Silent History 80





「小さい子が、神さまのすむ島の話をしていたんだ」
「存在はする」
「聞いてみたら、ここを教えてくれた」
それっきり、黙り込んでしまった。
目の前の老女と思しき人は、深く垂れ下がったフードを上げもしない。
捲り上げたところで、蝋燭だけで取ったような薄い光の中、細部まで顔を拝めないというのに。
顔を見られるのがよほど恐ろしいのか。
他に理由があるというのか。
アレスは相手に悟られないよう黙したまま、奥に光る鋭い目で観察を続けた。
質素な部屋だ。
ここに子供が遊びに来るという。
にわかには信じられない。

遊具らしいものも見受けられない。
恐らく目の前で深く椅子に腰を下ろしている人間の魅力に惹かれるのだろう。
少し掠れ、ゆったりとした声はこちらの警戒心を剥ぎ取る。

片開きの木窓は、棒で戸が閉まらないように押さえられている。
そこから抜けた風は低い天井の一間を抜けて、アレスの頭上に開いた丸窓へと逃げていく。
天蓋が揺れる。
幻想的と言っていい。

「行ってどうする」
「行ってから考える」
答えたラナーンの顔を盗み見た。
なぜ行きたいと思ったのか。
アレスはそれが知りたかった。

「だっておもしろそうじゃないか」
あっさりと言い切った。
おもしろい。
ただそれだけで悠長に旅をしてきたわけじゃない。
獣(ビースト)のこと。
それが蠢いていた空間の裂け目。
砕けた門。

「神って何なんだ?」
神がすむ。

「神がいるでも、現れる、でもない。もっと近い。もっと確かな言葉だ」
「さあ。何だろう。それは人間(ヒト)がどういうモノかと聞くのに等しい」
「ならば見に行こう」
空気が締まるほど真っ直ぐな声を貫いた。
停滞という言葉が嫌いなタリスがいつものように、滞り始めた空気を断ち切った。

「神さまがいったい何なのか、見定めてやろうじゃないか」
言い放ったタリスは勇ましかった。

「おもしろい」
声を立てて笑うというほどではないが、声は少しばかり上擦っていた。

「君たちはどこから来た」
「デュラーンだ」
警戒心ゼロでラナーンが即答した。

「おれたちの神様は水を司る」
「水か」
「存在は不確かだけど、それでいいんだ。見守るとは本来そうだろう?」
姿なき神だ。

「サロア神もかな。存在しているか謎だし」
思いついたシーマが目を輝かせて口に出した。
彼女の些細な仕草が子供らしさを感じさせる。

封魔の時代を生きたサロア神。
秘された神だ。
今は聖都シエラ・マ・ドレスタの最奥で眠る。

「あれは全く別物だ」
冷やりとするほど良く通る声で、目の前の老人が視線を上げた。
鋭い目が覗く。

「神は神。ヒトはヒト。交じり合うことはできない」
鋭利な視線がフードの下で緩む。

「歴史とは何だと考える」
「人の手で紡がれたものだ」
「そうだ。歴史とはヒトのものだ」
ヒトが描いていた物語。

「人の目が見てきた真実か」
「各々が各々の真実を持つ。さて、君たちはどの真実を見る」
その目で見るものは。
その脳が記憶するものは。

「魔とは何だ。私たちは空間の裂け目から獣(ビースト)が出のを見た。あれが魔だと認識していたが」
そこでタリスが隣にいたシーマに目を向けた。
彼女の掛け替えのない友人イリアは、石に封じられた魔に精神を喰われた。

「魔の抜け殻と魔を祓う石だ」
シーマが石を差し出した。
灰の石、白の石。

「ヒトが造り出した黒い傲慢だ」
魔を従えられると思うのか。
言葉にはそんな嘲笑が含まれていた。

老人は白い石に手を伸ばす。
袖から覗いた指先は、石膏のように白かった。

「これは、ヒトの手にあってはならぬもの」
「門の欠片だ。あれは昔の人間が作った屋代か何か」
神が降るための場所。
あるいは儀式のための聖域。
この国の宗教の一部か。

「ただの門ではない。神門(ゲート)だ」
「神門(ゲート)」
呟いてみたがアレスの頭に広がる霧は固まらない。

石を弄ぶように手の上で転がしていた老人が、不意に力を込める。
硬かった石が、砂粒を砕くようにあっさりと散った。
シーマの目が見開かれ、口は薄く開いたままだ。
砕け散った白い石は、老人の指の狭間から砂となって流れ落ちる。

「魔とは何か。君たちの見てきた地を這う者ら。彼らとてその一部」
「あれが獣(ビースト)だろう?」
ラナーンが声を高くした。

「あれが、夜獣(ビースト)だ」



「おもしろいと言ったな」
今度はアレスが主導を取る番だ。
空気に呑まれかけていたアレスが、顔を上げた。
流れを戻さなければ、このまま沈んでいってしまいそうになる。

「見えないのだよ」
「目が、か?」
しかし老人の痛いほど強い眼光はアレスらを捕らえていた。
物事の真実を見抜く目があるとすれば、まさにこれだ。
その目が、アレスらを抜けたさらに奥を見つめていた。
やがて諦めたように、顎を落とす。

「行く末が」
小さく呟いた。






寝て覚めても、まだ夢の中に浸っているようだった。
寝不足もあるが、老人宅での出来事すべてが夢のようだった。
そうだ、すべては夢だった。
誰かがそう言えば、簡単に見てきた事実は夢になってしまう。

誰かが、そうだ、そうだったと同意してくれれば、それは真実になる。
認めてくれれば、それは過去の現実になる。
それが夢や幻であっても。
歪んで見えた光景であっても。

「そうか、それが歴史となる。ヒトの目で見、ヒトの思いが紡いできた」
アレスは体を起こした。
部屋は静まり返っている。
隣の寝台へ首を捻れば、ラナーンがまだ深い眠りの底にいた。
隣の部屋からも物音が聞こえない。
タリスもシーマもまだ目覚めていないのだろう。
窓の外を見た。
日は昇っている。

指し示された場所に、答えはあるのだろうか。
シーマの石は砕かれた。
いや、あれはヒトの手にあってはならないものだと。
深い森の中。
夜獣(ビースト)の生まれ出でた裂け目の側に。

門は中と外の境界。
神門(ゲート)は。

「夜獣(ビースト)とこちらを結ぶ、境界か」
今はもう神門(ゲート)の欠片はないが、それ以上に重要なものを手に入れられた気がした。

ヒトの手にあってはならないというのならば、石はどこに帰るべきだったのだろう。

アレスはシーツから抜け出し、窓辺へと歩み寄った。
薄く開いていた窓を開け放つ。

風が流れ込んでいた。
見下ろせば外で宿屋の主人が、野菜売りの台車から荷を降ろしていた。
アレスは小さく動く彼らを眺めながら、島へのルートを考え始めていた。











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