Silent History 10
眩しい光が、順応しきっていない目を貫いた。
痛みに目蓋を堅く閉ざし、枕に顔を埋めた。
小さく呻き、抱え込んだ枕から目尻を出す。
降りかかる黒髪の向こうの世界を見る。
どこだろう。
目を伏せ、また開いた。
そうか。
目を開いてから何分経ったかわからない。
ようやく自分の置かれた状況を理解し始めていた。
目元に手をやった。
泣いてはいない。
あれほど大きなものを捨てたのに、涙すら出ない。
意外と淡白なのか、それとも鈍感なのか。
鈍った両腕と脚の筋肉に叱咤するように、のろのろと体を起こした。
ベッドの上で、座り込んだまま、首をめぐらすと目の前が窓だった。
服を着替えないで一夜を過ごしたのは、おそらく初めてだった。
目が光に十分馴染んだところで、ベッドを降りた。
素足のまま、窓に歩み寄ると鍵を外してガラス戸を開放する。
一度にいろんな物が飛び込んできた。
日は天頂に差しかかろうとしている日の光。
眼下の通りには、昼間の騒がしさに溢れていた。
首を引くと、外に背を向けて窓に腰掛ける。
扉が軋んで開く音がする。
閉じていた目を持ち上げた。
「おはよう、王子様」
「おはよう、アレス」
恭しく膝をつき、デュラーンの礼に則り
左腕を腹の上で横に倒す。
引き上げた口元のまま、ラナーンの指先を捕らえようとして手を伸ばした。
しかし、すくい上げた手は空しく宙を切る。
ラナーンは引っ込めた手を返して素早く、アレスの額を弾いた。
「あいにく、おれは王子様じゃないんだ。探しものなら城に行け」
「寝惚けてないようだな」
アレスは膝を払って立ち上がった。
「いつから起きてたんだ」
アレスが使った痕跡はあるものの、寝具はきれいに整えられていた。
「朝になってからだ」
「それで外を徘徊してたのか」
「散歩と言え」
アレスはラナーンの腕を引くと、窓枠から離した。
「疲れはとれたか。明日出発する。時間はまだ」
「だいじょうぶ。よく眠ったから」
「腹は」
「ああ。うん、減ったかも」
寝起きだ。ようやく目が光に、頭が現実に慣れてきたばかりで
腹の心配まで、回らなかった。
着替えて顔を洗っておくように告げると
アレスは宿屋の主人に食事を用意してもらうために、階下へ下りて行った。
板敷きの床が、アレスの足音を部屋の中まで伝えてくる。
城の料理人、何十人もが一斉に手掛ける食事に慣れたラナーンの舌でも
この宿屋の料理には、十分満足がいった。
アレスの宿屋選びの能力に、感心したほどだった。
朝食前には必ず出されていた茶も、アレスが宿屋の主人に頼み、用意させていた。
その手回しのよさにも、いまさらながら気づく。
アレスは、ただの近衛ではない。
二人で遅すぎる朝食、早めの昼食を取り終えると 早速街へ出た。
自然の壁。
そびえ立つ山脈直下の街だ。
西へ抜けようとする者、逆に東へ抜けて来た者が交じり合う 賑やかさがそこにあった。
デュラーンの城下街のような静けさや、穏やかさは遥か遠い。
必要な物資は朝、街を一周しながら頭の中でまとめてあった。
閉店のプレートを裏返す店を眺めつつ
それらをどこで買えばいいのか注意して歩いていた。
まったく知らない街ではない。
ラナーンのお守りをしていたとはいえ、彼のように箱に閉じこもってはいなかった。
デュラーン国内だけでなく、海を経て世界を見る。
外を知ってこそ初めて、内を知ることになるのだと
アレスに語ったのは、国王ディラスだった。
広く知り、理解することを、アレスに望んだ。
デュラーン王は、文武備わったアレスだからこそ、ラナーンを託したのだ。
店屋の中には、若い女性二人がカウンターを挟んで立ち話をしていた。
その服屋の隣では、大きな枠に収まったガラスを小太りの男が拭いていた。
古びた茶色い木の椅子が、割れそうな音を立てている。
表面は濁りなく、少し傾いた太陽の光を反射していた。
歩道を歩く背の高い男の手前に、小柄な少年が映る。
クレアノールを思う。
アレスは幾度も山脈を抜けた。
クレアノールの道は慣れ親しんだものだ。
しかし、最後に通ったのはいつだっただろうか。
少なくとも半年は山脈に向かい合っていない。
その間にも、クレアノールの状況が悪化している話は常に聞いていた。
人を斬る剣を知らないラナーンを連れ、クレアノールを越える。
道を誤ったかもしれない。
時間がかかろうとも山脈を迂回して、海路を取ればよかった。
ラナーンの剣術は、アレスが教えた。
彼の力を侮るわけではない。
ただ、ラナーンは血を知らな過ぎた。
いざというとき怯めば、命を落としかけない。
ウィンドーを切れ長の目で睨みつけながら、アレスはラナーンの隣を歩いていた。
アレスが懸念する、クレアノールの噂。
「クレアノールの獣(ビースト)」
アレスの口から脈絡なく漏れ出した言葉に、ラナーンは歩調を緩めた。
「噂は、聞いたことがある。城の中で」
話の続きを、ラナーンが上目遣いで請う。
獣(ビースト)は、その名の通り「けもの」だ。
動物と獣(ビースト)との境界は、明確ではない。
基本が四足で地を這う。
ただ、曖昧だったがイメージは微妙に異なっていた。
「獰猛で肉食。魔物に近い、けもの」
それが、獣(ビースト)だった。
「クレアノール山脈に潜む、獣。知っているだろう」
「だから、山脈に道が通されたんだ。樹木の茂る森を抜けるのは、食われに行くようなものだから」
「もし、それがクレアノール内部にも影響が及んできているとしたら」
アレスは、ラナーンを横目で盗み見た。
重なり合った目は、驚きに開かれていた。
「クレアノールの山、だけじゃなかったのか」
物資産物は、大量輸送が必要だ。
よって山脈道を抜けず、海路を取る。
小国のデュラーンだ。
半日も掛からず西方から東方へ、山脈を跨ぐことができる。
物資面の供給が滞ることはなかった。
「気づかなかった。城にいたのに」
国土整備を統括する、政治の中心都市にいたはずなのに。
「深刻、なのか」
聞くまでもない。
あえてラナーンに言わなかったアレス。
今も、すぐには答えを返さない様子から分かる。
「増加しているんだ。急激に」
「原因は。生態系の一時的な変化、とか」
「まったく、不明だ」
治安の行き届いたデュラーンで、恐れるのは山賊や盗賊ではない。
獣(ビースト)だ。
「これまでの獣の増加率は、ずっと右肩上がりだった。緩やかだけれど、増えてきているのは、確かだろう」
なのに、今更なぜ。
ラナーンは、こちらを見ようとしないアレスの横顔を追う。
「クレアノールに、制限が掛けられた」
「通れないのか」
「安全ではなくなった、ということだ」
まだ目で見ぬ、獣。
ラナーンには、それがどのようなものか想像が及ばなかった。
深い色をしたアレスは、それに出会ったことがあるだろうか。
重い沈黙を背負うアレスに、声をかけることができなかった。
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