Silent History 05






「お呼びですか、父上」

透き通った高い声が響く。






忠実なラナーンのお守り役はデュラーン王の命を守り
彼の愛息を玉座の間まで連れ行った。


玉座には王、隣に控えていたのはエレーネだった。

エレーネが玉座の横に立っている風景は、よくあることだ。
ただ、足りないものがある。

臣下一人すらいないまさに身内だけ。
そのはずなのだが、一人欠けている。


ラナーンの兄、ユリオスだ。














「良い知らせがある」

目を細めて嬉しそうに、王がまだ色の優れない顔を緩めた。
ラナーンが父の笑顔を見るのは久しぶりだった。



体調の好転を喜ぶ声を掛けようと口を開く前に、王の言葉に遮られた。



「婚約が決まった」



エレーネは表情を変えず沈黙を守っている。





「兄の、ですか?」

考えられる可能性は、それしかない。

漸くエレーネとの婚約までたどり着いたのか。
ならば嬉しい事この上無い。


単純な方程式を組み上げ結論を出したのは
父の表情が体調回復の兆候を教え、ほっとしたせいなのかもしれない。


次の言葉を、受け止め切れなかった。







「お前のだ、ラナーン」








まったく予想していなかった答えに思わず硬直してしまう。
言葉が紡げず、空白が空間を占めた。







「どういうことです、いったい。そのようなこと一度も」

言葉が詰まる。
あまりに急なことに、思考は完全停止する。






「五日後に、婚約披露式を執り行う」

呆然とし、強張りの取れないラナーンにさらに追い討ちは掛けられた。
重々しい口調で王は告げる。

王が病んでいることすら頭から抜けていた。
口調はまるで、罪人を裁く裁判官だった。







「相手は」

これ以上どういう審判が下されるというのか。
ラナーンはゆっくりと顔を上げる。











「エレーネだ」






ラナーンの瞳がこれ以上無いほどに見開かれる。
喉が小さく、引きつった悲鳴を上げた。


よりによって、エレーネだと。

彼女は兄の想人だというのに。


反論しようにも言葉がまとまらず
叫ぼうにも息がうまく継げなかった。



歪む視界の中で、エレーネを見た。

彼女は動かない。


人形だった。
磁器の人形だった。
ただ冷たく、美しい。

それが今は憎くすら思えた。


どうして拒絶しないんだと、子どものように喚きたかった。





叫んでもどうしようもないこと、分かっている。

それでも、この湧き上がる言葉にしきれない感情は、どうしたらいいか分からない。






何かが弾けた。

押さえつけていた
必死で出すものかと押しやっていた感情が
生を感じさせないエレーネの姿と王の最後の一言で決壊した。




ならばどうなるというのだ。




ラナーンにも言わない、兄の苦しみをどうしようというつもりなのか。

知らなかったでは済まされない兄、ユリオスの心を
つぶすような真似をするというのか。

愛している人に愛の言葉もささやくことができない
内に秘められた兄の、エレーネへの想いはいったいどうなるのだ。




ユリオスは受け入れるだろう。

愛するエレーネが自分のものにはならず
弟であるラナーンのものになったとしても。

仕方がないさと苦笑して目を閉じて
あきらめる。

自分の大切にしてきたものを、
いつだって弟のラナーンに分け与えていた。

ただ一人の兄が自分を愛していてくれていたからこその行為。
それを裏切ることになるなんて。

ラナーンに言うだろう。
笑顔で祝福の言葉を。

誰を恨むことも無く、腹の底で感情をすりつぶす。
それがユリオスだった。


耐えられない。

これ以上兄の耐える姿を見るのは辛すぎた。
ラナーンは耐えているユリオスに、さらなる重石を積み上げることになるのだ。



エレーネを、兄が唯一愛している女性を奪うことで。



その恐ろしい考えが、喉の奥が熱く言葉を震わせた。













「貴女は、平気なのか? エレーネ、貴女は何も不満は無いというのか」

最後の望みにかけた。
エレーネが、ラナーンを拒否することを祈っていた。



「王がお決めになったことです」

両手は腰の前で重ねられ、表情は落ち着いたままラナーンを見据えている。
血の通わない姿に、ラナーンの血は一気に駆け上がった。
もはや怒りを止めるような理性は完全に、姿を消していた。



「貴女だって分っているはずだ!」

兄が、ユリオスが、どんなにか辛いか。



「兄が耐えていることに」

誰よりも知っているはずのエレーネが、なぜ?



「自分の欲しいものも欲しいとは言わない」

既に、ユリオスは彼の道を受け入れていたから。
逃げずに、王の子として生きる道を選んでいたから。



「最愛のひとに愛しているの一言さえ言えない」

言ってすべてがうまくいくとは、思っていなかったから。
国のために人生をささげなくてはならないから。



「それを、その現実をわかっていたんじゃないのか」

勇気が無いのではない。
邪魔をしていたのは、ユリオスの置かれた立場だった。

王の長子だ。
望んで生まれたわけではないが、ある以上受け入れなければならない。

事情を一番理解していたのは、エレーネだ。


「だからずっと好きだの一言も言わずユリオスの側にいたんじゃなかったのか」

なのに黙って国王のわがままに従う。



「なぜだ、どうしていまさら。兄の気持ちを分かっていながら、どうして」







言いたいことの五十分の一すら口にできない苦しさが、胸を焼いた。

喉を内側から掻き切られる思いがした。

「口を慎みなさい、ラナーン!」

吼えるラナーンを、エレーネの言葉が鞭打った。
エレーネの瞳は怒りに濡れていた。

彼女がこれほどまで声を荒立てたことは今までなかった。

「王のお考えあってのこと。みっともない。落ち着きなさい」




ラナーンの拳が怒りに震える。

許せなかった。



これ以上兄を苦しめようとする父と
兄の気持ちの唯一の理解者であったはずのエレーネを思う。



爪が手のひらに深く食い込んだ。







「貴女は本当に平気なのか。ユリオスの一番近くにいて、兄の苦しみ、悲しみを包んできた貴女が」

本当に平気だと言えるのか。

「今以上にユリオスが苦しむ姿を見ることになっても!」

ラナーンの瞳がまっすぐに、エレーネを射る。

その目はとても痛かった。
思わず目を逸らしそうになったが、エレーネは寸でのところで踏みとどまる。



表情は崩さない。

胸の中だけでひとつ息を吸う。

ラナーンに気付かれぬように
感情が表に出ないように体勢を整えた。




ラナーンにはその姿が、決意を秘して曲がらないエレーネの意志に見えた。
エレーネの外観は、完成されていた。



「王家に生まれた者の宿命ならば」

エレーネが澄んだ声で言い切った。
ラナーンの怒りを直面に受けて、精一杯の虚勢だった。





ラナーンの呼吸が聞こえる。
決断が下る。
王もエレーネも、予期していた。





「おれはまだ十六だ。結婚など、考えたこともない」








「ラナーン」

それまで黙って二人のやり取りを眺めていた王が口を挟んだ。

「適齢期だ。お前の兄、ユリオスの結婚も既に考えておる」

温かみの消えた声は、ラナーンの心を鋭く突く。

「いずれお前は兄の補佐としての役目を負うことになる」


ラナーンは分かっていた。
もとより、そのつもりだった。
新王を支える役こそ、自分に相応しいと思う。
そして新たな世は、ユリオスとエレーネによって紡がれていくと、信じていた。




「王を支える役だからこそ、まずお前から身を落ち着かせるべきなのだ」

わかるな、と王の目が無言の圧力をかける。
あきらめろ、とラナーンを押しつぶす。



いつものラナーンなら、ここまで王に歯向かうことはない。
自ら事実を消化していく。



だが、この件だけは譲れない。
優しい兄を苦しめたくはなかった。
エレーネがどのように振舞おうと、ラナーンは兄の恋人であるエレーネも愛していた。






「おれも、運命に黙って従えということなのか」

沈黙が広い玉座の間を支配する。
無言の肯定だった。

王の子としての人生。
ラナーンの人生、ユリオスの人生を重い空気の中、デュラーンの王子は考えた。
ラナーンがうつむく。
前にいる王とエレーネからは表情が見えない。






「おれにだって未来を決める権利はあるはずだ」

ラナーンの声は驚くほど静かだった。

垂れ下がる黒髪に隠れ、絞り出されるように吐かれた声は
先ほど大声を上げた弱さは見られない。






「おれは父上の都合の良い人形じゃない!」

顔を上げて叫んだ。
長く我慢してきたものが爆発した。
ラナーンが初めて見せた、エレーネと王への敵意と反抗だった。

幼くはあっても、その威圧感は父王に勝るものがある。
兄の心を想い、押し殺してきた感情があふれ出した結果だ。

ラナーンは玉座に背を向けて走り出した。
ラナーンの足に迷うものはない。








父は計略の勝利を確信したが
やるせなさだけが回復に至らない胸を責め続ける。

王である前に、彼は父であるのだと確信していた。


扉が大きな音をたてて閉ざされた。





回廊を踏みしめる荒々しい靴音だけが
厚い扉を突き抜けて虚しく響いていた。











go to next scene >>>

<<< re-turn to novel page
        or
<<<<< re-turn to top page
















S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S-S
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送