Silent History 18





かつて、選ばれた人間は闇に覆われた大地に、光をもたらした。
雲を裂き、太陽に手を伸ばす。


国を救った。
世界を救った。


崩壊の縁に立たされた、荒廃した世界。
血煙が上り、腐敗した土が風に巻き上げられた。

その絶望の中で生を受け、闇に向かって立ち向かった彼ら。
選ばれた、彼ら。

「誰に」

選んだのは誰だ。
その問いかけに、答えは返らない。

「何のために」

余りにも昔のこと。
誰も知る者はいない。


守りたいのは何だったのだろう。
守ることの、意味とは。








呼ぶ声がする。
顔を上げた。


「アレス」


伝えたかったのは、何だろう。
そして、今できることは。

「どうした」
顔を横へ振る。
斜め下に、ラナーンの小作りな顔があった。
大きな黒の瞳は、不機嫌さに目蓋が下りている。

「何度呼んだと思う?」
「聞いていなかった」
葉の落ちた林の下に、白く濁って町が見える。
後一時間も下れば、温かい食事が取れる。
体は疲労を覚えていた。

「当てて欲しいか」
「独り言が多いから」
ラナーンなりに心配していたのだ。

「お前のほうこそ、大丈夫なのか」
「何が?」
「体が」

凍りついた剣。
触れようとし、光を浴びて、ラナーンは昏倒した。

「縁がないな」
二歩先を行くラナーンが、振り返らずに漏らした。
一度目の記憶も、そして二度目の記憶もない。
ラナーンは中で何があったのか、見ることができなかった。

それは
断片的な単語の羅列だった。
まるで漏れ出た電波のように、繋がらない。

脳に染み付いているそれらは、何度も何度も繰り返される。






数分だっただろうか。
それともほんの数秒。

どちらとも知れない。
そこに時間という概念は存在しなかった。



浄化する光と、闇を示す言葉。
語ったのは、歴史か、偽りか。

それすらも、判断しかねた。

光の雨は上がった。
呆けた果てに、手の中で目を閉ざしたラナーンへ視線を落とした。
息はしている。
顔に耳を寄せると、穏やかな吐息が頬をくすぐった。
よかった、と。
素直な気持ちで思った。
未だ激しい動悸を押し付けるように、震える目蓋を伏せた。











「そろそろ話してくれてもいいだろう」
目の端で、アレスを窺った。
白い息が上る。
ラナーンのはっきりした瞳が霞む。

半時間歩いて、まだ考え込んでいるアレスを見かねて、ラナーンから切り出した。
アレスはゆっくり息を吐き出す。
ラナーンの執着に対してではない。
説明できるほどにはアレス自身、理解していないからだった。

「人の罪って、何だ」

答えを探るように、アレスが濁った空を見上げた。
また、雪が降り始めた。
早く山を下らなくては。

「神話の中なら、神への裏切り。だから人間は神の存在を目で確かめることができない」
感じるしかできない。
不確かな存在になってしまったと、埃をまとい破れかかった神話の書物は語った。

「神になろうとした、人の驕りが罪?」
「さあな」

足元で凍りついた土が鳴る。
白かった視界に、土色が混じる。

「神々の没落とは、何だ」
「そんな歴史、神話は知らない。海の向こうの話なんじゃないか?」
だとしたら、ラナーンやアレスが知らなくてもしかたがない。

「何者かと聞いた」
返答は。
人間の肉体を持ち、それに背くは罪。

「あれは、人間だ。いや、人間だったものかもしれない」
「あれ、って?」
「光だ。お前が浴びた、光」




寒かった。
防寒衣に身を包んでも、貫くように冷気が入り込んでくる。
アレスはデュラーンだけでなく、海を渡ってさまざまな国を歩いてきた。
寒さの厳しい土地での装備も頭に入っている。
それでもなお、防ぎきれないこの痛むほどの寒さ。

それでも、祠でアレスを見据えた「存在」の方が何倍も身を縛っていた。


「扉が開いて、魔があふれ出す。そのための力が、それだ」
ラナーンの耳に下がる青の宝玉に目をやった。

寒さの中で、より青を深くし燃える。

「力は、この中に」
剣は姿を変え、小さな石となった。

「守るべきは、そうしたら」
アレスは頷いた。
ラナーンが言わんとしていること。

「この剣を守れということだろう」
剣を継ぐもの。
それに値するもの。
それが現れたとき、石は本来の姿を取り戻すのだろうか。




「人としての罪。その罪から生まれた子だと」
凍りついた目蓋が振れる。
眉が寄る。

「だが」
失笑するように。
アレスにとって、それは。

「そんなことは、どうでもいい。俺が守るのはこの剣でも姿を変えた石でも」
そんなものに縛られるつもりなどない。

「平和な世界でもない」
かつて大地に太平をもたらした勇者のように。
英雄に、なるつもりなどない。




「彼らは」
下がった目蓋に氷が張っている。
黒いまつげが微かに白い。
林の上空で風が唸り声をあげている。

「かつての英雄たちは、何を思い、信じて戦ったんだろうな」
勝てるとも知れない、長い戦い。
ぼろぼろになり、心も体も疲れきっていた。
それでも彼らを奮い立たせたのは、何だったのだろう。


平和。


その曖昧な言葉を、未来を信じて?
先の見えない、濁った空気の中で、それでも希望を抱き
晴れることない重い空に光を求めて手を伸ばしたのだろうか。


「不確かなものより、目の前にある手の届く、確かなものを守りたい」
ラナーンは冷たくなった指先を、握り締めた。






「町だ」

アレスが緩やかに円を描き下る坂道の先に顔を向けた。
火にあたれる。
湿った衣服を乾かすことができる。
行ったら真っ先に、宿を探そう。


「さて、どうするかな」
ラナーンの兄が示したものは、手の内にある。
かといって、いまさら城には帰れない。

どこに行けばいい。
いや、どこにだって行ける。

願えば、何だってできる。


「港に出よう」
ラナーンは海を見たいわけではない。

逃げ、追われるようにして城を後にした。
もう、ここにはいられない。

「いいのか」
城や家族だけでなく、育ってきた土地をも離れることに。

「いいんだよ。外に出るとき、もう決めたんだ」
すべてを残し、去ることを。

「ファラトネスに行こうと思う」
静かに微笑んだ。

「あいつに会わなきゃ」
ラナーンが行くというのだ。
無論、アレスもともに渡る覚悟だ。

アレスが微笑みに失敗し、頬が僅かに引きつった。

「気が進まないか」
心配そうに、ラナーンがアレスを覗き込む。
そうだな。
その言葉を飲み込んだ。
ファラトネス王の子は、ラナーンの幼馴染だ。
そして、アレスとも。

「いや」
互いに成長している。
昨年のように興に乗った弾みで剣を投げ渡されることはないと思うが。

「ことあるごとに手合わせを持ち出してくるからな」
一年に一度はファラトネスに行くなり、デュラーンに招くなりして隣国とは交流が深く長い。

ファラトネスの御子は毎回アレスと顔を合わせるなり剣を交わす。
適当にあしらえる相手ならいい。
ある程度相手をし、満足させたところで勝負をつければいいのだ。
だが、相手はなかなかの手練れだ。
気を抜けば、一本取られる。




「それはともかくとして」
問題はその前に立ちはだかっている。

「ファラトネスにどう入り込むか、だが」
追っ手がすでにファラトネスまで伸びている可能性は少なくない。
デュラーン、中でも城よりほとんど出たことのないラナーンが唯一訪れた他国。
ファラトネスに、城の人間が目を向けないはずはない。

「港を使って、そのまま真っ直ぐ城を目指せばいいじゃないか」
それができれば、アレスが今考え込む必要などない。

「心配ない。今だって、こうして」
ラナーンがフードを深く下げた。
覗いていた黒髪が、陰に隠れる。

隠れてしまえば、だれもおれがディラスの子だとは気づかない」
顔は知れていない。
明確に表現できる特徴といったら、その黒髪だけだといっていい。

「大丈夫。見つかったとしても、あいつはうまくやる」
それはアレスも知ってるだろう。
笑った顔には余裕が満ちている。
行くべき道が、少しだけでも見えてきたからだろう。

「ファラトネス、か」
町へ下り、西方デュラーンの北端にある港。
そこからならば、デュラーンを半周するように回り込んで、ファラトネスの港に着ける。

「おもしろそうだ、って言うだろう。きっと」
ラナーンは楽しそうに声を上げた。
ラナーンが城を出た経緯を知ったら、黙ってはいないだろう。
その詳細を聞き出そうとするに違いなかった。


好奇心が旺盛で、負けず嫌い。
自尊心はファラトネス城の尖頭より高く。
剣技はアレスに迫る腕であり、頭も切れる。
言葉は厳しいが、嫌味はない。
怒り、焼き尽くすが、引き際は鮮やかだ。
後々まで恨みを残す、無様なまねはしない。


そういう人間なのだ。
ラナーンとアレスの幼馴染は。


「会いたくなった」
ラナーンにはない魅力を備えた同じ王の子に、会いに行こうと思った。

「そうだな。久しぶりに行ってみるのもいいか」







ファラトネスには豊富に宝玉や貴金属の原石が眠る。
デュラーンと似て、小規模な島国ではあるが、沃土と地下資源に恵まれた豊かな国だ。

国を治めるファラトネス王は、デュラーン王と個人的にも親しい。
従者数名を従えただけで海を越え、先触れもなくデュラーン城の扉を叩くことも少なくない。
なかなかの豪傑。
安定した治世も、王が認めた側近たちが有能だからだ。
そうした人材を集められるのもまた、王の力。



腰の据わった政治を行うファラトネス。
国土は小さいながらも、諸外国の中で存在感と信頼感を示す。

小さな大国。
その王の子もまた、親の血を濃く受け継いでいた。








「少し、疲れたな」
ラナーン以上に、アレスの方が体力を削っている。
時間はまだ、あるのだ。
ゆっくりと、先を見定めていけばいい。

ラナーンは、アレスを見上げる。
まったくいつもと変わらない表情をしている。
鍛えた体であっても、冬山に登る訓練はしていない。

「行こうか」
ラナーンはアレスの袖口を軽く叩き、町へ促した。





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