Silent History 69





砂の潰れる音が反響する。
湿った土の匂いがした。

洞窟を歩き始めてすぐ、縦に深く切り込む亀裂がラナーンたちの横を走っていた。
深さを知りたくなり、地面の亀裂を覗き込んだ。
光が届くか届かないかの深度に、底らしきものが見えた。
落ちたら死ぬな、と確信し身震いした。
シーマを振り返る。
口を堅く結んだまま、タリスの隣を歩いていた。
タリスと並べばその幼さがより目立つ。

シーマにしてみれば、この洞窟は忌々しい場所に違いない。
自分が死ぬ目にあっただけでなく、彼女の最愛の友人を抜け殻にさせる切欠の場所でもあるのだから。

遠ざかりつつある小さなシーマの背中を、何ともいえない胸の苦しさを感じて眺めていたら、突然亀裂から引き離された。

アレスだ。
ぼうっとしていたら、お前まで落下するぞと言いたいのだろう。
だが、不機嫌の理由はそれだけではなかった。


「なぜ身分を明かした」
不満を隠そうとしない。
ラナーンは彼の苛立ちを正面で受け止めながらも、怯むことはなかった。

「お前は攫われたんだぞ。あいつは確かに子供だ。だが、侮れない。分かっているだろう」
シーマは頭が切れる。
感情の抑制力も年齢以上だ。
知識も豊富だった。

「目を見たから。澄んでた。本当にイリアって子が大切なんだ」
「一国の王子だ。国を捨てたと言っても、国はお前を捨ててはいない」
王の子というだけでどれ程の価値があるのか、ラナーンは理解できていない。

「シーマに限っては大丈夫」
「根拠に欠く自信だな」
アレスの苛立ちは募るばかりだ。

「それはおれを守れなかった自責の気持ち?」
並んで歩きながら、ラナーンが真っ直ぐアレスを見上げた。
責める目ではなく、真意を見通す瞳だ。

「おれの力の無さでアレスたちを巻き込んでしまった。それは本当に申し訳ない」
「俺はそんなことを言ってるんじゃない」
山道に踏み入れるのを止めておけば、今ここにいる必要もなかったはずだ。
アレスが強く、思いとどまっていれば。

「知らないことは多い。わからないことだらけで。アレスがいなかったら、命さえ危うかった」
何度も救われた。
城でも、守られていた。
外に出て、今まで自分が皆にどれ程大切にされていたのかがよく身に染みている。

「最初は剣を抜くのも恐ろしかった。獣(ビースト)を前に脚が震えた」
緊張が消えることは無い。

「でもまだ、おれはそんなに頼りないか。アレスに剣を教わり、身を守る方法も学んだ」
歴戦の覇者とは言えない。
剣を携える者として、それを振るうことはできる。
身動きが取れなくなるほどの重荷になるつもりはなかった。
アレスも自分の身を守らなければならない。

「自分の力を過信するな」
荒ぶる声を抑えてはいたが、凄むような声に背中が痺れた。

「おれは、王の子でいようとは思わない。アレスがおれを守ることに近衛の使命と責任を感じているのなら、捨てていい」
王の子でないのならば、その任からも解放される。
それでいい。

ラナーンの歩幅が大きくなる。
そのまま沈黙したアレスを一度振り返り、目の前の集団に混じった。






「来た」
ディールの聞き取れないほど小さな呟きだ。
息を吸い込む音がする。

彼の言葉は正解だった。
側を過ぎった影は二つ。
三つか。

シーマが腰に横差しにしていた短剣に手を添えた。
タリスがゆっくりと剣を抜く。
遅れていたアレスがタリスやラナーンの元に駆け寄った。

「見られていたな。恐らく、私たちがここに踏み入れてから」
「仕掛けてきた、か」
アレスが目で捕らえきれない影を追い、出方を探る。

「獣(ビースト)なのか」
ラナーンも剣を引き抜いて構えた。
影が途切れた。

「上だ」
アレスが上段に構えた剣を振り下ろした。
振り下ろされた剣にまとわりつくように、影が地面に叩きつけられる。
転がったのは、ケモノ。
いや、その俊敏さ。

ケモノは斬られてまだ起き上がる。
その生命力。
獣(ビースト)だ。


背中からは堅いものがぶつかった鈍い音がする。
タリスが真横から追突しようとした獣(ビースト)を薙ぎ払った。
果敢にもシーマがよろけた獣(ビースト)の背中に飛び掛る。


手に流れ込む返り血を服で拭いながら、アレスが追撃していた。

壁から飛び出すように三体目が集団から離れ始めたラナーンに狙いを定めた。


アレスが目を見開いて振り返った。
タリスは切り伏せた獣(ビースト)をシーマに託し、ラナーンの名を叫んだ。
ディールは、短剣を構えていた。

彼らの目の前で、ラナーンの側面目掛け飛びつく獣(ビースト)に驚くほど鮮やかな一閃を斬った。

剣の重みにも乱れることの無い直線の裁ちに、獣(ビースト)が重力に引かれ地面に落ちてもなお、身動きができなかった。
ラナーンがすぐさま崩れ落ちた獣(ビースト)から距離を取り、息が荒いまま見据えていた。

微かに首を持ち上げた獣(ビースト)の額にディールの投げた短剣が、真っ直ぐ突き刺さる。

獣(ビースト)は反撃の一打すら適わぬまま息絶えた。
正確な狙いで止めをさしたディールが、獣(ビースト)に歩み寄った。
一度は襲われた獣(ビースト)、怖いはずはないがそれ以上に自分の腕を信じていた。

大量の血の海に沈んだ獣(ビースト)を引っくり返し、傷跡を検分する。
肩口から腹部にかけて、深く斜めに裂けていた。
白い毛が真っ赤に染まっていた。

一撃で動きのほとんどを奪った。
ラナーンは剣を鞘に収めてしまっていた。
唇を結んだラナーンの視界にタリスが入る。

「こっちは大丈夫だ。アレス、そっちは」
ラナーンの視線を受けたタリスがアレスへと視線を流す。

「問題ない」
「それでは先を急ごう。慎重にな」
タリスが全員を一つに集め、闇が深い洞窟の先へと進んでいく。
何が、どれだけ潜んでいるかわからない。
長居すればするほど、危険度は増していくばかりだ。


並んで歩くタリスが、アレスを一瞥した。

「ラナーンが絡むと変わるな。隠していても滲み出てるぞ」
幼い頃からずっと側にいたラナーンの前では明らかにしても、決して他人の前では私情を晒す真似はしなかった。
タリスや、城にいるラナーンの従妹エレーネや、タリスの側近で友人のレンの前でも同じことだ。
それが脆くも崩れ、タリスも感じ取った。

「親離れだな」
からかうつもりはない。

「過保護だと言っただろう」
厳しい言葉かもしれないが、真実だ。
だからこそアレスの胸に響く。

「離れられないのはラナーンではなく、おまえのほうだ」
「かも、しれないな」
ラナーンの実力を認めなかった。
守るべき対象としてみていたから、実力を見極める目が曇っていた。

「ラナーンに剣を教え知識を与え、育てたのはおまえなんだから」
その力は保証付だ。
シーマたちの灯りが遠ざかりつつあるのに気付き、タリスが歩調を速めた。

「使命感や責任は捨てろと言われたよ」
寂しそうなアレスの横顔は初めて見る。

「アレスはどうなんだ。たぶん、ラナーンは本当の気持ちが知りたいんだ」
デュラーンにいた頃、幼い時からずっと側にいて守ってくれた。
それが与えられた役目だったからだ。
デュラーンから解放された今、不安に思うことは一つだ。

「アレス自身のことだ」
「俺か」
漏れ入る光の無い場所で警戒しつつ、前の光を見失わないよう歩き続ける。
今のところ洞窟は一本だ。
迷うことは無い。

「ラナーンを守らなければならない。その使命感だけでアレス自身の道を潰してほしくない。言ってみればそういうところだろう」
アレスにはアレスの道を進んでほしいという願い。
城では十分に役目を果たしてくれたのだ。
その城を離れた。
アレスはもう自由だ。

「俺は苦痛に思ったことなど一度もない」
ラナーンの側にいようと自らに誓ったのは、彼と出会ったときだ。
守るべきものは目の前にある。
それがすべてだ。

「ラナーンがもっと強くなればいいのだけど。技量ではなく、ここの問題だ」
タリスが指を広げ、自分の胸に押し当てた。

「おまえも、な」
タリスの慈愛に満ちた瞳が、微笑んだ。

「安心して背を預けられる相手。それが友というものだろう」
互いに守り、時として支えあう。


「ほら、待たせていては悪いだろう」
考えに沈みこんだアレスの背を、タリスが強く叩いた。
立ち止まってこちらを振り返っているシーマたちに二人は駆け寄った。











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