Silent History 55





ディグダ。


帝国とも呼ばれている。
北に広がる巨大な大地の大半を、その国家が支配していた。

帝都は、ディグダクトル。

軍の力、機械技術で諸外国を圧倒してきた。
長年を掛けて成長を重ねてきたのならば、その名を耳にしても背筋が冷えることはない。

彼らが世界に名を知らしめるまでに百年必要としなかった。
元はごく小さな、諸国に埋没してしまうほどの小国家だったにも関わらず。






各々のペースで食事を終え、全員の手が止まったところで、あの日焼けした研究員が二階の自室から降りてきた。
ちょうどいいタイミングだ。
彼は黙ったまま全員の皿を下げ始める。
老人の助手、セルスティアも立ち上がり、周りの食器を集めて調理場に消えていった。

老人に促され、一同は談話室へ場所を移動した。
そちらの方がゆっくりと話ができる。

やがてセルスティアが後を追うように談話室に現れた。
手にしているトレイには食後のワインとグラスが人数分乗っていた。

話の続きは、先ほど口にした帝国の話から始まった。




「ディグダにも、獣(ビースト)がいると聞いたことがあるんだ。そのために組織された部隊もあると」
人の噂話や、本から得た情報に過ぎず、実際ディグダの人間と知り合うことなどなかったのだが。

「詳しいことは知らない。だから、もしかしてあなたならご存知かと思って」
「確かに、ディグダには討伐部隊が組まれている。とはいえ、あまり表立って活動はしていない」
「それは、国民を混乱させたくないからか」
タリスが食後のグラスを丸テーブルに置き、ソファの上で姿勢を正した。

「さあな。実際のところは分からんよ。私だって直接ディグダの中枢に乗り込んで行ったわけではない」
それに、ここはディグダより遥か南の島国だ。
広大な海は、情報すら阻む。

「ただ、流れ流れてくる話はかき集めることはできる。それに世界は繋がっている」
「それは、今調査しているオーグの森と獣(ビースト)に関係があると」
アレスの目は真剣だ。
何物をも貫き通す強さがある。

「そうだ。帝国の獣(ビースト)、オーグの獣(ビースト)。種は違うかもしれんが、共通点は多い」
ジーラス老人は語る。

獣(ビースト)と森との関係は浅からぬものだと。
そして、獣(ビースト)の個体数は上昇傾向にあるということ。
凶暴化も少しずつではあるが、認められていること。

「だがな、形を成しているものだけがすべてではないのだ」
「どういう意味だ」
「獣(ビースト)。その名がそのものすべてではないということだ」
名が、存在すべてではない。

「存在を、我々が獣(ビースト)という記号で表しているに過ぎないんだ」
「獣(ビースト)と知らないうちに、その存在を認めている?」
老人の目尻の皺が増えた。

「そうだ、ラナーン」
ジーラスが杯を傾けた。
透明の温かい液体が、掠れた老人の喉を湿らせる。

「噂を辿るといい。獣(ビースト)を知るのならば」
「リヒテルより僅か北に、エストアナ半島があります」
セルスティアの穏やかな声がした。

「エストナールの領土だな」
アレスは何度か赴いたことがある。
エストナールの深部までは行かず、船の乗り継ぎで立ち寄った。
「半島には森が」
「港町で話を聞けないかな」
タリスの顔を、ラナーンが覗き見た。
彼女の顔は満足そうに、輝いている。
意思確認をするまでもない。

アレスも顎を引いて、ソファに体を沈めている。
ルートを思案中なのだろう。

「決まりだな。明日の朝ここを出る。半島までどれくらいかな」
タリスがデカンターを持ち上げて、自分のグラスへ傾けた。
火の灯りに照らされて、琥珀色に光る。

「ここに来るときに船を下りた港から行けるのか」
ラナーンの問いに、アレスが首を縦に振る。

「リヒテルの動力船なら、二日で着くだろう」
「何か、ずっと船での移動だな」
文句ではない、率直なラナーンの感想だ。
長旅というものも、また初体験だった。

「グラストリアーナ大陸に入れば、逆に海が恋しくなる」
しかし、それもまだ先の話だが。




「ジーラス。ファラトネスの大森林を覆った霧、何だと思う」
獣(ビースト)ごと包み込んだ。
タリスにはそう思えた。

「何だと感じた」
問いに対して、問いで返した。
タリスは沈黙した。
咄嗟に答えはでなかった。

ジーラスの視線がラナーンへと流れる。

「分からない。でも、怖いものでもなかった。おれは、アリューシアのように獣(ビースト)を感じないけど」
「ほう、あの子と知り合いか」
「そちらこそ、ご存知なのか」
ジーラスは孫を思うように、目を細める。

「一度、タリスが引き合わせてくれたな。本人の望むところではないが、獣(ビースト)の気配を感じ取れると」
「獣(ビースト)研究をしているジーラスに、会わせておかなくてはと思って」
「だが、あの子の力にはなれなかった。自分の知識の狭さを思い知ったよ」
だからこそ、再びオーグの森の調査に熱中した。

「霧が森を包み込んでいったんだ。大きな布で覆い隠すみたいに」
不思議な光景だった。
森の深部、地平線の向こうから被さっていった。
薄かったヴェールは幾重にも重なり合い、やがて森の深い緑は見えなくなった。

「何時間かかけて、霧が森を完全に飲み込むと、それ以上は広がらなかった。森だけが隠された」
アレスがファラトネス兵から聞いた話だ。
霧が街にまで深く届くことはなかった。

「晴れることのない霧を見て、アリューシアが言ったんだ。獣(ビースト)の気配が消えたって」
森を隠すと共に、獣(ビースト)も抱え込んだように思えた。


「それに、水神(みかみ)って」
目蓋の被さった重い目が、ラナーンの顔へと持ち上がった。

「興味深いことを口にする子だ」
ラナーンのことではない。
水神(みかみ)と言葉にしたアリューシア・ルーファを言っている。


デュラーンは水の国だ。
木々は茂り、凍れる山は人の足に穢されず、川は淀みなく行き渡る。
デュラーンの城も、水に守られている。
張り巡らされた水路、水を湛えた地下神殿には水中に像が沈んでいた。

それが、水神(みかみ)だ。
水神という姿なきものを、形にした現のものだった。

アリューシア・ルーファは獣(ビースト)の気配を感じても、それ以外の未知なる気配を感じ取れはしなかった。
連想したのだろう。
それほどに、霧の力は獣(ビースト)の気を感じるアリューシアにとって驚異だった。

「神はいない。像は人の望む形。求めた姿。想像の産物。そう思うか」
「神はいると思う。だって、シエラ・マ・ドレスタにはサロア神が」


帝国、ディグダ。
それは機械と軍事力の国。
絶大な力で大陸を統べる王者の姿だ。

東に帝都ディグダクトルがあれば、西には聖都シエラ・マ・ドレスタがある。
神の国ルクシェリース、彼らの中心には神がいる。


「眠れる女神か」
誰もが知っている。
千五百年もの時を、一人で越えてきた。
目覚めを知らない女神は今でも聖都の奥で守られているという。

「神秘だな。ルクシェリースそのものが、神秘だ」
「だが、水神(みかみ)はサロア神とは違う」
デュラーンの神だ。
アレスは周辺諸国を巡ってきた。
その土地に、それぞれの神がある。
文化や歴史とともに、それらもまた歴史の一部だと感じた。

「サロア神は生きているんだろう」
「少なくとも信徒は信じているだろうな。だが実際には誰も知らない」
「サロア神には触れられないのだったな。神話の中の少女が、神になり」
タリスの顔に、炎の揺らめきが映る。
サロア神を見ることも叶わない。
神殿に踏み入れることすら難しいというのだ。
女神はルクシェリースの最も深く安全な場所で眠っていた。

「だれもサロア神の鼓動を聞いていないのだ」
生ける女神、デュラーンの神は形なきもの。

「アリューシアのようにすぐに水神という言葉はでてこなかったけど、不思議な感じはしたんだ」
何か、そこにいる感覚。
ラナーンは確かに感じた。
アレスだって、感じたはずだ。
言葉にはできないけれど、森を包んだものはもしかしたら何かを守ろうとしていたのかもしれないと。

「デュラーンに生きるものだからだろう。ファラトネスでも同じだ。二つの島、二つの国はよく似ている」
「神という存在を意識していなくても、神という形をイメージできなくても、そこに神はいるか」
タリスの言葉に、ジーラスは静かに頷いた。

「神の形とは、そういうものだ。また、デュラーンやファラトネスといった風土とも絡み合う」

「先の見えない話になってきた」
ついていけなくなりつつあったラナーンが眉を寄せる。

「ルクシェリースやディグダとは違う成り立ちなのだよ。世界を見れば分かる」
ジーラスの言葉が、アレスの胸に引っかかる。

デュラーンの王、ディラスは息子たちと同じように気を掛けてきたアレスに言った。
世界を見ろと。
旅をさせた。
広い世界、見て回れたのは僅かの国だったが、それでも学んだことがある。
外の世界を見るということは、自分の国を見ることに繋がる。

「獣(ビースト)の存在は形を変え、言葉を変え、しかしそこに存在する」
謎解きのように、タリスが呟いた。

「森にいる獣(ビースト)、人を襲う獣(ビースト)、それから魔となる獣(ビースト)」
タリスと同じく、謎解きにラナーンも沈んでいく。
神話の中に現れる、魔という存在。
かつて神である前のサロアという少女が、ガルファードという勇者とともに封じた存在。

「夜も更けた。老体には辛い」
セルスティアを促して、立ち上がった。

「旅の終わりに立ち寄ってくれ。お前たちが何を見てきたのか、ぜひ聞きたいものだ」











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