Silent History 07






なぜ、このようなことになったのだろう。

これは、夢だ。

もうすぐ朝が来る。

そうして、目が覚めて。

すぐにアレスがやってくる。


「おはよう。ちゃんと起きてるか? なんだ、まだ寝惚けてるな」


からかいながら、目を擦るラナーンの側に座る。



ラナーンは

「早起きは年寄りのはじまりだぞ」と、せめてもの反撃をするのだ。


アレスは、答えるだろう。

「寝てばかりいると、脳みそが溶けるぞ」と。





なのに。




どうしてこうなってしまったのだろう。






目頭が、熱くなる。
もっと、叫べばよかった。


できないくせに。


自嘲して、顔を伏せた。
深呼吸する。



箒を握り締めた掃除婦がラナーンに声をかけた。
返事をするどころか、目を向けることもできなかった。


籠を手にした夫人がラナーンに駆け寄った。
果物が、編み籠の中から甘い香を広げる。
いつものように、笑いかけることはできなかった。



どうすればいい。


なにができる。

余りに無力で、余りに小さな存在が。




どうすることもできない現実を嘆くより、父親の意図が読めないことのほうが悲しかった。




大理石の廊下は続く。

人の数は、減った。
ラナーンの自室が近づいている。

大きく足早に叩きつけてきた歩調が、早まった。
耐え切れず、走り出す。

叩きつけるように開けた扉を、廊下に響き渡る大音響で閉ざした。

誰も踏み入れられないように。

もう、見咎める者はいない。


どうすればいいのか、答えてくれるものはいない。


「失くしたくないんだ」

ユリオスも、エレーネも、父も、みんな。

「誰か」


助けてくれ。




ベッドに駆け寄った。
体を投げ出して、シーツを握り締める。

「大切なもの、奪うくらいならいっそ」

すべて壊して。

消えてしまえばいい。
そうすれば、何もかもうまく回る。

「そうすれば、楽になる」

死ねる勇気もないくせに。

情けなさに、余計に涙が出た。

「結局自分では何もできないんだ」

このまま朝を迎えて、夜が来て、五日後には婚約が宣言される。
何もできないまま。





死にたい。

でも、死ねない。
































何分経っただろう。
それとも、何時間?


日は、まだ落ちていない。





逡巡した。

泣いた。

涙が、頭を冷やしてくれた。

何をすればいいのか。

何がしたいのか。


わからないままだけど、確かなことが一つあった。

このままでは、いられないと。

もう、答えはでているんじゃないか。










顔を上げた。
鏡を見なくても分かる。

ひどい顔をしているだろう。

頭が痛むけれど、気にしている場合ではない。

幽霊のように立ち上がる。


しなければいけないと、決めたのだ。


そうすると、やらなければいけないことが、山積みだった。
気は進まない。
日が完全に落ちてしまうまでに、片付けなくてはならない。

ラナーンは、両側に明かりの灯る階段に顔を向けた。
部屋は、こんなに静かだっただろうか。











「ここに来るだろうと思っていたよ」

壁を撫でながら地下へ降り着いた瞬間、声が反響した。
あるはずのない人声に、悲鳴を上げそうになった。


「兄上」

まだ跳ね上がっている心臓を、服の上から押さえつけて掠れた声で呼びかけた。

まともにユリオスの目を見ることができなくて、ラナーンは顔を反らした。
石造りの床に光を反射して水が流れる。

地下の水路はラナーンのお気に入り場所だ。
雨で外にでられないときは、大抵ここで過ごす。
一人になりたいときも。

「どうした?」

ユリオスの問いに答えることができない。

兄はいつだって弟を気遣ってくれる。
顔の曇りもすぐに見つけてしまう。

腫れた目を見て、声をかけずにはいられない。


「エレーネにでもいじめられたか?」


ユリオスは無理には聞き出そうとしない。

ラナーンは首を横に振った。

「とにかく休んだほうが良さそうだ。上に上がろう。ここは冷える」

ユリオスが階上へと促す。
だがラナーンはまたも首を振り、上へ上がろうとしない。






「あの、兄上」

胸が締め付けられているような苦しさを覚えながらも、必死で声を出そうと試みる。

それでも兄はだまって次の言葉を待っていてくれる。
何て慈愛に満ちた瞳だろう。

彼を、悲しませることなどないのだ。

ラナーンが顔を伏せた。細い肩が小刻みに震えている。



「兄上は、エレーネをどう思っている?」


「従妹だよ。兄妹みたいなものかな。ラナーンと同じだよ」


「おれは、そんなこと聞いてるんじゃない」


大切なことだ。






一言で、すべてが終わる。

すべてが、はじまる。





「愛しているよ」

「どのくらい」

「ラナーンも大切だ」

「エレーネが側にいなくても平気?」

エレーネがラナーンの妻になっても平気だと言い切れるか。

「いや」

「大切なんだ」

「ああ、一番。愛してるさ」

最初で最後の反抗になるかもしれない。
もう、戻れないかもしれない。








「わかった」

はっきり、わかった。
他人の幸せを壊すなんてごめんだ。

エレーネがあの時何を思ったか知らないが
確かにエレーネはユリオスを愛しているのだから。

だから、ラナーンは幸せを壊したりしない。
ユリオスを苦しめたくはない。
エレーネに幸せになって欲しい。













「おれはここを出る」






外の世界へ。

兄を見上げた強い意志の瞳は涙で濡れてはいたものの、決めたことは覆せそうにもなかった。

「何があった。話してみろ」


いずれ、兄にもわかるだろう。


「何もない」




せめて、今は

別れのときは

幸せのままで、別れたかった。




嫌だった。

願わない結婚も、それでだれかが苦しむのも。




「私には、お前を止められないのか」

「止めても、変わらない。本当に、何もなかった。ただ、外に出たいだけだ」


ラナーンが、これほど強く望んだ記憶がユリオスにはなかった。

それでも
止められないと分かっていても、感情は納得しない。





ラナーンを抱き寄せる。
胸に埋まったラナーンの頭にささやく。

「行かないでくれ。お願いだ。なぜ、出て行かなきゃならない」

「言えない。もう、決めたから」

「外に出たいなら、もう少し待ったらいくらでも出られる。成人したら」





泣いてもいいだろう。

最後なのだから。

もう会えないかもしれないのだから。

ラナーンは兄の服を握り込んだ。


「今じゃなきゃ、だめなんだ」



婚約が知らされぬうちに。

話が広がらないうちに。

気持ちが揺らがないうちに。





「ごめんなさい」





「何を謝るんだ」

「兄上にデュラーンを押し付けて、おれは逃げる」




だから、ごめんなさい。



何度謝罪しても、償われないと分かっていても。

エレーネを奪うことなど、できない。

「他に、方法はないのか」

「ない」

子どものように泣きじゃくって、ごめんなさいを繰り返して。





言葉が尽きてすすり泣く音だけが、水音に混じる。



ユリオスが、暴れる背中をなだめ摩りながら、静かに問いかける。

「いつ、城を出るつもりなんだ?」



「今夜」




深いため息と沈黙。

それがユリオスの、ラナーンとの別れへの未練を整理した時間だった。

「もう、止めはしない。ただ一つ約束してくれ」



抱きしめる力が、一際強くなった。

苦しいほどの、兄の思い。


「必ず無事で帰ってこい。お前は、デュラーン王の子で、私の弟だ。決して、忘れるな」



忘れるものか。

デュラーンを忘れられるはずがない。







「いつになるか、わからない」

簡単には戻れない。
先のことなど、分かりはしない。

「忘れられるはず、無いじゃないか。たったひとりの、兄上だ」

ユリオスは、その言葉を噛み締めていた。
ラナーンを抱きかかえた戒めを解いたら、別れがやってくることもわかっているから。












「ラナーン、昔何度か遊びに行った祠を覚えているか」



城の遥か西方に、三代前の王が築いた祠がある。
洞窟の中に作った、建築物とは言い難いものだった。


中には何があるのかと幼かったラナーンは周囲の人間に尋ねた。



返ってきた答えはみな、「知らない」というものばかりだった。

あれから随分と時が流れ、すっかり記憶の片隅に追いやられていたのだが。




「もしかしたら、使えるかもしれない」

「いったい何が」

「私も知らないんだ」

「言ってることがわからない」

ユリオスが声を立てて笑い、抱え込まれたラナーンが揺さぶられる。



「私ができるせめてもの餞だ。行ってみるといい。ようやく外に出られるんだろう」

それだけ言うとユリオスはラナーンの肩へ優しく手を置き、体を離した。

「約束は、忘れないでくれ」


笑顔は、虚勢と優しさだった。

さよならを言うこともなく、ユリオスは地下を去った。







城を出る。



家族も、何もかも捨てて。


城を出たらもう今までのラナーンではない。



ラナーン・グロスティア・ネルス・デュラーンはではなく

ただのラナーンになるのだ。




もう、後には引けない。




そのときはじめて


ラナーンは、真っ直ぐに前を見据えた。













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