Silent History 48





スレイスは小さな町だ。
観光都市でも農産物の生産量で名が上がるわけではない。
ジルフェから南東に半島がある。
半島の中央には背骨のように、薄く山が連なっている。

山を背にし、木々に囲まれた穏やかな町中に不似合いな軍の車両が乗り入れた。
タリスとラナーンの二人だけを下ろすと、磨きぬかれて町の窓を映す車は町の外れに速度を落として流れていった。




いくつ町の角を曲がったか分からない。
迷路のような細く入り組んだ道をすり抜けてきた。
タリスと一緒でなければ、複雑な通路の真ん中で方角も見失い立ち尽くすしかない。

人が擦れ違うのが辛いほど狭い路地だった。
ほぼ一人用の実用的ではない通路にタリスは迷うことなく足を進めていく。
入るのさえ躊躇われる道とは言えないような道だった。

突き当たりに扉が見える。
ようやく目的地に到着というわけだ。
しかし、奇妙な場所だ。
屋上から屋上へ飛び移れそうなほど接近しあった建物とその狭間には石畳の道がある。
横並びには歩き難いので、タリスの背中を追いかけるしかない。
両腕を水平に広げたら指先が壁につく。
首を反らせたら縦筋の青空が見えた。
空は細い。
両側から押しつぶされそうに壁が迫っている。

一体、ここに何があるというのだろうか。
いろいろ想像してみたが、全く分からない。
ここに連れてこられて、ますます分からなくなった。

辿り着いた扉の前で、タリスが足を揃えた。
錆び付いた鉄製の輪の取っ手が古い木戸に埋め込まれている。
ノックを二回。
一拍あけて更に二回。
最後に一回、扉を叩いた。

「反応ない」
中で何かが動く気配はない。
留守なのだろうかと、ラナーンが扉の周りに首を巡らせた。
手入れをしていないのか、する気がないのか壁には蔦が這っている。

「本当に中にいるのか」
しばらく人が住んでいなかったと言われても納得できそうな荒れ具合だ。
蔦を指に絡めて軽く引いてみた。
蔦を頼りに壁を登っていくには心許ないが、かなりしっかりと石に食い込んでいる。

扉の閂が外れる音と共に、扉と壁との間にわずかな隙間ができた。

「タリスさま」
予想外だ。
扉の向こうから控えめに聞こえてきた声は、子どものものだ。

「カナ。叔父様はいらっしゃるか」
「ええ。先ほど起きたところです」
「出直さずに済んだというわけか」
栗色の髪をした少年が扉を引いて、タリスを家に招きいれた。

「あの、タリスさま。そちらの方は?」
遠慮がちに、ラナーンを見上げた。

「私の友人だ。ラナーンという」
「ご友人?」
「そう、小さなときから。始めまして、私はラナーン・グロスティア・ネルス」
最後まで言いかけて、慌てて口を噤んだ。
デュラーンの名は禁句だ。

「よろしく」
「ぼくはカナといいます」
少年の目がラナーンの顔を凝視している。

「珍しかったんだろう、カナ。ラナーンの髪が」
「じろじろと見てしまって、ごめんなさい。生まれて初めてだったもので」
恥じて視線を床に落とした。
濡れたような漆黒の髪はほとんど目にすることがない。

「見掛け倒しだよ。中身は平凡な一少年だ。ただ恐ろしいほど世間知らずだがな」
「何だよ、それ」
「何でもない。独り言、独り言」
「ずいぶん大きな独り言だな」
カナの後に付いて、居間に通された。

「きみは、ここで叔父さんと一緒に住んでるの?」
「見習いなんです。先生は叔父さんで」
扉を挟んだ向こう側からくぐもった声が、カナの名を呼んだ。
カナは首を捻って閉ざされた扉に向って答えた。

「末の姫君がご到着ですよ」






「始めまして。ノイテと申します」
「ラナーンです。タリスとは、幼馴染で」
まだ髪は黒く、三十始めといったところだ。
蔦屋敷で隠遁生活を送るにしては早過ぎるように思う。

「昼寝はもう十分なのか?」
「すっきりした。これで午後の仕事に集中できる」
現れた男は、茂った家に相応しい荒れた風貌の人間だと思っていた。
だが実際は呆気ないほど、髭もなくさっぱりとして麻織のシャツ一枚が似合う男だった。

「彼は、私の助手なんだ。とても優秀ですよ」
カナの肩に手を乗せた。
まだ育ちきっていない薄い肩だ。

「助手って?」
赤髪のノイテが目を細める。
手招きするように右手を上げた。

「こちらです」








通された薄暗い部屋に、炎の灯りが灯る。
壁にかかった炎の灯りは石壁を温かく照らした。

古典的だ。
妖しく揺らめく壁の影を見ながらラナーンは思った。
影が不気味な形をとる。

影が恐ろしい。
見えないものが恐ろしい。

「見えないから、か」
だから恐ろしい。

「分からないから。理解できないから。だから、怖い」
寒さを感じた。
ラナーンは両腕を抱え込んだ。

「どうかしたか? ラナーン」
「ぼくもそうでした。始めのうちは、この地下倉庫に入るのが怖くてしかたがなかった」
「でもラナーンはカナより四つは年上だぞ」
「怖いものはいくつになっても怖いんですよ。あそこの隅の方、今でも近づきたくないです」
「私だって嫌だぞ。あんな暗い陰から出てくるんだ。黒くてぬらぬらしてわさわさ動くアレが」
揺らぐ炎がタリスの引きつった顔を影を濃くして撫でる。
タリスの顔の方が恐ろしい。
二人のやり取りを眺めながら、ラナーンは見られないよう手の下で苦笑した。
タリスと一緒なら、怖いもの無しだ。
アレスも手を焼き、レンのお墨付きの完全無敵の姫君だからだ。



部屋の壁に等間隔に並んでいる灯りに火を入れて歩いていたノイテが、一回りして戻ってきた。

「楽しそうだな」

声に気付き、ラナーンが部屋全体を見渡した。








「驚いたかい」

ラナーンは頷くことしかできなかった。
圧倒される部屋の全貌に、呼吸すら忘れそうになった。

「まあ、気持ちのいい眺めではないだろうね」
ノイテが自分の後頭部を手のひらで叩いた。


何十。
いや、何百あるだろう。

子どもが見たらトラウマになりそうな部屋だ。
カナは、今よりもっと幼いときにこの部屋に入ったという。
今でも平気な顔でここにいられることに驚く。

慣れましたと笑ってはいるが、相当肝が据わっているのだろう。
只者ではない。

「収納スペースに限りがあるって、それはいいわけかな」
「整理するのが苦手なだけでしょう? おじさんは」
図星を突かれ、ノイテは苦笑で流す。

「もうこれだけ詰め込めば整理どころの話じゃないな」
引越しだ。
タリスが両手を広げた。

「これ、全部」
「剣だよ。私が造った」

剣が壁を埋め尽くして掛けられている。
上に向いた鉤が二本壁に埋め込まれ、鉤が下から剣の鍔を支えている。
刀身を下に向け、磔にされた無数の剣は鳥肌が立つ光景だった。

剣に生命が宿っているわけではない。
だが、不気味で寒気がした。



冷たくなったラナーンの手をタリスが取った。

「寒いか」
「タリスは」
「ああ、ぞくぞくする」
「生きてる訳じゃないけど、しますよね。タリスさまと一緒。ぼくもぞわぞわする」
ラナーンのもう一つの手をカナが優しく握り締めた。

「人が造ったからだ」
ただ、刃を打ち細工を施したのではない。

「ここにあるものすべてに、ノイテの意思が刻み込まれている。作品とはそういうものだ」
「たましいの欠片です。だから一つとして同じものはできない」
カナがラナーンを穏やかな丸い瞳で見上げた。


「ノイテ、私の剣はどこだ」
彼は実に屈託なく笑う。
カナと二十程違うというのに、カナの方が大人に思える瞬間すらある。
剣を造るのが楽しくて仕方がないのだろう。
そして、自分が思いを掛けて造った剣を愛している。



部屋の角までノイテが進み、手にしていた細い松明を微かに持ち上げた。
上から下へ。
炎に照らされて剣が露になる。

刺突剣ほどに刀身が細くないが、軽量化されている。
ノイテが松明をカナに手渡し、両手で丁寧に鉤から外してタリスに手渡した。

「どうかな」
カナが近づけた松明の前で、剣の刃先から柄頭まで舐めるように観察していた。
細かな彫り、刃の流れも顔を寄せて調べた。
柄を右手に握りこみ、下段、中段、上段と構え、部屋の中央で何度か振ってみた。
一通り確かめ終わり、剣を縦に構えて黙り込んでいる。

「うん。気に入った」
鋭い目で剣を眺め、薄く笑う。












踊るような軽い足取りで大通りを歩いていく。
バネのように伸びやかに足を運ぶ。

町を散歩して帰ろうと口にしたのはタリスだった。
青い空と通りに面した家々の白い壁の間、本当に心地良さそうに歩く。
小さい町だ。
でも温かさに満ちている。
子どもの笑い声に満ちている。

「そういえば、小さい頃友だちと遊んだことってなかった」
「友だち少ないもんな、ラナーンは」
「タリスとアレスと、それから」
それから。

ずっと城の中だった。
世界の端は城の壁。

「それでも寂しいと思わないくらい、幸せだったんだ」
「今は?」
「今も、きっと幸せなんだ。だって誰かが側にいてくれるから、一人じゃないから」
「でも、焦ってる。今のままではいけないと思っている」
「もう守ってもらうだけではだめなんだ。おれがいることで、誰かが傷つくなんて嫌だから」
タリスがラナーンの腕を引く。
タリスの腰からは鞘に納まったノイテの剣が揺れる。

タリスは戦うつもりなんだ。
獣(ビースト)と?

土手を駆け上がり、低い頂上から滑るように下りて小川の縁までラナーンの手を離さなかった。

「ああ、思いっきり水飛沫を飛ばしたら気分がいいだろうな」
「レンに怒られるぞ。風邪を引いてしまいますタリス様、もっと自覚を持ってください、ってね」
「別に怒られても恐くない」
爪先で水面を削った。

小さな子たちが水を跳ね上げて遊んでいる。
タリスも羨ましいのだろう。
今でこそ、まるで特権だといわんばかりに各地を飛び回っている姫君だが、幼い頃は姉と母親に従うしかなかった。
姉に連れられて遠出した記憶もほとんどない。
父が早くに亡くなり、母が王座についてしまってタリスの相手をするのは姉とたまに遊びに来るラナーンだけだった。
境遇は互いに似ている。

「どうしてだろうな。なのにこんなにタリスと違うなんて」
「変わらなければならないものなのか? 変わるってそもそも何だ」
対岸まで簡単に声が届く小川に沿って、タリスは草を踏み下っていく。
水面まで大した高さはないものの、足を滑らせてバランスを崩せば擦り傷は負う。
ラナーンは微妙なバランスを保って歩くタリスの隣に駆け寄った。

「どうして変わろうとする必要がある? 変わろう、変わりたい。そればっかりが先行して、何も見えていないじゃないか」
水を掛け合っている子ども。
裸足で水の中を探っている子ども。
魚の影を追いかける子ども。
捕まえた水生昆虫を得意気に友だちに持っていく子ども。
みんな、友人や故郷や家族といった大切なものを抱えている。

「最初にすべきことを忘れてるだろう?」
タリスは膝を曲げ、背を屈めて靴の踵に指を入れた。
靴から片方ずつ足を抜き取ると、両靴を左の指に下げ、草の上を素足で歩き出す。

「すべきこと」
変わりたいと思う前にしなければならないこと。



突然、タリスが足元の草を蹴った。
幅跳びをするように弓なりに沿った体は宙を舞い、激しい飛沫を巻き上げて小川の中に着地した。

風が吹く。
タリスから熱いほどの気迫が立ち上る。
乱れる長い髪が風に泳ぐのもそのままに、タリスは焼き殺すほど強い目でラナーンを見据えた。


「どうありたいか、お前にはそれが欠落している」

視線も、言葉も痛かった。

どうありたいか。
自分がどんな自分になりたいのか。
変わった先に、どんな自分を見ているのか。

「言葉だけってことか」
中身のこもっていない、空っぽの言葉だけ。
変わりたい、変わらなければならないといい続けても、その先のなりたい自分がはっきりと見えていなければ、虚しいだけ。
タリスはそれを見抜いていた。
タリスだけではない、レン。
それに、もしかしたら。

「アレスも」
アレスも呆れているのかもしれない。

「あいつはあいつで問題だがな」
タリスが髪を掻き揚げた。
指に太陽の糸のように絡みつく。

「ラナーン。もう一つ、いや二つ。私のわがままを聞いてもらう」
否と言わせない不敵な笑いがタリスの赤い唇に浮かんだ。











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