Silent History 03






「そんなこと」



エレーネは息を呑んだ。






王の苦悩する姿を目の前に、冗談をなどと一笑にふすことはできなかった。

深紅の王座に納まる王は心底悩んでいるのだ。
たかが夢の話でしょうと、聞き流すことなどできなかった。

「エレーネ、その頃何が起こったかは、知っているだろう」

誰でも知っている常識内の歴史、中でも重要な項目として挙げられる、超の付く大事件である。
博識のエレーネでなくとも、誰もが考えることなく口から滑り落ちる。







千五百年前のそのとき。







「封魔の時代がありました」

「封魔の時代。人間が魔を扉の向こうへ封じた時代。そのフィナーレを、今しがた私は見た」









とどろく大地の揺らぎ、叫び嘶く空の稲妻が脳裏を走る。


何よりも


断末魔の叫びは夢から抜け出た今も耳を痛める。
これまでのどんな記憶よりも鮮明で、細部まではっきりと脳に焼きついている。









場面にいた人の数、表情、彼らが囲んでいた地面の絵を詳細にエレーネへ描写した。

「大地の勇者とうたわれるガルファード。彼が魔を封じる瞬間を御覧になったと仰るのですね」

エレーネは無表情のままだった。
王は顔の前で手を組むと、頭を押し付けて目を閉じた。

「はっきりと覚えている。鮮明過ぎるぐらい鮮明で、不自然な程だった」

感覚も、記憶もすべての情報が鮮やかな現実だった。
むしろ自分が経験して積み重ねてきた、過去の自分の記憶が灰色を帯びて劣化しているほどだ。


夢であるはずだ、現実ではないと認識しようとしていた。





しかし鼓膜を裂くような最期の一声は、王の心臓に爪をかけた。

粘着じみた空気も、胸の痛みも何もかもが生々しかった。

夢の中であるのに、胸の気持ち悪さに涙すら浮かんだ。



王は見たままの真実を話している。
あくまで内容は夢の話である。
それにもかかわらず見えざる力か、言い知れぬ抵抗が、エレーネの中にある合理的な考えをねじ伏せる。

「封魔の瞬間。有名な事件ではありますけれど」

エレーネが王の真摯な言葉に触れて、不信の心が揺れ動いてしまうのには訳がある。

歴史上これ以上にない大事件は千五百年も昔の話だ。
完全に神話の世界だった。





細かなところまで記されている歴史書は無い。
だからといって、細部まで描かれている夢が、過去の記憶と言い切れるはずはない。



そう思い込めるほど、王は弱くない。
現実と非現実を見極める力は衰えてはいない。


ならば、何者かの『記憶』であるという強さはどこからくるというのだ。



その、根拠は?



沈黙が続いた。先に破ったのは王の方だった。










「時期かもしれぬ」










王の精神についていけない。




エレーネは懸命に脳を走らせるが、息切れしていた。
王は何を考えているのか、分かりそうなのに掴み取れないでいた。


「私は時間を流してやらねばならない」

連想の連続が、エレーネを解答へと近づけた。




「ラナーンですわね」


「解放のときだ」



エレーネは勘が鋭い。



自由になろうとしない王子様。

王の息子を思った。


籠の扉は大きく開いてあるのに飛び立とうとはしない小鳥だ。




「でも、なぜ。わかりません、どうして今なのです」

いきなりなぜ、そのように急ごうとするのだろう。

王はただ静かに悟りの笑みを浮かべていた。






「夢見が告げた。息子を、野に放つ時が来たのかもしれぬ。幸いここデュラーンでは、王の子らは二十歳まで国民の前には姿を現わさぬという掟が敷かれてきた。外に出したとしても誰もラナーンが私の息子だと気付く者はいない」



エレーネは王の言葉に頷いた。

「わたくしも感じてはいました。ラナーンが、羽を広げたいと欲していたことを。王国の狭い空ではなく、外の広い空で」

「言葉には出さない」

なぜ国に縛り付けられなくてはならないのか、とラナーンが不平を漏らしたことは一度としてなかった。

「従姉のおまえにも言わない」

鳥かごの中で飼われるような生活は嫌だとは聞いたこともなければ、彼らに想像することさえ困難だった。

エレーネの顔が陰る。


言わないからといって
「あなたは実は外に出たいと思っているのでしょう」と切り出したところで
ラナーン自身から否定されるのは目に見えていた。




「そんなことは考えたこともない」と、否定するのは単なる意地からではない。

彼なりの思いやりと信念からのものだ。
だが、その鋼の意志に反して、ラナーンの目には空が映っている。





「わたくしがラナーンに言っても、ラナーンはデュラーンから出て行きはしないでしょう」


「だが、それは私が言ったとしても同じことだ。我々を、この国を置いて一人で好きなように生きるということができない性格だ」

不器用な性格なのだ、と王が苦笑し、エレーネはただ計算というものを知らない純粋なだけですわ、とラナーンへの世辞でなく切り返した。



エレーネは、王の考えにようやく歩調を合わせることができた。

早すぎることはない。
むしろ、遅すぎるくらいだ。

ラナーンはあまりに多くのものを抱え込みすぎてしまった。
自分の感情を殺してしまうほどに。





「何か、良い方法はないものか」

王の顔は、更に影が差した。





「無いこともありませんわ」


エレーネの表情がにわかに晴れ、扉を開いたときの笑顔が戻る。



「どういうことだ」

希望を託して、王が拳の陰から顔を覗かせた。
エレーネは口元を優雅に緩ませる。












「欲しいものがありますの」












良い案を出す交換条件だった。


だが王は嫌な表情はしていない。

落ち着いていて、むしろ穏やかな笑みすら浮かべている。


「それは何だ。言ってみるがいい」




「よろしいのですか。例えば金、宝石それに今貴方が御座りになっている王座」

絹の手のひらが、玉座の肘掛を指し示す。

王の前で危ういことを口にする。

今度は王が声をたてて笑った。


「お前はそんなものは欲しがらんだろう」



「本当に欲しいものを言ったら、きっとお怒りになりますわ」


エレーネがそうまで言っても、王は穏やかな笑みを崩さない。
彼女を深く信頼し、親愛しているからだ。



「言うがいい。何でも、お前の望むままに」










望みが叶う。









ラナーンを外に出したいという王の望みを叶えれば。



エレーネは崩れない笑みの下で震えていた。





動揺してはいけない。
期待してはいけない。



感情を制してはいても、胸の動機は押さえきれない。


エレーネの秘める一つの願いは決して叶わないものであると知っているからこそ

唯一つの可能性に掛けてみたい。

そのチャンスが手のひらを歩いているとなると、握り締めておきたくて指先が震えた。










「わかりました。契約成立ですわね。お手伝いいたしましょう。すべてはその後に」





王は黙って頷いた。







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