Silent History 17





そこに音はなかった。



生物も無生物もなく
すべてが均等
時間さえなく
生と死が境界なく
同時に存在していた。

許容も拒絶もない。




静止と沈黙。




神聖。
その言葉が相応しい。

積もる雪は穢れなく白だった。

踏み入れていいものだろうか。
思わずためらってしまうほど、清浄だった。

「アレス」
背後から声が掛けられた。
肩口から顔を出したラナーンの唇から、白く息が漏れる。

そう、ここが。










「凍牙(トウガ)の祠、か」
ようやくたどり着いた。



「ここに何があるのか、お前は本当に覚えていないのか」
アレスは暗く先の見えない洞窟を眺めた。
溶けることのない氷と消えることのない雪。
半ば埋もれかけた穴は、長身のアレスが背を伸ばしても頭が届かないほど大きい。


以前来たのは、いつだっただろう。
忘れられない思い出だ。
大きく口を開いたこの穴に、恐怖すら覚えた。
デュラーンの王、ディラスとその息子ユリオス。
今隣にいるラナーンもいた。
アレスは彼らの後ろ、近衛兵の中にいた。


お前たちはここに残れ。
ディラス王は言葉を残し、ラナーンとユリオスを伴って凍結した洞窟へ入っていった。
振り返ったラナーンの不安そうな目を、アレスは覚えている。


「この中に、兄上が示した何かがある」
「そうだな。行ってみれば判ることだ」
アレスが肩から提げた荷を、担ぎなおした。








内部の湾曲した壁面はガラスの音が聞こえてきそうなほど、澄み切っていた。
想像していた暗闇はなく、あるはずのない光があった。
目映くなく、淡い青に満ちている。
ラナーンの耳飾の石、宝剣の刀身、デュラーンの色だった。

用意していた松明は火を灯す必要がなくなった。


「思ったより広いな」
アレスの囁くように低い声が反響した。
彼の感想も、しばらく奥に進んで軽い舌打ちに変わる。


進路が閉ざされた。
塞いだのは硬い岩盤でも、氷魂でもない。

「蜘蛛の巣みたいだ」
ラナーンの表現が的確だ。
彼の腕ほどの氷の柱が上下左右、折り重なって絡み合って通路を塞いでいる。
自然のものでないのは明らかだった。
基より、この空間自体、洞窟外の世界と隔離されたようなものだ。



「先に進めない」
後ろをついて来ていたラナーンがアレスの隣に並ぶ。

張り巡らされた氷の柱の端から端を見ても、人が通れる隙間はない。
諦めるしかないか。
ここまで来たというのに。

「切り崩すか」
望みは薄い。
何重にも蜘蛛の巣は行く手を阻んでいる。
アレスに意見を求めるべく、顔を見上げた。

「数年でここまで変化すると思うか」
アレスは複雑に絡んだ氷の柱を見上げた。
かつてディラス王は、ラナーンやユリオスとともにこの洞窟を抜けたはずだ。

「どんな変化がおきるかわからない。現に獣(ビースト)だって増加して」
「お前の兄の言葉は」
祠に何かがある、と彼は弟に言ったのだ。

「兄上が、こうして塞がれていることを知らなかったとしたら」
「人為的なものだとは思わないか」
ラナーンの視点が固まる。

「ディラス王が封じている。デュラーンが封じている、と。ここは、どこだ」
デュラーンの地だ。
王が所有する土地だ。

「中にいったい何があるんだ」
「それを見に来たんだろう」
アレスがラナーンの腕を掴んだ。
ラナーンの皮手袋を引き剥がす。

「開かない扉には鍵がある」
「そんなもの持っていない」
「見えるものがすべてじゃない」
アレスが微笑する。
それはいつもラナーンに無条件の信頼を与える。

両手首を握ると氷柱に触れさせた。
氷が体温で溶け始めたと同時に、まるで電流が流れるかのようにラナーンの手元から光が走った。
柱を伝い、壁を走り、青が駆ける。

「当たりだな。扉が開く」
視界全面が鮮明な青に染まる。
ラナーンは目を瞑る。
金属棒を石に叩きつけたような高い周波数の音が耳を裂いた。

目を開くと、蜘蛛の巣は消えていた。
後退りしようと足を引き、足元に砂が撒かれているのがわかった。
厚い靴底の下で、粒子が潰される音がする。
白い砂。

「これが、さっきの氷?」
「俺が触っても、ただの氷だっただろうな」
「魔力で」
「もっと限定される。デュラーンの、力だ」
ラナーンが両手に目を落とす。
アレスと比べて一回り小さくはあっても、指紋も手相も同じような作りをしている。
この手のひらを伝った力で、氷は粉砕された。



「行くぞ」
声が掛けられたときにはすでに、アレスは五歩も前に進んでいる。
ラナーンは慌てて追った。








洞窟はほぼ真っ直ぐに伸びていた。
これほどまで深いものか。
空間構造が歪んでいるようにすら思えてくる。
迷うこともなく一本道だ。

一番奥に半円に抜かれた穴がある。
言わずと知れた、洞窟の出口だ。
もしくは、新たな空間への入り口か。




洞窟を抜けると部屋のように天井の高い空洞に出た。
歪な円型の空洞は、一際明るく氷の下に灯りを埋め込んでいるのかと錯覚するほどだ。
舞踏場のように平坦な地面だった。
さすがに踊れるほどの広さはないが、高さがある分閉塞感はない。
土の香りはしない。
あるのは氷だけだ。


視界を遮る障害物がない平面の世界で、壁際から突き出した突起物を見つけるのは容易だった。
壁と一体化していて、気づくのが遅れたが、洞窟内を眺めてみるとそこだけ不自然に突き出していた。


「何だろう。棒かな。こんなところに」
他には特に気になるものはない。
先に手を伸ばしたのはラナーンだった。
氷の糸に絡め取られたそれを、引っ張る。
ガラスの糸を千切りとっていくように、棒は細かな音を立てて引き抜かれていった。
壁から体を現していくにつれて、その正体も明らかになっていった。

「剣?」
長い刀身を抜き出し、重みに耐え切れずラナーンは剣先を地面に叩き落した。
氷がこびり付いた剣に、本来の輝きは見えない。

アレスを呼ぼうと口を開いたラナーンの声は、友人には届かなかった。
声を発するより先に、剣から苦しいほどの光が放出されたからだ。
光を真正面から浴びたラナーンは白光の中、目を覆う腕を上げる間もなく崩れ落ちた。




膝が落ちる瞬間アレスが駆け寄り、ラナーンの背を抱きとめた。
光はまだ振り続ける。
ラナーンは目を覚まさない。
取り落とした剣に、アレスが手を伸ばす。



     神を知り 神と在る



人の声だ。
人かどうかは定かではない。
ただ、それが意味を成す音だと認識するのに時差が伴う。



     人間の罪



「お前は」
引きつった喉の筋肉から、声を絞り出した。



     神々の没落



「何を」
これもデュラーン王が仕組んだ小細工か。
肯定したかった。
しかし、否定するのに十分な重圧が圧し掛かった。
光に、押しつぶされそうだった。
光源を探ろうと目を凝らした。
それは、ヒトのカタチ。

「お前は、何だ」



     人間の肉体を持ち それに背くは罪



「何が、言いたい」
少なくとも、意思がある存在だと理解はできた。



     それが存在



「お前は人間なのか?」
その自問も、即座に否定した。
聞くまでもない。
この存在が、人間であろうはずがない。
息苦しいほどの威圧感と精神が焼ききれそうなほどの光。
叫ぶこともできず、手を伸ばすこともできない。



     剣を継ぐ それに値する者



「誰がだ」
言葉が繋がらない。
断片を組み合わせ、推測するしかない。



     音もなく扉は開かれる



「扉などない」



     現の世に魔はあふれ出す



「魔、だと」



     力を持て 振るえ



「この剣のことか」



     扉が開ききる前に



「どこにある、それは」



     哀れなる子



「誰のことだ」



     剣はかの中に



答えは返らない。



     人間としての罪から生まれし子



輪郭が鮮明さを失っていく。
鮮やかな声も、いつしか遠のいていった。



     守って













アレスは中空を凝視していた。
そこには氷壁が聳え立つばかりだ。

それは夢だった。




そう終わらせてしまいたい。
何事もなかったかのように去り、明日を迎えたい。

しかし、それが現実だという証が、アレスの手の内にあった。
腕の中のラナーンはまだ目を開かない。

もうしばらくこのままでいよう。
今日はゆっくりと休めそうにない。

思考が半ば静止した状態で、ただ言葉を受け入れていた。
忘れるにはあまりにも鮮明に焼きついてしまっている。


アレスは手袋を外した。
手を広げて分かった。

「寒くない」
氷に覆われているはずなのに、室温は気に掛からないほど適温に保たれている。
これは魔力か、それとも先ほどの存在の恩寵か。



考え込んでいて、半時間は経過した。
ラナーンの頭を乗せている脚を動かした揺れで、彼が目を覚ました。

「おはよう」
アレスの呼びかけに、沈黙が続く。
現状が把握できていないようだ。
目が覚めたら氷の中、などという経験をしたことがない王子様だ。

「剣、が」
そこまでは記憶があるようだ。

「剣はどこだ。それに光」
「光は消えた。剣は、ここだ」
アレスが拳を突き上げた。
ラナーンは数回瞬きをした。
消失した剣、アレスは種明かしをする。



ゆっくりと指を開いていった。

「石? 深い、藍色だ」
見れば見るほどに引きつけられる。

「剣はかの中に、だと」
都合よく耳飾の形に収縮している。
アレスは指からぶら下げて、振り子のように振った。

「残念なことに、俺は耳飾をつけない」
アレスはラナーンの髪をかき上げ、左耳から下がっていた飾りを外す。

「彫刻も、細かくて凝ってるな」
代わりに手の中にあった藍色の耳飾をラナーンの耳に掛ける。

「これは、アレスが持つべきじゃないか」
「失くしたら困るだろう」
鞄に付けていて、どこかに引っかけでもしたら大変だ。



「これが、兄上が言っていたものなのか」
「他にそれらしいものが見当たらないからな」
ラナーンは上半身を引き起こした。

「平気か」
「まったく」
頭は少し霞がかかったみたいに冴えないが、体は問題ない。

「何を見たんだ」
ラナーンは何も覚えていない。
剣を握り、光が出た。

それだけだ。



「光だ。そう、光。あれは」

説明を求めるラナーンの視線を振り切り、アレスは立ち上がった。










守れ、と言った。
一体、何を?

答えは見えてこない。
見出すにはもう少し、時間と情報が必要だ。

だがその術も、今のアレスにはわからなかった。





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