる、憤怒の形相をした男はいつの間にか背後に回り込み、喉を締め上げていた。

左で剣を抜きながらアレスは飛びかかり、男の脇へと深く短剣を突き立てる。
緩んだ手から乱暴にローブの体を引き剥がした。
追撃を掛けるべく男に組みかかったが、かわされ距離を開けられた。
巨体ながら素早い男だ。

男の背後で、アレスが当初追っていたクルト・エマルシが逃げ出すのを見た。
アレスらが潰され、不安要因が消えるのを見届けてから家へ逃げ込むつもりだったが、それどころではなくなったからだ。

これだけ損害を受けてみすみす取り逃がすというのか。

クルト・エマルシが走り去った方角、道を塞いだ巨漢の奥が赤く光った。
火が燃え上がるような一瞬の光が男の背中を照らした。
何だと思う間もなく、アレスの横をローブが抜けた。
ローブと対峙した男は腰から新たなナイフを取り出した。
刃は厚く、男の力で振りおろせば肉を割くどころか骨まで割れそうだ。
細い月も薄雲に隠れ、弱々しい街灯も瀕死、ローブと男は遠くに生き残っている古い街灯に路上の影として浮かび上がっていた。

アレスは駆け出した。

左手で巻き上げたローブで男の視界を一瞬遮り、胸へと下から肘を叩き込んだ。
反射的に腹を庇い前へ屈み込んだ強面の横顔を、容赦なく殴り飛ばす。
華奢な相手ならそれで地面に投げ出されるが、先ほど相手をした優男とは比較にならない体格だ。

身を立て直そうとした男の側頭部へ、ローブの肩に左手を乗せ高く跳躍したアレスの蹴りが炸裂した。
予期せず台にされたローブはよろめき、不覚にも尻もちを着く。
鮮やかに空中で反転し着地したアレスは、流れるように後ろ蹴りで追撃する。
巨漢の男より一回りは締まって見えるアレスだが、恐ろしいほど強靭な筋力を有している。
吹き飛んだ男は頭を振りながらも戦闘態勢を取るが、視点が定まる前に接近し、膝を沈めたアレスの強烈な拳を顎に受けた。
突き上げられた顎のまま、引き摺られて体が仰け反り、空地にわずかに残されたコンクリートの外壁へ後頭部を打ちつける。
放置された外壁は脆く、巨漢の体重と衝撃を支えきれない。
巨漢は崩れた壁の一部を突き崩しつつ背中から地面に倒れ込んだ。
それでも崩れた壁に手を掛けて起き上がってきたのには、さすがのアレスも温まった体が寒く感じた。

細く息を吐き、集中すると土と空地に溜まった泥水で汚れた男の腹、胸、顔へと間髪なく打撃を加えると、酔ったように足がおぼつかない男を背負い、鮮やかに投げ放った。
アレスの背で縦百八十度回転した男は、下半身から叩き落とされる。
息を切らしながら、アレスが距離を置き起き上がるのを待つが、もはや微動すらしなかった。

警戒を解かないアレスが、動く気配を察知して、後ろに手を回した。
左手に触れ、掴んだものを目の前に引き上げる。
黒のローブが釣れた。
掴んだ白い手首を鬱血するほど握り締める。
ローブが振り払って逃げようとするからだ。

支援で助かったのは事実だが、目の前のこれは味方か、あるいは敵か未だ分からない。
正体不明に背後から襲われるのを警戒するのは居心地が悪い。
顔を暴こうとローブに手を掛けた。  




「そこまで!」
命じる強い口調にアレスは動きを止めた。

「ターゲットは捕獲した。そいつは、敵じゃない」
明かりが灯る。
街灯のように白い電灯ではない。
幻想的とも言える、この血生臭い場所には相応しくない、暖かい炎の揺らめきだった。

人の頭ほどの火の玉は、聞き覚えのある声の手の上で揺らいでいる。
転がすように炎を片手に移すと、声の主は顔の傍に持って行った。
照らし出された顔に、アレスは心底呆然とした情けない顔をしていたのだろう。
目の前に歩み寄ってきたのは見紛うはずがない。
ファラトネスの末娘、タリス王女にお目見えした。

その後一ヵ月は話に持ち出されては笑われた。
事実、開いた口が塞がらなかったのだから反論はできない。
その顔を見て、遠慮を持ち合わせない目の前の女は高らかに笑い飛ばした。
アレスは状況の把握に頭を巡らしながら、ふと手の中に握り込んだままの白い手首を思い出した。

「ということはこれは、シーマか」
「さて。どうかな」
答えを待つまでもなく、タリスの隣にシーマが現れた。
両手には、追っていたクルト・エマルシがぐったりとして引きずられている。

「重いんだけどさ」
タリスの足下にエマルシを転がし終わると、腰を伸ばして額の汗を拭った。

「手伝ってくれてもいいんじゃないか。子供を酷使するとは、残酷な姫君だ」
正論だ。
シーマ一人に、失神した成人を運ばせるのは酷過ぎる。

「私は照明係。こいつはまだ生きてる。叩き起こして、口を割らせるか?」
姫君は眩いばかりのおみ足を持ち上げると、クルト・エマルシの顔へと振り落とした。
扱いに容赦がない。
薄笑いを浮かべながらクルトの鼻へじりじりと体重を掛けていく。

「タリス、口は塞がないで。死なれると話が聞けなくなる」
手際よくシーマが縄を取り出すと、器用に縛り始めた。
年齢と技術を結びつけるとぞっとする。
それも、故郷の山での太陽石狩りで培った技術だ。
改めて、敵に回したくないと思った。

「多少きつく縛っても構わないぞ。必要なのは頭と口だけでいい」
「分かってる」

「分からないのは、こっちだ」
アレスは手の中にあった腕を解放し、ローブをむしり取った。

「お前たちは、何がしたかったんだ」
濃く長いローブに包まれていたのは、己が主であるラナーンだった。

「こいつに香水振りまいたのは誰だ」
ラナーンが進んで香りを纏うはずがない。
それはアレスが一番よく知っている。

「私だ」
タリスが認めた。
女に扮するのは断固拒否された。

アレスの足取りを掴み、計画を支援するのを提案したのはタリスだ。
それにはシーマもラナーンも同意した。

シーマとの会話で油断していたラナーンへタリスが香水を構えた。
すぐに風呂に入ると暴れ出したラナーンを、二人掛かりで説き伏せたという。

「匂いでばれるだろう?」
得意げに、タリスが腰に片手を当ててアレスへ目を細めた。

「闇は視界を閉ざし、沈黙で耳を封じる」
仕事を終えたシーマは立ち上がってアレスを見上げた。

「香りは匂いを打ち消す」
人の持つ、それぞれの匂いを。

「アレスはラナーンの匂いを知っている」
ずっと傍にいたのだから。

確かに、ローブに包まれ声も上げないラナーンを、ラナーンだとは気付かなかった。

「しかし、こんなこと」
「手伝いたかったんだ。そうなんだろ、ラナーン」
珍しく叱咤するシーマにラナーンは戸惑いで目を見開いた。

「おれも戦える。力になれるって証明したかった」
「お前が強いってことは分かってる」
「違う!」
そうじゃない。
うまく説明できないのがもどかしい。

「俺が教えた腕だ。間違いはない」
「守るとか、守られるとかそんな関係じゃない。そんなのは城で捨ててきた。そう、思ってたのに」
「ならどうすればいい」
アレスが反論しかけたところで、タリスが足蹴にした男が小さく呻き声を上げた。

「どうする。話を聞くか?」
タリスが指先で男の後ろ襟を引っ掛けた。
シーマは服の中からスカーフを取り出し、男の口へ噛ませた。

「移動する」
アレスがタリスの傍らで、状況が把握しきれていない男を担ぎ上げた。
こんな所では通行人が現れるとも知れないし、面倒な仲間が寄ってくるとも分からない。











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