Silent History 27





「まさか、そんな」
動けずにいるラナーンの目の前で、タリスの手はゆっくりとイーヴァーを撫でる。



イーヴァーは警戒や威嚇するでもなく、心地よさ気に翡翠の眼を細めた。
長い白の睫毛の下で光る眼は、澄み切っている。

意思を感じる眼。
相手の思考を読み取ろうと走らせる神経。
明らかに、獣(ビースト)だ。




「獣(ビースト)とは、人を喰らうもの、殺すもの、確かにそうだ」
タリスがその場に腰を下ろし、イーヴァーに白い頬を寄せる。

「一部の獣(ビースト)は」
イーヴァーは、殺意を抱いていない。

「だが、イーヴァーにその意思はない」
高い知能を、彼らは持つ。

「脳の断面図を見た」
イーヴァーを、透過線に掛けた。

「大脳新皮質の質量は、獣(ビースト)であることを示していた」
「獣(ビースト)とわかっていながら、どうして」
「だから、だろう」
アレスが腕を組んだ。

「無差別な殺戮ではなく、イーヴァーは私との共存を選択した」
獣(ビースト)の詳細は知られていなくとも、先を予測し得るだけの知能を有していることを、タリスもアレスも知っている。

「獣(ビースト)が人を殺す理由を探ろうというのか」
「そこまでは考えていない。ただ、イーヴァーを、殺意のない獣(ビースト)を排除することを、私は望まない」
「イーヴァーも、タリスを傷つけることが自分の利益繋がるとは考えなかった」
「推測や計算ができる。漠然とではあるが、獣(ビースト)とはそういうものだ」
まるで自分のことだとわかっているかのように、イーヴァーは緑の双眸を細めた。

侍女たちは、取り乱すこともなく温かな目で、タリスとイーヴァーを見守っている。
レンも、タリスと獣(ビースト)を引き離そうとしない。
ファラトネス・ホワイトの天蓋は、開け放たれた窓からの風で水面のようにうねる。

「クレアノールを知ってるか」
ラナーンが示したのは、そこに出没する獣(ビースト)だ。

「人から人に伝った話には。実際に見たという人間には会ったことがない」
「俺たちは、見た」
「クレアノールの獣(ビースト)にか?」
「凍牙(トウガ)でもだ」
アレスの言葉に、ラナーンは震えた。






獣(ビースト)。

明確に定義されてはいないが、少ない情報の中で分類してみると、通常の獣とは一線を画している。


ミッシングリンク。
失われた鎖。


その名の通り、進化の鎖の中で明らかに欠落した部分がある。
進化の痕跡が見当たらず、突如として高度知能を有した獣が出現した。

一種だけではない。
今もまだ、混血種、新種が発見されている。

謎に包まれているからこそ、人は恐れ。
理解できないからこそ、人は厭う。
交われないからと、人は排除する。






「ラナーンは、どうしたい?」
イーヴァーから手を離し、タリスは痩身を伸ばした。
どう思う。
どう考える。
そうではない。

「おれは」
何を感じた。
タリスの藍玉の瞳は、痛いほどラナーンに迫る。

「獣(ビースト)がどこから来たのか、どうしてそこにいるのか、知りたいと思った」
その答えが十分だったのか、分からない。
ただ、タリスは頷いた。

「世界を、見たい。どうすればいいかは、まだわからないけど」
道は、見えてはこないけれど。

「ファラトネスにいるといい。ここには私も、レンも、イーヴァーもいる。先を見据える何かを得られる」
タリスの微笑みは、優しかった。




「いつ?」
虚空を彷徨う目は、過去の記憶を探っている。
最後に会ったときには、いなかった。
ラナーンの視線は、件の獣(ビースト)に辿り着く。

「そうだな、一年になるか」
勘のいいタリスは、ラナーンの問おうとすることを、汲み取った。

「イーヴァーと私が出会ったのは」
四本の脚を折って丸まってはいるが、伸ばした身の丈はタリスに迫る。
今は指の中に隠す爪で、大地を掻き、駆け抜けるのだろう。
長い鼻の奥の眼が鋭く光り、柔らかな銀毛が波打つのが想像できる。

ラナーンには、伏せていた。
デュラーン一族がファラトネスに来たときも、イーヴァーはここにいたのだ。
話せば、間違いなく混乱を招く。
時期ではなかった。



「レンは、城内で執務に追われていた」
有能なレンであっても処理速度に限度はある。
タリスが与える課題は、いつだって重い。
タリスからの仕事を、不服一つ言わず正確敏速に消化していく。
それも、主の真剣さに後押しされている面が多分にある。
王の子という立場を、最大限に利用しようとする、タリス。
国を知り、国益を計る。

時に湧き上がる大胆奇抜な発想は、国民に還元される。
より良い国家は、誰しもが求める。
漠然とした理想の足場を、タリスが固めていく。
そのタリスには、賛同者も数多い。
レンも、その実行力に惹かれている人間の一人だ。

「その日、タリス様は三日前に届いた調査報告に基づき、東の森へ探索に行かれました」
レンは仕事で机を離れられない。
同行した兵は十五名。
いずれも腕の立つだけでなく、肝も据わった者ばかりだ。
そうでなければ、タリスの警護などできない。

「調査報告?」
「クレアノールと同じく」
獣(ビースト)が出没する。
森から出た獣(ビースト)は、村の近くまで迷い出て、出会った人を傷つける。

「東部の大森林は、今開発途上の地区だ。そこに獣(ビースト)が現れ、村民に被害がでたとなると、放置はして置けまい」
開発指定地区に選んだのは、タリスだ。
村民と協議の上、森林の一部開発を決定した矢先の出来事だ。

ファラトネスから、五日かけて陸路を移動した。
その間、獣(ビースト)との遭遇率の高い地域の村からも事情聴取しつつ、宿を取る。
おおよその事実が見えてきた。
森に潜む、獣(ビースト)。
大森林に進むにつれ、目撃者数も増していた。


「五日目。到着した私たちは、大森林に最も近い村に宿を決めた。そこを拠点に、翌日から二日間に限った周辺調査を開始するためだ」
開発予定の場所を、視察。
既に森の一部は切り開かれ、機材は配置されている。
調査が済み次第、いつでも開発再開できる状態だった。


「その、夜だった」
到着してすぐ、同行させた十五の内、六名の兵に夜間警備に当たらせた。
開発の始点、眠った開発機械が森林の冷気に当てられていた。
真夜中、タリスが眠りについた頃、村で待機していた兵からタリスに報告が入った。


「獣(ビースト)が現れた。それだけでない、現在も六名と対峙しているという」
タリスは跳ね起き、軽装のまま現場に飛んだ。
短い移動途中に、レンを呼ぶこと。
専門家の現地への召喚、警備兵の増援を指示した。

タリスが到着したとき、獣(ビースト)はまだ六名と睨み合いを続けていた。
タリスの指示通り、獣(ビースト)が現れても刺激してはならないという命を、六名は守っていた。
現状は、維持されたままだ。
タリスは、六名を下がらせた。

下がった六名の代わりにタリスが単身、銀毛の獣(ビースト)と向かい合う。
レンがその場にいたならば、決して許しはしなかっただろう。

ファラトネスの王女だ。
その地位だけではない。
彼女の能力の損失も、ファラトネスに多大な損害を与える。

「イーヴァーは、私を真っ直ぐに見上げていた。殺意はない。だが、歓迎もしていない」
ただ、その澄み切った緑の眼は、怒りを示していた。

「何に対して。私たちに対して。人間に対して。わからなかった、そのときは」




それから、タリスは騒ぎに起き出して来た村民の手も借りて、開発用機材の撤収に当たらせた。
完全に機材が森から引き上げるのを見届けて、イーヴァーは森に消えた。


翌日、機械は村の端に固めたまま、調査が予定通り開始された。
森の奥には踏み込まず、周辺に限ったが獣(ビースト)は発見されなかった。
夕刻になって、レンが到着する。

「レンを、イーヴァーのいた場所に案内した」
切り倒された木は、開発の跡を残しているが、他には何もない。

「イーヴァーは、そこにいた」
木々の向こう、光る眼をタリスは見逃さなかった。
草を掻き分けると、イーヴァーが聡明な眼でタリスを見つめていた。

逃げない。


タリスは大きく息を吸い込んだ。
手元にいたイーヴァーに手を伸ばす。

「私は、お前を傷つけない」
偽りを語らない目。
イーヴァーは、タリスに歩み寄った。



「大森林の開発計画は、中止されました。私が到着した更に翌日、調査隊が到着」
綿密に大森林の調査を行った。
深部には踏み込めなかったが、情報は得られた。

専門家の後押しもあり、計画は完全に消滅した。




「イーヴァーは?」
ラナーンがタリスの手の下にいる、イーヴァーに目を落とした。

「村を去ろうとしたときに、後を追ってきた。喰いかかる様子もなかったので、そのままファラトネスに招いたというわけだ」
ファラトネスの周辺にも森は点在している。
城を出たくなれば、森に帰るだろう。
望めば、大森林に送ることもできる。

「それから一年。まだイーヴァーは城が飽きないらしい」






タリスの導きで、部屋の奥へと進み出た。
ソファが円形に数個、配置されている。
一番大きなソファが、タリス。
その隣から、ラナーン、アレス、レンが腰を下ろした。
銀毛のイーヴァーは、タリスの後ろで腕を組み合わせて寝そべっている。

二人の侍女が、預かっていた荷物をラナーンとアレスとの間に差し入れた。


「そうだ、タリス!」
縦長の網の中、大切に包まれた土産物をタリスに差し出した。

「開けてみて」
ラナーンが立っては座る、その間も働き者の侍女たちは、窓の開閉を調節したり、茶を淹れたり見えないところで動き回っている。

「二人で選んだのか?」
皮を剥くように、包みを剥がしていくタリスの顔が輝きを増していく。

「レン、見てみろ。この果実酒」
「デュラーンの、西方の酒ですか」
「ああ、しかもレトナだ」
小さな漁村、レトナで作られる希少価値の高い酒だ。

「何よりも気に入った」
タリスは、嬉しそうに酒瓶を眺める。

「ほらこれ」
レンに瓶の表を見せた。
悪戯をするように、タリスはラナーンとアレスを上目遣いで見やる。

「このラベル。気付いたか?」
形のいい爪が、ラベルの端を指差した。

「世界に一つだけの酒だ」
差し出された酒瓶を、二人で覗き込む。

四角いラベルの右下に、絵が描かれている。
小さく、しかしはっきりと。
四人の人影が並んでいる。

子供の絵。

「自分と、両親と、妹か弟でしょうか」
レンも目が細くなる。
きっとラベル作りのときに、落書きしたのだろう。

「大切に作った酒だ。きっと見つかったら怒られるだろうな」
ラナーンは、瓶に手を沿わせた。

「よく見つからなかったものだ」
親の目を抜けて、市場に出た特別製のラベルと酒。
感心しながら、アレスは酒瓶をタリスに手渡した。

「たった一つだけの、酒だ」
タリスは、酒瓶を掲げた。
思いついたかのように、伸ばした手を素早く下げると、窓のあたりに控えていた侍女に目を走らせた。
彼女たちは、すぐさまその視線に気付く。

「エメル、フォーネ、酒杯を!」
小さく頷いて、二人は早足で隣部屋に移る。

「レン」
タリスは側にレンを呼び寄せ、耳元に一言囁いた。
レンは席を立ち、二人の侍女の後を追う。






「それで、ラナーン、アレス。母上や姉上たちに話してはいけないか」
ファラトネスの王とその娘たちの絆は堅い。
タリスが説得するまでもなく、ラナーンとアレスが望まなければ、決して彼らの所在は口外しない。
ラナーンも、アレスもそれは十分に分かっている。

「姉上たちの担う役柄だけでなく、一人一人の人として、二人を支えてくれるはずだ」
権力がもたらす利益だけではない。
彼らが後ろ盾になってくれることで、どれだけ救われるかわからない。

「まだ夜までは時間はある。ゆっくりと、話を聞こう。それから決めていけばいい。いろいろと、な」



時間を計ったかのように、エメル、フォーネ、レンの三人が盆を手に戻ってきた。
手の中に握りこめるほどの小さな酒杯が六つと、皿が一つ。

「さすがにイーヴァーは酒は口にしないから、特別製だ」
発酵前の酒。
つまりは、果汁を皿に注いだ。
エメルがイーヴァーの目の前に差し出した。
レンが皆に杯を配り、フォーネが酒を注いでいく。

「さあ、エメル。フォーネも」
タリスが侍女二人に酒杯を持たせた。
紅い酒が、冷えた杯を満たす。

「ラナーンとアレスの来訪を祝い」
タリスが酒杯を持ち上げると、それに倣って他の者たちも頭上に掲げる。
エメルとフォーネたちも予想しなかった展開に、顔を仄かに染めながらも、小さく両手で持ち上げた。

タリスが、酒に口をつける。


「うん。これは、美味い」
満面の笑み。
それだけで、詳しい感想を聞かなくても満足したことがよくわかった。
エメルとフォーネも気に入ったようだ。




「エメル。ラフィエルタは、今日は城に来ているか」
「はい。朝から城に上がって参りました」
かの超高速艇の、オリジナルだ。
船の名は、タリスの侍女の名から取った。

「夕方には街に下がると申しておりました」
答えたのは、フォーネだ。

「そうか。もし都合がつくようならば、夜まで城にいてくれないかと」
「伝えておきますわ」
年の似通った二人の侍女だったが、フォーネの方が二歳ばかりエメルより年長だ。
エメルが城に仕えるようになったのは一年ほど前から。
フォーネの方は、十五のときに城に入り、今年で十九を迎える。


タリスの方針として、侍女は城内で居を与える者以外に、街から通う者もいる。
本人が望めば、通いの侍女の席をタリスは与えていた。

ラフィエルタは、後者だ。
街には穀物屋を営む両親と妹が待っている。

「それでは、私は」
レンが腰を上げた。
ラナーンとアレスを迎えたのだ。
タリスやレンと親しいからといって、余りの部屋を割り当てるわけにはいかない。
部屋を始めとして、いろいろと準備というものがある。

エメルとフォーネも、空になった酒杯と盆を手に立ち上がった。


レンの服の裾を、タリスが引いた。
お前は残れ。
目がそう命じている。




エメルとフォーネに準備を任せ、レンは再び席についた。
仕切りなおしとばかりに、タリスがそれぞれ空いた酒杯に酒を注ぎいれた。


「話してくれるのだろう」
デュラーンを出た、経緯を。
ソファに肘をつき、ラナーンとアレスを見据えた目は、まるで凍牙で得た耳飾の宝玉だ。
その連想に、ラナーンは知らず、凍牙の耳飾に指で触れた。











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