Silent History 89





朝市を見に行こうとタリスが言った。
故郷が少し懐かしくなったせいもある。
ファラトネス城にいた頃は、よく城から出て街に遊びに行っていたとシーマに話す。
デュラーンとファラトネスは隣国だ。
言語も風習も似ているが、海を挟めば違いも出てくる。
陸続きでさえ、コミュニティごとに差異が出るのだから当然と言えば当然だが。

デュラーンが緻密、堅実で、それと比較すればファラトネスは柔軟性がある。
近隣諸国には、デュラーンは技巧の国、ファラトネスは武芸の国と名高い。
ファラトネスから産出するさまざまな資源の中で、鉱物がある。
デュラーンはその加工技術に優れている。
細密な機械技術はファラトネスの造船技術にも大きく貢献している。
両者の親密な関係性は、隣国の文化交流だけでなく技術交流も深く繋がっている。

華やかで美しいファラトネスはまた、火の国とも呼ばれている。
デュラーンが水神を祀るに対し、ファラトネスの城内には炎神が祀られている。
どちらも唯一神というよりはアニミズム的だ。
像もまた、神の姿形を模したのではなく、不定形でむしろ思想や存在と影響を表したものが多い。
デュラーンの水神が城を巡る水の深くに沈められているのも、その一端だ。

不確定な神の存在。
そこにきっといるのだろう、見守っているのだろう、近くであり手の触れられない遠くにいる神とともに、デュラーンの子ら、ファラトネスの子らは育った。

神を信じていないわけではない。
側にいるのは感じている。
ただ確定された偶像にしないだけだ。
タリスやラナーンたちにとって、神の棲む島の島民たちの信仰は抵抗なく受け入れられた。
デュラーンの神が水と共にあるように、この島の神は森と共にある。




ファラトネスの姫君は幼い頃から活動的だった。
主張する子供だったが、妙に筋が通っている。
大人へも自分が納得しないことは噛み付くが、噛み付かれた方も鋭い指摘に言い返せなかったりもした。
自分が納得できない限り、何度でも説明を求めた。
可愛げのない子供のように見えるが、きちんと理解させれば驚くほど素直で大人しくなる。
また、目尻が少し上がった大きな瞳で痛いほど真っ直ぐ見つめられれば、邪険にはできなかったのも事実だ。
みんなが気の強く幼い姫君を愛した。
その愛らしい風貌に秘められた、熱く小さな炎を愛した。
まことファラトネスの子だと賛美した。
それが、タリスだ。

彼女が成すことだから理由がある。
タリスの成長と共に、周囲の見方は変わっていった。

城の中でもやりたいことができた。
城下に繰り出しても、温かい目で送り出す。
それらも暴走しそうになる彼女の抑制となるレンの存在があったことも大きい。

ファラトネスをタリスは懐かしく思う。
今の、各地を巡る旅は多くを学べ、ファラトネスでは体験できない刺激がある。
ラナーンとアレスとで巡る旅を止めようと思ったことはない。
一人だったら途中で引き返しているだろうが、側には二人がいる。
シーマという掛け替えない友人もできた。
今、帰ろうという思いはない。
だが、島の牧歌的な風景やほの温かい風が髪を梳くとき、レンとファラトネスを思い出す。


城を抜け出して、全力で駆け下りた坂道。
鮮やかな五段越えをした階段。
水路を飛び越え、市場を目指した。
さまざまな匂いが入り混じり、客を呼ぶ声が行き交う独特の雰囲気は、祭りのようで胸が踊った。
掘り出し物を探すのだと、意気込んで飛び込んだ。

城に出入りしている商人だけではつまらない。
宝探しは自分の目と足で探さなければ。

雑多な人込みの中、誰もファラトネスの姫君がこんな場所に現れるなどと思ってはいない。
商品を覗き込んだ頭に、威勢のいい声を振り掛ける。
良い目をしている。
どこでそんなことを聞いてきた。
褒められれば嬉しくなるし、店主と直接やり取りをすれば知識など限りなく溜まっていく。

好奇心旺盛なタリスにとって市場は特別な場所だった。




ファラトネスの市場は、朝には朝の賑わいが、昼には昼の面白みが、夜には夜の刺激がある。
だがこの町の通りに並んでいるのは朝市だ。
朝食も済ませ、日が高く上った時間帯では店を引き上げ始めている。

「遅かったね」
シーマがタリスに目を向けて呟いた。

「また明日来ればいい」
タリスは市場に踏み入れたことだけで満足だった。
品物を敷物の上に広げたまま、老年の女性がが隣の白髪交じりの女性と話し込んでいる。
日溜りが温かい上に、毎日顔を合わせるもの同士気を張ることもない。
息子の話から旦那の話まで、漏れ聞こえてくる。

前を通り過ぎ、しばらく歩けば左手からは手許にある商品の物々交換が始まっている。
交渉といった重苦しいものではなく、どちらともなく差し出した野菜に対し、果物を新聞に包んで差し出すといった和やかなものだ。

「へえ、おもしろい。ほらタリス」
跳ねるように先を行くシーマが立ち止まって手招きする。
緩いバネのように一周半巻き上がった野菜か果物を指差している。
話を聞いてみれば果物だと言う。
絶妙なバランスで自立している黄色く細長い果物を指先で摘んだ老婆が、シーマの手を取って握らせた。

「一つだけ余ってもね。持っていきなさい」
礼を言うシーマとタリスへ顔を上向けて、目蓋が重めな目を一層細めた。
見たことのない果物を半分に割って、齧りながら市場を歩いた。
黄色く細長く丸まった果実は、瓜の触感ながら甘い果汁が滲んだ。
何でも興味を持って食べてみるものだなとタリスが感心しながら、また一口齧る。
さて、これからどうしようか。
歩きながらのんびりとした口調での相談が始まった。

「そういえばさ、今日あたりエストナールからの船が来るんじゃなかったっけ」
「そうか、様子を見に行くか」
いつまでもこの島に根を下ろしているわけにはいかない。
そうは言っても、次の目的地は決まっていない。

「いろいろと、収穫はあったんだ。私たちの知っている当たり前のことが、違うかもしれないってこと」
「封魔の歴史のこと?」
最後の一口を飲み込んでから、シーマが横に目を向けた。
タリスはまだ名も知らない果実を指先で摘んだまま、大きな蒼い瞳で市場が途切れる先を見つめている。

「神王(しんおう)なんて、聞いたことがなかった」
「黒の王を信仰した人たちは、サロア神を仰ぐ人たちに駆逐されたんだったよね」
世界を支配し、人間を抑圧していた。
魔を束ね、人に血と痛みと苦しみを強いた黒の王。
人々を解放し光を与えたのは、勇者と謳われたガルファードとサロアだった。
サロアはやがて神へと姿を転じる。

「みんな悪魔信仰だと考えるよね。だってサロア神は救世主だし」
市場を抜けると人通りが多くなる。
住居が道沿いに並び、行き交う人も活気が出ている。
早朝の靄と沈黙は面影すらない。

「そんな人たちが島に流れ込んだ。でもきっと、他にもいるんじゃないのかな」
迫害を恐れ、信仰を隠し、身を潜めた者たち。

「確かに」
果実に白い歯を立てて、頷いた。




小さな顔に、気の強そうな大きな目が目立つ。
少女の焦げ茶の瞳は青い海と立ち上がる白い波を映す。
長い髪は無造作に一つに纏められているが、飾らないからこそ愛らしさが滲み出る。
頭に布を巻いていた頃は、目つきが鋭く年齢どころか少女か少年かすら見分けがつかなかった。
高い位置に結ばれた髪は強い潮風を受けて船に立つ旗のように靡いていた。

「乗客数より荷物の数の方が明らかに重いよね」
港に停泊していた定期船に駆け寄っていった。
船の先端についている小型クレーンで箱が引き上げられている。
小さな荷物は三人で横に流して積み込んでいく。
島で作られた酒や野菜、保存食が入っているのだと船員が教えてくれた。
彼らは制服というより作業着に近い、動きやすい綿の服で統一されている。

「本土に買出しに行ったりするけどな、本土に居つくやつなんてほとんどいない」
食事を済ませ、出航までの暇を持て余していた船員が二人に語ってくれた。

「俺もこっちとあっちを行ったり来たりだけどな、船乗り辞めたら島に戻るんだ」
「エストナールの方が便利が良いだろう」
船着場から海へ両足を下ろして腰掛けているタリスを、船員はにやりと笑いながら見下ろした。

「エストナールには生活を便利にするものはたくさんある。けどな、島での生活はない」
言われてみれば、島に子供も若者も多かった。
島民の本土への憧れも耳に入ってこなかった。

「過ごすには便利かもしれない。でも何もない場所だ。胸に感じる重みがない」
「確かに、騒がしそうだけどな」
だが彼のいう感覚は、島民にしか分かち合えない。
彼らは森がなければ生きていけない。
神の棲む島の神の棲む森だ。


桟橋ではまばらに人が立っている。
島に戻ってきた島民だろうか。
親しげに立ち話をしている。
島に用事があって渡った人も本土に帰るのだろう。



灰色の頭が船首から覗いた。
甲板に動物でも上げているのかと思ったが、移動する頭は人間のものだった。
舷牆に凭れかかり桟橋を見ているのは、暇を潰すためというより早く出航しないかと苛立ちながら睨みつけているように思えた。
視線上からは外れ、甲板はシーマが見上げるほど高い位置にある。
どこから湧いてくるのかわからない緊張が、背と横腹に走る。
うまく言葉に表せないが、嫌な感じだ。
灰色の髪に馴染み薄いという偏見や、物珍しさではない。
背の高い女は、一人黙って小さく蠢く人間たちを眼下に観察していた。
知り合いでもないのに冷たい汗が止まらない。
女に滑るように近づく影があった。
髪の長い女と判別できるが、顔かたちは髪の陰になり見えない。

二人の声が聞こえた。
風に吹き流されてしまいそうな小さな囁きだが、音は拾えた。
聞いたことのない他国の言葉だ。
何を話している。
どこから来たんだ。
こんな島に、言葉の系統も離れた国から。

酷く冷たい、目が他の人間とは違っていた。
理由が分からないまま、緊張で体が固まった。

「どうしたシーマ。顔色が悪い」
「甲板の、人が。二人」
喉の震えを押さえようとしたが、うまくいかない。

「二人って、誰だ?」
タリスが甲板を見上げた頃にはシーマが目にした二人の姿はなかった。

「まともじゃない。何かきっと、あの人たち」
独り言を噛み締めた。
姿が消えた二人。
シーマへは酷い体の寒さだけを残して去った。











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