Silent History 93





時化が去り、輸送船は遅滞なく航路を行く。
往復する船は時計のように正確に汽笛を鳴らし、定刻に積荷の積み替え作業が流れて、終了の合図が出される。

こういう日は気分がいい。
何より、普段からいけ好かない上司の顔色が少しでもましになるなら、仕事終わりの酒もうまくなる。
肴を一品追加しようかと、そんな気分にもなるものだ。

ついでに言えば今日は給料が入る。
薄い袋だが、それでも何とか食べて養っていけるんだから、まだいい方だ。

順調な貨物の流れを監督しながら、積荷のリストをチェックする。
船から降ろされた貨物は一端倉庫を経由して、コンテナの巨大な箱に流れ込んで行ったり、輸送車の後ろに積み込まれたりして散っていく。
その先は、さあ、どうなっていくのか。
木箱やらぼろ布に巻かれた正体不明の荷物やらは、姿が見えなくなるとそれまでだ。
そこから先は管轄外。
ついでに言えば、給与外のことだ。
関係ない。

まだ空には雲が多いが、白雲越しに太陽が白く光を落としている。
これから事務所に帰って事務処理かと思うと、足も鈍る。
仕事区切りに一服したっていいだろう。
埠頭で買った小瓶を片手に、転がっていた木箱を逆さにし、腰を下ろして帽子を脱いだ。
日に焼けた薄黒い顔が、明らかになった。
潮風を真正面から浴びる。
ディグダ船籍の輸送船が出港準備に追われている。
甲板を動き回っているのは船の船員だった。
お堅い制服に身を包み、一方眺めているこちら側はというとくたびれた上着の袖を捲り上げている。
こちらだって、一応支給された制服だ。
境遇は違うが。
比べたところで仕方がない。

壁に後頭部を押し付けて、瓶に口をつけた。
一仕事終えた後の喉に染み渡る。
炭酸が舌で弾ける。
酒は自重した。
どうせ今夜にでも仲間を誘って飲めるんだから焦る必要もない。
酒臭い顔で仕事場に戻るほど、堕ちてもいない。



海を眺めながらの小休止を味わっている視界の端に、ちらつく物が見えた。
何だ?
首をぐるりと左に回すと、目の前に細い脚がぶら下がっている。
音楽のリズムをとるようにぶらぶらと揺れていた。
足先から上を伝っていくと、壁に隠れて先が見えない。
小瓶を持ち歩いていたチェックボードの上に重石代わりに乗せて、壁を正面へ回り込んだ。
小屋のぼろ屋根の上に、女の子が座っている。
仕立ての良いスカートの裾を海風にはためかせながら、サンダルの足が気分良く動いていた。

「おい、そこ。危ないぞ」
どこから、いつから、どうやって上ったのか、女の子はきょとんとした表情で声の主を見下ろした。

「どうして?」
あなただれ? とでも訊くように、不思議そうにこちらに顔を向けた。
目の大きな、可愛らしい子だ。
さらさらと風に靡く髪も、柔らかい服も、女の子の存在自体が濃い潮風の倉庫が乱立する埠頭では不釣合いだった。
乏しい発想だが、目の前の女の子には人形だとか、公園の木陰だとか、ティーカップを側に置きながらの読書だとか、そういうものが似合う。

「とにかく、そこから下りて来い。服だってほら、汚れるだろうが」
「でも」
言い淀む彼女に近づいた。

「下りられないのか」
木に登ったのに下に戻れない子猫のようだ。
しょうがないな。
姫君を馬から下ろす従者のように両腕を差し出した。

「ありがとう」
微笑む表情も柔らかく、素直に両手の中に滑り込んできたこの子供が、いいところのお嬢さんなのだと分かった。
いったいどこから迷い込んだのやら。
汗臭いにおいが彼女に移りこまないように、そっと地面に放した。

「お父さまを待っていたの」
「こんなところでか?」
大方、待ち合わせ場所を間違えたのだろう。

「船で今日帰ってくるって言ってたから、迎えに来たの」
「だったらこっちじゃないな。このあたりは貨物だけだ」
「そうなの?」
周りを見回した。
この様子では、ほとんど街を一人で歩き回ったことなどないのだろう。

「お母さんか、連れはいないのか?」
「黙って出てきたの。だって、私だけで行きたいなんて、止められるもの」
お父さまは夜には帰ってこられるから、それまで少し待っていればよいでしょう?
そう諭されたという。

「でもずっとお家にいなかったのよ」
「他に出張中だったのか?」
女の子は小さく頷いた。
背中に垂れる長い髪が波打った。

「いつもね、おみやげを持って帰ってきてくれるの。お父さまが選んだ一番だよって」
白に黒が混じるドレスのポケットから取り出したのは指で摘めるほどの小さな宝石だった。

「特別な石なのですって。ずっと遠い、ずっと北に、大きな国があるの。知ってる?」
「ああ。ほらあそこのでかい船、あるだろう?」
停泊している輸送船は、煙を吐き出している。

「ディグダって名前だ。聞いたことあるか」
「うん、きっとそこよ。石、きれいでしょう?」
「特別なってのは、その色のことか」
「誰にも言っちゃだめよ」
女の子が顔を近づけるので、腰を屈めて耳を寄せた。

「魔法の力が込められているのですって。びっくりでしょう?」
「魔法だって?」
不思議な力が入った石はよく耳にするが、そのことか。
あまりに嬉しそうに女の子が話してくれるので、同意せざるを得ない。

「じゃあ、きみは魔法使いか」
「でも今はだめなの。きっと、力が足りないんだわ。大きくなれば、きっと使えるのでしょうけど」
「そうかも、しれないな」
話をしているだけで爽快な気分だった。
子供らしい素直さ、小さな驚き、そしてささやかな秘密。
大人になってしまって忘れるものが、彼女の小さな体には詰まっている。

「あれがディグダの船なら、不思議なものがいっぱい運ばれてくるのかしら」
「ああ。きみの程ではないかもしれないけど、不思議な石も箱の中に詰まってるかもしれないな」
「あんなにたくさんの荷物、どこに行くの」
大きな澄んだ目が、初めて見る貨物の行列と山を興味津々に映している。

クレーンが吊るし上げ、荷台に積み上げられ、トラックが低いエンジン音を立てながら船と倉庫を往復する。
女の子にとっては珍しい、今まで知らなかった風景だ。

「不思議だろう。街から街を点々と流れたり、そうだな城にも行くだろうな」
「お城に? あのたくさんの荷物が?」
「まあ、不思議な石好きの偉い奴らもいるからな」
「魔法使いなの?」
「さあ。いい魔法使いだったらいいんけどな。そうじゃないから、文句も出るんだろうさ」
重いため息を吐いたが、女の子には含む意味がわからなかったようで、小さな頭を傾けた。

「ディグダって大きくて、不思議なこともいっぱいね」
「そうだな。行ったことがないが、訳の分からないことがたくさんだな」
「不思議な石も運んで来るし。全部お城に流れてしまうのね」
街ではあまりきれいな石は見かけない、と女の子は口にした。
納得できる。

「そうだな。堂々とは扱えないんだろう。リストを見りゃ隠したいのが裏目に出てるさ」
「秘密なのね」
「その石は、お父さんが選んでくれたのなら大丈夫だ。でも、ディグダには妖しい石やら、実験やらして石を人間が作っているところもあるらしい」
女の子が少し怯んだので、安心するようにと微笑んだ。

「お父さんの石だけ、大切にしておけばいいんだ。それはいい石だ。本当にきれいな色をしているからな」
「うん。私も大好き」
「お父さん、何時に帰ってくるんだ?」
「えっと。夕方って言ってたわ。夕食はお家で食べるのよ」
時計を取り出したら、女の子が覗き込んできた。
話をしていると時間なんてあっという間だ。
半時間なんて飛ぶように過ぎた。

「船着場まで送ろうか」
「ここから遠いの?」
「すぐだ。ほら、あちらの突き出てる灯台があるだろう」
「うん」
「その向こうに白い船が停まってる」
「見えるわ。小さいけれど」
「そのあたりだよ。連れて行こう。ひとりじゃまた迷子になる」
だが、女の子は静かに首を横に振った。

「だいじょうぶ。さっきは船がいっぱいだったから、よくわからなかっただけ。今は目の前に見えるもの」
せっかくの子供の好奇心を挫くこともない。
格別治安が悪い地区でもないし、小さな一人旅は父親も喜ぶはずだ。

「お父さんはどこから帰ってくるんだ?」
「リヒテルよ」
「そうか、穏やかでいい国だ。船着場で制服着た人間に聞いてみるといい。ゲートを教えてくれる」
「わかったわ」
無邪気で、いい笑顔だ。
そっと手の中の石を服に仕舞いこむと、立ち上がるこちらを見上げた。

「ありがとう。おじさま!」
手を振って、踵を返し女の子は駆け出した。
何度も振り返って立ち止まっては手を挙げる。
あんまり振り向いてばかりだと、こけるぞ。
そう呟きながら、倉庫の陰に彼女の背中が見えなくなるまで見送った。
さて、仕事に戻らなくては。
遅い、と上司の眉間の皺が濃くなるのが想像できたが、心は晴れやかだ。

「叔父様なんて言われたの、初めてだ」
照れくさいような、温かいような。
貨物のリストと小瓶を片手にまとめて、仕事場に戻る足は軽かった。





天気は快晴、気温湿度共に快適、気分は上々。
となれば足取りも軽くなるのだが、生憎今日の天気といったら、街が空に向って吐き出す灰色の煙のように淀んでいた。
空が低い。
空気が重い。
雨でも降って、濁って溜まった空気を洗い流してくれればいいのだが、いつ降るのか、このまま回復するのか読めない雲が垂れ込めている。

四人は一室に集結して朝食後の打ち合わせと称し、隣り合った二つの寝台に二つずつ、計四つの尻を並べて向き合った。
窓を開け放ち、部屋の明かりを点けて光と風を部屋に取り込んでも、爽やかな気分にはなれない。
街中にいるせいもあるだろうが、恐らく原因の主たるものは、行き詰まりを感じ取ったからだった。
ここから先は、歩き回って訊きまわったら糸口がつかめるといった簡単な手順は取れそうにない。

「さあどうするかね」
街は広い。
人は多い。
広ければ広いほど、多ければ多いほど、皆自分の置かれている環境や、物事に疎くなる。
靴を脱いで両脚を寝台の上で組んでいるタリスが、大きく伸びをして仰け反った。
口からは朝食から持って上がってきた白い果物が突き出ている。
体全体で退屈さを表現しながら、楽しく情報収集ができるか立案と却下が繰り返されていた。

「ディグダから黒い石が来たんだったら、ディグダの船を調べれば」
「梱包されて厳重に警備されてる物をね」
それも、却下だ。
言い放つ代わりに、タリスは鼻から息を吐き出した。
ざっと調べてみれば、それらしい貨物は混じっている。
明るみに出せないような、通関が甘いものだ。
その分だけ、外部からは容易に手が出せない。

「とはいえ、こうしてうだうだ考えていても仕方がない、か」
寝転がっていたタリスが飛び起きた。

「出かけよう。散歩してたらいい案でも浮かぶだろう」



「手っ取り早く、有益な情報が得られる方法、ね」
時間を掛ければ、何とかなりそうだが。

「城への潜入捜査。仲介業者への関係者を偽っての情報収集。
どれも面白そうだけど、数日じゃできそうにないな」
裏で取引をしていそうな店を何軒か回ってみたが、どれも外れだ。
薬、草には当たるが、石には当たらない。
夜獣(ビースト)にいたっては、単語さえ聞かない。

「それなら攻め方を変えるまで」
タリスは切り替えが早い。
進展が遅いことをいいことに、次の案を詰めていた。
不満が出るのは承知の上だが、説得すれば渋々ながらでも承諾してくれるだろう。

「あまり事を荒立てるなんてしたくないし、リスクを引き摺るのも好きじゃない。穏やかに、行きたいね」
街を散歩して、休憩に入った喫茶店。
シーマと並んで腰を下ろした窓際の席はガラス張りで人間観察にはちょうどいい。
通りを流れる人の足を眺めながらの作戦会議は僅か十五分で終わった。





一定に刻まれる堅い靴音は小さく倉庫の壁を反響する。
薄汚れた細い道にはそぐわない少女が、連れもなく歩いていた。

誰もいない場所で、服の中から石を取り出した。
澄んだ緋色をした美しい石だ。
手の中で、この街のネオンより静かに輝いている。

「おじさまなんて言ったの、初めてだよ。まったく」
手の上の石を、高鳴りが残響のように小波を立てる胸に握り締めた。

「けど、どきどきした」
温かかった。

「楽しかっただろう?」
声が突然飛び出してきたが、彼女は身構えることはしなかった。
これも打ち合わせのうちだ。

「お疲れ様。最高の舞台だったじゃないか」
「聞こえてたの?」
「明瞭に、とはいかないけどね。怪しまれはしなかったみたいだ」
「まあね」
倉庫の陰に潜んで様子を窺ってたのは、知らなかった。

「気が咎めるか」
あの男を騙したようなものだ。

「嘘は、嘘だから。それに悪い人じゃなかったしね」
「全部が嘘じゃない。石は特別なものだし」
指先でシーマの手の上にある石を突付いた。

「それに、似合ってる」
「このひらひらの服が? もう、早く着替えたい。こんなのラナーンやアレスに見られでもしたら」
恥ずかしくてたまらない。
着慣れない服と、余りに自分の性格とイメージが違いすぎる。

「ディールに見せてやりたいな。持って帰ればいいじゃないか。せっかくだし」
シーマが恥ずかしいような困った顔をする。

「今日一日は、それで過ごすこと。これ、リーダーの命令だから」
「どんなチームだよ」
「タリス捜査組。アレス組は聞き込み中じゃないか。ラナーンに仮装させて侵入捜査させるってのもなかなか面白そうだけど」
「アレスがさせるわけないだろ」
「だろうな」
過保護だから。
二人が口を揃えて言ったので、お互いに噴出した。











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