Silent History 44





手合わせ、という気迫ではない。
殺気で空気が張り詰めている。

足はすくみ、動けなかった。
抜けていく風ですら硬質なものに思えてくる。
騒ぐ草木の音が届かないほどに、大気の流れが止まっているように感じる。

覇気漲るアレスの横顔から目が反らせないでいた。
ずっと側にいて、一緒に育ってきたというのに、今の表情はラナーンも知らない。
喉が硬直し呻き声すら出させない空気を、アレスは纏っている。
そのアレスに真っ向から挑むタリスもまた、冷ややかな殺気に満ちていた。



訓練を中断された兵の指導官は、ラナーンの肩口に顔を寄せた。

「大丈夫。我々の訓練用の剣です。刃引きしております」
とはいえ、真剣の刃を潰しただけの剣だ。
力一杯振り落とせば骨は砕けるだろう。

アレスとタリス。
今目の前にいる二人は互いに、手加減する気配は皆無だ。







動いた。
ラナーンの腕に鳥肌が沸き立つ。


タリスが踏み込む。
先手必勝とばかりに、俊敏さで以ってアレスに斬りかかった。
アレスが半歩足を後ろへ引いて、正面で剣を受ける。
以前手合わせをしたときよりも、技量が上がっている。
判断力の速さに反応できるだけの身体能力が、今の彼女にはあった。
筋力が技能についてこられるようになったのだ。

一手を打ち出したときにはすでに、二手、三手と先を見ている。
剣はアレスを容赦なく斬りつける。
一回りも二回りも体格のいいアレスと対等に剣を合わせている。
力ではない。
純粋に頭脳と研ぎ澄まされた剣技で臨んでいる。

彼女が一点の曇りもない、解き放たれた月光のように。
痛いほどに洗練された、光のように。
迷いの無い剣がアレスの隙を狙っている。

俊敏な動きで技を繰り出すタリスと、無駄がなく切れのある技を仕掛けるアレスが剣を競り合わせる。
火花すら飛びそうなほど激しいぶつかり合いに、奥歯を噛み締めた、両者の歯軋りが聞こえてきそうだ。



「その剣で獣(ビースト)は斬れない。まして、人間など」
アレスが片腕でタリスの剣を振り払う。
転倒する寸前、タリスが左足で体を支え、踏みとどまる。
彫刻のように滑らかで形の整った長い足は、この時とばかりに筋肉をフル稼働させる。
上から振り下ろさされるアレスの剣を持ち上げるように受け止め、右に流す。
速い。
あっという間にアレスの懐に飛び込んだ。
金の髪から覗く目は、静かな蒼の炎が燃える。
このような剣術、一体誰が彼女の身に叩き込んだ。

鮮烈で、美しい太刀筋だった。
だが剣は、獣(ビースト)の血を知らない。
ラナーンが始めて獣(ビースト)に遭遇し剣を向けたときと同じく、タリスもまた足がすくむだろう。
死を与えて、自らの生を得る。
他者の生を奪う度に、重みを背負うことになる。

アレスはラナーンに始めて出会い、側にいて守り続けようと誓ったときから、その重みに耐える覚悟を決めていた。
自分が死ねば、ラナーンを守れない。
主を悲しませることになる。

生きるために戦う。
ラナーンのために。
そのための、覚悟だ。

たとえどれ程の命を奪おうとも。
たとえどれ程の血を浴びようとも。
それが血塗られた道であったとしても。
アレスの決意は変わらない。
たった一つの、大切なもののために。



その重みを、タリスが同じように背負えるとでも言うのか。
それだけの覚悟を、少女ができるとでも言うのか。
嘲笑に値する。

技量が優れているのは認めよう。
腕が上がったのも、認めていい。
だが、それを支える精神をアレスは問う。



デュラーンの近衛を勤めてきたアレスだ。
実力はかの国でも数本の指に入る。
剣技は王族随一の剣の才を誇るタリスと互角。
もしくはそれ以上。

タリスの剣を押さえ込み、アレスは疾風が如く怒涛の連続撃を浴びせる。

タリスの足捌きは舞姫のように軽やかで、疲れを知らない。
そのタリスに、アレスの剣が食いついていく。
動きを見切り、空気の流れを読み、的確にタリスを捉える。
タリスほどの速度はなかったが、鍛え上げられ均整の取れた体躯が、剣を巧みに操る。
はためく裾が、タリスの残像を作る。
アレスが繰り出す剣を巧みに回避しつつ、攻撃を仕掛ける。
静と動が入れ替わり、優勢と劣勢がカードの裏表のように目まぐるしく回転する。



「一つの決意が、人を変える」
低く呟く、タリスの声。

決意。
アレスだってそうだ。
幼い頃の決意のまま、今もここに生きている。

「斬れるさ。今の私ならば」
間合いを取っては、再び詰める。
空気を振るわせる、剣の重み。
彼らの気迫の重みでもある。

アレスの剣先が耳飾を掠る。
突かれた金具が壊れ、宝玉が耳から吹き飛んだ。

タリスは体を捻り、鮮やかに回転撃をアレスの胴目掛けて叩き込む。
どこまでがアレスは視界だというのだろう。

胴に視線を落とすことなくタリスの剣を自らの剣で受け止める。
金属音が高らかに鳴り、剣を弾くとすぐさま反撃に出た。
タリスと同様、彼は年々腕を上げていっている。

タリスの腕が痺れてくる。
剣術の鍛錬は、手の皮が厚くなるほど日々欠かさない。
長時間の試合にも耐えうるだけの体力もつけたつもりだった。
だが、アレスの勢いに押され、上がり始める息を抑えられない。

腹に空気と意気を込め、左から右へと剣を薙ぎ払った。
唸る剣。
剣先はアレスの顔横を通過する。
アレスの頬が引きつる。

同時に、タリスも体に違和感を感じた。




静止する両者。
剣は持ち上げられたまま、空気の流れが止まる。


刃引きされたタリスの剣は、アレスの顔の皮を裂いた。
剣先に、アレスの血が付着する。
これが真剣だったならば。
剣が振り切られていたのならば、アレスの首は下に転がっていたかもしれない。



「そこまで!」
ファラトネス軍の指導官は、大きな声で終わりを告げた。
声を出すことすら忘れそうになる程、見入ってしまっていた。

剣の柄が静かに水平まで持ち上げられる。
示すその先は勝者。
彼の判定は、アレスを指していた。




勝敗が決し、剣先は地面に下がったものの、両者の睨みあいは続く。
敗北を知っても平静のまま、タリスは開いていたアレスとの距離を詰める。
アレスは後退しない。
勝利を得たからといって、彼自身何も変わらない。
彼の目的は戦いでも、それに勝利することでもない。


タリスが傷を負ったアレスの頬に顔を寄せる。
真っ赤な口が、アレスの耳元でゆっくりと開いた。

「おまえにはラナーンを守れない」
僅かに流血したアレスの傷口を、タリスが舌先で舐め取る。
静かな宣告。
耳打ちをした陰に隠れ、他からは知られない。


タリスはそのまま、アレスの横を通り過ぎ、試合場外に控えていた兵士の一人に、借りた剣を押し付けた。
彼女の後ろで、アレスが頬の傷口を手の甲で乱暴に拭った。




ラナーンは、彼らの様子を場外で眺めていることしかできなかった。
足下には同じく獣(ビースト)のイーヴァーが透き通った眼で、一部始終を見届けている。
ラナーンが声をかけ、近寄る前にタリスの背中は試合場から遠のいていた。

試合場に一人残されたアレスは、手の甲に目を落とす。
鮮血が滲んでいた。

いつもと様子が違い、圧し掛かるような空気を放つアレスへ、ラナーンは恐る恐る近づいていった。
足は重く、向かい風に向って歩いている気分だった。


「アレス」
上手く紡げない言葉を、何とか喉から搾り出す。

「おれたちも、戻ろう」
「ラナーン」
恐ろしかったアレスの目が、ラナーンに落とされる。
見上げたアレスの顔には先ほどのような緊迫感は取り払われている。
頬に走る紅い一線が痛々しい。

伸ばそうとするラナーンの指先を左手で握りこみ、留まらせた。
髪と同じ、茶色の透き通った目が真っ直ぐにラナーンを見下ろす。



「俺たちはここに長く居過ぎたのかもしれない」
ファラトネスを出よう。
いつか来るその時が、今は近くに感じる。

故郷、それに連なるものたちとの本当の別れ。
タリスとの別れ。
それが、近い。

「そう、だな」
いつまでもここにはいられない。
分かっていたことだ。
しかし、いざ言葉にしてみると思った以上に心に響いた。






草原を真っ直ぐに歩くタリスに、レンが向こうから早足でやって来た。

「お戻りにならないので、迎えに参りました」
この広い城内と庭をよく探したものだ。
タイミングの良さもあって、タリスが苦笑する。

執務がひと段落し、椅子から立ち上がって窓に近づいた。
中庭を回りこんだ回廊を行く見慣れた姿が目に留まった。
背筋は正しく、着痩せする体躯。
透き通った茶色の髪。
デュラーンから招き入れた客人の片割れが歩いている。
主の行くところ、砂漠だろうが、劫火に焼かれた大地だろうが付いて行くといった、従順な従者が、たった一人だ。

都合がいい。
いずれその力量を試してやろうと思っていたところだった。
尾行し、隙を狙って攻撃を仕掛け、手合わせを吹っ掛けた。


ずいぶんと時間が経ってしまったようだ。
何も言わず、いつものように周囲を散歩するつもりで外に出た。
レンも、いつものタリスの行動に特に行き先を問わなかった。

時間になっても戻らない主を探し回って、ようやく今見つけた。
レンに心配掛けたことを、タリスは素直に謝った。
レンは静かに首を振るだけだ。
これも、いつものこと。

「ずいぶん城から遠いところで、アレスと手合わせをしていたのですね」
「ああ」
「しかし、無茶はなさらない方がいい」
レンが横に並ぶタリスを自分へと引き寄せた。
手を、タリスの肩から手首へと撫で下ろす。

タリスの体が苦痛に力を失い膝が崩れる。
すかさずレンがタリスの体を掬い上げた。

「骨はやられていないようだが」
言葉を止めたレンの眉間には深い皺が寄る。

勝敗を決する最後の一撃。
首筋を狙ったタリスの剣は、アレスにかわされた。

一方アレスの剣は、タリスの左腕を捕らえていた。
しかも、アレスは剣がタリスに触れる直前で手を捻った。
剣の峰で腕を叩いたのだ。

しかし、左上腕だと。
タリスは唇を噛み締めた。

「本気であいつが私を倒す気でいたのならば、この腕ごと胴を叩き潰されていただろう」
しかも利き手とは逆の腕を狙って打撲を負わせた。

「気に入らない」
こちらは本気で戦った。
なのに。

「それがアレスのやり方なのです。タリス様を侮っていたわけではありません」
「分かっている。それくらい。一応、友人なのだ。あれでもな」
ただ、悔しいではないか。
ため息を一つ落とし、気持ちを切り替える。

「動くべき時なのかもしれないな。私も、お前も」
タリスの言葉に、レンは目を伏せるだけだった。

「仕事に戻りましょう。急がねばならなくなったのでしょう」
タリスの一番の理解者だ。
承服できなくとも、タリスの決意を止められないことも分かっている。

「いろいろ、すまないと思っている」
レンは黙ってタリスの背を押し、館内へと促した。











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