Silent History 04





風が騒ぐ。




不気味に、というわけではない。


通り抜ける木々の間を遊び、精霊のように戯れ駆け回る。

新緑の湿り気を含む爽やかな風だ。
ただ今日はいつもより荒っぽさが感じられないでもない。

風の中で精霊が騒ぎ立てている姿が浮かぶようだった。
風の精霊が引き連れてくる風が、水の匂いも運んできた。


風に混じる人の気配はない。

ざわめく木々。
ささやきあう鳥。
静かに白光を落とす、太陽。








風の通る林を抜けて行くと木々がひらけ、青い湖面が見えてくる。


ほとりの草の上に人がひとり横たわっていた。

厚みのない胸は規則正しく、ゆっくりと心地良さそうに上下している。
伸ばされた体躯は細長く、服の端から覗く手足の色素は薄かった。

年は十六か十七。

顔にかかる漆黒の髪を風がすくう。
瞳も髪に同じく闇の色をしているのかは、今は目蓋に遮られ見ることはできない。
上には線の細い顔が力なく草に埋もれ、人目をはばかることなく腕は体の横に開かれている。
身体を包む綿の衣服は、質素で涼しげだった。


茂る木の向こうから小枝を踏む音が、小さく確実に近づいてくる。


足音は枝の折れる乾いた音から、柔らかな芝生を踏みしめる湿った音に変わった。
淀みなく近づく音は仰向けに寝そべっている少年の頭上まで来て、草を踏み分けてきた革靴が止まった。





「やはりここにいらっしゃいましたか」



低く艶やかな声が少年の耳をくすぐった。
弦を擦ったら流れ出るような、心地よいトーンだった。


混じるのはため息でなく、機嫌のよさがうかがえる、わずかな笑い。

聞きなれた音調に、夜闇の睫毛がゆっくりと浮き上がる。
髪と同じ黒色の瞳が、真上から話し掛けた若者を真直ぐ見上げた。

まだ光に順応しきれず、持ち上げた腕で露になった瞳を覆ってしまった。




「おれと二人だけの時は、その言葉使いを止めろと言ったはずだ」

両腕の下からくぐもった声がした。
寝起きは悪いほうではなかったが、起こされたタイミングが悪く意識はまだ眠りの渦中に捕らわれている。



「申し訳ない」

口から出た謝罪。
しかし訪れた青年の目に反省の色は無い。
からかうように言葉を落としたけれど、彼の声はよく通る。

すぐに少年の聴覚にひっかかった。
順応し始めた瞳を細めて、青年を見据える。
思い切り、不機嫌丸出しで睨みつけたつもりだったが
残念ながら、焦点の鈍る目は威勢を欠いていた。

男の機嫌を良くする効果しか出せていない。



男は長身を折り曲げて、ラナーンの隣に座った。

「しっかり寝こけていると、どこぞの刺客に刺されるぞ。現に今だって俺が近づいても全く無防備だったじゃないか」

「何のための近衛なんだ。アレスが自分の仕事をすればいいだけのことだ」

頭がすっきりしていない王子を口喧嘩で叩くほど、彼の近衛の性格はひねくれてはいない。
からかって自分の主人で遊ぶことぐらいはしても、泣かせるほどあくどくはないと、本人は思っている。


「何しに来たんだ。急ぎの用なのか」

熟睡している王子を真上から起こしている割に、当の彼は隣に腰掛けて穏やかに湖を眺めている。


「お前を探すのに苦労はしない。城の自室にいなければ、ガラス張りのサロン。もしくはここ、だ」


口調がいつもよりも強い。

それは、確かだった。
あるのは、いらだち。
しかし、いったい何に対してだろう。
腕の陰からのぞき見た横顔は、湖面を見つめている。
もう、笑ってはいない。

ラナーンには、彼から言われた言葉の裏側を読み取ることができなかった。


何か、気に障ることでも言っただろうか。
眠りに落ちるまでの数時間を思い返してみるが、原因は見当たらない。

ただラナーンとさほど年の変わらないこの男が、自分に対して憤っているのは感じられた。





おかしい。


今のように泉に寝そべって
空を、天井を流れる雲を見ながら眠りに落ちるのに、アレスの断りを得ることなかった。

理不尽な怒りの原因を問いただせないのは、まだ目蓋が重いから。

「黙って町にも出ない」

抑えてはいるが語調が荒ぶるのがわかる。


まだ重い上体を起こして、両腕で支えた。





風が吹く。


ラナーンの濡れたような黒色の髪を梳いていく。
数年従ってきたアレスの責めを静かに聞いている。

目の前の湖のように静かな水面下で、目覚めたばかりの頭は徐々に回転数を上げていった。



「何が言いたいのか、わからない」

「お前の忍耐強さには感服するよ、ラナーン」

皮肉をこめて言っているのか、呆れ返っているのか、哀れんでいるのか、抑揚の少ない口調からは読み取り辛い。






高い城壁の中に天を覆うものはなく、思い立てばすぐにでも飛び立てる。
しかしラナーンは翼を広げようとはしない。





籠の中の鳥、お前はなぜ飛び立とうとはしない? 



アレスの苛立ちの原因はそこに根を張っている。





「わかっているくせに、おれに答えさせるな」

わかっている。
アレスには分かっているはずだ。


口に出さずとも。

いつだって彼は傍にいたのだから。








怒っている様子でも、不機嫌な様子でも無い。
ずっと側についていた従者の無礼を諌めることもしない。

黙れと一言言い放てば彼は口を閉ざすだろうが、ラナーンにはできなかった。




すべてを遮断するかのように目を伏せた。
それがラナーンにできるすべてであり、今までも変わらずそうしてきた。



苦しみや、痛みは目を閉ざし、口を閉ざして去るのを待つ。



それを「あきらめ」と言うことを、この王子は知っているのだろうかと
アレスは思う。


それは隣で彼を守ってきたアレスへの答でもあった。


解決策などないという、ひとつの答え。

あきらめることで、それ以上傷つかないように心の防御を固める。


城を出るのは逃げだ。
大事なものを捨て、大切なものを傷つけて、自分ひとりが楽になる道など選べない。
負の要素が大きすぎる。

兄を放ってはおけない。
兄に国のすべてを任せて、自分一人が自由を味わうことがラナーンにはできない。




自由にならない身の歯がゆさを感じているのは、ラナーンだけでなく見守ってきた側近アレスも同じだ。


デュラーン国を継がねばならないその重責にラナーンの兄は耐えている。

通るべき道は権力との結婚、望まぬ契りがある。
頭では理解していても、気持ちはついていかない。


エレーネを愛する心と相反する現実がある。
兄ユリオスはその狭間で苦悩する。





両親の結婚も、政略結婚であった。
しかし彼らの場合は幸せだった。



ラナーン、ユリオス兄弟の父である王は穏やかで柔軟な考えを持つ
政治的にも、家庭にも有能な人物だった。

母である王妃はそんな父を裏で支える、大らかで優しい人柄の持ち主であった。

この互いに互いを助け合い尊敬し合う関係が、政略結婚という形で始まったということを両親は悔いてはいなかった。
むしろ運命のめぐり合せに感謝すらしていた。


すべての政略結婚が、両親ように愛があるわけではない。
血筋や勢力を計算して無理やり愛の無い結婚を押し付けられるのだ。
上手くいくほうが珍しい。
それをわかっているから両親共、ユリオスに望まぬ結婚を薦めることは無かった。










小さな島国の王国。




北では帝国、「ディグダ」が君臨している。







今、この小国に必要なものは同盟国、武力、経済力と課題は残されたままだ。





重い運命を背負って生まれたユリオス。
そのために愛するひとに愛の言葉すら囁くことができなかった。

その哀れなユリオスの弟が





ラナーン・グロスティア・ネルス・デュラーン。





兄を捨ててはおけない、籠の中の小鳥だった。




本当は籠を抜け出し空高く飛び立ちたいのに、彼の理性が鍵をかける。

その事実をこの長身の男、アレスは知っている。

だからこそ皮肉のひとつも言いたくなるのだ。
傍で見ていることしかできない、自分の無力さを痛感しながら。








「父が呼んでいるんだろう」

ラナーンは立ち上がった。
アレスもラナーンの痛々しい背中の後に従う。













痛みをひとりで抱え込んでしまう少年の側にいて、彼の苦しみを共有してきた。
だからこそ、ラナーンを救えないでいる自分に腹が立った。






小さな溜め息をひとつ落としてアレスも湖を立ち去った。







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