Silent History 06






王が長い溜め息をついた。
緊張で肩が強張っている。


それはエレーネも同じだった。
滑らかな薄紫の髪が、息に合わせて揺らいでいる。






「これで、よかったのだな」


王が目を伏せた。
十分もない面会に、ひどく体力を消耗していた。 これが苦しみの始まりなのだとわかっているから、余計に体へ重みがかかる。

「正しい選択です」

「正しい、か」

そうだとしても、同じ別離の瞬間ならば本心で向き合いたかった。
これではあまりに辛過ぎる。


「父親として、正しいと言えるか分からない」

「いずれ、ラナーンも王の意思を理解するときが来ると思います」

そのときに正しいか誤りか判断するのは、ラナーン自身。

「親の所へ戻ってきますわ。ラナーンの家はここですもの」

エレーネが頬を緩ませようとするが、いつもの柔らかな口許の半分すら引き上げることができなかった。

エレーネも、ラナーンの覇気に当てられていた。
垣間見せた威圧感は、父の気迫も食っていた。


王へ言葉を発しながら、エレーネ自身をなだめていたのかもしれない。

「ラナーンが戻ってきたら、そのときは父として迎え入れてあげればいいのです」





胸を痛くするのは、良心ではなく
ラナーンを失った愛情だった。

「ラナーンはきっと、もっと痛いのでしょうね」

決して泣かないラナーン。
辛くて、苦しくても、いつも笑いかけてくれる、ラナーン。

「泣かせてしまったかもしれませんわ」

眉を寄せて床へ目を落とした。
目蓋が熱くなって、堪えるように奥歯を噛み締めた。

いますぐにでも、駆け出して、ラナーンの名を叫んで探し出して
ごめんなさい、行かないでと抱きしめたかった。

でも、それはできない。

一番そうしたいと思っている王でさえ
肘掛を握り締めて耐えている。

放っては置けなかった。





可哀想なラナーン。

兄を想って

捨てきれなくて

自分まで国という鎖に絡まれ身動きできずに、苦しんでいる。




人生を
他人との関係を
上手く生きてはいけない不器用な子。




でも、わかってほしい。
あなたは何も気付いてはいないけれど
他を想い過ぎて苦しんでいるあなたを見て
心を痛めるひとがいるということを。


エレーネの心は言葉としてラナーンに伝えられなかった。




「私の息子たちはどうもひたすら耐えるように育ったらしい」

誰の血を受けたせいなのか。
それも人として大切な個性。
もう少しうまく生きられたなら、と息子たちに願うのは欲の現れ過ぎかと
王は内心苦笑した。






高い天井を仰ぐ。

「我々は要を僅かに揺すったに過ぎない」

まだ幕は上がったばかりだ。

「舞台の進行を計るのはラナーン」




舞台を血で紅に染め抜くのか

あるいは自身の幸いを手にするのか。



「選ぶのもまた彼自身」




真面目な顔。
それを見てエレーネが言葉を漏らした。

「甘いのですね」

皮肉でも悪言でもなく
慈愛に満ちた口調だった。

「貴方は本当に息子には甘い」

王は気づいていないだろうが。

子の未来を想い、自ら憎まれ役をかってでた。

思えばこの、「いたわり」という共通点こそ
父から子へと受け継がれたものではないか。


その、やさしさ。


「その甘さが時に、貴方の弱みとなることもあるでしょう」

「手厳しいな」

「どうか、父親であると同時に王であることをお忘れなきよう」

王の苦笑が唇の端から洩れる。




「ラナーンの帰る場所を守れるのは、貴方だけなのですから」




デュラーン王の目が、大きく開かれた。


「ああ、守ってみせるさ。愛する者が住むこの国を」

エレーネの最高の賛辞と
送られてた最上の笑顔に王はどれほど救われただろう。






ラナーンは自由を欲していた。
王は今の彼が最も望んだものを手にさせた。
多少強引で、しかも半強制的に、ではあったけれど。


だから、デュラーン王。
そんなにお悩みにならないで下さい。
今は確かにラナーンは父王を恨んではいるかも知れない、しかし。

「ラナーンが父から与えられたものに気付くには、少し時間がかかりましょう」

しかし気付くはず。
父の取った選択が正しかったということが。

注がれてきた愛情が、証明してくれるはず。



悲しませてはいけないと、強がるラナーン。
本当はもろく、繊細。王の子という重みが彼をそうさせ、拘束する。

少しでもそれを代わりに背負ってあげたい。
それがラナーンを見つめる者の思い。

「今日はラナーン生誕の日。今年私がやれる祝いの品が『自由』だった」

派手でなく、身内で行われる質素な生誕の祝い。
この国の色を示す一面だ。
それでも楽しかった祝い事。
ラナーンにとって、今年は辛いものになったかもしれないが。








「式の時までにラナーンは城を出るだろう」

自分の意志で、ラナーンは城を発つ。

エレーネを奪い、兄を苦しめるくらいなら自分が消えてやる、そう思って。

ラナーンに会えなくなる。
やりきれない寂しさが胸のうちに湧き上がる。


父は子を失い。
従姉妹は大切な親類を失う。



場合によっては、ラナーンは二度とこの国に戻ってはこないかもしれない。
確実なものなど何もないのだから。


それでも息子に望むものを与えたかった。




「生きるべき道に決まった運命など無い、と信じたかった。私は彼の兄の道を決めてしまった。ユリオスは私の後を継ぎ、民を守らねばならない」

ラナーンはその兄を、側で見ていなければならなかった。

ユリオスもラナーンも苦しめたくはなかった。

彼らを見て、苦しみたくなかったそれだけなのかもしれない。
国王以前に父であるエゴだったのかもしれない。

それも、今はどちらでもいいことだ。






「おまえがいてくれてよかったと思うよ、エレーネ」

ありがとう、と感謝を込めて。
細めた目を、エレーネへ向けた。

「今度はおまえの願いを叶えよう」

地位でも、宝石でも無いエレーネの願い。

「わたくしが欲しいのは一つだけ」


お金ではない。
欲しいのはたったひとつの言葉。
それ以外に、望むものは何も無い。



「その前に、少し話を聞いてはくれないか?」

唐突の申し出にエレーネは戸惑った。

「話、ですか」

「少し前の話だがな」






エレーネは玉座の前、床の上に腰を下ろした。
布を豊かにに使ったドレスの裾が花に広がる。
質素で装飾を控えた衣服は、エレーネの清楚さを引き立てている。

静かな灰色の目が王を見上げた。



「ユリオスが、私の元へやって来た。なに、特に珍しいことでもない。私はいつものようにここに独りでここにいた」

王が座っている玉座を、二度軽く叩く。

「ただ、いつもと違っていたのはユリオスの様子だった。何か、まとう空気に覇気が感じられるというか」

普段の穏やかな雰囲気とは違う、ユリオスの姿だった。
例えるならば、音もなく青く揺らめく炎。


「切り出したのはユリオスの方だった」

真っ直ぐに見据える澄みきったユリオスの瞳に、王は言葉を紡げなかった。

「頼み事がある、そう言ってきたのだ。あれほどにまで深刻な顔は、今まで見たことが無かった」




エレーネは王の一言一言に、注意深く耳を傾ける。
ユリオスが自分から願い出るなど、滅多にある行為ではない。

「あれは言った。一つだけ欲しいものがあってお願いにあがりました、と。何が欲しいと言ったと思う?」

エレーネは答えられない。
何が欲しいと、エレーネの前ではもらしたことの無いユリオスだ。
エレーネにはユリオスが何を望んだのかわからなかった。









「おまえだよ」







王の一言が理解できない。






わたくし






固まったままの、エレーネの思考を読み取ったかの様に、王が続けた。


「おまえだ」


王が断言する。

「ユリオスはな、おまえがほしいと、エレーネを妻にしたいと言ってきた」

王はそれを聞いた時、驚きを隠せなかった。

しかしそれ以上に嬉しかった。

「エレーネを手に入れられれば、すべてを受け入れようと」

国でも何でも背負ってやると、王を睨みつけた。

ユリオスがエレーネを見つめる目は他人に対するそれとは違っていることを
王はずいぶんと前から知っていた。

優しい視線の中に、エレーネだけには何か特別な慈しみの色を含んでいた。
お互いに、お互いが特別な存在であると、気づいてはいなかったが。




「そんな! うそですわ、そんなことって」

エレーネの動揺しきった姿を、ほほえましく思った。

「わたくしを」

からかわないで下さい、と続くはずの言葉が詰まった。


エレーネは顔が火照るのを感じた。

冷静沈着と噂高いエレーネの声が熱を帯びている。

「本当のことだよ。忘れようにも、あまりに印象が強すぎてな。ユリオスは、おまえがほしいと言った」

プライドも何もかなぐり捨てて、ユリオスの名を大声で呼び出しそうになった。
愛していますと、喚きたくなった。

他国との関係を考えた結婚は、ユリオスにさせなくてもいいと思っている。
ユリオスの思いを優先してやりたい。
あのユリオスが言った初めてのわがままだ。

叶えてやりたい。








「私の話は終わった。今度はおまえの話を聞こう」

「いじわるですわ」

顔を赤らめて、反論するエレーネ。
しかし、言葉に力が入っていない。

子どものように、声を震わせて。
目に涙を浮かべて。

「わかっておいでのはずでしょう?」

エレーネのほしいものを知っていて、デュラーンの王は質問をかけてくるのだ。
憎らしい。

「わたくしが欲しいのは、愛しい人だけですわ」

先ほどと同じせりふだが、発せられる声は穏やかさを増し
愛しく思う気持ちに満ちている。

「わたくしが欲しいのは、ユリオスただひとりだけです」

他には何も望むものはない。

王を見上げる。
返事を待つ。

「ユリオスも同じことをいった」

エレーネだけが側にいればそれで満足だと。
ならばもう、答えは出ているではないか。





「私は、もう許しておる」





王も、愛する二人がいっしょになることを望んでいた。




「ありがたいお言葉。ほんとうに―」




エレーネは深く、深く頭を下げた。
敬愛する王へ最上級の、感謝の意を込めて。












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