Silent History 58





港町から出て北西へ半日。
車に乗って次の町に向う。
道は舗装され、然程揺れは感じなかったが降りてからの道のりは荒れていた。

港からの車が運べるのはこの町まで。
山の中腹を切り開いてできた小さな町は東の山裾を通っている道と、渓谷に沿って北へ伸びている道があった。

休憩と目的地の確認のために入った食堂は、閑散としている。
昼も過ぎた食堂で食事を取っている人間はほとんどいない。
日当たりのいいテラス席は老人たちの集会場になっていた。

室内の席に腰を落ち着けてから、アレスが鞄から取り出した地図を広げる。
アレスの指が滑るのをラナーンとタリスの目が辿った。
渓谷の脇の道を通って向こう側に抜ける。
山を越えるまでは村も集落もなく、ただ曲がりくねった起伏のある道だけだとこの町の地図屋に聞いた。



「足はどうする。列車はない。まさか歩いてなど」
アレスがなぞった距離は短くはない。

「車で抜ける」
「うん。でも誰が運転するかだな」
ラナーンが次なる問題に小さくため息を落とす。

「アレス、できるだろう。私はしたことがない」
する必要がなかった。
アレスの多才はタリスも評価している。
習得能力が高く、器用にこなす。
完全温室育ちの頼りに欠けるラナーンの側には欠かせない逸材だ。

「できないことはないが、林に突っ込むか谷に転がるか。保証はない」
「車の上に、運転手の確保か」
椅子に凭れかかったタリスを追うように、ラナーンが身を乗り出した。

「通りを歩いていたときに、店を見つけたんだ」






ラナーンの言葉は正しかった。
渓谷を抜けるために車を出している店があった。
それだけで商売が成り立つほど、渓谷は険しく足では抜けられない。
迂回して向こう側に回り込めば、数日かかる。

「出せるか」
店に先頭切って踏み入れたタリスの第一声がそれだった。

「山を越えたい」
だが、客に店主は苦い顔をする。

「渓谷越えか。あまり薦めないがね」
「そのための店だろう」
タリスが食って掛かるが、店主の渋い顔は変わらない。
ラナーンは店内を観察する。
奥の駐車場には錆の付きかけた車が三台止まっていた。

「山を越えた向こうの町に行きたいんだ」
「客はありがたいが、状況がな」
歯切れの悪い反応だ。
タリスは軽く苛立ちを覚え始めている。

「そんなところに何しに行く。抜けたってまた山と森があるだけだ」
観光名所に恵まれているわけでもない。

「行きたくない理由をまず聞きたい」
核心を貫かれ、店主の顔が引き攣る。

「嫌な噂を聞いたんでね」
話の内容は、港で元傭兵だった男に聞いたものに近かった。
やはり噂は渓谷を通ってやってきた。
三人は確信する。

「それだけか」
単なる噂だけで、金になる渓谷越えを渋るとは思えない。

「渓谷に、何かあるんじゃないか」
ラナーンの指摘に、店主が黙り込んだ。



「親父が行きたくないなら、連れてってもいいけど?」
車の脇にある階段から足音が聞こえてきた。
同時に室内に反響した声は張りがあって若い。

「ルイ。引っ込んでろ」
睨みつける店主の言葉を鼻で吹き返し、ラナーンたち三人に目を向けた。

「何度も往復してるの知ってるだろ?」
現れたのは、整備服姿で髪の短い少年だ。
ラナーンと背丈はほぼ同じだった。

「安心していい。腕は親父よりいい」
「おれはそんなことを言ってるんじゃない。だめだ」
何としてでも息子を奥に引っ込めたいようだ。
確かに、その気持ちはアレスにもよく分かる。
険しいと聞いた山を越えるにはまだ若いように思える。

「行かせられない。山は、許さん」
「心配なのは腕じゃないだろ。今さら、何怖がってるんだ」
腰に両腕を当てて、萎みかけた父親を一喝する。
睨みつけるだけで反論しない父親から視線を外すと、改めて三人に振り返った。

「すまない。大丈夫、仕事は引き受ける」
「しかし」
二人の不和を目の前に、素直に仕事を託すのは気が引けた。
少年に案内され、三人は小さな卓を囲む椅子に腰を下ろした。
木製の椅子は座ると軋んだ。
店主も渋々ながら卓を囲んだ。

「お前を行かせるわけにはいかん」
「あっちに抜けたら山を回りこんでここに帰ってくる」
「だが」
「渓谷を戻っては来ない。約束する」
仕事の話をしよう、と少年が机の上で手を組んだ。

「人が消えるって話。あれの出所は、山の向こうの村なんだ」
この周辺は、山が連なっている。
山を越えればまた山が陰にあり、さらに奥に山がある。
道は山裾を円を描くように回り込んで作られている。
しかし、回り込んでいけば数日は消化してしまう。

「渓谷越えの道を選ぶ人間もいる。それを相手にこの仕事が成り立つ」
道は険しいが、慣れたものにとっては恐るべき場所でもない。

「でも最近になって、嫌な話を聞くようになって」
「渓谷を抜けようとすると車が襲われる。野生の獣か何なのか分からない」
「車の側面が凹んだことが二回。谷に車輪が落ちかけたことが三度」
渓谷越えを請け負う同業者がもう一件あった。
そちらは貨物専用だったが、何とか無事帰還したときの顔色は忘れられない。
以降、その店は迂回路を取ることになった。

「急を要する医療品だとかはうちが運ぶことになってるんだけど」
最近ではよほどのことでない限り、渓谷は避ける。

「獣(ビースト)なのか」
アレスが聞こえないような小さな声で呟いた。
それは急にどこからともなく現れる。
尋常でない俊敏さ。
そして高い知能。

「調査は? 対策だとか、捕獲するだとか」
ラナーンの問いに、呆れた顔でルイが答える。

「そんな装備、この辺鄙な町にあると思うか?」
活気ある町だとは言えない。
線路は通らず、渓谷の道はきちんと舗装されず危険なままだ。

「特に急ぎでもないなら親父の言うように迂回路を行った方がいいかもね」
急ぐ旅ではない。
時間は余るほどある。
だが、噂と聞いてあえて避けて通るようなことはできない。

「渓谷を行こう。連れて行ってくれるな」
アレスの押しに、ルイは頷く。

「けど、その前にそっちの話も興味あるんだけど。何のために渓谷を抜けようっての?」
分厚い繋ぎの作業着に包まれ、全体的に体の線は丸みを帯びているが、巻き上げた袖から覗く腕は細い。
この腕が店の自動車を整備し、自らも荒れた渓谷の道を運転するのだから、改めて考えると多少不安が残る。

「探してるんだ」
大きな目が瞬きしながら、興味深げにラナーンに近づいてくる。
太ってはいないが、机に肘をついた拳の上へ乗せた顎は、子どもっぽさを残している。

「獣(ビースト)って、聞いたことある?」
「やたら凶暴なやつなんだろ。人を食うって」
「人は食べない。突然現れるんだ。それに普通の動物よりも遥かに俊敏で賢くて」
「車が襲われたのもそれだっていうのか?」
「わからない。渓谷の犯人も、その向こうからきた噂も調べてみたいんだ」
「でもうまい具合に出くわすとも限らないんだぞ」
「それなら仕方がない」
言葉が途切れてすぐに、店主が叫ぶ。

「なおさらだめだ。たかが興味本位で越えるだと? 調べたければ勝手に調べるがいい。自分たちだけでな。車は出さん」
確かに身勝手な話だ。
その話にこの親子を巻き込もうとしている。
反対されて当然かもしれない。
しかし車なくしては渓谷は通れない。
犯人遭遇を諦めて迂回するしか道はなさそうだ。

「待ってよ。考えてみればこっちとしてもいい話じゃないか」
不機嫌な父親を宥める。
渓谷の犯人を捕まえられれば、以前のように仕事ができる。
襲われる危険に怯えることもない。

「それにさ、そっちの男の人なかなか腕が立ちそう、な気がする」
「だってさ、アレス」
王の子の護衛を務める従者だ。
腕は保証されている。
その称号もデュラーンでのこと。
今は証明することも容易ではないが。

「私だって腕には自信がある」
タリスが優雅に笑って、手荷物だった細身の剣を持ち上げた。
細身とはいえ、金属の剣。
重さはそれなり、常に肌身離さなければ負担となる。
しかし重いと口にしたことは一度もなかった。
アレスともほぼ対等に剣を交えることができる技、体力ともに備わっているのは確かだった。

「というわけだ、親父。行っていいよな」
口を開きかけた父親に、さらに言葉を投げる。

「行くなって言っても、行くから。出発、いつがいい?」
「いつでも」
「じゃあ明日の午前な。昼になる前には渓谷を抜けられるから」
話が固まり、ルイは席を立ち上がった。
父親からうるさいことを言われたくなかったのだろう。
そのまま工具を手に下りて来た階段をまた上っていった。

「言っても聞かん。何て固い頭だまったく」
容姿は小柄で表情豊かな顔は親しみやすいが、中身は父親に良く似ている。

「お預かりした以上、俺たちが守ります」
「ああ。頼るしかないんだ。分かってるさ。分かってる」
彼ら親子にとっても、この町にとってもまたとない機会だ。
事件が続けて起こって以来、望んで渓谷に入る者などいない。
運がいいのか悪いのか襲撃犯に出会い、捕らえられれば。

「あいつを頼んだ。意志を曲げることができないのならばせめて」






翌日、朝食を済ませた後にルイの店にやって来た。

「装備といっても、甲冑があるわけでも槍があるわけでもないが」
タリスは今日も機嫌がいい。
手にしていた剣を鞘のまま宙で回した。

「 準備はできてる。荷物を積み込んでくれ」
アレスを始め、全員の荷物が積み終わるとルイはエンジンを唸らせた。
見た目は古い車だがエンジンが回る音はいい。
しっかり整備されている。
町中を抜け、山道に差し掛かると人の姿は少なくなる。
細い木に囲まれた、薄い褐色の道が細く続く。



川が近くなって来た頃、ルイが口を開いた。

「親父は、ここで生まれ育ったわけじゃないから」
何とか対向車が来てもすれ違えそうな道がしばらく続いた。
道幅は安定し、今のところ問題なく進んでいる。
ルイの腕も、自信があるだけのことはあって安心して乗っていられる。

「山沿いの道を東へ行ったところに町があって、そこの出身なんだ」
助手席にはアレスが座っている。
三人の誰へというわけではないが、ルイは父親について話し始めた。

「結婚してからぐらいかな。この町に引っ越してきたのは」
それから子どもができ、運び屋を開いた。
ちょうど知り合った老人の仕事を引き継ぐような形で仕事を始めた。

「だから、知らないんだ親父は。山と谷とこの町の人たちとの関係」
山をなくしては生きられない。
渓谷の道は厳しくとも、川は流れている。
細い支流の一本に過ぎなくても町の人間にとっては生命線だった。

「怖れてばかりはいられない。町を捨てるか、共に生きる道を選ぶか」
ルイは幼い頃から町の子どもたちと一緒に遊び育った。

「ここは都会じゃない。交通網は発達してなくて、不便だろう」
事実だった。
政府にも忘れられた町。
自嘲の思いが湧いては消える。
だが、だからこそこの町独特の穏やかな空気や、渓谷を怖れる心、隣人同士の繋がりが生まれていた。

「だけど捨てて生きようとは思わない」
道は決まっている。

「親父は山のことなんて、知ろうともしないけどな」
「ルイは、強いな。ルイの父様の気持ち、なんとなく分かる気がする」

「親父の?」
「怖いって気持ち」
何もしなければ、何も変わらない。
ただじっとしていれば、すべてが過ぎ去るのを待っていれば、いずれ嫌なことは去っていく。
城にいた頃のラナーンはそうして生きてきた。
何かを望むことすら幼い頃に忘れてしまっていた。
自分が何かを変えられる力があることも、可能性すら見出そうとはしなかった。

「怖くて、大切なものを投げ出して、逃げて」
変わってしまうのが嫌だったから。

「それもラナーンの意志だろ。大切なものと天秤にかけて選んだ道だろ」
情けないという顔ではなかった。
悲しいと言い表すに近い。
「親父は、まだ進むことも引くこともできない。何も動こうとしないから」

「守ろうと必死なんだろうな。仕事だとか、自分の子だとか」
動く意志がないわけではない。
ただ無茶をすれば残された子どもが悲しむ。
迂闊に渓谷に乗り出したりはできない。
だからこそ、ルイは悲しくなる。
父親の辛さも分かるからだ。

「ラナーンだって、逃げ出しても守りたいもの、あったんだろ」
「守りたいもの?」
「大切なもの。もうその手の中にはないのか?」






道幅が狭くなってきた。
運転を誤れば谷底だという箇所を何度も通った。
慣れていなければこの道は通れない。

天気は快晴。
風も良好。
対向車も来ていない。

その道に崖から落ちてきた石の欠片を車が踏み砕く。
ルイの口は閉ざされている。
小石が車の屋根の上で飛び跳ねた。

突然、車の側面に何かがぶつかった。
車輪は横滑りし、車の後輪から右の川へと落ちるところだった。
踏みとどまったのは偏にルイの腕による。
車は少し行った幅のある道まで進み、停止を余儀なくされた。
ルイの背筋が硬直している。
ハンドルを握る指も硬く血の気を失っていた。
この先はさらに道が狭まり、谷は右手に近い。
ルイのかすかに震える細い声が車内の沈黙を突き抜ける。

「どうしよう」











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