Silent History 74





緩やかに波打つ金糸。
細いのに、絡まない。
風に軽く乗り、緩まれば思い出したかのように重力に引かれる。

あどけなさは損なわれない。
過ぎ行く年月。
重ねていく年齢は、彼女から何も奪わない。
水晶のように澄んでいる。
その瞳は世の醜悪さに濁ることはない。
体は幼さから抜け出し、しなやかな女性の形へと移行していく。
愛らしかった手足、頬はやがて美しさに変わる。
しかしその精神は、純粋さは失われなかった。

同じ場所にいて、側にいて、思い続けた。
彼女を見守り続けた。




彼女を愛していると気付いたのはいつだろうか。
これが、愛だと気付いたのは。
いつから彼女を自分のものにしてしまいたいと思ったのか。




願っても、彼女はお前のものにはならない。
お前を見ないではないか。

こちらは見つめていても、その視線が重なるときはない。
彼女の視界に、私は入らない。

足元から影のように飲まれていく絶望を振り切った。

私にもっと力があれば。
そうだ、嫌でも視界に入るように。
彼女の意識に入り込むように。






地図を前にして、案が浮かぶまでにそう時間は掛からなかった。
国内の魔石に関する政策も耳にしたことがある。
腐っているのは内側からか、あるいは外側からか。

この国には金と同時に流れるものがある。

石だ。
ただの石ではない。
力を秘めた石。

国に囲われた役人が、互いに牽制しながら諸外国から流れた石を蒐集している。
彼らにとって、重要なのは運輸ルートだ。

政策として石の密輸、無許可の売買を禁じている建前上、堂々と取引はできない。
荒い網の目を縫って、内陸へ石を運ぶ。
そのルートを指でなぞった。
蛇行する道なき道はやがて、山中の村に重なる。

利用しない手はない。
むしろ、なぜ村の人間は誰一人として手を出さなかったのか。



金は驚くほど流れ込んできた。
村も潤った。
少し水の流れを変え、引き込んでやっただけで。
後ろ暗い気持ちは人から金をいくらでも引き出してくれる。

強引に脅迫という手段をとらなくてもいい。
ただ仄めかしてやるだけだ。
国家役人にとってみればはした金だろう。
国の端でごちゃごちゃ喚かれるより、いくらか渡して黙らせていれば面倒は避けられる。

二十代で早くも村での地位は確立した。
金回りもいい。
村の内外を問わず、うまい汁を吸おうと女は寄ってくる。
だが満足はしない。
イリアでなければだめだ。

渇きは満たせない。
求めているのは純粋に彼女の肉体ではない。
彼女という存在そのものだ。
彼女が側にいる世界を欲する。


村の外に出るようになり、目は肥えた。
それでも頭のどこかではイリアの姿が掠める。
女の手を握る度に、イリアの柔らかそうな白い手を思い出す。
女が歯を見せて笑えば、イリアの柔和な微笑が浮かぶ。

その度に感じた。
彼女は特別なのだと。




イリアと一緒にいるシーマやディールたちを、騒がしく愚かで幼い子供だと馬鹿にしていた。
その一方で、心のどこかでは彼らを羨ましくも感じていた。
イリアは彼らにだけ極上の笑顔で微笑む。
幸せそうな顔を見せる。

それは決して自分には向けられない微笑だ。
願っても、得ることは叶わない。

焦りは木の葉のように積もっていく。
どうすればいい。
イリアは自分のものにならない。
彼女は何が望みだ。
何が欲しい。

どうすれば彼女を手に入れられる。
彼女の微笑を。
すべてを。

狂気に飲まれていくなど、その人間自身には分からないものだ。
もう、階段を踏み外していたのかもしれない。
後は転がり落ちていくだけだった。


イリアが欲しい。
だがイリアを乱暴に扱いたくはない。
彼女を穢し、光を失うつもりなどなかった。


彼女との距離は縮まらないどころか、遠のいていくばかりだ。
想いは募る。

視線も合わない。
理由は分かる。
間に、シーマ・ケラセルがいるからだ。
あいつがいるから、近づくことができない。

邪魔をする者、光を奪う者だ。

とはいえ、イリアが気に入っている友人だ。
容易には手が出せない。
このまま、イリアは誰かのものになってしまうのか。
穢れなき光は、他の手に奪われるのか。
それだけは、許せない。
光は奪わせない。
穢したりさせない。






ゼランは取り返しのつかない場所まで来てしまっていた。
イリアを愛している。
しかしゼランのものに、彼女はならない。
決して自分には当たらない光。
徐々にゼランの心は侵食されていった。
あらゆるものに対する憎しみ。
イリアへの愛憎。

歪んだ愛は、狂気に包まり転がり落ちていく。









ゆっくりと目を開けた。
大きく息を吸い込む。

分かっていた。
目が覚めても、奇跡など起きない。


イリアは、死んだ。
次に狂うのは、シーマだろう。
彼女は心の支えを失ったのだから。

彼女がイリアに捧げたおよそ二年間の旅。
その間、踏み入れたくもなかったゼランの屋敷に入り込んだ。
村は支えにしていたゼランを失い、荒れている。
脆いものだ。
ディールを見咎める大人の目すら少なくなっていた。
主を失った屋敷は寂れ、急速に朽ちていく。
シーマらと、イリアの病を治す手がかりを探りに来た以前のまま、荒れ果てている。

手のひらに乗る、小さな一冊の本を見つけた。
立派な表紙だが、使い古されている。
何気なく開いてみてすぐに察した。

手記だ。
立ったまま一気に目を通した。
高かった日は傾きかけるまで、埃臭い部屋の中で一心に文字を追った。

書き殴られた文字は、ゼランの狂気そのものだった。
その日の内にディールは火を焚き、手記を放り込んだ。
誰の目にも触れさせてはいけない。
特にシーマの目には。

下がっていく西日を背にしながら、本が炎の中で塵になっていくのを見届けた。






「沈黙は、逃げなんだろうか」
いつもそうだ。
口を閉ざして、シーマを見守るだけだ。

「そんなことない」
足音と気配、頭の上に影が掛かった。

「言葉だけではだめなんだ。黙っていても、言葉はなくても、側にいることが大切だと思うから」
ラナーンが寝転がるディールの隣に座り込んだ。

「酔香花の効力を、国に売ることだってできたはずなんだ」
獣(ビースト)の被害に悩んでいる政府は喜んで買うだろう。
ゼランならできたはずだ。
国と交渉するパイプは持っている。
酔香花の効能にも詳しいことは、洞窟を抜けられた事実が証明している。
しかし実際は一言も他に漏らすことはなかった。

「頭はイリアで一杯だったんだ、きっと」
手記が物語る。
持っておくには余りに重過ぎた。

「見苦しいものなんだ。誰かを愛するって。貪欲で」
どろどろとしている。
ディールも、ラナーンも思いも付かないほどに。

「踏み込まれたくなかったのかもしれない。イリアがいて、自分がいる村に、外部が流れ込んでくるのを嫌ったのかもしれない」
ラナーンの言葉に、何も返さなかった。
ラナーンも隣のディールを振り向かなかった。
互いに違う方向を眺めながら、同じ思いでいた。

「酔香花はきっと、浄化しようとしてたんだ」
ディールが呟いた。
獣(ビースト)が湧く洞窟を取り囲んだ。
そして、村を中心に他の人間が入り込む山道に咲き誇った。


「沈黙は逃げることじゃない。シーマを側で守れるのは、ディールだけだから」
ディールは口を開くことなく腕を持ち上げて、熱い目蓋の上に乗せた。











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