Silent History 28





タリスの蒼い目が、真っ直ぐにラナーンを見つめる。

ファラトネス城に来るまでに、来てからも、何度も考えた。
だが、いざ説明するとなると言葉が思うように出てこない。

「エレーネと結婚しろと、父上が」
ユリオスとラナーン。
二人の我が子を深く愛していた父王。
その父の態度が急変した。


「だから、逃げた。兄上とエレーネ、どちらも大切だ」
誰も、壊したくない。
だから。

タリスの目を見つめ返す力もなく彷徨う視線は、タリスの半分入った酒杯へと落ち着いた。

「その絆、守りたかった」
そして選んだ手段。

「どうすればいいのか、わからなかった」
他にいい方法があったのかもしれない。
でも、そのときは自分をそこから消してしまうことで一杯だった。

「エレーネは、ディラス王の命を受け入れたのか?」
あの、気の強いエレーネが。
淡い紫の柔らかい髪、優しい目尻、滑らかに口から流れる上質の声。
その外観に秘められた、烈火の感情。
誰よりも、ユリオスを愛していた、可愛い従妹。

「ユリオスではなく、ラナーンを選んだと?」
おかしな話だ。
ラナーンだけでなく、タリスも納得がいかなかった。
口ではっきりと、ユリオスと結ばれる意思をタリスに示したことはなかった。
だが、ユリオスとエレーネ。
彼らの間に流れる甘やかな空気を見れば、嫌でも気付くというもの。

幼馴染として育ち、側にいることが自然になってきた。
それがいつしか、掛け替えのない存在であることを認識し始め、互いの愛情を意識するようになる。

同じようにエレーネの側にいたラナーンだったが、エレーネにとってラナーンは弟のようなものだった。
自分で選んだ男、認めた男を捨て、ディラスの命に大人しく従うなどエレーネの姿ではない。




「それで、城を出たわけか」
平淡な声は、静かな怒りを表しているのではない。
腹に怒りを秘めたタリスの声は、それだけで人を殺せる。
ラナーンの話を咀嚼しながら、同時進行で他の考えを巡らせている。

「ファラトネスに出るには、東海岸から船に乗った方が早いけど、おれにはやることがあったから」
ファラトネスの島がある方角とは反対、西の山脈を越えた。
島国デュラーンを東西に二分する、クレアノール山脈だ。

「獣(ビースト)を見たと言っていたな」
「クレアノールの洞窟を抜けるとき、小さな光を見つけた」
薄暗いクレアノールの内部。
細部は闇に溶けている。
始めは遠くの明かりかと思った。

「最初に気付いたのはおれで、でも獣(ビースト)とはわからなかった」
近くに寄って、それが生きているものの眼だとわかったときには遅かった。

「剣を抜いて構えたけど」
獣(ビースト)が飛び掛ってきた。
避けることもできず、自分と同じ丈がありそうな獣(ビースト)を受けきれるはずもなくラナーンは跳び下がった。

「おれは、何もできなくて」
結局は、アレスの剣に助けられた。


「ラナーン」
呼ぶ声は、優しかった。

「なぜ、西へ? 何を求めて行ったんだ」
「わからなかった」
「何もなかったのか?」
そうじゃない、とラナーンは静かに首を左右に揺らした。

「兄上は何も教えてくれなくて。示された凍牙(トウガ)に向った。そこで、また」
詰まらせたラナーン声を引き継いで、アレスが張りのある声で言い放った。

「獣(ビースト)だ」
巣窟、と言ってもいい。
凍牙に獣(ビースト)はもはやデュラーンの常識でもある。
数年前はそうではなかった。
この十年で、凍牙を取り巻く環境は大きく変化した。

「生きるために、戦った。守るために」
命を、友を。

「本当に怖いのは、殺すことじゃない。失うこと、なんだろう」
だからラナーンは剣を振るった。
守りたいから。
死にたくないから。
誰も、傷つけたくないから。


「無音の世界。音はなく、空気は凍りつき、生きているものは存在できない」
すべてを排除し、拒絶し、消滅させた世界。

生と死の混在。
神聖。


「蜘蛛の糸のように氷柱が上下左右に張り巡らされていた」
それを抜けて奥へ。

「ユリオスの示したモノは、そこに?」
ソファに寄りかかりながら、タリスは両手を腹の上で組み合わせた。

「おれが見たそれは、剣だった」
だが、ラナーンが覚えているのはそれだけだ。
以降の記憶一切が消えてしまった。
気がつくと、目の前に心配そうに青白くなったアレスが覗き込んでいた。


「アレス。何を見た?」
鋭いタリスの目が、真実を語れと迫っている。








「神を知り、神と在る」

今でも思い出せる。
鮮明に。


「人間の罪、神々の没落」

目を閉じなくても思い出せる。
その光景。


「人間の肉体を持ち、それに背くは罪」

意味の成さない文脈で。


「それが存在」

何を示すのか。
何を表すのか。


「剣を継ぐ。それに値する者」

剣とは、古びた氷の祠の剣のことか。


「音もなく扉は開かれる。現の世に魔はあふれ出す」

魔、など。
この世にないものを持ち出し。


「力を持て、振るえ」

惑わせようと言うのか。


「扉が開ききる前に」

何の扉か、言わなかった。
答えなかった。


「哀れなる子」

言葉は一方的に流れ。


「剣はかの中に」

冷ややかに。
まるで事実だけを忠実に述べるように。


「人間としての罪から生まれし子」

何の罪なのか。


「守って」








一度聞いただけの言葉だ。
それが、一句として間違えず、何度も練習した台詞のように口から滑り出た。



「凍牙の洞窟。ヒトがいた」
ラナーンが氷の岩に突き刺さった剣を引き抜こうとしたとき、光が溢れた。
その中から、ヒトのカタチをしたものが浮き上がったのだ。

「ヒト形に揺らめく光と泡沫のような声だけで、人間らしいものだと判断できるくらいだが」
ラナーンは気を失っていた。
それは、アレスに一方的に語りかけてきた。

「魔って言っていた」
身を乗り出して、ラナーンがアレスに問いかけた。

「はっきりとは、わからないが」
「現の世に、魔はあふれ出す。他所から来たもの。この世に存在しなかったもの」
タリスは、形のいい顎に手を当てた。

「ヒトでないもの。増加するもの」
レンも中空に答えを探している。

「思うに、獣(ビースト)」
全員の視線が、アレスに重なった。

「クレアノール、凍牙。デュラーンでも獣(ビースト)は増加している。ファラトネスでは」
投げたアレスの視線に、レンが間を置かず答える。

「こちらも、デュラーンと同じく。城の周りでは比較的目撃率は低いのですが、遠のくほどに」

「城には強固な結界が施されている。それだけでなく各地から術者が研究設備を求めてここにいる」
タリスが凭れ掛かっているソファを片手で叩いた。
獣(ビースト)が魔だというのなら、ファラトネス城と街自体が魔除けになっている。

「音もなく扉が開くというのは、獣(ビースト)がこの世界に増えていくってことなのか。どこから来るのか、なぜ来るのか、おれたちがわからないまま」
「扉が開ききる前にと言っていたのですよね。つまりこのままでは、世界は」
残された時間には限りがある。
時がくる、その前に。

「止められるのは」
アレスがラナーンへ顔を向けた。

「剣」
ラナーンの細い指が、自分の耳朶を覆う。

「だが、それは凍牙の中に埋まったままなんだろう?」
「ヒトらしきもの、が消えた後」
アレスは目を閉じた。
情景は生々しく甦る。




青白い光は輪郭を崩し、凝縮を始めた。
一瞬のできごとだったのか、それとも数分間に及ぶものだったのか。
時間の感覚は麻痺していた。

ラナーンを腕に抱え、しゃがみこんだまま立ち上がれないアレスの目の前で、光は一点に集中していく。
すでに粒子となった青い光は、やがて完全に物質化した。
今まで見たこともないような、純度の高い蒼い石が転がる頃には、光は完全に消滅していた。
アレスは石に手を伸ばし、握りこむ。
再び手を開いたとき、蒼い石を核にして耳飾に転化していた。




「剣はかの中に」
その時、その瞬間。
呟いた言葉と同じ言葉が、口から漏れた。

「石の、中にだと」
「剣がヒトに、ヒトが光に、光が宝玉に、ということですか」
信じられない。
どのような細工を施したらそのようなめまぐるしい展開になるか。
頭の中でレンは、その可能性を何パターンか組んでいるのだろう。
小さく唸ったまま、顔を上げない。

「確定ではないが、魔が獣(ビースト)である可能性は高い。そして、デュラーンとファラトネス両国が抱える獣(ビースト)増加問題を解決できる道具が、その石に眠る剣」
ただの石になってしまった剣が、どういった作用を起こすのかすら、わからない。

「残された時間は、少ないようだな」
簡潔にまとめて、タリスは緩く組んだ足を組み替えた。




「もっとも、この話しを完全に信じるとしたら、という前提の元に成り立つ図式だ」
言ったのは、一連の現象に立ち会ったアレスだ。

「証拠はあるだろう」
タリスは立ち上がるとラナーンの目の前に立ちはだかった。
腰を曲げ、ラナーンの耳に触れる。
手の平に乗せた耳飾を、手の上で傾けては透過度を測る。

「深い、蒼だ。空とも、海とも知れない」
目を細め、愛しそうな目で石を眺め続ける。

「このような石が、採れるのか。どこで」
金属の細工も、見たことのない図柄だ。
デュラーンのものでも、ファラトネスのものでもない。
どのような職人に作らせたら、このような繊細な細工ができるのか。
彫刻細工に突出したデュラーンの職人ですら、息を飲む造りだ。

「神話の線を当たってみてはいかがでしょう」
唐突に、レンが口を開いた。
現実に引き戻されたタリスは、背筋を正すと元の位置に収まった。

「神話、だと」
「神を知り、神と在る。そして、人間の罪、神々の没落。現実離れしたこの話。神話や伝承から生じたものかもしれません」
確かにレンの言う通り、今の話は現実というよりは神話だという方が納得がいく。

「それが未来を示すものだという証はありませんが、少なくとも言いたいことはわかります」
それは、何だ。
タリスが迫る前に、口に出したのはレンでもアレスでもなくラナーンだった。

「封魔の時代」
「おそらく。その再来を表したいのでしょう」
千五百年もの昔。
今では過去を通り越し、神話となってしまった、遥か昔のできごと。

「一掃したはずの、魔と呼ばれる異形の者たち。それが今、獣(ビースト)という姿をとって再びこの世界に現れている」
過去の遺物が、現代に甦っている。
語られた話を鵜呑みにするのは危険だ。
だが、獣(ビースト)が増加しているのは事実。
アレスは呟いた。

「答えは過去にあるのか。神話の中に」
増え続ける獣(ビースト)を止める手段があるのなら。

「勇者ガルファード。神の国シエラ・マ・ドレスタと眠るサロア神」
神話の世界の彼ら。
封魔の時代が再びやって来るのか。
タリスの顔色も、渋みを増している。

「点が与えられても、それを繋ぎ合わせる線がなければ、意味がない」
アレスは、言い切る。
ただの石になってしまった、剣。
今のままでは、訪れると予言されている未来の悲劇を、剣で止められそうにない。
まだ、確実なものは何も見えてこない。

「そしてもう一つ。その耳飾も引っかかる」
どこの紋様か。
タリスは、ラナーンの耳から下がる飾りを指し示した。
調べていけば答えに近づけるかもしれない。


「だから、行かなくちゃいけないんだ」
ラナーンは首を反らし、窓の向こうを見た。











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