Silent History 15





これほどにまで長く歩いたことはあっただろうか。

ラナーンは思い起こさずにはいられない。
すでに両足は疲労し、歩幅は小さくなっていく。

一方アレスは。

ラナーンより年長者だというにも拘らず、歩調も軽いしペースは乱れない。
身体能力は格段に高いのは知っていたが、それだけでなく歩きなれていることも分かる。

片刃の長剣を腰に提げていても、いつも身のこなしは鮮やかだ。

その長剣。
ラナーンも幾度か手にしたことはある。
重くて、振り上げたはいいがバランスを崩してしまった。
デュラーンで製造されているおおよその規格よりも、大振りの剣だ。
アレスはそれを苦もなく操る。

アレスに並ぶのが苦しくなってきた。
そう思い始めてすぐに、アレスの歩調が弱まった。

「休憩しよう」











街で補給した水で喉を潤す。
木陰は過ごしやすい。
小さく騒ぐ木の葉で、目を瞑ると軽い眠気に押されそうになる。

町と町の間は民家が点々とする他は、のどかな土道が続いているばかりだった。
デュラーン城が構え、隣国との距離も近い東方と比べ、都市の発達が緩やかだ。
また、平野と山地の地形を利用した農業地帯であることも、未だ街の点が線として繋がらない要因でもある。

「この先にある町で足を探そう」
ノースフラネでは値の張る乗り物も、一つ分町を歩けば値は落ちる。
格別急いでいるわけではない。
忍ぶ旅路だ。
旅費は無限に湧いてはこない。

「食糧も飲み物も問題はない。町というほどに規模は大きくはないが、山の中にも村はある」
森の中にも文明が根付いている。

「遠いな」
小国といえど、人が動くには広すぎた。

「今まで自分の足で歩いたことがなかったから」
ラナーンは地面に伸ばした両足に目を落とす。
膝を曲げるのも億劫に思える両足。
その疲れが、長い道を歩いてきたという確かな証。
それを、楽しいと思う。
大きな車で外の景色を眺める間もなく運ばれていった頃は、凍牙までの距離に関心はなかった。




ラナーンには物事を学ぼうという好奇心がある。
知らないことを知らないままで終わらせない。
城では考えられなかったような、積極的な感情だ。

沈黙が続いていた。
重い空気ではない。
先に口を開いたのはアレスだった。

「何を考えている」
水の入った袋をラナーンに手渡した。
ラナーンは薄く層になった雲を眺めていた。

「いろいろ、と」
ため息を落とすと、顔を地面に落とした。

「後悔してるのか」
城を出たことを。
今、ここにいることを。

「そうじゃない」
でも、後悔。
そうかもしれないと、言われて思い直した。

城を出たことではない。
ラナーンには、その選択しかできなかった。

兄の心を置き去りにしてエレーネを妻にできるほど、彼女を愛していたわけではない。
アレスと出会うより幼い頃から側にいた従妹。

年齢もラナーンと変わらず、兄ユリオスは実弟と同じように彼女を可愛がっていた。
柔らかな髪と愛らしい顔は、物語に出てくる風の精のようだった。

表面の柔和さに反し、彼女の内面は静かな青い炎のようだった。
内に不機嫌さを溜め込み拗ねている少女ではなく
小さな唇からは真っ直ぐに思いが飛び出していた。

好奇心が旺盛で、時間があれば城の地下にある書庫に下り
本を手に、庭を散歩する。

買い物は城へ出入りする行商からではなく、城下へ出て自分の足で探していた。


強くて美しいエレーネ。
何にでも興味を持つ少女だった彼女が、知性豊かな女性へと成長し
ユリオスの心を引きつけるのに年数は必要なかった。

ラナーンも彼女を愛していた。
年長であるユリオスと対等に話ができる彼女を、
口調は厳しくあるときでも、誤ったこと、軽はずみなことを口にはしない彼女を 姉のように愛していた。


優しいユリオスの心を知りながら踏みつけ、エレーネを娶るなどラナーンにはできない。


ラナーンはエレーネが羨ましかった。
滲み出る彼女の探究心が。

アレスも、城に閉じこもってはいなかった。
周りを見よう、知ろうとしていた。

彼らに憧れていた。


そして、憧れることしかしていなかった。

後悔するとしたら、その点にある。
自ら何かをしていたわけではない。
ただ、受け入れ。
ただ、生きていただけ。

高い城壁に、アレスに。
守られているのが当たり前。

彼が、側にいるのが当然だと思っていた。
今は、違う。

このままではいけないと思う。
でも、何をすればいいのか答えは見つからない。

守ってくれるアレス。
ラナーンは彼に何をしてあげられるのだろう。

「考えているのは、この先のこと」

どうすればいい。
何をすればいい。

「凍牙(トウガ)に何があるんだ」
「わからないんだ。兄上はただ、行けとだけ」

そのときは、凍牙のことなどどうでもよかった。
エレーネとの結婚とユリオスとの別離で一杯だった。

「使えるって」
「使う?」
「そう。使えるかもしれないって言ってた」
ユリオスは、凍牙の祠にある物を知っている。
誰も知らないはずの、凍結された祠の中を。

風が鳴いた。
木を揺すった。
行こう、と背中を押されたように、ラナーンは立ち上がる。
腰から下げた宝剣の金具が小さく音を立てた。

歩いてきた道を振り返る。
もう、街は見えない。












北方に広がる、広大なグラストリアーナ大陸。
さまざまな民族が、それら特有の言語と文化を持っている。
続く大地を踏みながら、互いに言葉を交わせないほど種が違う。

グラストリアーナのほぼ全土を制圧している国がある。
ディグダ帝国だ。

僅か数十年の間に急成長し、領土を拡張していった。
その手は大陸を大きく取り囲む海で落ち着きを見せたが、周辺各国の脅威には違いない。
巨大国家ディグダと、帝都ディグダクトル。

小さな島国デュラーンで生きるラナーンにとって
言語と知識を習得しても想像することができない、未知の世界だった。

海を隔てた隣国ファラトネスでさえ、少しばかり言語の音調にずれがあるだけで
言葉の違いを感じたことなどほとんどなかった。

デュラーンやファラトネスと変わらない小規模な国がある一方
それを束ねる巨大帝国では高速での移動機関が発達している。


比較せずにはいられない。


低く断続的に響くエンジン音を聞きながら、ラナーンは窓から農作地帯を眺めていた。
城の中にいて、調理された穀物しか見る機会のなかったラナーンでは
隙間なく栽培されている作物が何であるのか分からなかった。
それでも、視界一面に広がる黄色はまるで海のようで、飽きなかった。
垂れ下がった穂は収穫時期が近いのだろうかと想像することもできた。

ノースフラネから次の町を目指し、凍牙の山までの足を得ることができた。
アレスの能力も再発見して嬉しくもあった。
腕だけでなく、首から上も才能豊かだ。
交渉ごとがうまくいき、当初想定していた値段の七割で済んだ。
口数が少ないはずなのに、面白い能力を秘めている。
思い出しては、口元が緩んでしまう。

「どうした」
「交渉術、どこで習得したのかと思って」
「お前と違って、海の外を歩き回っているからな」

アレスに言わせると、デュラーンの商人は穏やかに交渉ができるとのこと。

鎖国をしてきたわけでも、しているわけでもない。
周囲を気の遠くなりそうな海で囲まれていると、なかなか異人種と交わらない。
価値観の違いによる商売上の摩擦が起きないので、交渉の妥協点を見出しやすい。

海を渡り、まったく新しい価値観に触れ、交渉術を鍛えられたアレスにとって
デュラーン内での交渉はやりやすかった。

「ディラス王のお陰だ」
「父上が」
「俺がここにいられるのもディラス王が許してくれたからだ」
アレスは早くに父親を亡くしている。
ラナーンに出会い、暮らし始めてしばらく経ってからだ。
すぐにデュラーン兵として国内の警備に当たるものと、アレスは思っていたが
王が命じた役目は、ラナーンの側近として彼を守り、また学ぶことだった。

「機会があれば海外に使いとして行かせてくれた」
「アレスが信頼できる人間だったからだ。その腕も、精神も」
「信頼を置いてくれた。学ぶ大切さを教えてくれた。役目を与えてくれた。言葉にできないほど、感謝している」
息子のように育ててきたアレスにそこまで言われ、ディラス王が嬉しくないはずはない。
ただ、今は伝えるには遅すぎた。



「あれが、凍牙(トウガ)?」



薄雲のヴェールを通してでも分かる、山の上半分が白く濁っている。

「雪と氷だな。白と灰色の境界線が見えるだろう」
下半分は雪を被らない、枝と幹ばかりの木だ。

「ラインが徐々に下がってきているらしい」
「どうして」
「さあな」
「獣(ビースト)といい、雪といい。人が住みにくくなってきてる気がする」

悪い方向に考えたくはない。
しかし、この環境の変化。
根は一つなような気がしてならなかった。

「獣(ビースト)、どこから来るのかな」
「知りたいか」
「もちろん。でも」
「専門家には勝てない。彼らでも手に余る問題だ」
どうしようもないのか。

「このデュラーンでは、な」
「国外に?」
「ああ」
「行きたい」
知らず、ラナーンはアレスへと身を乗り出していた。

「デュラーンのこと、よく学ばない内でって思うか?」
「いや。外から見るといい。自分のいた国の姿が見えてくる。いいところも、悪いところも」

その足で歩み、その目で見、その耳で感じる。
受け入れるだけでなく、自ら手を伸ばして掴む。

それが生きるということなのだと、外に出て分かった。
知ろうとし、得ようとしなければ、何も手に入らない。

「明日、凍牙に登る。ディラス王と来たときとは違う。足を使わなければならない」
「覚悟はしてる。想像以上だったって、言うかもしれないけど」
「言うのはいいが、祠に着いてからにしてくれよ。俺は抱えて登頂なんて嫌だからな」
「そんなに弱くはできていないと思うけど」
「登ってみれば分かることだ」

ラナーンはまだ遠い山に目をやった。
凍りついた山は、人間を拒絶しているように思え、寒さに肩を抱いた。





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