Silent History 22





エンジン音が低く唸りをあげ、水を裂き、空気を切り裂き走る高速艇。


ラフィエルタという。


運河を東へ上り、ファラトネスへ駆け上がる。



ラフィエルタという呼称の由来を、ラナーンは幼馴染のタリスへ聞いたことがある。
ファラトネスの王の子であり、何より件の高速艇造船計画を、先頭に立ち進めたタリスだ。
その名をつけたのもまた、タリスに違いなかった。




「聞きたいか? ラナーン」
ラナーンでもどきりとするような、魅力的な笑みで酒盃を掲げた。

「躍らせたんだよ」
ラナーンは、自分と年の変わらないタリスの、行動力と発想力に傾倒していた。

「あれは、確か船の図案を持ってきた、その夜だった」
ソファに身を横たえていたタリスが、床へ半分中身の減った酒盃を置いた。

「私の野望が叶うとあって、祝わずにはいられないだろう。その夜は酒宴を催した」
誇張しすぎだ。
高速艇製造が、まるで散歩に行こう程度の思いつきだったことは、タリスの従者であるレンに聞いている。
それに、酒宴がファラトネスで特別なものでないことも、タリスとの付き合いで知っていた。


「侍女から踊りの上手いのを選んで、躍らせた」
その数二五。
タリス付きの侍女ばかりでないとはいえ、芸達者ばかりでその人数。
全体の侍女の数は、どれ程になるのだろうかと想像するのも恐ろしい。

侍女とは形式ばかりの、まるで後宮だ。
侍女を下へ下へ扱わない分だけ、余計にそう思わせる。

侍女たちの舞踏大会。
それを前に酒を交えて談笑に耽る、王族の宴。
ラナーンにも容易に想像できた。

「私の目に留まった女が、ラフィエルタだ」
タリスは侍女を重んじる。
タリスの目は彼女たちの外観ばかりに重きを置いているわけではない。

事実、タリスの侍女は実に質が高い。
芸ばかりではない。
礼儀作法、配慮、頭脳、どれを取っても非の打ち所がない。
侍女の間での教育がうまく機能しているからだろう。
ラナーンは彼女たちから失礼を感じたことは一度としてなかった。
作法を重んじている厳格なエレーネでさえ、ファラトネスの従者たちの質の高さを非常に評価していた。


「ラフィエルタに会ったことがあったか?」
「たぶん、なかったと思う」
少なくとも紹介はされていない。
最も、一人一人紹介されたとしても、すべて覚えきれる自信はない。

「そうか。ならば、ラナーンがラフィエルタ号に乗る日が来たら、その夜に会わせよう」


それが、高速艇ラフィエルタの由来だ。





結局、ラフィエルタに乗ったのはアレスと二人だけ。
そこにデュラーンの一族は同乗しない形となってしまった。

「しかし、何もこんなに豪快な船に、華やかな侍女の名前をつけるなんてね」
ラナーンは高速艇を下から眺めながら、小さくため息をついた。

「まあな。それが、タリスらしいといったら、タリスらしいが」





デュラーンの王子ラナーンと従者のアレス。
二人は隣国の、ジルフェという運河の街にいた。

ファラトネスの港街、ファラトルはジルフェと比較すると、落ち着いた街並みだった。
ジルフェは高速艇を含む、運河を航行する船舶が多く着く場所だというせいか、一目でわかる賑やかさで溢れている。


ファラトネスへ流れる大運河の末端とあり、ジルフェは街の規模も活気も、王国で五本の指に入るほどだ。

「ファラトネスに似てるよな」
出航時間にはまだ少し早い。
ファラトルから陸路でジルフェへ着いたのが、今からちょうど十七時間前だ。
朝、街の大通りを散策し、昼まで少し時間を残して高速艇を眺めに来た。

「この運河は、心臓部であるファラトネスからの大動脈だからな」
「なるほど。つまり名高いファラトネス王家の色が注がれているわけだ」
ラナーンが腕を組み、納得の体で頷くのを見て、アレスが苦笑した。
それほど、濃いのだ。
ファラトネスの血は。

その象徴のように、嫡子であるタリスの船が堂々と浮かんでいる。

「ラフィエルタへご乗船のお客様は、第三ターミナルへお集まり下さい」
河岸に等間隔に配置されたスピーカーから、男性の声が流れる。

乗船チケットはアレスの鞄の中にある。
もう少し、タリスご自慢のラフィエルタを外から眺めていたかったが、早く中も見てみたい。

「行こうか」
アレスの袖を引っ張って、第三ターミナルを示した案内板を見上げた。





搭乗橋を抜けたら、世界が一変した。



これは。

この内装は。


天井付近の壁には、細工の帯が施されている。
搭乗席上部には、蒼く小さな宝玉が埋め込んであった。
シートは、ファラトネス・ホワイトと呼ばれる、軍の乳白色。
軍艦の色だ。

椅子の背はどれも、草木をモチーフにした彫刻が刻まれている。

「タリスの部屋みたいだ」
小さく呟いた。
最も、それより濃度は数倍に薄められた内装ではある。

派手好きのタリスだったが、その名は完全に伏せられているし、ラフィエルタの由来も公表されてはいない。




出航まで半時間ある。
席は指定してあるので、船内を一回りできる。

入り口に目をやると、広間の端に透明の箱があった。
固定され、ガラスケースに入れられた、ラフィエルタの船模型だ。
白を基調にし、金で模様が描かれている。
駆動系だけでなく、外装や内装にも力を入れているあたり、タリスの趣味が窺えた。

ラフィエルタは、ガラスケースの中で光を受けて、ゆっくりと旋回する。

「外には出られるのかな」
「出航前だから、出られるはずだ」
行きたい。
ラナーンの目が輝いた。

デュラーンからファラトネスへ、王族大移動するときでもラナーンは船内の小窓からしか外を眺められなかった。
十八という成人の年齢に達していなかったからだ。
王の子は、十八の日を迎えるまではその存在が公のものになってはならない。
その枷がラナーンを城に縛りつけていた。
それももう、捨ててしまったこと。
目を引く黒髪は押さえておかねばならないが、外を見ることができる。

ラナーンは、甲板への階段を駆け上がった。


「高い」
欄干に走り寄って、港を行き来する人の粒を見下ろした。

「落ちるなよ」
服の背中を、アレスが掴んだ。

「まさか」
ラナーンが笑うが、見ている方は笑い事では済まない。
体半分を乗り出して欄干に寄りかかっているのだから、いつ落ちてしまうのかと冷や冷やさせられる。

「デュラーンはあっち、かな」
西側へ体を寄せて、霞がかった水平線を眺めた。

「ああ。残念ながら、陸地の欠片も拝めないけどな」
ファラトネス最大の港街は、ファラトルだ。
しかし直線距離から言うと、ジルフェの方がデュラーンに近い。

「まだ、帰れるぞ」
黙りこんだラナーンの頭を軽く叩く。
タリスに会えば、もう本当に踏みとどまることなどできなくなる。

「帰らないよ」
その覚悟で出てきたのだ。

「なら、いい」
間もなく出航するとの放送が流れた。

「そろそろ戻るか」

船員が見回りにやってきた。
席に戻るよう誘導している。
客が引いたことを確認して、甲板はファラトネス到着まで閉鎖される。
ラナーンたちが最後だった。
二人が扉を潜ると、船員が重い扉を施錠した。



「アレス」
船窓から、動き始めた陸地を見ていた。
噂に聞く高速艇、タリスの玩具。
話に聞いたときから、乗ってみたいと思っていた。

「何だ」
目だけをラナーンへ向けた。

「おれたちはタリスと会うつもりでいて、当然タリスは喜んで迎えてくれると思ってるけど」
「ああ」
「本当に、会ってくれるだろうか」
今更ながら、自分の立場というのを思い返した。

「おれがタリスと会えたのも、王の子という位置があったから」
アレスも同じことだ。
王族に使える近衛であるという役職があったからだ。

「でも今のおれは、何もない」
一般人だ。

「タリスと同じじゃない。タリスに並べない。もしかしたら城の門に手を掛けることだって難しいかもしれない」

それだけじゃない。

「それに、おれは」
国を捨てた。
家族を捨てた。
何もかも捨てて、出てきた。

「そんなおれを、タリスは許すだろうか」
タリスは、エレーネやユリオス、ディラス王を愛している。
その彼らとの繋がりを切ってやってきたラナーンに、会おうとするだろうか。

「あいつの気持ちは、あいつにしかわからない。だが、大丈夫だろう」
座り心地のいい座席に頭を沈めた。

「あいつは、お前も好きだよ」
タリスの私室に入れるのは、ラナーンとレンぐらいのものだ。
アレスでさえ、入室を許されたことはない。

王の子である以前に、ラナーンという人格をタリスは認めている。




船を結び付けていた陸地から離れた。
船首はファラトネスへ向いていた。








夕方と呼ぶにはまだ日が高い。

ラナーンはフードを押さえながら、本日二度目の搭乗橋を渡っていた。
高い位置から見下ろすファラトネスの街は、ため息が出るほど広大で華やかだ。
賑わいが、下から湧き上がってくる。
アレスに促されて立ち止まっていたことに気付き、ようやく脚を動かした。

「いつもは車で突っ切るから気にならないだろうけどな」
アレスは、ラナーンを人の波から外れるところへ連れていった。

「ファラトネスは、とにかく広い。それでいて、デュラーンの街よりも騒がしい」
自国の城下街ですらほとんど脚を踏み入れたことがない。
まして、一段と賑やかなファラトネスにいきなり紛れ込む。
人馴れしていないラナーンが、アレスは心配でならない。

「いいか。迷子になるなよ」
「何言ってるんだ、子どもじゃない」
腰に手を当てて、アレスを睨みつけた。

「ああ、麻の紐でも買っておくんだったな」
「何が言いたいんだ」
受け取った荷物はアレスの手にある。
自分の分だけでも、とラナーンがアレスの手から奪い取った。

「で、どうする」
「どうしたい?」
アレスが質問に質問を当ててくる。

「どうって」
「ファラトネス城に入りたいか? それとも街を散策するか」
「街、見てみたい」
「決まりだな」
宿の心配はないと、アレスは言う。
信頼できる宿を取っていた。
荷物もそこに預けて、そこを基点に動こうというわけだ。

「城に連絡をいれておかなくちゃならない」
まさか、タリス本人というわけではないだろう。

「レンだよ」
それが、妥当だ。
レンならば、いいようにタリスに繋いでくれるはずだ。



河岸からは車で移動しなければならなかったが、宿は窓から城が見える絶好の位置にあった。
通りをいくつか跨いだら、市場も広がっている。
宿屋の主人は、笑顔でアレスとラナーンを迎え入れた。

「キルネと言います。こちらは妻のアライア」
アレスがよく使う宿だと、道すがら聞いていた。

「城のレンと連絡が取りたい。ちょっと訳ありなんだ」
「承知しました。こっそりと、ですね」
「その間に、俺たちは街を見て回ろうと思う」
「使いを出しましょう。お戻りになる頃には、レン様と連絡がついていましょう」
ラナーンたちは二階へ案内され、荷物を預けると表へ出た。



「そういえば、さ」
手が軽くなって、ラナーンの気分も軽くなった。

「レンは何か特技があるのか知ってる?」
目の前には、ラナーンにとって宝の山だ。
今まで手に触れる機会がなかった物が、店の中や外に並んでいる。

「さあ。少なくとも俺たちの前では踊ったことはないな」
タリスは舞踏に優れた者、歌唱に優れた者を侍らせている。
宴だと言っては、彼女たちを舞わせて酒に酔う。

「一度、見てみたいと思わないか?」
レンの踊りを。

「タリスが鍵を掛けて、人目に触れさせないだけかもしれない」
実は、踊りの名手なのかもしれない。

「アレス、あれ」
屋外の店屋に、宝石が並んでいる。
笠の陰に石を売る店主が座っていた。

「きれいだな」
「石はファラトネス産、細工はデュラーンのものだよ」
デュラーンの細工技術は、周辺諸国でも評価が高い。

産出される石や金が、水上艦隊とともに名高いファラトネス。
一方、デュラーンは彫刻や細工、魔力の研究など技術分野で名を馳せている。
統率された陸軍でも評価されているが、今は活躍する機会が幸運なことか少ない。

「きみ、デュラーンから来たね」
「なぜ、わかるんだ」
「訛りが」
デュラーンとファラトネス。
海峡を挟んだだけの隣国同士だが、風土が違うのと同じく言葉も変化している。
イントネーションが、少し違うのだ。

「わかるさ。言葉で階級だって」


「ラナーン。行くぞ」
アレスがラナーンの肩を引っ張った。




「いいか、ラナーン。いくら服を変えてもな、わかる奴にはわかるんだ」
宝石屋の目が鋭いことが悪いわけではない。
ただ、腹の中に善からぬことを抱え込んでいる人間もいる。

「ファラトネスにそんな人間はいないと願いたいが、この街だけで何百万いると思う」
ファラトネスだけではない。
デュラーンだって同じことだ。

「これからはファラトネスを出たりもする」
それこそ、いろんな人間に接触する機会が増えるはずだ。

「人間を、商品として見る奴だっているってことだ」
ラナーンの世間馴れしてない様は、すぐに見抜ける。

「お前は、自覚しろ」
その髪も、その瞳の色も。

ラナーン自身、十分わかってはいるつもりだった。
デュラーンにだって盗賊がいることだって、知っている。
また、それを取り締まるために父親が兵を送っていることも知っていた。
ファラトネスだって、治安状況はほとんど変わらないはずだ。

犯罪のない国なんて存在しない。
その現実を、ラナーンは受けとめている。


つもりだった。












「なぜ、いない」


アレスの頭の中は今、筆をつける前のキャンバスのように真っ白だった。

振り向いたら、隣にいたはずのラナーンは消えていた。
話が途切れた十五秒間は、人がいなくなるのに十分な時間なのか。

戻るほどの道ではない。
数歩引き返したが、ラナーンの姿は掻き消えていた。

呆然と立ちすくんだ数秒間。

その後、アレスに押し寄せてきたのは、十五秒であれラナーンから目を離した自分に対する、猛烈な怒りだった。











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