Silent History 59





「運がいいのか、悪いのか」
「獣(ビースト)?」
ラナーンが後部座席から身を乗り出して、フロントガラスの奥を見た。
獣が一体、低姿勢で牙を剥いている。
狼か。

「さあな」
「貨物車じゃないのに。何を狙うつもりだろう」
凶暴だとは見て取れる。
だが、クレアノールで対峙したときのような背筋が凍りつく感じはしない。

「どう思う」
アレスがラナーンに低く囁く。

「アリューシア・ルーファのような高感度センサーはないが、何か感じないか」
「獣(ビースト)じゃないと思う。眼が違う」
「俺が外に出る」
剣を携えて、座席から背中を浮かせた。

「けど、威嚇してるぞ。谷にでも落とされたら」
「このままじっとしていても同じことだ。タリス」
「援護か?」
まさか、ラナーンを頼むだとか遺言じみたことを言うのではないだろうな。
タリスが睨みつける。

「貨物車を襲った犯人だ。劣勢になったら飛び出して来いよ」
素早く開けた扉から、アレスが颯爽と飛び出した。
鞘から剣を抜き構える。
獣(ビースト)ほど強靭でも凶暴でも知能が高いわけでもない。
楽勝だろうと思っていた。
ラナーンもアレスの実力は知っている。




鉄の箱から飛び出してきた生身の人間。
格好の獲物に鋭い爪を繰り出した。
アレスが払う。
狼は身を翻し避ける。
剣先は獣の毛を掠めるが致命傷には至らない。
何度目かに振り下ろした剣がようやく狼の前足を捕らえた。
脇を切り裂き、血が地面に滴る。
相手の動きが鈍り、こちらが優勢となった。

だが直後。
アレスが側面から襲われる。
咄嗟に身を転がし、間一髪突進を免れた。

「もう一体!」
叫ぶと同時にタリスが車から躍り出た。
開いた扉を閉じる直前、同じく飛び降りようとするラナーンを中に押し込めた。

「私が出る。ラナーンはルイを守れ!」
タリスは鮮やかに剣を抜き放ち、二体の相手をしているアレスへと駆け寄った。
美しく切れのいい太刀さばきで一体を引き離した。

「ラナーン」
車を寄せた急斜面の上から、また砂がボンネットの上に降りかかってくる。
小石が弾ける音が大きく車内に伝わる。
次の瞬間、屋根の上が凹むかと思うほどの衝撃が響いた。

「また」
次に側面を殴られたような振動。

「もう一体、か」
唸り声と同時に狼の牙が、ラナーン側にあるドアガラスいっぱいに映る。
ルイが悲鳴をあげた。
声を震わせて、ハンドルに顔を埋めた。
アレスもタリスも、相手二体に苦戦していた。
強化ガラスではない。
車も、軍用の特殊装甲車などではなかった。
窓を割られるか、あるいは。

「右の崖に落とされるか」
「このまま、ここでなんて」
「おれだって嫌だ。だから、ルイ」
アレスもタリスも遠い。
頼れない。

「合図をしたら荷台の扉を開けて」
「どうするつもりだ。そんなことしたら、外のやつが」
「だから後ろの扉を開けるんだ。そこから飛び降りるから」
その間も絶えず獣は追突を繰り返している。
車が揺さぶられ、いつ扉が破られるか窓が壊されるか、砂地の地面に転がるか分からない。

「荷台に移動する。相手の位置は今どこだ」
「ラナーンの座ってたあたりのタイヤ。食いついてる」
車体のバランスを崩して横転させるつもりだろう。

「まずいな」
転がされるのも嫌だが、この難を切り抜けられてその後、足がなければ身動きできない。
剣を腰に結わえて、後部座席から更に後ろへと狭い車内を移動した。

「今、位置は」
「まだ前のタイヤ。特殊樹脂仕様だから簡単にはパンクしないと思うけど」
「いけるな。出たらすぐに鍵を閉めろ。もし、おれたち三人が戻れそうになかったら」
「それは言うな。あの二人だって言わなかった」
「いくぞ、開放」
ラナーンの声に合わせて、ルイが後部荷台を開けた。
薄く開いた扉の隙間から光が漏れる。
ラナーンが扉を蹴り上げた。
滑り落ちるように外に飛び出し、即座に開いた扉を閉じた。
これで中は密室だ。
しばらくの間は。




「どけ!」
剣を水平に構える。
頭の中では剣の師であるアレスに教わった通りの型が描かれている。
剣を振りかぶり、斬り込んだ。
剣が重かった。
緊張で筋肉が硬直しているのが分かる。
呼吸が乱れ、脈拍は波打つ。
だが、泣き言を言っている時間はない。

相手の動きに集中した。
小さな変化を読み取り、次の行動を見る。
幾度も剣先は空を切った。
だが徐々に目が動きに慣れてきた。
獣は牙を出し、茶色い爪でラナーンの肩を切り裂いた。

「ラナーン!」
遠くから名を呼ぶ。
アレスの声だ。
怪我を負っても俊敏な動きは衰えない一体目の狼を突き放し、ラナーンに向おうとするが、逆に追撃される。
タリスもまた、ラナーンが気になるが同じく手が塞がっていた。

肩が熱かった。
しかし痛覚が麻痺するほど、神経は相手の動きに集中している。
ラナーンが振り下ろす剣が唸る。
前足を狙ったが、鋭い剣先は獣の耳を切り落とした。
悲痛な叫びを上げる。

だが追い払うどころか、かえって闘争心を煽ったようだった。
憎しみも込められた咆哮とともに、ラナーンの腕へ爪を食い込ませた。
ラナーンの喉目掛けて歯を立てる。
細い喉をひと噛みで殺せる。

声を上げたのはラナーンだった。
腕を振り、爪を引き剥がすと刺し違える勢いで剣を獣の脇腹に突き入れた。

「ラナーン」
血に塗れたラナーン、同じく赤い血を被った大狼、その向こうにアレスの顔が浮かぶ。
腹に深々と傷を負いながらも、しぶとくも足掻く大狼に容赦なく剣を何度も振り下ろした。
動かなくなったのを認め、片足を付いたラナーンに駆け寄った。

「アレス、タリスは無事か」
「ああ、もう来る」
「車、ルイは」
「何ともない」
アレスにもほとんど怪我はないようだ。

「血が」
アレスの服は真っ赤に染まっている。

「返り血だ。俺のじゃない。それよりお前の方が」
「ラナーン!」
タリスの声がした。
張りのある声は元気だ。

「何か、前と同じだな」
「前よりも酷い」
クレアノールで獣(ビースト)に襲われた。
その時は軽傷で済んだ。
命に別状はないだろうが、今回は以前より深手だ。




「タリス、できるか」
「心得はある。だが、城の者よりは」
「俺は術の血が薄いんだ」
タリスはラナーンに横になるように指示した。
身動きするたびに眉が寄る。
額には零れ落ちるほど汗が溜まっている。
裂けた服の間には、肉が抉られた肩が覗いた。
痛々しい傷だが目を反らすこともできず、タリスが下唇を固く噛み締めた。

「どうすればいい」
「ラナーンの腹に手を乗せて。私は傷口を」
一人では深い傷の治療はできないが、二人なら何とかなるかもしれない。
応急処置くらいにはなるだろう。

「私には、レンがいてくれた。木から落ちて、足を折ったときも」
治癒術に長けていたレンに頼っていた。
それが今の後悔に少なからず繋がっている。

「反省、しなきゃな」


いつの間にかルイが車から出ていた。
恐る恐る三人に近づいてきた。
横たわる一人を間に、二人が向き合ってしゃがんでいる。
怪しい光景だ。

「ラナーンの手を取れ」
アレスに命じ、自らもラナーンの手のひらを握りこんだ。
肩から大量の血が流れたのだ。
手のひらが冷たくなっている。

「意識を失ってないだけましだな。気分はどうだ」
「情けない」
「さっきのは、私たちの大狼より一回りは大きかった。仕方ない」
「獣(ビースト)、じゃないよな」
「違う。だが思ったより梃子摺ったな」
「ラナーン。静かに」
タリスが口の中で小さく詠唱を始めた。
みるみるうちに傷口はなかったように塞がっていく、そういったことはなかったが血は止まった。
裂いた皮膚も、薄く痕を残すほどにまで埋まった。

「うん、いつもより調子がいい」
タリスが言う。
思ったより治癒の効果が出たようだ。

「どんな感じだ」
アレスの介添えで、ラナーンが上半身を立てた。

「まだ少し痛むけど、平気だ」
「元気になったところで悪いけど、あれ」
ルイがアレスの服を小さく摘んだ。
震えがまだ治まらない声で呟いた。

血痕だけが残り、大狼がいたはずだがそこには他に何もない。
アレスとタリスが仕留めた二体は完全に沈黙して転がっていた。




血痕は長く尾を引いて急斜面を上っている。
その先に、血痕の主がいた。
傷ついた片足で不器用に斜面を這い登っている。

「生きてたのか」
ラナーンが立ち上がった。

「ラナーン、動けるか」
「大丈夫」
「やつらの他にはいないとは思うが。ルイは行けるか」
「あれを、追うのか」
斜面をよじ登ると言う。

「今逃せばまた騒ぎを起こすとも限らない。巣穴を見つける」
アレスがタリスの方を見る。
タリスは静かに頷いた。

「車に戻っていてもいいが」
「まさか。またさっきと同じ目に合うかもしれないだろ。行くよ」
「斜面は脆い。体重は片腕に片足になるべくかけないように」
タリスが短剣をルイに手渡した。

「武器?」
「物はそうだが、今回は道具だな」
「こうして使うんだ」
タリスが腰の後ろに挿していた短剣を抜き、斜面に付き立てた。

「縦に突き刺すなよ」
アレスが先に登り、頂上から全員を引き上げた。
人が三人分ほどの高さだ。
斜面を這う蔓を上手く利用すれば楽に降りられる。

「さて、血痕が途中で途切れていなければいいが」
タリスが服の砂を叩き、短剣を腰に納めた。

「行くぞ」
アレスを先頭に一行は林に分け入った。











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