Silent History 36





膠着状態が続いていた。

大森林の周辺警備隊の組織力、統率力はファラトネス城の警備隊のそれに匹敵する。
それほど人々は、森を、湧き出る獣(ビースト)を恐れていた。

決して東の大森林には近づいてはならない。
名も与えられず、ただ静かな暗い広がりを見せる大森林は、ほとんど人の手を加えられることはなかった。
森を削らなければ、獣(ビースト)も現れない。
森を、怒らせてはならぬ。
踏み荒らしてはならぬ。

清らかな水を与え、恵みを与える大森林だが、侮ると手痛い仕返しを受ける。
親から子へ孫への言い伝えは、ある意味論理が通っている。

森は森のままに。
あるがままに。
それが人と人でないものとの境界だった。
ファラトネスの民は、王の指針を頑なに守っていた。


しかし、それが。


「なぜ今になり、街に近づこうとする」
境界は侵犯していない。
何度か人間との接触はあった。
だがそれまでは発見されても、森を回りこみ街に向って進むことなどなかった。
遭遇するといったもので、そこに獣(ビースト)の人間に対する執着はない。
今回ばかりは、状況が今までとは違う。



超高速艇を最大出力で飛ばし、陸上移動を始めて約三時間。


「遅い到着ね」
髪を一つに結んだ少女が、腕組みをして眼下の大森林を見つめていた。

陽の光を受けても暗く沈んだ色と、爪を立てるような悲鳴に似た鳥の鳴き声が絶えることのない森。
彼女の薄茶の髪の中を風が擦り抜けていく。

タリスは徐行し始めた車の荷台から飛び降りると、手を付いて着地した。
少女は友人の到着にも興味は薄いようで、視線を向けることもなかった。
タリスはその様子を気にするでもなく、彼女の隣に並んだ。

「ラモアの部隊が十二体を包囲したまま。奴らは森に引こうとしない。こちらも迂闊に手を出すこともできない」
状況に変化なし。
タリスの友人は簡単に現状を報告した。

十二体の獣(ビースト)は、ここからでははっきりと確認はできない。
崖の上から見えるのは、ラモアの術師で構成された部隊が森の縁に沿うようにして弧を描き配置されている様子だけだ。

「連絡を取ったら、既にラモアに向ったと聞いた。偉く反応が早いじゃないか」
視線をちらりと、タリスに向けた。

二人の後ろから、車を降りたラナーンとアレスが崖の縁に向っている。

「嫌な空気を感じたのか」
「もう、気持ち悪いくらいに」
組んでいた腕を解いて、デュラーン王国からの客人へと体を向けた。

「紹介しよう。私の古い友人の、ラナーンとアレスだ。そしてこっちが」
「アリューシア・ルーファ」
気持ちが悪い。
彼女の言葉通り、顔は少し青みを帯びている。

「見ての通り、特異体質の持ち主だ」
獣(ビースト)のまとう気配に酔ってしまう。

「それより、あっち。膠着状態どころか、押されてるのはこちら側よ」
アリューシアが指差した先には、ラモアの部隊。
術師の力を以ってしても、街に近づいてくる獣(ビースト)の足を止めることはできない。

「城からも応援部隊を出している」
「問題は、数じゃない」
アリューシアの表情は優れない。
事態の異質さを一番敏感に感じ取っているのは、彼女だ。
レンに守られ、濾過された情報しか耳に入れることができないタリスにとって、獣(ビースト)のもたらす被害状況は把握できていない。


最前列は術師たちで防御壁を築く。
そして、前衛。
攻撃部隊が控えてはいるが、ファラトネスは獣(ビースト)を討伐に来たわけではない。
森に押し返すために、軍を動かした。
実力行使はあくまで最終手段だ。


ファラトネス軍が、指揮官の片腕が挙がったのを合図に、方形陣から一斉に散った。
等間隔に並んでいたラモア部隊の間へとファラトネス軍が散開していく。
全員が配置に付くと、再び指揮官が動いた。

「石を使うつもりね」
ファラトネス軍が一斉にその場に伏せる。
森に沿い、弧を描いて並ぶファラトネス軍。
森を背に、睨みつける十二匹の獣(ビースト)。

石が目映く光を放つ。

「魔石(ラピス)の光」
タリスが目を細めた。

「これで獣(ビースト)も下がるだろう」
今までにも何度かあった。
タリスの耳に入らない数を含めると、獣(ビースト)と人間との接触は数え切れぬほどに。
その度に、各地域に配備された術師の部隊が事態の収拾に努めてきた。
だが、今回は少しばかりことが大きくなった。

術師たちの力を封じ込めた、魔石(ラピス)と呼ばれる石。
中でも結界石と呼ばれる、相手の精力を封じる効力を持つ石を使うことになってしまった。

「タリス」
「どうした、アリュー」
アリューシアの瞳は、目を焼かんばかりの魔石(ラピス)を凝視している。

「おかしい」
「ちゃんと魔石(ラピス)は発動している」
空間が歪むのではないかと思うほどの力を放出し、輝きを放っている魔石(ラピス)が獣(ビースト)も人も飲み込んでいく。
魔石(ラピス)は有効だ。
タリスの目にはそう映っている。

「そうじゃない」
呟くアリューシアの隣に、ラナーンが並ぶ。

「光の向こう。獣(ビースト)が、動いている」
ラナーンが目を凝らす。

「圧してる。見えるか、アレス」
「ああ」
アレスも目を細めて小さな点を追う。

四体の獣(ビースト)が魔石(ラピス)ににじり寄っていた。
石像を動かすように、ゆっくりと。

「アリュー?」
「こんなのは初めて」
「気分が悪いか」
アリューシアの額には冷たい汗が滲んでいる。
気分が悪いだけではない。

「ラモアの術師が止められない。魔石(ラピス)も効かない。こんなことって」
第二陣が前列に出た。
一陣と同じように、地面に魔石(ラピス)を埋める。
同時に、後列で控えていた迎撃部隊が武器を森へと向けた。





対獣迎撃部隊。


その存在は、二十年以上前からファラトネスにあったがほとんど凍結されていた。
理由は単純明快。
活動する機会がなかったからだ。

ない方がいい。
部隊が動くのは、事態が最悪の方向へ矛先を向けたときだ。


だが、近年部隊の出撃回数は増していた。
望まぬ方向に、事態は動いている。

術を封じ込めた魔石(ラピス)を携えた術師の小隊。
彼らの壁が崩されたとき、百人余りで構成された部隊が放たれる。

今回派兵されたのは、六十。
半数以上が派兵に当てられたのには訳がある。



ラモアの部隊は強力なことで知られている。
東に獣(ビースト)を包む大森林が広がっている、ラモアの地域。
当然防衛策として強力な術師部隊が配備されていた。

他地区の協力要請を受けるほど、統率力と技術力に優れていた。
その名高いラモアが梃子摺る相手だ。
ファラトネスも動かずにはいられなかった。


部隊を動かす。
上層部の反応は機敏だった。
部隊に籍を置く者たちに召集をかけた。
常設ではない部隊だったが、兵はファラトネスに常駐している。

分単位での召集と移動を経て、今数時間前に状況の説明を受けていたその場所、その現場にいた。


ラモア。


そこに突如現れた獣(ビースト)に、ラモアの部隊が苦戦を強いられている。
現場に到着した術師の小隊が、加勢する形でラモアの部隊に並んだ。
駆け寄り様に、腰から下げたホルスターから魔石(ラピス)を取り出す。

地面に叩きつけた瞬間、光が迸る。
何度も見た光景だ。
その後、獣(ビースト)は森や林へと引いていく。

今回も、そのはずだった。
油断は軍人として許されないことだ。
自覚し、気を引き締めていても、獣(ビースト)の侵攻には内心の驚きを抑えられなかった。
第二陣が魔石(ラピス)を投下しても、効果は薄い。



対獣迎撃部隊。
それが、動く。
今が、最悪の事態というわけだ。


人間六十に対する獣(ビースト)は十二。
だが、単に数の問題ではないことは、皆分かっている。
相手は人間より遥かに俊敏で力があり、人同様に知能が高い。

負けは許されない。

指揮官の号令が飛んだ。
真っ直ぐに両刃の剣を構える。
皆一様に顎を引き、腰を低く落とした。

ファラトネスは海軍で名を轟かせているが、陸軍が貧相なわけでは決してない。
陸のデュラーン、海のファラトネス。
確かにデュラーンの兵力には及ばないにしても、十分な兵力が蓄えられている。

ファラトネスを守る誇りを背負ってここにいる。
その誇りが、部隊を支えている。

地面に結界石を残し、術師が後退した。
獣(ビースト)が、網に絡まったかのように首を振って一歩一歩ファラトネス軍に近づいていく。
やがて、結界石が破られる。
術師の横をすり抜け、対獣迎撃部隊が一斉に駆け出した。

獣(ビースト)は鎖が切れた勢いで、一気にファラトネス軍へ雪崩れ込んできた。

剣を払う。
獣(ビースト)の瞬発力で虚しく空を裂く。
鋭い爪でなぎ払われる。
飛ぶ、人の体。
倒れて動かない、兵士たち。

今までの獣(ビースト)とは桁が違う。
すべての能力において。






タリスは高台から、蒼白な表情で繰り広げられる光景を見つめていた。
アリューシアは耐え切れず、地面にしゃがみ込んでいる。

血臭がここまで漂ってくるようだ。

「イーヴァー?」
呟くようなラナーンの声に、タリスは勢いよく振り返った。
その時には、イーヴァーの姿は林の向こう、小さな点になってしまっていた。

「イーヴァー!」
タリスの叫び声も、届かない。

「車を出せ、イーヴァーを追う」
高台に陣営を張っていた兵に叫ぶ。

「タリス様」
レンが呼び止めたときには、車は走り出していた。
全速力で土を跳ね上げる。

「アレス。おれたちも行こう」
このままタリスだけを行かせるわけにはいかない。
何より、じっとしてはいられない。




白い点を捉えた。
もっと速度は上げられないのかと怒号に近い声を受けながら、兵は車体を木に擦りながらも、舗装されていない土道を駆け抜けた。

点が近づいてくる。
道幅が広がったところで、タリスは車をイーヴァーに寄せるよう命じた。

「お前が行っても、何もできることなんてない。戻れ」
振り切るように、イーヴァーは脚を早めた。
獣の速度に、エンジンが負ける。
詰めたイーヴァーとの距離が、また開いていく。

「それとも、お前は」
戻るつもりなのか。
あるべき場所に。
彼らの元に。

「イーヴァー!」
声の限り叫んだ。
その声は、ラナーンとアレスの元にも届くほどに。





部隊が獣(ビースト)群と激突した。

刃は獣(ビースト)の牙や爪に負け、欠けている。
割れた剣を獣(ビースト)の腹を叩ききり、折れたら新しい剣を手に、戦場を走る。

技は当たらない。
負傷者は増えるばかりだ。

腹をやられた。
寸でのところで避けたつもりが、手を当てると生温かい感触が手を染める。

力が入らず、崩れそうになる膝に叱咤した。
右から飛び掛る獣(ビースト)を、剣を払い様に後退して避けた。
叩き伏せようと振り下ろした剣は、獣(ビースト)の鼻先を掠めただけだった。
獣(ビースト)の茶色の毛は、今や赤黒く色を変えている。
獲物を見つけたらしい。
弱りきって片膝を付いた兵士に、踊りかかる。
目の前で襲われている同じ城の者を、見殺しにすることしかできなかった。

その凄惨な光景の向こう側に、いるべきではない人が、呆然と立ち尽くしていた。


なぜ、彼女が。


汚れない、ファラトネスの姫君。
白の衣装が、痛々しいほどに戦場に浮かび上がる。
長い髪が、風で巻き上げられる。
愕然と的を絞らず虚空を見つめる姿は、小さな子どものようだった。


彼女の目に映る、地獄絵図。
彼女は、何を思うだろう。



側に控える、それは。
その生き物は、まさに獣(ビースト)。
白の毛を揺らしながら、一歩一歩、戦場の中へと進み出でる。

燃えるような、静かな揺らめきの翡翠の瞳。
それが、戦場を見渡す。


王者たる風格。

それは、何者だ。


タリスの側を離れ、一人戦場の中に踏み入れた。
側にいた獣(ビースト)の動きが、微かに緩む。
戦闘態勢の緊張感が、拘束されたような別の緊張感に塗り替えられていく。
空気が、イーヴァーの周りから侵食されていく。

イーヴァーが立ち止まった。
砂粒を踏みしめ磨り潰し、足場を固めると、四つ脚に力を込めた。
顎が、僅かに上向く。





剥き出しになった牙。


鼓膜が破れるかと思った。
声すら出せぬまま、目を見開いたままのものがほとんどだ。



イーヴァーの咆哮が、戦場一面に轟く。
威嚇ではない。
宣告だ。

イーヴァーが睨みつけるその先。
獣(ビースト)に対する、死の宣告。

戦いを続けるというのなら、そのすべてを殲滅することを、ここに宣言する。




イーヴァーの声に、すべての動きが止まり、すべての音がかき消された。











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