Silent History 38





ラモアで用意された一室にラナーンとアレス、アリューシア・ルーファが案内された。
タリスの姿は、室内には見当たらなかった。

薄い毛布を持ってきてくれた女性に居場所を尋ねると、別室で従者の男性と一緒にいるという。
彼女が飼っている白い獣を抱えたまま、壁際の床に座ったまま動こうとしないのだ。

ラモアに到着するまでの道、鎧に身を固めたファラトネス兵の側を通り過ぎた。
街に伸びるすべての街道にファラトネス兵が待機していた。
しばらくしたら、ファラトネスからの増援部隊も揃ってラモアの警備につくだろう。



少女が危ない手つきで、飲み物を運んできた。
カップを傾け、ゆっくりと口に含む。
温かい。
固まった口が、ほぐれていく。

「どうして、あんなものが」
どれをとってもこれまでに例にないものばかりで、戸惑う。

「アリューシアはいつ、気付いたんだ」
嫌な感じがして、アリューシアはラモアの東に行った。
ラモアの東、大森林の西。
街と森との間で、人と獣(ビースト)が火花を散らした。

「ラモアの部隊が到着する一時間前くらいかしら」
いままで感じた獣(ビースト)の気配に似ていた。
しかし、それよりも更に不快だった。

「動悸が激しくなって、手の震えがとまらなくなった」
アリューシアは手の中のカップを両手で握り締めた。

「いつもは、胸がざわつく程度でこんなのは初めてだった」
「怖かった?」
「そう、そうね」
恐怖。
打ち寄せてくる、殺意と敵意。


「行かなきゃって思って」
じっとしていても動悸は治まらない。
動いていなければ、固まって足が竦んでしまいそうで。

「何かそのままでいられなくって」
アリューシアはカップを机の端に置いた。

「何としてでも私を苦しめる原因を、この目で見てやろうと思った」
「ラモアに行って、何かわかった?」
「どう言ったらいいのかな」
アリューシアが立ち上がって、毛布を引きずりながら歩き回る。
頭の中の雲のようなイメージを形にしようと探っている。

「風、みたいな感じかな」
髪を巻き上げたり、服を揺らしたりはしないけれど。

「嫌な空気の流れみたいなのを追っていって」




ラモアには、緊張感はなかった。
当然だ。
誰も森の際に沿って獣(ビースト)の群がラモアの街に向っていると知らない。

空気の流れはラモアの方角から来ていた。
村にいたときはそう感じていた。
ここから近い。
獣(ビースト)は近くにいる。

でも、今までとは違う。
圧迫感が、何倍にも増している。

ラモアの街を一回りして、街の外れに来た。
崩された建物の残骸が放置されていた。
誰かに見つかったら引きずられるようにして止められるだろうが、ここにはアリューシア一人だけ。
段が辛うじて残っている、脆くなった階段を飛び上がりつつ壁の抜け落ちた三階に上った。
いつ足元が落ちてもおかしくない石造りの建物だったが、見渡す限りではこの位置が一番地面からの距離が遠い。

目の前には道が伸び、壁があり、更に奥には背の短い草と真っ直ぐな道が続いていた。
遠過ぎて、朧げに見える黒い帯が大森林だ。
地平線を真っ黒に引いている。


今まで何度かこの場所に来た。
軽い胸騒ぎがして、親の目に触れないように街を抜け出した。
大森林に一番近いラモアにやってきて、森が見える場所を探した。

変わらない光景だ。
ラモア部隊が交代で監視している物見小屋が点々と立っているが、今は静かなものだった。

これまでは、心音が響きだすと獣(ビースト)がラモアの部隊と接近していることが多かった。
部隊が魔石(ラピス)を取り出すと、獣(ビースト)は森へ走る、鼓動は何事も無かったかのように引いていく。
獣(ビースト)避けのお守りのようなものだ。
部隊が負傷する場合もあったがほとんど、死に至る重傷を負う前に魔石(ラピス)が発動し効力を発揮していた。
アリューシアはここで、魔石(ラピス)の光を何度も目にした。


しかし、今回は事情が違う。
その獣(ビースト)の姿がまるで見えない。




「分からないことだらけだけど、一つだけ」
アリューシアは歩き回っていた足を止めた。
目は壁を見つめている。

「姿が見えないくらい遠くにいても感じられるほど、強い力を持っていたのよ。あれは」
ラナーンには不思議なことがあった。
獣(ビースト)の気配で体調に変化が見られる、タリスの友人だ。
しかし、そのアリューシアは触れそうなほどイーヴァーに近づいていても、目立った反応は示さなかった。


イーヴァーも獣(ビースト)だ。

「ええ、そう。タリスに会いに行ったとき、イーヴァーには何度か会っているのよ」
それでも、気分が悪くなったりしたことは一度としてない。

「思うに、強烈な敵意とか、殺意とか、悪意。そういったものなんだと思うわ」
そうした、強い力。


「曖昧だな」
「私だってよく分かってないもの。ただ、同じ獣(ビースト)でもイーヴァーは違うってことだけ」
毛布を体に巻きつけたまま、長椅子に飛び込むように座った。


「悪意、ね」
それまで一言として口を開かなかったアレスが、顔を上げた。

「何に対してだと思う」
アレスの目はラナーンの向こう側に座るアリューシアに向けられた。

「私がわざわざ言わなくても、あなたには分かってるでしょう?」
「憎んでると思うか。俺たち、人間を」
喰うでなく、人を襲う理由。

「私、獣(ビースト)じゃないから分からないわ。そうかもしれない、としか言えない」
確かなことなど、現段階では何もない。

「それを調べるために来たんでしょう? 王子さま」
アリューシアがラナーンの驚いた顔を覗き込む。
耳から提がる、ランプを模した耳飾が揺れる。

「ラナーン・グロスティア・ネルス・デュラーン。あなたの名前でしょう?」
アレスの腰で、刀が鳴る音がする。

「忠実な僕をお持ちのようね」
アリューシアの目がアレスを軽く牽制する。

「喧嘩するつもりはないわ。あなたたちの正体が分かったところで、どうするつもりもないもの」
「デュラーンに」
沈んだ口調で呟いたラナーンに、アリューシアは温かい目で微笑む。

「言うつもりもないわ」
「どうして、分かったんだ」
「獣(ビースト)、よ」
繋いだのは、獣(ビースト)。


「私、こういう体質でしょう? 獣(ビースト)の情報は嫌でも敏感になるわ」
ファラトネス国内はもちろん、隣国デュラーンの事情にも詳しくなる。
凍牙(トウガ)の山。
クレアノールの山脈。
デュラーンの歴史。
過去と現在。


「ラナーン。表に姿を見せなくても、名前は何度も耳にした。加えて、タリスのお友だち」
「でも、おれたちはもうデュラーンとは」
「どんな事情があってデュラーンを出てきたのかは知らないけど、あなたたちがしようとしていることには興味がある」
アリューシアは鋭く光る目を、ラナーンから離さない。

「あなたたち、デュラーンで獣(ビースト)を見たわね」
「なぜ、そう思う?」
「あなたたちの獣(ビースト)に対する執着と、私の直感」
ラナーンが無意識に答えを求めて、アレスへ視線を滑らせた。
それは、肯定を意味する。

満足そうに目を閉じると、アリューシアは顔を離した。

「クレアノールと凍牙、どちらでもだ」
ラナーンの代わりにアレスが口を開いた。

アレスが一通り話し終えるまで、アリューシアは腕を組んで壁に背中を預けていた。

「デュラーン、ファラトネス。どちらも状況は似たようなものね。なぜ獣(ビースト)が急に増加したり、凶暴化したりしたのか」
「原因を突き止めて、早く対処しないと」
時間が無い。
アリューシアとぶつかった視線が言っていた。

「きみはさっき、みかみって言ってた」
アリューシアが二度、瞬きを繰り返した。

「あの、高台で。大森林を見下ろしながら」
「ああ、そうだったわ。霧が、出ていたから」
思い出すように、途切れ途切れにアリューシアが話し出す。

「みかみって、何」
ラナーンの質問に、顔を僅かに傾けながら聞き返した。

「知らない?」
「うん」
「聞いたこともない?」
「たぶん」
「水神(みかみ)。水の神さまのことよ」
「あ」
「思い出した?」
「デュラーンの城の地下に祀ってある」
「それよ」
デュラーンの地下に、神司たちに護られるようにして姿無き水神はいた。
実体は無く、偶像も無い。
鏡と水だけの小さな地下神殿だ。

「霧は水の粒だってことは分かるけど、どうして水神が出てくるんだ」
「あれほど立ち込めていた忌まわしい空気が、霧が湧き上がって森を包み込んでいくに連れて、驚くほど薄れていった」
まるで、霧が邪気をはらっていったかのように、アリューシアには思えた。

「最初はね、ただ獣(ビースト)が私たちの側を離れたから、気配も薄れていったと思ったわ」
しかしそれは違う気がする。
アリューシアはその時は、違う理由について説明を求められても言葉にできなかったと思う。
それが、今なら形に表すことができる。

離れただけだったとしたら、ラモアの部隊が到着する一時間以上も前から前兆のように感じた気配はどう説明する。
時間をかけて、アリューシアを苦しめた嫌な空気は、いったい何だったのだろう。

「霧に呑まれていくにつれ、急激に消えていったと?」
何らかの、第三の力が加わったかのように。

「負の空気を中和していった」
普通の霧ではないことはよく分かった。
霧は、今もなお森の中心部から湧きあがり、徐々に外側に向って広がっている。
だがそれが何によるものか、何が原因で、いつ収まるのかは分からない。

「まるで神の業」
大きな手が、森の深部に蠢く獣(ビースト)を鎮めるかのように。
アリューシアの目には、デュラーンが祀る神と重なって見えた。

「確かに、単なる自然現象だと言い切るにしては、発生条件が異例だ」
異質な霧。
点と点が結びつかない今、言えるのはそれだけだ。
霧の効能に、獣(ビースト)の沈静化が含まれるかどうか、アレスには議論するつもりはない。
今ここで、素人が効能のあるなしについて白熱させるより、いずれ調査に向う専門家に任せた方がより早く確実な答えが得られる。
近いうちにファラトネスは、水滴の採取を行い分析に当たらせるだろう。

「憶測だけで突っ走ると、とんでもない場所に頭をぶつけてしまいかねないわね」
部屋の角に頭を寄せて、毛布を顔まで寄せた。

「少し、眠るわ。もしまだ動けそうなら、タリスの様子を見てあげてくれないかしら」
「わかった」
ラナーンが頷くのを確認してから、目を閉じた。




タリスの部屋へ行く途中、ファラトネスとラモアの人間が交じり合った談話室の中に、レンの姿を見つけた。
レンはタリスと一緒に部屋の中にいるのだろうと、ラナーンは思っていた。
立ち止まったラナーンとアレスを認めてレンが立ち上がり、一人こちらに向かって来る。

「何か新しい動きは」
アレスが切り出した。

「獣(ビースト)については、巡警しているが発見されていない」
「その他は」
「突如発生した霧だが、森を覆蓋していっている」
「その霧について、分かったことはないのか」
「今は、何とも。先ほどファラトネスから各方面の研究者を送ったと連絡があった」
「これから、か」
「調査にどれだけかかるのか。分析の結果までどれ程の時間を費やすのか、今はまったく不明だ」
「獣(ビースト)と霧との関連性については、どう思う」
「ファラトネス、ラモア両部隊の意見を見てみると、意見は分かれている」
レンが言うには、主に三つに分かれるという。



霧の発生は時が重なった偶然という説。
そこには獣(ビースト)と霧との関連性は持たせない。

魔石(ラピス)をも打破した獣(ビースト)が、霧をも招き寄せたという説。

そして、霧が獣(ビースト)を封じ込めてしまったという説。



「最後の意見だが、極少数派に留まっている。その彼らに共通するのが、獣(ビースト)の気配に敏感だという点だ。つまり」
「アリューシアのように」
「最も、彼女のように感度が高いわけではないが」
アリューシアの特異体質を、レンはある程度評価していた。

「私は、獣(ビースト)と霧の関係には慎重であるべきだと思う」
関連性を完全否定するわけではない。
ただ、アリューシアも言ったように、憶測だけで暴走はしたくなかった。

事実は事実として受け止める。
後は、国に委ねる。

「レンの姫君は」
「一人になりたいのだと言っていた。廊下の先、一番奥の部屋に」
「そうか」
アレスが隣にいたラナーンの背を叩く。
行け、と。
ラナーンは目で頷くと、一人で廊下を進んでいった。











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