Silent History 29





エメルとフォーネが、大扉の両端を手に、左右へ広がっていく。
伸びた背筋は僅かな緊張と誇り。

同時に扉を開ききり、恭しく腰を曲げて頭を下げる。
中央には薄絹を翻し、王女が威光をまとって歩み出た。




彼女の名は、タリス・エメラルダ・リスティール・ファラトン。
前面の玉座に腰を下ろす、ファラトネス王の末娘だ。


正面の壇上で長い脚を組み、玉座に身を委ねているのがファラトネス王の隣には、麗人が立っている。
ファラトネス王は、タリスの存在感をも凌駕する、威厳を放つ。
見据える目は、静かに知性の光を湛える。


「ラナーン、アレス」
低く、よく通る声で名を口にし、右手を差し出した。
タリスは黙って振り向き、並んだラナーンとアレスに、進み出るよう促す。

「お久しぶりです」
「おおよその事情はタリスより」
ラナーンはアレスに振り向き、再びファラトネス王を見ると、前に歩み出た。
天井は高く、壁伝いに宝石細工が灯りを飾っている。
壁はやはり、温かみを帯びた白。
ファラトネス・ホワイトだった。

滑らかな傷一つ見当たらない床は、少し強張ったラナーンの顔を下から映し出す。
よく見知ったファラトネス王とはいえ、今回の面会は今までとは違う。
片や一国の王、片や後ろ盾をなくしたただの人間。


国を裏切った。
親を捨てた。
同じ親という立場のファラトネス王が、国を飛び出した彼らを心安く受け入れるはずがない。
ファラトネス王は口を閉ざし、ラナーンとアレスを観察していた。


「まだこの国には、デュラーンから何の知らせもきていない」
おかしな話だ。
一国の王子が姿を消した。
公式であれ、非公式であれ、国と血族の垣根すら越えて懇意にしているファラトネス王の一族に、デュラーンの一族からは情報が発せられない。

「デュラーンがどのように動くのか、それはディラスに直接聞くとしよう」
おもむろに、ファラトネス王が立ち上がった。
衣擦れの音が、耳に心地よく響く。

鋼鉄を忍ばせているかのように背筋は伸び、通った鼻筋はファラトネスの花弁と名高い唇へと続く。
タリスの滑らか金の髪は、紛うことなくファラトネス王の血を受けたもの。
タリスにはまだ若さが匂うものの、ファラトネス王の仕草には隙のない優美さが漂う。

長く垂れる裾を手にしようと、侍女が三人壇上の端から歩み寄ったが、ファラトネス王は片手を挙げ、静かに制止した。


「この先、どこへ行こうというのかは」
「いずれは大陸へ。でもまだはっきりとは」
「タリスが退屈しているようだから、相手をしてやってほしい」
緩やかな段を下り、ラナーンとアレスの前で立ち止まった。

「レンは決してタリスと剣を合わせようとしないから」
娘に聞こえる声で、ラナーンとアレスに囁いた。

「それにあの子も本当は」
「母様!」
珍しく顔を赤らめたタリスが、叫んで続きを遮った。



ファラトネス王は服の袖を払うと豊かな胸を張り、まだ十分に艶のある微笑で周囲を眺めた。

「何事も、いますぐに決める必要はない。ラナーンとアレスが望むなら、あなたたちはここにいないと私が示しましょう」










ファラトネスの王、ラウティファータ。
彼女は王であり、同時に五人の娘たちの母でもある。


長女はフェリウス。
次女はエストラ。
三女のアルスメラ。
四女がシエラティータ。
タリスは、ラウティファータの五人目の娘だ。


「タリス」
声はラウティファータ王の背後から聞こえてくる。

「エストラ姉さまは、すでにリヒテルを出られているそうよ」
母の背中から顔を出したのは、三女のアルスメラだ。

長女は玉座を挟んでアルスメラの反対側の椅子へ腰かけている。
この長女、フェリウスが次期ファラトネス王となる。



ラウティファータは生まれの後先を隔てず、娘たちを育ててきた。
フェリウスが成人する二年前。
ちょうど、彼女が今のラナーンの歳の頃だった。

早朝、ラウティファータの元へ朝の挨拶にフェリウスは向った。
母親が、自分の椅子についてフェリウスに話したのはその時が初めてだった。

「まだ引退する気など、更々ないけど。いずれ話をするのだから、今しても変わらないでしょう」
前置きは短かったが、本題は更に簡潔だった。

「次のファラトネス王はあなたにしようかと思って」
先々代のファラトネス王も、女性だった。
現ファラトネス王、ラウティファータも女性だ。
次代のファラトネス王がまた女性であっても不自然ではない。
ファラトネス王家が女系一族だというのは、国内外問わず有名な話だった。

「明日まで待ってほしい」
決めた瞬間から、人生のベクトルが変わるのだ。
いずれは、とは思っていた。
だがいざファラトネスの玉座が手の届くところまで迫ると、フェリウスは立ち止まってしまう。
座に上るか否かではない。
やり残したことはあるだろうか、という不安だ。
だが返事は、予告した翌日まで持ち越されることはなかった。

その日の夕暮れ時、ラウティファータ王は一人中庭で本を読んでいた。
夜闇に包まれるまでに僅かな時間、風と虫の音を楽しみながら夫と二人、中庭で涼む。
昔から、変わらない習慣だ。
その夫がいなくなってからも、まるで思い出に縋りつくかのように、夕暮れになると中庭にふらりと現れる。

白の細い十五の柱で支えられた水上の亭は、風が抜け眠ってしまいそうなほど心地いい。
いつもより長く留まっていたラウティファータのために、亭へ灯が入れられた。
読みかけて長椅子に本は伏せられ、娘たちの母は椅子の背に腕をかけ水面を眺めていた。

「母様、風が冷えて参りました。お風邪を召します」
「そんなに弱くはない」
フェリウスを涼しげな横目で流し見、再び水面へ目を落とした。
その水面に、亡き父王を見ているのか。
フェリウスは言葉少ない母の姿を前にして、胸が詰まった。
朝、母に打ち明けられた話を今日一日考えていた。

「二年。成人するまで公にするのはそれからにしたい」
「外に出たい?」
母は娘のことを一番よく理解していた。

「あなたは真面目過ぎたから」
五人姉妹の長女として、乳飲み子だったタリスまでよく面倒を見ていた。
父親だった先代のファラトネス王が亡き後、失意の底にあった母ラウティファータを、己が涙を呑んで支えたのも、フェリウスだった。


数日後フェリウスはファラトネスから海を渡った。
それから二年が経過した。
便りは頻繁にあったが、ラウティファータにとっては長い二年間であった。
成人する二週間前、フェリウスは約束通りファラトネスの地を再び踏んだ。

今は母、ラウティファータの側から離れることなく補佐を勤めている。
玉座の右手に腰を下ろしているのが、フェリウスだ。




次女のエストラは、リヒテル国に嫁いだ。
胎に宿した子が生まれるのは六ヵ月後。
そのエストラはファラトネスに向っているという。

「母様が漏らしたんだ。ラナーンとアレスが珍しく忍んでファラトネスにやって来たとね」
フェリウスが、口元を緩めて微笑んだ。

「ちょうどいいからお腹が軽いうちに一度戻っておくわって、エストラ姉さまが」
身重の妻を、故郷とは言え海を越えて帰すことを、夫であるリヒテル国王は渋ったという。
引き止めるその手を振り払って、エストラは一週間の帰省をもぎ取った。
ファラトネスの女性は、強い。




「ということは、家族が全員揃うというわけだ。久しぶりの賑わいになる」
タリスが両手を鳴らし、小さく飛び跳ねた。

「シエラティータが早速指揮を取ってたわ」
アルスメラがすぐ下の四女の動向を説明した。
ファラトネスの街にある馴染みの酒造工房から酒を取り寄せ、街に散っているタリスの侍女たちに召集をかけた。

ラナーンとアレスのための宴だ。
しかし彼らはファラトネスには存在しないことになっている。
侍女たちのなかでも口の堅いものを選び抜くことを、シエラティータも心得ていた。

「ところで、ラフィエルタは」
かの超高速艇が名前を拝借した少女だ。

「先ほど城に来た」
フェリウスが立ち上がり、母の隣に並んだ。

「宴が盛りになる前には、エストラもこちらに着くだろう」
リヒテル国にエストラを送り出すとき、最新鋭の高速艇を持たせた。
ファラトネスへは、その高速艇をフル稼働で帰郷するはずだ。

「ラナーンとアレスは部屋へ案内しよう」
エメルとフォーネを呼び寄せた。
すでに部屋は用意できている。
客人二人を侍女たちに委ねると、タリスは母の前へ大股で踏み出した。

「それでは母様、後ほど」
頭を軽く下げ、入り口へ方向転換した。

「レン、一端部屋へ戻るぞ」
レンは麗しのファラトネス王、そこにいる二人の娘たち、デュラーンからの一行の三方へ会釈する。

「ラナーン様、アレス。夜にまたお迎えに参ります」
命に従い、颯爽と歩き出したタリスの後に続いた。






「ラナーン」
「はい」
ラナーンの肩に、ラウティファータが白い手をかけた。

「お父様を嫌いになった?」
「いえ、そのようなことは」
「エレーネは」
「嫌いになどなりません」
ラウティファータはラナーンの即答に紅を引いた魅惑的な唇を引き上げた。

「父上も、何かお考えがあってのことだと思いますから」
「私もね、ディラスが何を考えてあなたにエレーネとの婚姻を持ち出したのかはっきりとは分からないけれど」
宥めるように、手のひらでラナーンのまだ幼さが残る肩を包み込んだ。
柔らかな手は、母の手を思い出す。
掠れかけた記憶の断片が浮き上がっては消えていく。

「でも、あのエレーネがディラスに賛同したのでしょう」
聡明なエレーネ。
何を思い、ディラスと手を組みラナーンの結婚を決意したのか。

「忘れないで、ラナーン。ディラスはあなたのお父様で、デュラーンはあなたの故郷だということを」
捨てようとしても、捨てられない。
いずれはまた、デュラーンへと戻る日が来るはずだ。

ラウティファータは手を離し、エメルとフォーネに案内を頼んだ。







「フェリウス」
扉の向こうに消えたラナーンとアレスの姿を思いながら、振り返らずに長女を呼んだ。

「あなたはどう思う」
「追っ手はファラトネスには向けられていない」
「まだ、デュラーンから差し向けられていないではなく、そもそもその意思はないと?」
「ディラス王がその気であれば、今頃ファラトネス各地にデュラーン兵が派遣されているはず」
その兆候はおろか、何の連絡もデュラーンからはもたらされていない。

「探らせますか」
「そのうちディラスから何か言ってくるでしょう。なければ私がデュラーンに行くまでのこと」
迂闊に兵を差し向け相手の内情を探るわけにはいかない。
「他にもまだ心配事があるようですね」
「ユリオスはどうしてるかってこと」
ため息を一つ落とし、ラウティファータは玉座への段に脚をかけた。

「ねえ、母さま」
アルスメラが大きな目を輝かせている。

「私、デュラーンに行くわ」
もちろん、久々の五人姉妹と母親の再会を終えてからだが。

「高速艇を飛ばせば一日と掛からない」
身を乗り出して母親を説得する勢いは、タリスのものに似通っている。
さすが、姉妹だ。

「どこに着けるつもりなんだ」
アルスメラは、デュラーンへ非公式に赴くつもりだ。
それを堂々とファラトネスの高速艇で乗り付けるなど矛盾している。
フェリウスの言わんとしたのは、その点だ。

「友達がいるのよ。島に」
デュラーンとファラトネスの間には、いくつか離島がある。
デュラーンの南にある三角形をした島に、アルスメラの友人が住んでいるという。

「高速艇を離島まで着けて、そこからデュラーンの定期船に乗り継ぐわ」
手配はすべて島の友人がしてくれる。

「イェリアス島か」
フェリウスが腕を組んだ。
広大な面積を持つ離島には、デュラーンの巨大研究施設がある。
ほとんど、施設のための島と言っていい。
警戒態勢は万全だが、研究施設にいる友人を頼っていけば警備網を潜ることも可能だ。
それがアルスメラの言い分だった。

「イェリアスまでのルートさえ確保すれば、大丈夫」
ラナーンとアレスが取った方法と同じだ。

いいでしょう?
アルスメラが母とフェリウスを交互に見ながら説得を試みる。
押された母は、決定権をフェリウスに譲った。

「いいだろう。ただ、踏み込み過ぎるなよ。相手は国を背負っている。それぞれの立場がときに行動を制限する」
「わかったわ。その言葉、忘れないでおく」
「人選は私に任せてもらおう。それも条件だ」
「ええ、お願いします」
フェリウスは隣の母へ、視線を流した。
ラウティファータは静かに頷いた。











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