Silent History 92





封魔の時代から千五百年。
サロアが眠りにつき、神となったサロアを中心に信徒が集った。
サロア神の祀られた神都シエラ・マ・ドレスタは栄え、ルクシェリースは勢力を増した。

徐々に勢いを増していく帝国ディグダと拮抗しながら。
ディグダがルクシェリースを圧倒するような力を付け始めたのは十数年前だ。

その世界の大きな流れの中、エストナールはディグダとの繋がり強化に動いてきた。
狭くはない体の一部にサロア神信仰とは異なる異端派を抱えていたのだから、ルクシェリースと馴れ合うことは許されなかった。
危険な因子は国内でも遠い島へと隔離し、また国外へと吐き出した。


「しかし神は生き続けた。島で、深い森の中で。民は忘れなかった、彼らの存在を」

改めて思う。
神とは何だ。
サロア神は神とは異なるもの。
サロア神の敵であった黒の王、すなわち神王(しんおう)。
秩序の王との異名も持つ神王は、森に眠る神を統べる。
文字通りの神々の王。

掴み取れそうで掴めない。
霧のような真実を目の前にアレスは熱い息を吐き出した。

「森には神門(ゲート)、そこから溢れ出す夜獣(ビースト)」
夕食が終わり、しかし眠るにはまだ少し時間がある。
腹が満たされ、訪れた穏やかな時間が頭の中に置き去りにした謎をゆるやかに解いていく。

エストナールの首都に着いて、久々に酒を腹に入れた。
島ではほとんど口をつけなかった。
医者が下戸だったせいもあるが、荒事はなかったものの心中穏やかには過ごせなかった。
その原因たる主は隣の寝台でうつ伏せになり、アレスの言葉に耳を傾けている。
宿屋の簡素な談話室で居合わせた宿泊客に酒を勧められ、口にした。
若いのにいける口だとグラス一杯のつもりが、二杯になり三杯になっていった。
酔いの回った客の一人にラナーンが絡まれ始めていたので、早々に部屋へと引き上げた。
タリスとシーマはというと、談話室の端で宿屋の妻と笑いながら彼らの様子を観察していた。
次に目をやったときには三人の姿は消えていたので、裏側で女同士話し込んでいるのだろう。
二階に戻ったついでに隣に取った部屋の戸を叩いてみたが返答はなかった。



酒がいい具合に頭を回してくれる。
下手な情報をそぎ落としてくれるからかもしれない。

そういえば医者は言っていた。

「魔は人の驕りへの罪、だったな。だとしたら何をしたって言うんだ。俺たちが」
「サロア神は神王を倒したんだよね。でも黒の王が魔を世界に放ったからすべてが始まったのに」
「真実と嘘が絡み合ってる」
仰向けに寝転がった寝台の上からは、平行に板の並んだ天井が見えた。
低かった。
部屋は薄暗かった。
明かりはサイドテーブルに置いてあるランプだけ。
天井から下がる明かりは点け忘れた。
窓から漏れ入る外の明かりが眩しかったからだ。
今夜の光は、月光ではない。

考えが途切れてしまいそうで、体を起こしてまで明かりを点けに行こうとは思わなかった。
ラナーンは何も言わない。
彼がよければそれでいい。

「神は人間の作り出した想像物だと思うかと聞かれたんだ」
誰に?
ラナーンは自分の腕を頬の下に敷いて、天井を向いたアレスの形のいい横顔を眺めていた。

問いかけたのは島の医者だった。
ラナーンは、いると答えるだろうか。
サロア神がその証拠だと。
だが、サロア神は神とは異なるものだと島に渡る前、老婆から直接聞いた。
忘れもしない。
占い館のような暗く怪しげな家の中で、老婆は神門(ゲート)の欠片を砕いたのだ。
人の手にあってはならぬものだと言っていた。

その老婆は、はっきりとサロア神を否定した。
ラナーンは何を信じるのだろう。

「アレスは、どう思う?」
「俺は」
頭の後ろで組んでいた両腕を崩した。

「神を、見たからな。たぶん」
あれから始まった気がする。
そうだ、いろいろなことがあり過ぎて、鮮明に記憶に焼きついていたものから遠ざかっていた。

「神さま? どこで」
いつの間にかラナーンの顔がアレスの目の前にあった。
黒い瞳が見下ろしている。
闇の色だ。
夜の色だ。
決して汚されない、決して染められない純粋な色だ。
気高く、清らかで、美しい色だ。

アレスは腕を伸ばす。
指先がラナーンの頬を通り、左耳に触れる。
下がるのは藍色の石が埋まった耳飾だ。
果てない海のように深い色をしている。

「はじまりの場所で」
この石がもたらされた場所で。
掘り出したデュラーンの剣が、この石に収まっている。

「人の罪と神々の没落」
人が何をした。

「音もなく扉は開かれて、魔が溢れ出す。だった」
ラナーンも追いついてきた。

「神門(ゲート)と夜獣(ビースト)。そうだね」
「ああ。他は意味不明だけどな」
「繋がったな」
「あれは予言だったのか? 俺たちが行くべき道、知るべき真実の」
少し考えてから、ラナーンが口を開いた。

「あるいは、その逆。求めたから、真実はやってきたのかもしれない」
「なるほどな」
人の形をした光の集合体は最後に言った。
守って、と。

だが守れるものなんて限られている。
かの有名な勇者ガルファードのように立派な志などない。
世界など守れない。
平和などもたらせるはずもない。
万人に幸せなど漠然としすぎてあり得ない。

「俺が守れるものは守ってみせるさ」
言葉にしてしまえば、重すぎるというのならば、もうそれは口にはしない。

無理矢理託された剣などついでだ。
守りたいのは、ただ一つ。
ラナーンだけだ。

「それが俺の生き方だからな」
出会ったときから今まで変わらない。
それが友情なのか忠誠なのか分からない。
ただ気持ちは変わらない。

「命を掛けても」
それでもラナーンは哀しい顔をする。
どうして? と尋ねるのだ。
疑問を抱き続ける。

アレスだって訊きたい。
なぜ、お前はそうして自分の価値を認めようとしない。
俺は、どうすればいい。


惑い、迷い、すれ違う。
重なり合わない心は、互いに結びつかない心は、エストナールの夜景と溢れる人工の光の中で夜を越える。






足取り軽く、二階への階段を登っていき、最後の一段を飛び上がった。
真っ直ぐに伸びる廊下の両側の壁には、宿部屋の扉が埋め込まれてある。
夜も更け、酒と笑いを求めるものは階下の談話室へ、静けさと眠りを求めるものは部屋へと姿を消した。
タリスは宿屋の妻を交え飲み、話し、シーマには酒は早すぎるとノンアルコールを酌み交わしながら長々と宿屋の裏側に居座っていた。
顔に赤みが差した頃、明日もここにいることだしと今日はお開きにした。
日付を跨ぐ前の話だ。

「明るいな」
声を落としてシーマを振り返った。
廊下は声が響く。
周囲に配慮できるくらいなのだから酔っ払ってはいない。

タリスの言う明かりは、階段を登り終えて伸びる廊下の突き当たりから流れ込んでいた。

月光のように優しく落ちるのではなく、もっと低い位置から放たれる光だ。

「昼間みたいだ。さすが都会」
タリスが廊下を抜け奥の窓を開ければ、シーマは横から顔を突き出した。

「街が暗くならないなんて」
外の明かりが眩しくて、カーテンを引かなければ眠れそうにない。
友人を救う術を手探りで探し歩いていたときには味わうことができなかった穏やかな夜の時間が流れる。
風とそれに乗ってくるざわめきに耳を傾けながらの沈黙は悪くない。
タリスも飽きることなく二階から、外灯に照らされたディグダ色の溶けたエストナール様式の通りを見下ろしていた。

「エストナールがこうして賑やかなのは、ディグダの影響が強いからかな」
ディグダの技術が船で流れ込んでくる。

「そうだな」
「だったらディグダって想像もできないほどもっと凄い建物だとか乗り物だとかが溢れてるのかもな」
「きっと、凄く明るくて、賑やかで。ファラトネスとは全然空気が違う賑やかさなんだろうな」
帝国ディグダ。

「神をも畏れぬ大国だ」
「本当だ」
神を抱えるルクシェリースに対峙できる唯一の国。

「ファラトネスってどんな国なの? タリスのお母さんなんだよね、王様は」
「そう。で、私はお姫様なのだよ、これでも」
タリスが得意気に鼻を鳴らした。

「デュラーンより少し暑くて、祭り好きだな」
ファラトネス城でも頻繁に宴が催される。

「ファラトネスは海に強いんだ。強くて速い船を造る」
ファラトネスの平和は近隣諸国と結んだ平和条約と誇る海軍とで完全武装され保たれている。

「神さまがいた島ほどではなかったが、森がある。大森林と呼ばれている地域だ」
高台から見下ろせば、海のように果てなく広がる木々の頭が見える。

「深くて豊かな森だった。でもいきなり霧が噴出して森と森から溢れ出した夜獣(ビースト)を飲み込んだ」
タリスは肘を乗せていた窓枠に胸を押し付け、一階の屋根の縁へ目を落とした。
吐き気がこみ上げてくる。
血みどろの戦場。

いや、あれは戦ってなどいなかった。
一方的に駆逐された。

鉄に似た匂いが立ち込める。
腹を割かれて崩れ落ちた背中に喰いかかる夜獣(ビースト)。
首からは赤が噴出す。
声すら上げられないまま潰れていく。

一人でもいい。
助けようと思った。
剣だって使える。
ファラトネスの兵と同じくらい、それ以上。
自負していたし、褒められもした。
なのに体が動かない。
動けない体に、振ることのできない剣に何の意味がある。
何の価値がある。


タリスは目を見開いたまま過去の断片を語った。
過去を口にするような顔つきではない。
一点を見つめ、押し出すように、瞬きさえせずに。
叫ぶような深い小声の告白、悲鳴、慟哭。


「大森林に踏み荒らさず、削らず、怒らせず。森は森のままに、あるがままに。ファラトネスはちゃんと伝えを守ってきた。何の罪がある。何が起こっているんだ」

ただ一人として駆け寄って抱き起こすことさえできないまま、肉片となっていく。
悪夢だったらいい。
この現実感のなさはどうだ。
タリスの姿を映しながら、夜獣(ビースト)迎撃に組まれた部隊の兵士は噛み砕かれていく。

救いを求めるように伸ばされた指先には遠く届かない。


「悲劇を嘆いても何もできない。何も癒せない。ならばせめて無力な私でもできることをしたいと思ったんだ」
痛々しいタリスの背中に、シーマは手のひらを乗せた。
かみ殺した嗚咽に震えている。

「ファラトネスは美しい国だ。大好きだ。そこに住まう人たちも、母や姉様たちも、レンも、イーヴァーも。だから守りたいんだ。剣は満足に振れなくても、夜獣(ビースト)を叩き切れなくても」
夜の灯にタリスの頬が光る。

「少しでも、助けたいんだ。だから帰らない。それは、ラナーンとアレスも同じことだから」
ファラトネスの惨殺を彼らも目にした。
国は違っても同じ人間が倒れていった。
デュラーンもいつまたファラトネスと同じ悲劇が起こるか知れない。

「ごめん、シーマ。何か、止まらなくて。全部、吐き出したかったんだ」
「アレスとラナーンたちに言えないから?」
「いつでも強いタリスでいたい。二人のために演じたいんじゃない。私のためだ。そうありたいと思う」
「弱音を吐いたら、そのまま不安に潰されていくから? でもさ」
きっと、一番弱音を吐ける人間は故郷に置いてきたせいだ。
隠そうとしても不安な気持ちは消えない。
シーマも聞いたことのある、レンというタリスの恋人がいないから。
アレスとラナーンの関係に似ているのだろう。

「辛いときは泣いたらいいんだと思う。ラナーンは聞いてくれる。優しいだけじゃなくて、深くて温かいから。アレスだって」
シーマはタリスの濡れた頬に手のひらを押し当てた。
夜風で冷えている。

「ラナーンが一番だけど、タリスは二番目に好きだよ」
「アレスが? 二番からすっ飛んで六番目くらいじゃないか」
「大好きだよ。だから肩を預ければいいと思う」
「そうか? じゃあ次に泣くときにするよ」
シーマの手の下のタリスは少しすっきりした表情で笑った。



頬から彼女の手を剥がしながら、タリスは石を握らせる。
真っ赤で透き通った宝玉だ。
手に握りこめる大きさだった。

「何?」
「ファラトネスと繋がる石。本当はシーマを連れ帰りたいんだけど、叶わないからな」
「遊びには行けるのに」
「正直なところ、このままずっと一緒に連れ歩きたいよ。でもディールがいる。シーマにはちゃんと帰る場所がある。いつかは、さよならだ。だから」
「友情のしるし?」
「そう。私ができる最高のね」











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