Silent History 94





太陽の光も弱まってきたころ、夕暮れを迎えながら散歩でもと思っていた。
隣を歩くのは沈黙が重く感じる相手ではなかったし、何より何も考えないで並んで時間を過ごすのは居心地がいい。
より良い情報を、早く効率よく手に入れることも重要だったが、ここまできて焦る必要もない、そうも思っていた。

任せろと言われたとき、すぐさま止めた。
アレスが他で情報収集する間に、おれもいろいろ聞きまわってみるから。
やる気に満ちた声と表情で言われても、任せる気にはなれなかった。
ここはデュラーンではない。
違う国、違う場所、違う文化、その中に一人放り出すなんてとんでもない。

そうは言っても、目の前で燦々と輝く好奇心を萎えさせてしまうのは可哀想に思えた。
何だかんだと言いながら、結局は王子様に甘い。

タリスには、今まで箱の中に閉じ込めて育ててきたんだから刺激を与えなきゃだめだと言われた。
シーマには、べったりくっついてばかりだと鬱陶しがられるぞと言われた。
精一杯の譲歩で、部屋の端まで距離を取ることにした。

「何かあってからでは遅すぎるだろう」
ラナーンの気持ちは分からない。
ただ、アレスにとって彼は何を擲ってでも守らなければならない対象だった。
唯一で、絶対。
その王子様はといえば、人が集まりつつある酒場のカウンターに腰を下ろしている。
店も、ラナーンが何軒が提案しアレスが選別したものだ。
学生街に近く、治安の比較的良い地区。
夕食代りに学生が集まり、ちょっとした酒も出る。

下宿に戻るまでに食事を兼ねて友人たちと顔を出す学生が、入口から連れだって入ってくる。
騒ぎ始めるかと、壁際のカウンター席で緊張を走らせていたが、行儀のよいものだった。
エストナールの大学の評判は悪くない。
多くの技術者、研究者を輩出しているし、それは国外にも流れて行って成果を出している。
逆に留学生の受け入れ枠も多い。
下手に酒に飲まれて大暴れでもしたら、一生を棒に振りかねない。
自然と秩序が生まれていた。
真後ろのテーブル席で固まっている一団は、エストナール国内で産出される鉱物の流通と今後の海外展開について意見をぶつけ合っている。

右へ視線を降れば、外から持ち込んできた議論を引き続きテーブルの上で広げている。
エストナールの言語形態と近隣諸国との差異についてだった。
これには興味があった。

カウンターは弧を描きながら四角い部屋の壁二つを繋いでいる。
扇状のカウンターの中では店長を含め二人がカウンター客の相手をしている。
彼らとフロア客の間を行ったり来たりしている店員が三名。
時折学生に軽く絡まれ談笑を交えながらも真面目に、フットワーク軽く動いている。

カウンター席には人が疎らだ。
食事を仲間と取るには狭すぎる。
男女の一組が顔を寄せ合って並んで座っている。
徹夜明けなのか、疲れた目を小さく動かしながらグラスを磨いている店員と話をしている客もいた。

その奥に一人で座っているのがラナーンだ。
カウンターには軽食と薄目に頼んだアルコールのグラスだけといった簡素なものだった。
一人でもそもそと食べているのであれば、すぐさま駆けつけようと思ったが、注文が出来上がる前にまず店員に話を振られた。



エストナールの人ではないようですね。
女性店員は注文した料理の小皿をラナーンの前に置いた後も、気になるのか話を続けていた。

「ちょっとしたイントネーションの違いなんだけど、どこかしら。あ、待って下さいね、答えは言わないで。当てますので」
エストナールより東に点在する島国を出したが、いずれも違う。
もっと南だとラナーンがヒントを出し、ようやく答えに近づいた。
デュラーンは小国だ。
技術力で名が上がるとはいえ、エストナールからは少し遠い。

「そんなところから。学生さん、ですよね」
「まだ来たばかりだけどね」
「留学生か。デュラーンだったら、交換留学かしら」
「そう。まだいろいろ慣れなくて。この店を紹介してもらったんだ。友達に」
「半分以上のお客さんが学生さんですからね。あそこの壁際にラックがあるでしょう? 街の地図だとか、店の情報があるからよろしければどうぞ」
話が途切れない、客を退屈させないのも店員の質が高いからだ。
それもまたこの店が流行る理由だった。

「へえ、留学生。しかもデュラーンなんてね」
「あら、聞いてたの?」
割って入ってきた男性客に馴染みがあるらしく、カウンター内で手を動かしていた女性が腕を止めた。

「立ち聞きして悪いな。隣、いいか?」
脚が長い椅子の、短い背を叩いた。
断る理由はない。
むしろありがたい。
畑が向こうから歩いてきた。
うまく情報が収穫できるといいが。



ラナーンが二人のエストナール人を相手にしているのを、アレスは耳をそばだてて聞いていた。
横目で様子をうかがいたいところだが、我慢する。
二杯目のアルコールドリンクを注文し、来る途中に買ってきた雑誌を開いていた。
雑誌の内容などほとんど頭に入らないが、手だけは自然を装いページを捲る。
内心、穏やかではない。

向こうでは所属しているクラスと担当教師を聞かれている。
話に詰まったら友人として、ラナーンを店から連れ出せばいい。

アレスの心配を余所に、ラナーンは終始落ち着いて対応していた。
自分で調べたのか、学校の情報にも淀みなく答えている。
正面を向いて話をするのに戸惑っている風もあったが、まだ馴染めない土地での人との触れ合いという前提条件でクリアしている。
実際、カウンター席で隣同士は距離が近い。
城に引きこもって、相手と言えば家族か、それに近い幼馴染か遠くで取り巻く侍従たちくらいのもの。
距離に戸惑うのも無理はない。

「新任の教師の方、ではないですよね」
「そんなに老けていますか」
アレスは苦笑する。

「いえ。学生さんにしては落ち着いているなと」
「学生ではありません。教師でも、残念ながら」
「そうですか。エストナールには?」
「ちょっとした調べ物を」
「この国はディグダの技術を受けて育った街ですから。建築物や道路ひとつを取ったって、影響は拭えない。勉強にもなるかと思います」
「ええ。実に興味深い街だ。この街の出身ではないでしょう?」
目の前の中年男性を見上げた。
白髪交じりのこの男性は、店長だろう。
アレスの指摘に、目を細めた。

「よくお分かりに。エストナールはエストナールなのですが、出身はセレアスタなのです」
「セレアスタ。沿岸地域ですか」
聞いたことのない街の名だった。

「山脈側の小さい町です。ご存じなくて当然だ」
学生で、この店に似た雰囲気の店に通っていたこと。
卒業して地元に一端は戻ったが、昔通った店が懐かしくて久々に街に来てみれば、店長は店を畳んでしまっていたこと。
そうして今度は自分が学生のためにと店を開いたといった、実に分かりやすい美しい話だ。

こちらの話に相槌を打ちながらも、離れた会話を聞いていた。
一人暮らしは大変だと同情をされ、苦笑で返すラナーン。
料理ができないのは事実だ。
興味があるのだろうか。
だとしたらアレス自身が勉強し、教えてやるのも悪くない。



「エストナールはディグダと技術協力してる国だって」
「ああ。優秀なやつはディグダクトル行きだ。年に何回か帰ってこれるかどうかって忙しさらしいけど。生活、変わるぜ」
一気に生活レベルが飛び上がる。

「怖く、ないか? ディグダって、大きくて」
「複雑な国だしな。国の構造も政治も何もかも。戦争だってしてるし」
「国の中で」
あまりいい話とは言えないので、ラナーンは声を潜めた。
相手も気遣って声を低くはするが、口調は重くはない。
注文した料理が並んだ。
よく食べるな、この男は。
一人前の料理がひとまずは二皿。
肩幅も広く、運動もしていそうな筋肉の付き方だ。

「食えよ」
「え? おれも、いいのか」
「エストナール料理だ。この野菜知ってるか? たぶんデュラーンにはない」
野菜炒めだが、黄色と緑の野菜が混じり合って色鮮やかだ。
この店のが一番うまいと絶賛するので、手をつけてみた。
美味い。
香辛料の香りと野菜の甘み、思わず顔がほころんだ。
ラナーンの表情だけで男は満足したようだ。
自分も料理を口に運んだ。

「エストナールの西は、鉱山で有名な街があったよな」
「ああ。もう最盛期は過ぎちまってるけど。他の国からも安くて高品質な資源が入ってくるからな」
料理は次々と現れる。
二人分ならと油断していたが、作るほうからすればうれしい食べっぷりだ。
さすが動き盛り、成長途中の十代だ。

「親父はカーザ出身なんだ。言ってたエストナール西の方な。行ったことはないし、話ってほとんど聞かないけど、今はあんまり住みたい土地じゃないってのは聞いたことがある」
「寂れてきているってことなのかな」
「さあな。山を越えたら向こうの国だし、いろいろ問題があるんじゃないかな」
「あまり治安は良くないとか」
「そうだな。一言でいえばそうだろうな。最近じゃえらく凶暴な野犬も出るっていうし。この国も問題だらけだけど、隣も隣だな」
男はラナーンの皿に料理を取り分けていく。
ラナーンは聞くことに気が行き、食事の勢いが止まってしまっていた。

「エストナールは親ディグダだろ。隣はどちらかっていうとルクシェリースを向いてる」
「文化の違い、か」
隣国には町や地域に一人の王みたいなものがいて、それが町を守っているというのだ。

「それってさ、魔術か何かか? デュラーン人も使えるんだろ。俺は、そっちの才能無いんだけどさ」
「同じだよ。おれだってほとんど使えない」
カウンターも随分と人が寄ってきた。
少し離れた席で食事を取っていた男女は、女性二人に変わっていた。
ふと右に視線を振ると、アレスが女性客と話をしていた。
愛想のない冷めた顔だ。
もう少し笑うなり冗談を言えれば、旅の間中女性の影は消えないというのに。

「知り合いでもいたか?」
「ううん、違うみたい。同じクラスの子かなって思ったんだけど。西の国の話、面白いね」
ラナーンは男の方に向き直った。

「ルクシェリースか。それこそ不思議だらけの国だ。ディグダとどっちの方が謎が多いんだろうね」











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