Silent History 37





イーヴァーの体から、信じられないほどの声量と威圧感が迸って程なく。
呪縛が解けたように、動き始めた獣(ビースト)の群は一様に、森へと鼻先を向けた。
痛めつけられたファラトネス兵から安堵のため息を奪い取ってしまうほど、イーヴァーの圧力は戦場の隅々まで染み渡った。




「タリス」
青白い顔で呆然と立ち尽くすタリスに、ラナーンが駆け寄った。

「大丈夫だ」
口調ははっきりしている。
歩き出した、その足も絡むことはない。

「タリス様」
叱咤の声ではない。
囁くような、穏やかな声だった。
レンだ。
砂を踏みしめタリスに寄り添うと、着ていた上着でタリスを包み込む。

「レン。この現状は」
それ以上声を漏らさぬよう、唇を堅く閉ざす。
目を反らさぬよう、見開かれた瞳。
湧き上がる涙を奥歯でかみ殺した。

痛々しかった。
そこにいた誰もが、タリスと同じ無力さを抱えていた。

何もできなかった。
死力を尽くして戦った彼らも、この度の獣(ビースト)には歯が立たなかった。
イーヴァーがいなければ、今彼らはここにはいない。

人間の力は何と小さなものか。
痛感していた。



「もう何も、仰らないで下さい」
だからレンは伏せていた。
獣(ビースト)と人が接触するとは、このような事態を招く。
少なからず犠牲が出る。
特に今、この状況は中でも最悪だ。

「なぜ、彼らは私たちを憎む? なぜ、殺す?」
喰らうわけでもない。
そこにいるから、殺すのか。

「なぜ」
「私には答えられません」
恐らく誰も答えられない。
彼らの望む先、見ているもの。
どこに行くのか。
どこから来たのか。
何のために。
分からないことばかりだ。

「いったいどうすればいい。私に、何ができると」
「それも、私ではお答えを差し上げられません」
「人が死んでいく」
負傷者の移送が始まった。
運ばれてきたファラトネス兵に、救護班が群がる。
赤い池の中に、分断された体が浮かんでいる。
ぴくりとも動かない者たち。
守ろうとして、意志半ばで命尽きた者たち。

「見届けると、あなたは仰った」
城で兵の編成をしているとき、駆け込んできたタリスは強引にラモアへの部隊に混じった。
獣(ビースト)を見届けるために。

「これが、その現実です」
満足しましたか。
そこまでレンは言わなかった。
だが、これこそタリスの目に触れさせたくなかった光景だった。

これが、獣(ビースト)だ。
イーヴァーと同じものたちの姿だ。




「デュラーンに協力を要請しましょう」
自国の領土と民を守ってこその政であり、軍であり、技術である。
だがもはや、ファラトネスだけでは獣(ビースト)に対抗できない。

デュラーンは魔石(ラピス)を含む、魔術の研究施設を抱えている。
獣(ビースト)に対抗し得る力が、そこにはある。

「大丈夫です。手段が失われたわけではない」
希望はある。
動揺に立っていることすら辛いタリスの肩を包んだ。

「ファラトネスは、手に抱く国民を守ることもできないのか」
手の下の細い肩が、小刻みに振れている。
怒りと悲しみと絶望が交じり合い、渦巻いている。
何よりも、自分の力の無さを嘆く。



二人の後ろで、乾いた草を踏みしめる音がした。
一足遅れて、アリューシアが山を下って来た。
レンとタリスの向こう側に広がる悲惨な光景に息を詰まらせる。

血の匂いに耐えられず、手で口と鼻を覆った。
嗚咽をかみ締め、目に凄惨な光景を焼き付けた。
人間の脆弱さが、網膜に染み付く。

先ほどまで動いていた人間が、いまや呼吸を失い、二度と動くことの無いものへと変わっている。



「アリューシア、街へ」
「既に案内してるわ。街にも迎えの連絡済」
レンの静かな声と緊張に、アリューシアも視線を落とした。
今、彼女にできることはした。
街は負傷兵を受け入れる準備に追われている。

「体調が優れないのだろう。自分の村へ帰ったほうがいい」
ラモアへ連絡を付けてくれただけで、十分な功績だ。
体調不良を押してまでラモアへの同行を望めない。

「獣(ビースト)も」
そこでレンが言葉を切った。
腕の中でタリスが息を飲むのを聞き取ったからだ。
隠しても、隠し切れない。

「このあたりも安全とは言えない」
噛み締めるような低い声で、呟いた。

森林周辺はこれまでにない厳戒態勢をとっている。
ファラトネス兵を薙ぎ払うように襲い掛かった獣(ビースト)たちは森に消えたが、いつまた現れるか知れない。

「ラモアに行くわ。タリスを、このまま引きずるようにして城に連れ帰るつもり?」
レンの腕を、タリスがすり抜けた。
地に付いていないような足取りで、血臭漂う戦場の土を踏む。

白の衣服が風を受け、なびく。
細いタリスの輪郭が服を抜ける。
血塗れた地面に、白が痛いほどに浮かび上がる。
タリスは、戦場の中ほどにまで到達し脚を止めた。

「イーヴァー」
手を伸ばし、手繰り寄せるように指先でイーヴァーを求める。
目の先に佇むイーヴァーが首を返した。
ゆっくりと、確かめるようにタリスに近づいてくる。

イーヴァーと同じ獣(ビースト)が、ファラトネス兵を散らしていった。
あれも、イーヴァーも同じもの。
しかし。

「私たちは、お前に救われた」
跪き、腕にイーヴァーを抱いた。

「お前が私たちをの命を生かしてくれたんだ」
呻く負傷者たち。
地面に這い蹲り、命の灯火が消えようとする者たち。
そして、屍。
それでも、死を免れた者がいる。

頬を寄せる。
柔らかな毛を通し、イーヴァーの体温を感じる。
温かい鼓動が聞こえる。
目を閉じると、不思議に硬直が解けていく。
タリスが抱きしめた腕の下で、イーヴァーの銀毛がざわついた。

「どうした」
変化を敏感に感じ取り、タリスは顔を起こした
イーヴァーは目を見開き、耳を立てる。
瞳は真っ直ぐに、一点に向けられていた。
鼻の先には、森がある。

タリスが困惑の目で大森林を凝視した。
大森林から、白い煙が立ち昇っている。

目を疑う光景だ。
地表の温度や流れ入る空気が冷え切るほどの季節ではない。
突如として湧き上がった霧。
それが天に向って上っていく。
水の粒子が光を弾き、煌き流れていく。

皆の動きが止まり、すべての視線は光の粒に引き寄せられている。


その中で、一番先に動きだしたのはレンだった。

「死傷者のラモアへの移送を急げ」
腕を振り、鋭い声で指揮を取っている。

「それぞれの部隊の状況を指揮官に報告」
ファラトネス軍の隊列が指揮官の下で再編成され、ラモアの部隊もファラトネス軍に従って移動を開始する。
軽傷の兵たちはラモアでは収容しきれず、次の街に向っているという。

「私はラモアに向います。兵の状況と、ラモアでの対獣体勢を整えます」
最前線であるラモアに陣営を敷く。
経過観察を行わなければならない。
同時に、城との連絡係も必要になる。

「私もラモアに向う。状況を確認したい。知らねば、次の行動が遅れる」
レンはタリスを止めなかった。

「私にできることはないに等しい。だが、わずかでもできることがあるのならば」
権限は使ってこそ意味がある。
上に立ち、それを与えられたのならば、守るべきものを守るために有効に使うべきだ。

「アレス。さっきいた、山の中腹に戻ろう」
ラナーンがアレスへ首を捻った。
山を抜けてラモアに出るとなると、かなり遠回りになる。

「霧が広がってる。高台から森の様子を見たい」
「私も行くわ」
アレスを押しのけ一番に返答したのは、アリューシアだった。

「気分は」
時折人目を避けて、目を伏せるように気分の悪さを耐えているアリューシアに、ラナーンは声をかけずにいられなかった。

「さっきよりはずいぶんと。獣(ビースト)が離れたから。それとも」
「それとも?」
「今は、山に登って確かめるのが先よ」

出会って数時間も経っていなかったが、アリューシアの行動力にラナーンは感心させられた。
混乱した状況の中で、アリューシアはできること、すべきことを弁え動いている。

「タリス。車を借りるわ」
タリスは黙って頷いた。
森と突如湧き上がった霧の状況については、偵察部隊から詳細な報告が来るはずだ。

「レン、タリスをよろしくね」
走り出す車の窓から首を出し、アリューシアは振り向いたレンに声をかけると去っていった。






高台に辿り着くなり、崖先へアリューシアが駆け出した。
「こんな霧、初めてよ」

見下ろした眼下の大森林は、いつもと様子が違っていた。

「霧が、吹き上がっている」
大森林を横から見た視点で認めた通り、大森林の中央から白い水の粒が雲のように湧いていた。
地平線の遥かかなたにまで伸びる大森林は、少しずつ霧に飲まれていく。

「このあたり、霧はよく発生するのか?」
「季節になれば。でも今はそんな季節じゃない。それにこんなに濃い霧は見たことないわ」
「嫌な気配っていうのは、今は?」
「不思議だわ。ほとんど無いの」
アリューシアの横顔には血が戻ってきている。

「みかみ」
小さくアリューシアの唇が、そう動いた。

「このまま、霧がゆっくりと大森林を飲み込んでいったら」
風の音に溶けそうな声で呟いた。

「街が。ラモアの街も霧に飲み込まれる」
ラナーンが拳を強く握り締めた。

「異質な霧だわ。きっと、晴れることの無い霧」
そうなったら、ラモアの住民は。

「ラモアに行こう」
とにかく現状の報告を。
処理はレンを含めたファラトネス軍がするはずだ。

アレスが踵を返した。











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