Silent History 65





「きちんと話す。だからそれを退けてくれないかな」
「これは保険だ」
不機嫌さが滲み出る。

「さっきの酔香花、夕華(せっか)の香りがした。きみが調合したね」
場に似合わずぼやけた口調で割って入った。

「よく聞き分けられたな」
「うん、エレー」
エレーネが、と言い切る前にアレスが後ろ手でラナーンの口を器用に押さえた。
野草に多少詳しいのはタリスも知っていたが、嗅覚がそこまで優れているとは思わなかった。

「ん、苦しい」
両手でアレスの手を剥がす。

「酔香花については知らない。でも夕華は国にあった」
「煮た根を磨り潰して家具に塗るんだった。防虫剤だよな」
人間には無色無臭無毒な液体であっても、木を好む虫には効果的だ。
その程度の雑学であれば、タリスも知っている。
それに、夕華の花はエレーネがよく部屋に飾っていた。
小さな赤みがかった花だ。
匂いがきつい花ではない。
落ちかけた夕日のような色をした淡い色の花は、エレーネの部屋に遊びに行って目を引いた覚えがタリスにはある。

「理由は何? よく分からないんだ。他の人だって襲ってたんだろう。でも傷つけたりはしない」
「調合で強めた酔香花の効果で眠らせた。そうまでして求めた石で救いたい人とやらについて聞こうか」
未だアレスは剣先を揺るがせない。
少女の方はなかなか口を割らない。
大切なものだからこそ、簡単には他人に話せない。
しばらくしてから、ようやく重い口を開いた。

「魔に喰われている」
「魔?」
思いがけない場面で思いがけない言葉を聞いた。

「祓うことができるのは、ひとつの石だけだ」
「それがきみの言う、太陽の石?」
「稀なる清き輝き、蒼を吸いさらに深みを増す。私はそう聞いた」
それゆえに、太陽の石と呼ばれる。
高い声が、深刻さが滲み出るようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「蒼、空の青、草木の緑、澄んだ空気。それによって石は本来の光を宿す」
「それで、辺鄙で荒れた人の手の入らない山道をあえて通る奴を襲うのか」
秘められた魔力を悟られぬために、人は関所のある道を避けて通る。
少女の言う石は、人の穢れがない清浄な空気を望むという。
双方の条件が交差する場所が、この道。

作り話ももう少し納得できるものを作るんだな。
付け加えるように呟く呆れたタリスの声は、少女には届いていない。

「太陽の石ね。それがどんなものかなんて知らないが、その魔とやら。そっちの方が気に掛かるな」
タリスを始め、三人が追っているのは獣(ビースト)だ。
何かしら繋がりがあるかもしれない。

「病だろう。そもそも魔などと概念の曖昧なものを」
子どもの戯言だとアレスが切れ長の目を細め、剣先を落とした。
ラナーンの身が無事と分かって、頭の血は下がったらしい。
タリスよりも冷ややかに現状を見ている。

「病気なんかじゃない! あれは、あいつが放った」
激昂し、少女が声を詰まらせた。

「病気なんかじゃ。薬じゃ、治せないんだ。魔が巣食ってる限り」
急に少女の声が萎む。
「治そうとしたんだ。でもだめだった。薬は利かない。まじない師でも分からなかった」

「お前が守ろうとしているものは何だ」
自らの命を危険に晒してまで得ようとする、魔力を秘めた石。
それは何のために。

「友人の命だ。私が、死なせない」
少女がラナーンとアレスに背を向けた。
薄暗い部屋に、柔らかい光差す入り口を向いたまま、後ろに向って言葉を投げる。

「剣を収めてくれ。物騒なもの、見せたくはない」
「まさか、連れて行く気なのか?」
タリスの剣から解放されたディールと呼ばれた少年が、小声で引き止める。

「こっちだ」
言われた通りにアレスは剣を腰に収めた。
押し殺した警戒心だけは未だそこにある。
タリスも剣を鞘に入れたが、外套の下では柄を握っている。

「魔などと、物語の話を現実に投影しても、真実は歪められない」
不治の病を魔というあやかしのせいにし、犯罪を重ねる。
ラナーンよりも若いというのに、哀れだ。
アレスが見る限り、彼女が集落の長に納まっているようだ。


魔。


「物語だけの存在か。千百年も昔の風化した歴史。いや、今や伝説か」
アレスたちは書物に記されたその名に、増加しつつある獣(ビースト)を重ねた。
だが少女の話に出てきた友人を喰らうという「何か」は、アレスの向いている方向とは少し違うような気がしてならない。

それでもタリスは興味を持ったようだし、ラナーンは少女が気がかりな様子だ。
アレスにとって最重要項目はラナーンを守ることだった。
獣(ビースト)やその他はその下位に過ぎない。
ラナーンが行くと言えば、黙って側にいる。
それだけのことだ。




それにしても、寂れている。
建物は辛うじて使えるよう修復を重ねてはいるが、造りの甘さが見られる。
熟練の大工、専門的な技術者がいないのだろう。
大人らしい大人も、今まで出会っていない。
少女と彼女の後ろを歩く一行を遠巻きに見ている集落の人間は皆若かった。

「おれは、ラナーン・グロスティア・ネルス・デュラーン。きみは?」
「おい!」
いきなり正面切っての告白で、一瞬頭が真っ白になった。
城からほとんど出ずで、世間知らずもいいところの王子様がすることだ。
ある程度行動を予想して、警戒していた。
手を伸ばしてラナーンの肩を引き戻した時には、すでに時は遅し。
最後まで名乗っていた。
止める間も与えないくらいに迷いなく、本名を明かしてしまっていた。
ラナーンはアレスの弟。
またの姿を、タリスの護衛。
話は合わせていたはずだ。
忘れるほど間の抜けた主ではない。

まだ寝ぼけているのかと肩を揺すってみるが、振り返ったラナーンの顔は正気だ。
真っ直ぐ射るような瞳で、アレスの口を封じた。

「デュラーン? あの島国から来たのか。まさかな」
「そう」
その肯定、短い一言でデュラーンの名が偶然重なったという言い訳は成立しなくなった。

「ということはその名、王族か。私が何者かもわからないでよく身を明かせたな」
「もう襲うつもりはないだろう?」
「これが罠だったら」
この先でラナーンたち三人を貶めるつもりだったのならば。
王族というだけで身代金は十分に取れる。
しかも周辺諸国との信頼も親交も厚いデュラーンとなると、いくら積んでも王族の身を買いたい賊はいるだろう。

「罠にかけようとする人間が丁寧にその手口を明かさない」
「私は、シーマ・ケラセル。そっちにいるのが」
「ディール」
愛想の欠片もなく、鋭い目で短く答えた。
ラナーン、タリス、アレスに対して警戒心を解いていない。
つい先ほどまで剣を突きつけられていたのだから、当然といえば当然の反応だ。

「私の友人だ」
「魔って言ってたね。封魔の歴史では名前は出てくるけど、具体的な記述はない」
「異形のものだ。この世のものではない」
異なる世界から湧き出てきた者たち。

「今ある神の歴史書は、生ける神を抱く国ルクシェリースの神話が元になっている」
千五百年前、ガルファードとサロアたち少年らが封じた魔という悪しき存在。
異形の者どもとの壮絶な戦いは大地を赤く染め上げたという。

生き残ったサロアはやがて神として昇格し、人としての定められた時間を越えて生き続ける。
彼女が眠りについた地が聖地シエラ・マ・ドレスタ。
神の国ルクシェリースの中央都市となっている。

生存者の見たもの、聞いたもの、その経験こそが真実だ。
サロアはその目で魔を見た。
その手で、魔を統べる黒竜の王を封じた。
それに勝る真実が存在しえようか。

サロアの口から語られた真実は紡がれ、歴史の書に記された。




「私の友人に掛けられた魔を知りたかった。当たり前のこと、常識、それらから少し目を反らせば真実が見える」
「お前は魔の何を知っている」
アレスの問いかけに、シーマは一言では答えられなかった。
いずれにしても、シーマの友人に会わねば話は先に進まない。


しばらくしないうちに、邸宅に着いた。
誰が手入れをしたのか、そこだけは花も美しく整えられている。

「村民はどこにいった。村は消え、代わりにお前たちが居座っている」
廃村は、盗賊の根城になった。
あるいは、目の前にいる彼女が村人を襲ったのか。

「ここにいる私たちが最後だ。息を潜め、一つの目的を持つものだけがここにいる」

広い部屋だった。
玄関を抜け、奥へ奥へと進んでいく。
てっきり取り囲まれるだろうと思っていたが、シーマとディール以外は邸内に入ってこなかった。
この家だけはどこか澄んだ空気が流れている。
シーマの言う魔だのあやかしだの、沈鬱なものとは無縁のように思えた。
静寂と冷えた空気が肌を締める。
最後の扉を目の前にして、シーマが立ち止まった。

「この奥だ」
頷いて、ラナーンが招き入れられた部屋に踏み入れる。
驚くものは何もなかった。
魔に喰われると聞いていたので、人としての姿を崩しているのかとも思った。
部屋の中央に人がいる。
それだけだ。

「女の人?」
シーマの後について、目を凝らす。
部屋の中央で椅子にゆったりと腰掛けた女性は、少し俯き加減で両腕を肘掛に乗せている。
長い髪は滑らかで、座っている彼女の腰ほどにまで垂れている。
ただ、ラナーンたちが近づいても反応を見せない。
蝋人形のように不気味に固まったまま動かないでいる。

「人形?」
「人間だ。生きている。イリアっていうんだ」
美しい少女だ。
シーマより少し年上だった。

よく見れば、肺の動きで僅かに肩が上下していた。
呼吸はしている。
ラナーンは少し安堵した。

「イリアはこのままだ。ずっと、ずっと」
表情のない顔は、造り物のようだった。

「すべてあいつのせいだ」
シーマの無意識に握りこんだ拳が震えている。

「私はゼランを許さない」











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