sss 銀翼 sss





 聳え立つ円柱の檻、生まれた場所。


 気がついたらここにいて、頭上の丸い穴を眺めていた。

 世界と世界の境界がそこにある。

 鈍色の静止した世界の中、唯一変化するのは、切り抜かれた円の中に揺れる空だけだった。


 限られた空だけが、赤、黄、青、紫に色を変えていく。彩度を持つ。

 変化しない石壁の世界、叩いても響かない厚みのある灰色の壁に囲まれて、私はいる。



 ここが内側か外側かなど、関係のないことだった。

 考えたところで私が今いる場所が変わるわけじゃない。

 石に囲まれた、深い穴の中で私は生きている。

 その事実は、歪まない。

 その世界に、私がいる。

 冷たい石壁と同じ色彩なのに、不恰好で無機質、さらに冷たい羽が背中にある。




 機械仕掛けの羽は、翼と言うには小さすぎ、ただ体の一部でしかなかった。


 無数の金属片で構成され、組み立てられた私の羽が、動くたびに乾いた音を立てる。


 部品を一つ一つ分解し全部を並べたら、

例え小さなこの羽も部屋の狭い床はあっという間に埋まり、立っていられなくなるだろう。


摩擦音がくぐもり壁に跳ね返る羽は、首を捻って漸く分かるぐらいの突起物だった。

 今はまだ華奢なこの羽も、いつか大きく広がって、ここから飛び立てる。


 信じている、そんな不可解な感情じゃない。

 感じている、そんな曖昧なものじゃない。

 確信、に近い。本能的にという言葉に当たるのかもしれない。
 言葉なんて、イメージの具体化でしかない。

 みんなに平等に分かるように、単純化する行為として意味を持つ。
 それも、伝える相手がいないこの牢で、意味がないこと。




 ここにいるのが当たり前で、出られないことが事実。

 事実を否定しようと思ったことはなかった。

 今までは。

 するかしないか、決断するか踏み切らないかなんて些末な問題に過ぎない。

 些細な心の振動が右に落ちるか左に落ちるかを決める。

 両手天秤のように一グラムの半分でも左右を分かつ。



 私の心も天秤と似ている。

 抜けようと思えば抜けられる、変えようと思わなければ変わらない、ただそれだけの、単純な世界の仕組み。


 ただ丸底の石壁の場合、昇るか這うかという上下問題になるけれど。


 目を細め、首を伸ばした。磁器の両腕を持ち上げて蒼い空を掬った。


 血の通い道さえ見えない、青みを帯びる手のひらは空しく中空を掻くだけで、遠い青には触れられない。届かない。

 見つめてきた移り行く空、変化を続ける色、それが欲しいのか。

 そう、欲しいのは新しい情報、吸収したいデータ。

 願いはそれだけだった。


 何てシンプル、何て単純、でも針が揺れるのはその程度の微小な差だ。

 壁の切れ目の向こうは、何色なのか見てみたかった。

 情報が、欲しい。

 それが私の知識となり、私を干渉する。

 私を変化させる。

 私を侵食する。

 私の価値観を、瓦解する。

 そうして、新しい私が組みあがり始める。


 今いる、灰色の世界だけが、すべてではないのだ、

 世界は複数存在するのだと認識させる。

 私の世界が増殖していく。価値観の崩壊が、快感なのだから。


 だから私は決めた。

 私は、求めた。


 飛べるかもしれない。

 恐怖に似た低いアンペアが背筋を通る導体を走り抜けた。感覚が囁いた。

 これは本能。

 昔から決められた生物してのルール、なら従うべきだ。
















 座り続けて痺れた足を伸ばし、立ち上がって両腕を折りたたんで、抱え込む。

 面積の広がった背を張ってみる。影の濃い石畳の溝を見つめる。


 あえて意識を収束させはしない。

 理性と本能は束縛と拡散。

 固定化されない頭脳は、徐々に回転数を上げていく。


 鼻から取り込む空気の淀みは相変わらずだったが、気分は悪くない。

 埃混じりの湿気を吸引しても、思考がいつもよりクリアになっていた。


 目を閉じて視覚を封じる。両腕から力を抜いた。

 耳を意識的に塞ぎ、五感覚を背中へ集約する。

 白い体に滞留するエネルギーを、背骨に移行させる。そのイメージにだった。

 とっくの昔に、光を弾くことを忘れた羽が、不協和音で軋み、時折飛びぬける高音階が空気を割った。

 滑り悪さに起因する震動が、鎖骨を打破せんとばかりに引き揺する。


 無秩序な部品が秩序立ち纏まる羽は、歪な扇形を上下させる。

 動きに慣れず、子どもの作った初めてのロボットみたいに、ぎこちなく振れる。

 プレートとワイヤ、螺子とクランクが絡み合った鉄の塊は、マシンエンジンのように複雑で、でも彼のように熱は持たない。

 動力源(しんぞう)は無い。私の体の一部だから、心臓は2つも必要無い。

 これは、私の付属品ではない。私の肉体だ。



 鼓動の振動数が段階を飛び上がっていくのに伴い、背負うパーツも振れ幅を増していく。

 喚き声も、大きくなっていた。

 肩の筋肉が引き攣っているけれど羽は解れ、体の動きに追いついた。

 寝起きに大きく伸びをするように、下向いた顎を天上へ引き伸ばした。

 細く開いた薄紅の唇から、滅多に発さない声が漏れた。

 言葉などここでは不必要だったから、壁に反響した呻き声に動揺した。




 人間らしい心の動き。

 痛覚を刺激されれば声を上げ、驚けば体が反応する。

 期待に胸を打つこともできる。

 私にも心臓はあったのだと再確認する。細い声は掠れ、鉄の軋みに溶ける。

 背を反らす度に、肩から腰に向けて裂ける激痛が駆ける。背骨の溝に粘質の生暖かさが流れた。

 鉄格子を掻き鳴らしたような不規則な金属音はヘルツを上げ、耳を引き裂いた。

 音に乗せられ痛覚は鋭敏さを増し、喘ぎは叫びにステップを飛び越える。

 素足に温かい波が広がった。薄く目を開け、首を回すと目の端で地面を捕らえた。

 陽光の当たることの無い湿った床に、馴染みの無い水音が響いた。

 肩甲骨が流した涙が、背骨に沿って脚に繋がり、やがては私が座り込める大きさの池を作った。

 静止したいつもの部屋で聞いていたなら、快音は耳に馴染み気に入ったかもしれない。

 ただ今は、音感に敏感になれるほど感覚に当てる 容量は残っていなかった。


 通る空気に枯らされた喉が、乾いた風が抜ける音で泣いている。





 堪えきれず不揃いに埋め込まれた荒削りの石版に指を掛けた。

 地面の褐色は広がっていく。灰色のキャンパスを銅に染め上げていく。私から溢れ出た、私の赤。空の色みたいだ。

 私の行きたい場所がそこにある。心臓がぞくりと蠢いた。触れてみたかった。

 でも膝を落とし地面に手を伸ばしたら、私は二度と翼を広げられない。確信していた。

 光は石壁の上部を微か斜めになぞるだけ、檻の底にいる私に手を触れはしない。

 気が遠のく痛みだったが、胸は緊張し嬉しさに脈打っていた。


 再生への高揚、変革への期待、誕生への歓喜に腕と背筋に力を込めた。

 押しつぶされる機械音とは違う、有機的な音が壁にはじかれた。

 細い骨を突き破り、薄い肉を振り切って誕生しようとする音。



 私の真紅の影は、どこまで広がっただろうか。

 目を瞑ればもう目が開かなくなると警告を発しているのは、私の奥底に燻る本能だ。

 下りそうになるシャッターを僅か押し上げて見た世界は、灰色なのに白く、

 天井の円は雲が降ってきたように霞がかっていた。

 視界は透過率が通常の三分の一まで落ち込み、触覚の反応速度は約四十パーセントにまで落ち込んでいた。

 脳内での処理が追いついていないのだ。

 ただ、痛覚だけは鋭敏さを失わない。

 息もできないほどの神経への刺激は、攻撃と表現しても過言ではない。

 痛みに屈し、意識の帯を緩めたら、たちまち霧散してしまう。



 痛覚は背中から得た情報を、正確に脳へ伝達する。

 電子一つたりとも見逃すものかと自棄を起こしているのか、

 その生脳内でシャットダウンを要求する私と、拒否する私がせめぎ合っている。


 一方、体内に収まっていた十数年分の焦燥を、一度に引きずり出される感触に、快感神経の為すままに身を委ねる。

 握りこんだ石の角を這いずり回る、埃と塵の触感も不快と感じられない程に酔っていた。




 錆びの臭いが濃度を増した。

 叫びだけでは足りず、私の口が、背中に圧縮されていた機械が、開放への悲鳴を上げた。


 白く上がった息が 視界を塞ぐので、首を振って散らす。

 振り切れないのは体全体から舞い上がる体温の所為だ。


 体から抜け出たばかりの翼が、熱を持つ。

 生きている私の体なのだと実感する。

 前に屈み込まなくては引き倒されてしまう背中の重量を、崩れ落ちる膝で懸命に支えたまま、腰を捻った。






 黒ずんでいた骨格は、赤く塗装されていた。

 生まれたばかりの翼の先は、生温かい赤を垂らし、小刻みに痙攣している。

 力無く床に垂れ下がる赤羽は疲労しきり沈黙を保つ。


 でも、まだ終りではない。

 本当の誕生はここから始まる。

 積み上げられた石の層の向こう、湾曲した境界の奥の世界へ、私の誕生はこれから始まる。

 皮膚の下でインターバルを縮めていく脈は、眠りかけた重い羽を叩き起こす。


 湿り気で幾分か滑らかに回る羽を、肩先まで持ち上げた。

 引きつり、容易にとはいかなかったが、鈍い歯軋りを上げながら羽先は地面から持ち上がった。

 重みに呼吸が詰まったが、体を丸め両腕を抱え込めば、萎縮した機械は空気を孕んで大きく膨らむ。





 生まれ落ちるとき、子どもは何故泣くんだろう。

 生まれ堕ちた私は、今度は重力に逆らい再び生まれる。

 胎児から赤子に変わる瞬間、狭く暗い空間から脱せる喜びに涙するのだろうか。

 私の代わりに、背中の赤子が泣き叫んだ。金属が重なり、擦れ合う音が、誕生の産声を上げる。

 剣を振り落とすように、羽を力の限り空気に叩きつけた。

 爆風にほこりが舞い上がる。石片が衝突し合い、小さく鳴いた。

 離れることが無かった地面から、足裏が朱の糸を引いて浮き上がる。


 ここは、射出機でも、滑走路でもない。

 まさか、収容している物体が、膨張するなど考えなどしなかっただろう造りだ。

 両翼は、体を取り囲む石壁を引っ掻き、火の粉を散らして、上下する。

 長い年月で目に焼きついた、一つ一つの歪んだ正方形の石が、体の下を流れていく。

 コンパスで描いたような、上部に開いた蒼の円は次第に円周を広げる。


 黒が白に変わる。

 闇から光へ。

 胎児が子供に。

 モノがヒトへ。

 ならば私は何から何に変わるのだろう。

 今ある私は、次の瞬間どこに行くのだろう。

 あの、目の前に引かれている、こちらとあちらの線を越えたら。

 私は変われるのだろうか。

 私は、涙を流すのだろうか。







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