Silent History 09






ルニエに行こう。


言い出したのは、ラナーンだった。




デュラーン城からわずかに南へ。

徒歩で一日とかからない。



デュラーン王国の中央に位置し、島を二分するする山脈がある。



クレアノール山脈を越えれば、平野が広がる。

そして、山。

その間に都市と街が点在している。



クレアノールの手前、東側にはデュラーン城がある。
海際は海洋都市が発達し、隣国ファラトネスとの交流が盛んだ。






件のルニエは、そのクレアノール山脈東側のふもとにあった。

山脈は東西デュラーンの壁としてそびえ立っている。


容易には越えられなかったその山脈を貫くように道を通したのが
ディラス王から三代前のデュラーン王だった。


現王は、祖が築いたクレアノールの道を発達させた。





「ルニエに行って、山脈を抜けるつもりか。西方へ行った後はどうするんだ」

このままデュラーン王国に留まるつもりではないだろう、とアレスの瞳が暗闇の中で光る。
城壁から離れ、城の灯りも今は遠い。


「デュラーンを出るなら船しかない。とすれば、海路が通じているのはこちら側だろう」




山の西、海の東。



外に出るのであれば、クレアノールを抜けて西デュラーンに行く必要はない。

「東に行く理由は」

「祠に行きたいから」

アレスも随分昔に行ったことがあった。
ユリオスとラナーン、それに彼らの父親もいた。

「何があるんだ」

「わからない」

アレスは、ラナーンの言っている意味がはっきりとは汲み取れなかった。
ただラナーンが酷く疲労しているのは、暗闇であっても口調を通して読み取れた。


これ以上問いただすのは酷だ。

「今夜はデュラーンの街で休もう」

「城下には、行きたくない」

「ならば、ルニエまで歩くのか。俺はいいが、お前の体力が」

「平気だから」

だから、今は少しでも城から離れたい。
誰も追ってこられないよう、遠くへ。



「分かった。倒れたら俺が横抱きにして運んでやる」

「それは絶対に嫌だ」

「なら、しっかり歩けよ」

クレアノールの向こう側。
祠はまだ、遠い。






穏やかな農村地帯が広がる。
風も柔らかい。

舗装された石道や、均されただけの土道を踏み歩き
何度か、道脇で短い休息も取った。


ラナーンの神経は、まだ尖っている。


少し寝ておけと、アレスは袋に入れていた布でラナーンの顔に陰を作るが
ラナーンは目を閉じようとはしない。

城からの捜索隊が来るのを、恐れているからだ。






ルニエに着いたのは、日が落ちかけた頃だった。
アレスはすぐに宿を見つけると、手早く宿泊の手続きを終える。

ラナーンを抱えるようにして部屋へ入ると、ベッドの上へ下ろした。

「疲れただろう」

向かい側のベッドへ腰を下ろし、襟元を緩めたアレスの表情にも疲れが見える。
ラナーンの頭が微かに動く。

「もう、大丈夫だ。誰もデュラーンの王子がここにいるだなんて思わない」



宿屋に入る前に、ラナーンにはローブを被せておいた。

中年の女主人は首を垂れたラナーンの顔を覗き込んだが
訝しげだったその様子も、彼の表情を見て一変した。

幼さの残る顔と、白い顔色が目に入り
心配し、すぐに部屋を用意してくれた。

必要なものがあれば、すぐに言いに来るようにとの気遣ってもくれた。



「だから、今は眠れ。クレアノールは長いんだからな」

「アレスも」

「すぐに眠る。心配するな。見つかったらお前を抱えて窓から逃げてやるから」

笑みを返そうと口元を上げたときには、黒の瞳には目蓋がかかっていた。












奇妙な動悸。

不安。

沈黙。

そして少しの緊張。

血が沸き立つ。




聞こえる女の、声。

成熟しきっていない、幾分か幼さを残した声。

細く。

しかし、決して緩んではいない。


あたりは、暗闇だった。

声は、まさに真っ直ぐに張られた糸のようだった。

触れば切れるのは、こちらの指だろう。



「やみ、が」



頭の中へ直接流れ込んできた。

この声は、自分の想像か。
自分の夢なのか。

まぼろし、なのか。

印象的な声だ。

一度聞いたら忘れないだろう。

それなのに、これまでこの声は聞いたことがなかった。

この声を知らない。


「古の魔(やみ)が」

高く、それでいて重みを感じさせる。

少女の声ははっきりと言葉を刻む。

「やがて人界にて、光を求めるだろう」

この声の主は、誰だ。

誰だ、お前は。
しかし声は出てこなかった。

「サロア」

明らかに、こちら側の疑問に答えた。

「ときはみちた、われにちからを」

なに?

途切れた言葉の先は無かった。

意味が分からない。

断片的過ぎて、繋がらない。

彼女であるはずがないのだ。

なぜなら、彼女は。












アレスがベッドを軋ませて、上体を起こす。

しばらく皺の寄ったシーツに目を落としていた。

早起きの鳥たちが、小さく鳴いていた。
彼らの仲間が起き出すのには早い。

カーテンのない窓からは、緩い光が流れ入ってくる。

ラナーンが寝息を立ててから隣のベッドに腰を下ろしたまま
アレスはこの先のことを考えていた。


西のデュラーンへ抜けて、ラナーンが目指す祠へ向かう。

旅慣れしていないどころか、外気にさえほとんど触れる機会がなかったラナーンだ。

環境の変化が、直接体力を削っていくはずだ。



それだけではない。

クレアノールの嫌な噂を耳にしていた。

考えてばかりいてもしかたがない、と冴えた頭を無理矢理寝かしつけたのは
すっかり民家は灯を落とし、酒場も盛りが過ぎたころだった。






ほんの少ししか眠っていないはずなのに、目は冴えて気分もすっきりしている。

夢のせいもある。
頭はまた、昨夜の考え事の続きを始める気なのかもしれなかった。

窓から目を離し、隣のベッドを見た。


今までにない、大きな決断を下したのだ。

城の壁は、やはりひどく高かった。
断ち切る鎖は、あまりに重かった。


決して上等とはいえないベッドで慣れない朝を迎えて、身体を痛めないだろうか。

離れることがなかった父親や従妹と会えなくて、辛い思いをしないだろうか。


ふと手を差し出そうと伸ばして、思い直した。
自分の過保護ぶりに苦笑する。


甘やかしすぎだな。


ラナーンは、もう子どもではない。
自分の意思で動けるようになったのだから。


ラナーンはそんなに弱くは作られていない。


硬いベッドでも、平気だ。
城内にある湖の辺、あちらの方がよほど冷たいだろうし、硬い。

アレスは引き戻した手で自分の顔を撫でた。





サロア神、彼女のことを考える。


歴史書では彼女の容姿が細かに描写されている。

彼女は今でも「存在して」いるのだから。

生きたまま己が身を封印してから千年以上たった今も
変わらぬ姿で眠りつづけていると、書物には仔細が書かれている。



アレスがその本を手にしたのは、デュラーン城へ仕えるようになって間もなくだった。

忙しなく動いている大人の間を縫いながら、城内探索をしていた。

アレスの父親は王の間へ召喚されており、自由に色々な場所を見て回れる絶好の機会だった。

現デュラーン王、ディラスとの初見のとき既に
好きに城内を見てみるといい、との許しは得てあった。

唯一アレスを束縛する父親は側にいない。




少年が最初に活動範囲を広げたのは、城内で五本の指に入るほど
厳しい装飾の門の中だった。


希少書物の一部だろう。

司書の隣に置いてあった重そうな本に目がいった。
皮が古めかしく、それでいて細やかな飾りの施されアレスの好奇心はくすぐられた。

ふくよかな女性の司書は、アレスを隣に座らせると
難解な古語で書かれた物語を、読み聞かせてくれた。




遠い北の国には神がいる。

白の聖衣と聖歌に守られ、神殿の奥深くで静かに
少女の姿のままサロア神は眠りつづける。


目覚めのときを、誰も知らない。

何の為にそうするのか、わからない。

大戦を終えた疲れのためか、他に目的があるのかなど
多くが知られることないまま、彼女はたった一人で眠りについた。


そのサロア神が先程アレスに語りかけたというならば、幼い声もわかる。

だがわからないのはその内容だ。

封印から千五百年。

封じられた魔(やみ)が人界へ光を求める。

アレスは胸の内で繰り返す。


封印が解ける、魔が世界に溢れ出す。


「そういうことなのか?」

アレスは首を振る。

彼女たちが封じた扉が、開くというのか。

馬鹿げている。

なぜサロア神が小国の従者へ語りかける必要があるだろうか。
アレスとサロア神との関係は皆無だ。


単なる夢だ。気に病む必要など無い。








朝が来る。


ラナーンにとっては初めての城外で迎える朝となる。

















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