Silent History 54





「森に獣(ビースト)、ね」
屋敷で教えてもらった森への道は、石の舗装がいつの間にか土道になっていた。
気が付けば、人もまばらだ。
それでも町で人はいつもと変わらず、日の下で働いている。
獣(ビースト)の出没頻度が高くなっている事実は、風の噂で知っているだろうが、具体的な事実までは知らないのだろう。

この道を進み始めて二人の町人とすれ違った。
いずれも悲愴な表情は見せていない。

やはり、ファラトネスでの一件は公表されていない。
二人目がタリスの横を通り過ぎる瞬間、顔を覗き見て確信した。

だが、無難な選択だ。
未だ獣(ビースト)の出現条件は確定していない。
曖昧な情報は人を混乱させるだけだ。






オーグの森は町から歩いて四十分程だった。
多少起伏があるものの、悪い道ではない。
ファラトネスほど暑くもなく、乾いた涼しい風が抜けていた。

「どうした、もう疲れてきたのか」
歩調が遅れ始めたラナーンを振り返ってタリスが笑う。
いくら城で育った体とはいえ、まったく部屋から出ない生活をしていたわけではない。
体力には人並み以上のはずだ。
アレスとともにデュラーンの凍れる山、凍牙を登れたのだから。

「ここに、アリューシアがいたらなって思って」
アリューシア・ルーファ。
ファラトネスの小さな町出身で、獣(ビースト)の気配を察知できる特殊体質の彼女は、今は遠い。
己の能力と知識とをデュラーンの獣(ビースト)研究に捧げるため旅立った。

「恋しいのか?」
ラナーンにもとうとう、穏やかで暖かな風が吹き始めたかとからかう。
事実はそうでないことをタリスも知っている。

「確かに、いれば何らかの気配を察していたのかもしれない。もし、この先の森に獣(ビースト)がいればの話だが」
「森と獣(ビースト)。森と、獣(ビースト)」
呪文のように、ラナーンが口の中で繰り返す。
歩いてきた道は、これから歩もうとする道の半分は過ぎた。

「給水所、発見」
タリスが駆け出す。
道の端で果物を売っている。
あっという間に背中は小さくなり、屋台の中の店主から果物を受け取っている。

「素早い」
タリスが果物を片手に手を大きく振っている。

「お姫様大爆走中、か」
「何か、楽しいな」
考え沈んでいたラナーンが笑ってタリスの元へ走っていった。

「こちらの王子様も浮き沈みが激しくて、なかなか飽きさせないがな」
自他共に認める保護者は彼らの後を追った。




果物を片手に並んで歩く。
食べ歩きなんて、行儀が悪い。
口には出さないが躊躇ったラナーンの様子を見抜き、タリスは白い歯を見せる。

「やってみたかったんだ。だってここには姉様も母様もいない」
何より、口うるさいレンもいないのだから。
タリスの歯が気持ちいい音で果物を齧った。

「取れたてを外で味わう。最高だな」
荷物は屋敷に置いてきた。
身軽になって余計に元気がでているのだろう。

手の中の食糧が尽きた頃、アレスが遠く樹の陰の向こうで動く影に眉をしかめた。
ラナーン、アレス、タリスの三人が歩いてきたように、遠くからこちらに向って横並びの影は大きくなっていく。
しばらくそのまま三人とも黙って歩いていた。
向こうは手にしている本と仲間同士の議論で忙しく、こちらの存在には気付いてもいない。

「やっぱり、探してた人なんじゃないか」
タリスもラナーンの言葉に頷いた。

「ジーラス」
まるで歌でも歌い始めたかのような声量で、タリスが叫んだ。
一度呼んでもこちらを振り向かず、三度目でようやく視線が合った。
心持ち早足で、老人と中年の研究者たちは足を止めていたタリスの元へやってきた。

「これははるばる。姉君の見舞いか」
「エストラ姉様には何も言わずに来た」
「忍びで観光か」
「別に忍ばなくても、誰も騒がない」
並んでジーラス老人と歩き始めて、思い出した風にタリスがデュラーンの二人に振り返った。
ラナーンとアレスより少し後ろでは、付き添っていた研究員の二人が議論を再開している。

「私の友人で、ラナーン」
だったよな、と確認する意を込めてラナーンを見据える。

「こっちが、その兄で」
「アレスと言います」
「私はジーラス。あのぼろ屋敷の主だ」
ジーラス老人は、ファラトネスに一時期住んでいたときには街で教師をしていた。
動物環境学といった分野で教えていたが、しばらくして故郷のリヒテル王国に帰った。
教師を辞めるにしては若過ぎる、四十に至る前だった。
タリスが生まれる以前の話だ。

ファラトネスがリヒテルと積極的に友好関係を結ぶ頃、両王家の交流も盛んになった。
タリスも頻繁にリヒテルに足を運ぶようになる。
ジーラスとはその時期に出会った。
老人の屋敷は二度ほど踏み入れたことはあるが、奇妙な薬草や白服で無口な研究員たちは気味悪かった。
老人と外で会うことはあったが、屋敷には近づくことはほとんどなかった。








日に焼けた研究員の一人が、給仕役を務めて夕食が始まった。
屋敷にいる老人を含めた十人全員は揃わない。

「別に生活を共にしているわけではないからな。各自、部屋で研究し休みたいときに休み、腹が減れば作る」
皿を運び終えた研究員は、老人に耳打ちし階上への階段を上って行った。

「セルスティアは作らないのか」
「こいつは胃も驚くようなユニークな料理を作るからな」
「掃除担当と考えていただければ。レシピを見ながら作り始めるとどうも横道に反れてしまいたい衝動に駆られて」
好奇心も場面によりけり、ということか。
日焼けした体格の良い研究員が作った料理は、質素だが美味しかった。
リヒテルの伝統的田舎料理で、魚と根菜が豊富だ。

「それで、わざわざこのぼろ家に姫君がお越しということは、ただ老人の顔を拝みに来たわけでもないんだろう」
「クレアノールの獣(ビースト)は知ってるか」
デュラーンを走る、クレアノール山脈。
そこを荒らすという獣(ビースト)の話だ。

「無論」
「ではファラトネスの大森林から湧き出した奴らは」
「耳に入らないはずはなかろう」
ジーラスが杯を傾けた。

「霧は」
「聞いたさ」
手元のナプキンで口を拭い、鼻からため息を吐いた。

「デュラーンでの獣(ビースト)ですら、大森林の獣(ビースト)に比較すれば、まだましだ」
クレアノール山脈や凍牙の山で遭遇した獣(ビースト)は単体だった。
凶暴ではあるが、猛り狂ってはいなかった。

「獣(ビースト)がいったいどういった存在なのか、未だ分からない」
獣(ビースト)は獣(けもの)といったいどう違う。

「進化の過程がないのだ。種族同士の明確な繋がりも進化の痕跡も見当たらない」
明らかに獣とは一線を引いている。

「そして驚くべき高い知能を有している」
ここまでは、タリスも知っているな。
老人の目蓋が落ちた細い目が語っていた。

「森だ」
突然話題が転換した。
食事途中の皿の上で、乾いた両手を組み合わせた。
骨と血管が白く浮き出ている。

「洞窟の上部、クレアノールの森。ファラトネスの大森林。そしてオーグの森」
「確かに、その三点は繋がる。でも、それ以上は進まない」
「森に踏み入れたことはあるか」
「そう深くまでは」
森は暗く、飲み込まれそうなほど暗かった。
実際、深部に入れば入るほど磁石や計器が狂うと聞く。

「そっちはどうだ」
黒目がデュラーンの二人に向く。

「クレアノールの山には入ってはいけない。街ではそう言われていたらしい」
実際城からほとんど出ることがなかったラナーンでも知っている話だ。

「ここでもそうだ。オーグの森に帰り道はない。戻ってこられないのだ」
「つまり、ほとんど誰も知らないというわけだ。森の深くに何があるのか」
低いアレスの声が、寂れた屋敷に染み込んでいく。

「こうは考えたことはないか」
老人が組み合わせていた指を解き、目は全員を見据えた。

「獣(ビースト)は突然どこからともなく現れた。まるでどこか別の場所からふと迷い込んだかのように」
しばらく沈黙が続いた。




「馬鹿な」
一笑したのはタリスだった。
最初に沈黙を突き破った声だ。

「では、獣(ビースト)が空間や距離を歪めて、この広い世界のまだ見ぬどこかからやってきたというのか」
「無論、強引過ぎる仮説だがな」
転移。
転送。
空間の歪み。

「仮説というには余りに現実に目を反らしている」
「この世界の果てを見た人間はいない。見知らぬ場所、地図に描けぬ場所に獣(ビースト)ばかりの世界があってもおかしくはない」
「どうやって空間を曲げる?」
「我々は、その手にしている魔の力ですら明らかにできてないのだ」
未知なものは、未知な力で解決しようというのか。
それこそ強引と言わず何と言う。

「獣(ビースト)は森とともにあり。森の深部にこそ、獣(ビースト)の核が眠っている」
ジーラスは獣(ビースト)の魔力にでもとり憑かれたかのようだ。
だが、それもまた彼にとっては生涯を捧げるほどの幸福かもしれない。
人の幸福など、一つのカタチではないのだから。

「しかし森といっても無数にある」
シラミ潰しに探せといっても、いったいどれ程の時間が掛かるか知れない。



「ディグダ。帝国について知りたい」
ラナーンが突如声を高く叫んだ。











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