x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x


888 夜のヒトびと 888







しなやかな体躯が、音もなく着地する。
バランスは崩れない。
膝を軽く曲げただけ。
瞬きを一つ。
すっと背を伸ばした。
前を見据えたかと思うと
なにごともなかったかのようにまた、歩き出す。

あたしの親ながら、感心する。
悔しいけど。
ホントに悔しいけど、見惚れてしまった。

とっさに開けっ放しだった口を閉じたけど
それすらも、腹が立った。
自分に? そうだね、きっと。



「ねぇ、弐位(にい)が帰ってこない」
あたしは、母さんの後を追って歩く。
もう歳だっていうのに、元気なあたしの母親は
さっきみたいに、川辺の堤防をひらりと飛び降りるのなんか、平気。
もっと有効利用すればいいのにさ、って漏らしたことがある。その体力をね。
そしたら母さんは、「美容と健康。十分に役に立ってるでしょう?」だって。

あ、弐位ってのは、あたしの兄さんね。
しばらく、顔を見てない。
「そういう年頃なんでしょ。あんたにだって、そのうちわかるわよ」だってさ。

切れ長の目で、あたしに振り返った。


細いだけじゃないきれいな脚線美が、クロスして リズムよく歩いていく。

真似してあたしも歩いてみるんだけど、まだ修行中。
これってバランスの問題なのかしら。
それとも、コツでもあるの。 直線歩いてるみたい、ふらふらすんのよね。

「ねぇ、夜枝(やえ)」
じゃましないでよ、いま集中してるんだから。
っと、なぁに?
目だけが、母さんの方を向く。

「あんたね、またよからぬこと考えてんでしょ」
風に母さんの髪が揺れる。
あたしのふわふわしてるのは、母さん譲りってわけ。
どうせなら、目も引き継いでほしかったなぁ。
「よからぬことって、なによ」
しかも、「また」ってさ。

いいとこ突いてくるな。
確かに、とある計画を進めてるのは、うすうす気づいてるみたいね。
「胸に手を当ててよぅく考えてみることね」
隠そうとしても、ムダって言いたいわけね。
あたしもだいぶ、演技力磨いたつもりだったけど
甘かったのかしら。

夜の散歩はもうすぐ終り。
涼しくて気持ちいい川から離れて、込み合った家の群れに混じる。
出かけたときはまだ明るかったって言うのに、今はもう家に
点々と電気がついてる。
よく迷子にならないわね、って思う。
このあたりって、あんまり来たことないんだよね。
しかも夜と昼じゃ、風景、違うでしょ。


「お腹いっぱいだし、風は気持ちいいし、明季(あき)も来ればよかったのになぁ」
「だって明季ちゃん、遊びたいって言って聞かなかったじゃないの」

明季ちゃんも、お年頃、か。
今頃、いとことぎゃあぎゃあ言いながら、転げまわってるんだから。
で、叔母さんの「静かにしろっ!」っていう喝が飛んでるわけね。

でも結局、あたしが帰ったら
「夜枝ばっか、お母さんとおいしいもの食べに行ってずるい」って、泣き出すに決まってるんだから。
単純よね。まったく。



「話、はぐらかそうとしてんの? 夜枝」
「べっつに、そういうわけじゃないけど」
ウソウソ、はぐらかす気、満々だもんね。
ばれたか。

「あぁあ、月どっか行っちゃった。きれーなまんまるだったのにぃ」

首を反らして見上げたけど、真っ白な月が浮かんでた場所には、
家を囲んでる壁が邪魔してる。
せっかくいい気分だったのにさぁ。

「あんたこのところ、ずっと私に突っかかって来てたわよね。だいたいわかるわよ、隠そうとしてても」
「あたしも、母さんの運動能力継いでんの」
「それ、活かしたいとかって考えてるわけか」
当っ然。あるもの使わなきゃ損でしょ。

母さんの処世術ってば、「オンナは美しさで酔わす」ってなことらしいけど、あたしは違う。
それだけじゃ、足んないもん。
満足できないもん。
能力は、最大限に活かす。
そのための、準備なんだ。

「母さんだって、やってたんでしょ、昔は」
あたしたちのまわりでは、結構そういうことに足突っ込んでたりするひとが多い。
そんな世界に住んでんだ、あたしは。
「ま、ね。でも、すぐにやめたわ。そんなことしなくても生きていけるってわかったもの」
「そんなものかなぁ。ドロボウって、稼ぎはいいし、スリルがいいって聞いたけど?」
「だれによ」
言いかけて、口を閉じた。
あぶないあぶない、内緒だって、約束してたんだ。

怒ってんなぁ、母さん。
アナタのオトモダチですのよ、なんていった日には
ぼっこぼこにされるか、絶対零度凍結ビィームって目から発射されてそう。
そんなの、かわいそだから、秘密ね。
それに、またドロボウさんのお話聞きたいしね。
なんせ、あたしのお師匠だから。
まだまだ見習いなのよね。


「ま、いいけど。失敗したら、どうなるかわかってるの?」
「わかってる。母さんの娘でしょ? 信用してよね」
自分の能力を継いだ娘よ、信じないでどうすんの。


母さんと、並んで歩く。
ちょっと前は、弐位や明季も並んでいて、母さん囲んでにぎやかだったのに
今は別々なのよね。
ちょっと、寂しい。
そう思わせるのは、ほとんどひとの通らない、住宅街だから。

このあたりになると、あたしもよく来る。
あ、「偵察」しにってこと。
あたしの言ってる計画の準備ってのはつまり、そういうことね。

ちょこちょこ一人で出歩いてるものだから
母さんには、ばれちゃったみたい。


「そんなことで生きてくには、つらいのよってこと、そのうちわかるわ」
「やってみなきゃ、わかんないよ」
母さんの歩く姿は、きれい。
だから、口うるさいけど、そこだけは真似してる。

だいぶん、ひとが増えてきた。 近くに、広場があるんだ。
「タイキット・スクエア」っていう。
通称「広場」、またの名を「溜まり場」
ここはあたしの遊び場なんだ。
友だちも来るし。社交場、かな。
おカタイ言葉でいうと。

目を引くような美人さんもちらほらいるんだけど
母さんもそれに引けをとらない。
加えて、あの仕草が目をひきつけるのね。

すっと上げた、あごのラインが細く伸びる。

ちょうど回りの壁はあたしたちから離れて
かくれんぼしてた月が、また顔を覗かせた。

ほのかな光の下で、母さんの細く光る目が
男のひとたちの興味を引くんだ。

もっちろん、その母さんの娘だもん。
あたしに、オトコノコが寄ってくる。
トモダチだって、ここに集まってきてるんだ。
「やーえー、ひっさしぶりぃ」
「ここんとこ、あんましカオ、見てないよぉ」
「ちょっとねぇ、へへ」
幼なじみの、カナ。髪の毛ちょっとピンクに染めてんのは、カナのダンナの趣味。

「へへっじゃないよぅ。やえちゃん、とーとーダンナ持ち?」
「な、わけないない。まだまだフリー」
髪の長いのが、絡んでくる。
コレ、あたしのオトコトモダチ。
タカオっていう。
ここで知り合ったんだ。

「にしてもさ、夜枝のママってば、いつみてもスタイルいいよねぇ。私、うらやましいよ」
母さんの方を見た。
あたしたちのところから、広場の真ん中にある噴水の向こう側にいた。
木の陰だ。
葉っぱの間から、ゆるい月明かりが差してる。

母さんが右手で髪を掻きあげた。
その腕の下から、ちらりとまわりを盗み見る。
上目使いの目に、周囲にいた何人かの動きが止まる。

「やっぱ、クィーン健在? オレ、くらくら」
タカオが、おでこに手をやって、しゃがみこむフリしてる。

「なに言ってんの。夜枝一筋ぃとかって言ってたくせに」
「裏切りものだ」
「やーん、タカちゃん、えっちぃのね」
って、まわりから野次と笑い声。

「へぇ、わかるのかぁ? オトナの魅力ってのが?」
頭の上からぬっと登場したのは、あたしの先生!

「カスミさん、おひさですー」
「ひっさしぶりだなあ、カナちゃん。お、タカオも発見」
タカオよか、ひとまわりは、おっきいの。
この「カスミさん」が、あたしの師匠。
ドロボウのね。

「カスミさん、お仕事だったんですか」
「そーそ。昨日までね。今日は夕方まで寝てたんよ」
「ねねね、収穫は?」
「ばっちしよ」

いつも笑顔のカスミさんだけど、今日はいつもより
三割増しくらいに、ご機嫌。

「じゃさ、ご飯ごちそーしてよね。腹へっちゃって」
「いーよー。なに食いたい?」
あたしとカナとトモダチみんな、カスミさんが大好き。
今だって、みんなしてじゃれあってるけど
カスミさん、やなカオしないの。

「そーいや、夜枝もひさしぶりだなぁ、元気してたか?」
「もっちろんよ。元気じゃない夜枝ちゃん、見たことあって?」
と、片目を瞑ってみせる。
アイコンタクトで通じ合えるのが、師と弟子よね。
ちゃんと、下見してるかぁ? ってさ。
答は言うまでもなく、イエス・サー。
準備は、ちゃくちゃくと。

「相変わらず、だなぁ。お前の母さん」
みんなそう言う。

「てゆーか、カスミさんだって、キングじゃないですか」
「いつの話だよ」

この広場で、特にみんなの関心を引いていた、あたしの母親。
オトコノヒトでは、それがカスミさん。
オンナは「クィーン」と呼ばれて、オトコは「キング」って呼ばれてた。

母さんの前のクィーンやキングたちがどうだったか
なんて知らないけど、二人がくっつくことはなかった。
って、あたしが生まれるまえだから、直接見たことはないんだけど。

ただ、どっちもドロボウさんだったってのが、意外だった。
それで、片方は快く思ってないのに
あたしはもう片方のドロボウさんに、教えを受けてるなんて、 皮肉よね。

「お前は、まだまだだな」
「まだまだだなぁー」
「も少しこう、色気ってのがほしいよね、やえちゃん」
ちょっと、カスミさんはともかく
まわり、うるさいよ。

「あたしだって、母さんみたいな目がよかったよ」
「そぅ? 私、夜枝みたいな、おっきくてきらきらした目のがうらやましいなぁ」
「子どもっぽいじゃない」
早く、卒業したいの。

「若い子の特権だよ。あんまし老けると、ダンナもらい損ねるよ」
「カナぁ」
睨みつけてやるとカナは、あははって大口開けて笑ってた。

あたしたちがふざけあってるうちに、カスミさんはいなくなってた。
どこいったんだろ、あたしの先生は。



「ひさしぶりだな」
「カスミ、あんた、うちの子にヘンなこと教えたでしょ」
「なんのことだか、ね」
「あんたのつまんない反応みても、しょうがないの」
「冷たいなぁ」
「いいかげんなことばっか、教えないで。あの子が子どもだから? だとしたら余計によ。無茶されちゃこまるの」
「現役復活、したらいいのに」
「それより楽な生き方、覚えたのよ」



「あたし、帰るわ」
「えぇ、もう?」
ごめんね、カナ。
「母さんが帰ろうって」
さっきまで母さんと話してたカスミさんは
カナへ相槌打つために、ちょっと視線をずらした瞬間に
どこかに行ってしまった。
また、お仕事かな。
働き者だね。

「こっち見てる」
ここにくると、母さんはいつもみんなと一定距離を置いてる。
それがクィーンの貫禄だって、あたしのまわりの子は言ってるけど
実際めんどくさがりなのよね、母さん。
人付き合いってのが、きらいなのよ。

「じゃ、ね。また」
「ばーい」


あたしは、勢いよく水を吐き出してる噴水に近づく。
縁に足を掛けて、ジャンプ。
数歩走って、もう歩き始めてる母さんに追いつく。

「見てなさい」
並んで歩いていたあたしの前に、さっと進み出た。
そのまま広場から表通りにでる。

車のライトが行き来する。
その両側に、広い歩道が整備されてある。
フラットに敷き詰められた、石畳の上を
無駄な動きなく、母さんが長い脚で軽快に歩く。

会社帰りかな。
いかにも、持ってそうな人間に、近寄っていく。
不用意に近づくと、こちらの身が危ない。
コイツは安心できるヤツかなって
観察しながら、注意深く近づいていく。


「ねぇ、私と遊ばない?」
って、目と甘い声で誘いながら。
細く、でもよく通る美声。
ねっとりじゃない、艶やかさ。


目線があったら、脈アリ。
立ち止まったら、勝負。
見つめられたら、母さんの勝ち。

ほとんどの男の人は、それにやられちゃう。

あたしはっていうと、母さんの容姿を受け継いではいても
そんな単調な毎日、送りたくない。
だからカスミさんに先生を頼んだんだ。

男の人が、母さんの頬に触れようとしたとき
母さんが、目を反らした。
そのままその男の人から
踵を返して、あたしの隣に戻ると
寄り添うように、足早にその場を去った。

「こんな感じ。カンタンでしょ。あえて、ヘンな道に迷い込まなくたって、生きていけるの」 あたしたちには、その魅力がある。
「かも、しれないけど、でも」
あたしは、あたしの生き方がある。
ドロボウなんて、いまどきクラシカルだけど
いいじゃない。
そんな昔っぽいところが、気に入ってる。


「母さん、あたしまだカナたちと遊んできたい」
「言ってもだめか」
「遊んでくるからね!」
「ちょっと、夜枝!」
「いってきまーすっ」

母さんの止める声なんて、聞かないふり。
あたしの背中に、「早く帰って来い」って叫んでる。
それだけは、聞いておこう。


「まったく、あの子は。カナちゃんたちの広場って、私たちの後ろでしょ。私の前へ走っていってどこいくつもり?  詰めが、甘い」



軽やかに、ジャンプする。
今日は、月の光が心地いい。
もっと高く、もっと空へ飛び上がろう。
そんな気にさせる。

「あたし、小物には興味ない。高級志向、これでしょ」
初仕事、胸が躍る。
「ここ、たしか犬がいるんだわ。きゃんきゃんほえてるのよね。耳がイタイっての」
でも、今は眠ってる。
門のところに、顔を引っ付けて寝るのが癖みたい。
熟睡してるわ。
このお家に用はないの。
もうすこし向こう。

鉄の門が近づいてくる。
真っ黒で、頑丈そう。 ちゃんと調べたんだ。
正面突破なんて無理。
ここにも犬がいるのよね。
騒がれて面倒なことになりたくない。

門に行くまでの手前、壁沿いに、電柱が立ってる。 そこがあたしの入り口。

「あぁ、もう。爪が欠けそう」
電柱に手を掛けた。スピードが勝負。
一気に駆け上がるんだ。
上れるところまで勢いで上って、後は電柱を力いっぱい蹴る。
体を反転させて、壁の頂上に腕をかけた。

カメラがある。
じっと、鈍く光るレンズでこっちを見てる。
でも、ちょうどいい具合に、壁沿いの木の枝が あたしの体を隠してくれた。
見えてないはず。

「いっくわよ」 一番いいのは、壁際の木を伝って降りることだけど
そうすると、木の葉が鳴る。
忠実な番犬が、あたしを喰いに来るってわけ。

「しゃーないか」
こんな高さ、初めて。
母さんなら、軽々だろうけど、あたしはちょっと不安。
でも、やるっきゃないよね。ここまできたら。

息をお腹にいれて、いざ出陣。
手足を伸ばして、壁を蹴る。
体は弧を描いて、静かに地面に着地した。
やっぱり母さんみたいにはなれない。
着地時に、バランスを崩した。
想像してたけど、きついなぁ。

屋敷の窓を目指す。
庭を駆けるシルエット。
あたしの影は、月光の下、踊るように駆けていた。

廊下の窓がひとつ、小さく開いている。
あたしはそこに、飛びついた。

そっと、そのスキマを広げる。
キィと、ちっちゃく木が軋む音がする。
「気づかないでね、わんこたち」
祈りながら、侵入。
入って、左に曲がる。
だいじょうぶ、足音は響かない。
ずっしりした、木製の枠縁の向こう側が、目指す場所。
扉は、ない。
飛び込んでくる、テーブル。
その向こう側に、あった。
きれいに包まれている。
昨日調べたとおりだ。
さて、いただくとしますか。
ちょっと、ここから「それ」が置かれてる窓までは遠い。
てことは、ここは。
息を詰めた。
「大ジャンプ!!」
気合とともに、収縮させた体を伸ばせるだけ伸ばした。
体がバネになった気分。
宙に浮いた。一瞬、時間が止まった気がした。


あ。

目の前に、グラスがあった。
よけきれない。
「やだ、やだっ!」

あとは、予想通りね。 もう、最後の最後でつまずくなんて、さいってー。


クラッシュ。


「きゃぁ」
思わず声をあげてしまった。
「いったぁい」


グラスは、床で粉々。
ガラスにまみれて落下はしなかったものの
窓際に思い切りぶつかった痛さと、
衝撃音の大きさへのショックで、しばらく動けなかった。

あぁ、そとで犬たちがわめいている。


「だれっ!」
悲鳴交じりのかん高い声が響く。
電気がついた。
やばい、見つかった。
いそいで逃げる体勢。

えっと、退却経路は。
だめ、入り口固められてる。

あたしは入り口で突っ立ってるヒトと、にらみあった。

「あんた、どこから入って」
やった、あたしの後ろ、小さい窓がある。

「それにこんな夜中に、しかもこんなとこで」
あたしは、体を大きく反らした。
窓から滑り出る。

犬が叫んでる。
着地にはまたまた失敗するし
獲物は捕獲できないし。
あの人間が、窓のところまで駆け寄って
怒鳴ってる。
あたしの背中の方から響いてくる、金属的な声。




「あっ、まて! このネコっ!!」




あぁぁ、きれいにラッピングされたごちそう、たべそこなっちゃった。

しばらくお仕事、お休みしよう。

母さんみたいに、人間に にゃぁ って言って
だまくらかしてごはんをいただくのも
悪くないかな。



 +++ も ど る +++  ------ plus alpha ------


x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x x
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送