Silent History 71





淡い光に目を細めた。

奥の痛みを和らげるように、ラナーンは袖で目蓋の上を擦る。
右腕は痺れていた。
押さえると、深くはないが皮膚が切れた痛みがした。

タリスは治まりつつある鈍痛で腹部を押さえながら、ディールに手を引かれて進んだ。

アレスは剣を抜き、先行する。

シーマは、風を辿るように出口へ向った。
細めた目で見ているものはラナーンにも分からない。
シーマは振り返らなかった。
アレスの隣で光を目指し、一歩一歩着実に歩いていく。



視界が開けた。
眩しい。
長時間、薄暗く湿った場所にいたからだ。
空気が澄んでいた。
肺の空気をすべて入れ替えてから、手にしていた灯りを消した。

突如開けたその場所に、呆気に取られた。
洞窟を抜けたら別の場所。
御伽噺か言い伝え、それも由来を辿ればここかもしれない。
そう思わせる説得力があった。
隔離された場所は、流石に物語のような幻想からはかけ離れてはいた。
花が咲き誇ってはいないし、穏やかなせせらぎが聞こえてもこない。
ただここは、空気が違う。


周囲を崖に囲まれている。
壁は遠いが、高いことは分かった。
一団の中で一番背の高いアレスが五人は縦に並ぶだろう。
生い茂る草木は低い。
見通しがいいとは言えないが、視界を遮る木々は少ない。


「酔香花がない」
「そういえば」
シーマが同意した。
森全体で目にし、村の周りでは群れるように咲いていた花が一輪も見当たらない。

「種が飛ばなかったのかな」
シーマの声に、ディールが顎を上げた。
視線の延長線上には崖の端が重なる。
白い花弁が上から舞い落ち、崖下を白く覆っている。

「ここは変だ」
シーマが今更ながら、声を詰まらせた。

「シーマ!」
ディールの声変わりも終わらない高い声がした。
どうしたんだと、全員がまとまって声のするほうへ集まる。
散り散りにならない方がいいと、全員が直感していた。
奇妙な緊張感が漂う場所だ。
獣(ビースト)も、いつ現れるか分からない。

ディールが灰色の布を手にしていた。
汚れ具合が酷い。
彼が持ってきたものでないことは確かだった。
一枚の布ではなく端切れだ。
裂けて糸が絡まり最早原型など想像もできない。

「来たんだ」
シーマがディールの手許を、忌まわしいものでも見つけたかのように凝視し、絶句した。

「やっぱり」
布から下がる糸が木に絡みつく。
繋がったままディールは引き上げ、立ち上がった。
タリスが上から覗き込む。

「それは?」
「ゼランの物だ」
長い灰色の外套は忘れられない。
縦糸と横糸の違いで微妙な模様が現れる。
古びてはいたが確かにゼランの外套の一部だ。

長い裾を乱しながら、得意気に闊歩する姿。
格別体格がいいわけではなかったが、木っ端役人とはいえ国家の役人を後ろ盾とするゼランの姿は大きかった。

手の上に乗せていた布を、ディールが捨てるように放り投げた。
雨で洗われ、劣化しようともそれがかつてゼランが身に着けていた物だというだけで、寒気がした。

「咲かない酔香花。ディール、どういうことだ」
「ゼランがここまで来れた理由も分かるよ。今は」
ラナーンより一回り小さいディールは、首を伸ばし低木を見回した。
調べてみるつもりだ。
ゼランがあえてここに来て、見つけたものを。




「やっぱり、またまたお出ましか」
つくづく期待を裏切らない奴らだ、とタリスが言葉とは裏腹の強張った顔で剣を抜いた。

アレスは黙って剣を振る。
鞘から抜けた剣が、小雨のような飛沫を散らす。

ラナーンもゆっくりと剣を構えた。

「何体だ」
絞る声に、アレスが即答した。

「一体だ」
草を掻き分ける音、左に右に揺れながら近づいてくる。

「飛ぶぞ」
アレスの推測は的中した。
言い終わると同時に、草むらから飛び出した。
驚くべき瞬発力。
ラナーンが首を反らした。

アレスが剣を振り下ろした。
獣(ビースト)の体は逸れる。
仕留められなかった。
草間を駆ける音は、集まった五人を回りこむ。

最初に三体、次に二体を相手にした。
それがたかが一体に梃子摺るなど。
タリスの苛立ちは最高潮に達していた。
体力がすり減らされていたことと、洞窟内の陰鬱で周囲が見えない緊張感が重なったからだ。
その上、弾き飛ばされた腹部が疼く。
殺気を漲らせ、両手を真っ直ぐ差し出した。

「うわ、タリス!」
隣に並んだラナーンが、タリスへ勢い良く顔を向ける。

「焼き尽くしてやる」
体中の毛が浮き上がるような、重力が軽減された感覚がする。

「やめろ。俺はお前と心中する気はない」
今ここで術を発動させれば、獣(ビースト)もろとも全員が焦げることになる。

タリスはアレスの言葉に腕を下ろした。
だが、苛立ちが消えたわけではない。
このままじっとしていても、やがてかみ殺されるだけだ。
獣(ビースト)が描く円周は徐々に狭めている。

「あそこだ」
タリスが見定めた。
アレスが空かさず駆け、剣を薙いだ。
刃は綺麗に水平だ。
重い音がする。

切れた草の先が小さく舞った。
悲痛な声が鼓膜を裂かんばかりに広がった。
アレスが剣を堅く握り締めたまま、草むらの奥へ進む。
獣(ビースト)が横倒しに転がっていた。
前足二本、間接より先が消えている。

タリスとラナーン、シーマとディールはアレスの手が下した指示に従い、彼と距離を置いて立ち止まった。
アレスが獣(ビースト)の胸を目掛け、縦に剣を突き刺した背中が見えた。
獣(ビースト)の転がる音も消えた。

「ディール。どこから来た、こいつは」
一仕事終えたアレスが、振り向いた。
ディールは口を閉ざしたまま、真っ直ぐ、しかし力なく指し示した。








石柱が倒れている。
よく見れば柱だけではない。
蔦が絡まった奥で、細やかな紋様が彫られている。
砕けた横倒しの柱を繋ぎ合せると、おおよその全体図が見えてくる。

「門、かな」
ラナーンが訝しげに呟く。
なぜこんな場違いな場所に。
しかも、一番不可解なのは周りには建物は一切無い。
家が建っていた土台の形跡すらもない。
土砂か草に埋もれてしまったのか。
それにしては門は門だと気付くほどに、劣化は激しくない。

タリスが片手で茂みを掻き分け、深みに進んだ。




「何だ、これは」
タリスが口元を押さえる。
目を反らせないシーマの顔が、歪んでいく。

何、とも表現できなかった。
しようがなかったのだ。
目の前で蠢くそれは、今まで目にしたこともない光景だった。

産声を上げ生れ落ちる悪魔の子。
何十年も昔の物語で見られる、おぞましい挿絵を見ているようだ。
アレスは眉を潜め、吐き気を堪えるラナーンを後ろへ押しやった。

長い爪を痛みに耐えて振り回す獣(ビースト)の前足。
首は狂ったように上下する。
奇妙なのは、崩れた門の陰から半身だけが突き出していることだ。
体が半分、挟まっている。


総毛立つ恐ろしい光景に全員が身動きできない。
特にシーマとディールは、自分たちの集落の近くに深く暗い裂け目があるなどと想像もしていなかった。

「ゼランは、これを」
シーマは泣き出したかった。
叫んで逃げ出したい。

「獣(ビースト)だ、これは」
忌々しげに、アレスが声を絞る。
闇の裂け目から、彼らはこうして産まれ出た。
膿みを出すように滲み出て。

「どうやったかは知らない。けどゼランはこいつらを石に込めた」
想像もできないどこかとこの裂け目を境に、こちらの世界は繋がっている。
半透明と実体化を繰り返しながら、裂け目に挟まった獣(ビースト)は呻く。

ディールが小瓶を取り出した。
白濁した液体が小さく波打つ。
シーマが上着から布を取り出した。
アレスらも後退しつつ、口元を覆う。

蠢く獣(ビースト)目掛け、ディールが瓶を投げた。
硬質な皮膚の上で薄いガラスが弾ける。
揮発する液体の中で、獣(ビースト)の動きが徐々に勢いを失っていった。

「知っていたんだな。酔香花の効力を」
それがゼランの身を守った。
もちろん、無傷で帰れた訳ではないが。
爪で引き裂かれた残骸が、灰色の布となりここに置き去りにされた。

「この門は、いや扉から獣(ビースト)が」
森の深くに沈み込むようにある扉。
誰の手で作られたのかも分からない。

「じゃあデュラーンのクレアノールの獣(ビースト)は? ファラトネスの獣(ビースト)それから、それから」
ラナーンの声が引き攣った。

各地で現れている獣(ビースト)。
それらはこの扉を潜って、こちらの世界にやって来たというのか。

「扉は、こんな裂け目がデュラーンにも?」
血の気が無くなっていくのが分かる。
とんでもない重力に上から地面に押し付けられた。
地面が波打つ。
直立できず、膝が崩れてその場にしゃがみこんだ。
情けないと思うより、ただ今の状況を受け入れるのに必死だった。

獣(ビースト)が湧く泉だ。
徐々に増加していった獣(ビースト)が意味することも、その先も想像が付く。

「裂け目は広がっているのか」
タリスの額も冷たい汗が滲む。

「さあな。こんな僅かな隙間が凶悪なやつらが生み出されてたなんてな」
アレスも奥歯を噛み締めた。
だが、どうすることもできない。

「酔香花は咲かない。裂け目の閉じ方は分からない。手の打ちようがない」
アレスの言葉に、ディールがうな垂れた。

彼らの後ろから砂が潰れる音がする。
ラナーンが傾いた門に手を掛けて立ち上がった。
傷口はまだ塞がらない。
指先から温かい血が数滴、曲げた肘から滴り地面に染み込んでいく。
体が重い。


「この扉が、獣(ビースト)を閉じ込めていたのか。こんな石の」
崩れた扉の破片を手の中で、ゆっくり力を込めていった。
指の間から、灯りを握り込んだように光が漏れ出した。
目に痛い白色ではない、淡い黄みがかった光だ。

ラナーンが驚いて、反射的に投げ捨てる。
落ちた石にシーマが駆け寄って顔を近づけた。

「シーマ、離れろ」
アレスが襟首を引っ張るが地面にへばり付き、身を起こそうとしない。

「これ」
地面に付いたシーマの両手の指が震えている。
ディールが目を見開いて、声を押し出した。

「太陽の石」
「どうして! 何でこんな場所に。こんな」











go to next scene >>>

<<< re-turn to one world another story
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送