小さなその向こうに







もし、この世界が誰かの頭の中だったらとたまに考える。


ひとりの頭の中に、その人の想像の中に
ぼくがいて、お父さんがいて、お母さんがいて、弟のキミヒロがいる。



ぼくは、お母さんの考えてることは分からないし
キミヒロは、ぼくの考えてることが見えない。

でもそれも、大きな「だれか」が望まなかったことで、
さいごに、ぼくが死んでしまったとき、気づくんだ。




「そうか、『大きなだれか』ってのはぼく自身だったんだ」

「ほんとうは、お母さんやお父さんともつながっていたんだ」

「全部、全部、『大きなだれか』の頭の中で起こったことだったんだ」って。




つまり



ぼくがこうして着替えるために腕を持ち上げてるのも
「大きなだれか」がそうしたいと、想像してるから。


お母さんがパンをトースターに入れてるのも
「大きなだれか」がそうしたいと、想像してるから。


そして、その「大きなだれか」は、ぼくなんじゃないかと。


全部が、ぼくの想像ってわけ。



今のぼくは、「大きなだれか」を感じられないけど。

だから、お母さんの気持ち、わかんないけど。

でも、死んじゃったらわかるんだ。




「そっか、ぼくはぼくでもあったけど、お母さんでも、学校の先生でもあったんだ」

「そっか、全部ぼくの頭の中で起こったひとつのことだったんだ」ってね。






牛乳は自分でいれなさいよ、っていうお母さんの声が聞こえた。

寝ぐせがついてるかみの毛をそのままにして
ぼくは、脱いだばかりの温かいパジャマを洗濯室へ引きずっていった。




行って来ます!




その声で、キッチンの水道が止まる音がした。
小走りに、お母さんが玄関に駆けつけてくる。

朝から、元気だ。
なんて、こっそり言ってみる。








学校までの坂がたいへんなんだ。

もう四年上がったり下りたりしてるから、慣れるだろうって
同じクラスのアキトに言われた。

アキトの家は、学校から十分くらいのところにある。
だから、そんなこと言ってられるんだ。

雨の日なんか、サイアクだ。
台風が近づいてるのに、雨がいっぱい降ってるっていうのに
ケイホウが出てなくて、学校に行きゃなきゃいけないときなんて
もっとサイアクだね。

べしょべしょの校庭より、川みたいに流れてくる水の方がイヤなんだ。




真っ直ぐなアスファルトが、しばらく続いてから
アクマの曲がり角が近づいてきた。

あれを右に曲がって三十歩くらい歩いたら
少しずつ坂がきつくなってくるんだ。



このあたりから、隣のクラスのカワカミとか
ミナギシとかと一緒になることが多いんだけど、今日はぼくのが早かったかな。




しゃべる相手もいないから、今日見た夢を思い出していた。



おっきなゼリーの夢だ。

それこそ、校舎の半分くらいあるゼリーが、ぷるんぷるん校庭で揺れてた。
緑のと赤いのが二つ、並んでるんだ。


どっちがいい? って、聞かれた。


どうしてそうなったのかわからないけど、みんなが笑いながら
巨大なゼリーをかこんでる。

どうしようか。

迷ってるのは、ゼリーを食べるためじゃない。
ゼリーの中で泳ぐためだ。



赤のゼリーは、きっとまわりが真っ赤な世界。

緑のゼリーも、きっとまわりが緑色。

どっちがいいだろう。



赤はほかの人が、もう飛び込んでいる。

楽しそうだけど、緑のほうがまだいっぱい泳げるスペースがあった。

緑にしよう。



服もそのままに、飛び込んだ。

さっきは地面でゼリーを見上げてたのに
飛び込むときには校舎の屋上に移動してた。




変なの。




でも、それはそれで納得できてしまっているのが
夢の中のぼくだ。

気にしないで、人の少ないゼリーの中で思い切り動き回った。
やっぱりだ。
緑色の世界が見える。
ゼリーはふかふかで気持ちがいい。

もう少し泳いだら、赤に行こう。

そのころにはみんな、赤にあきて、緑に来てるだろうから。








「おはよ」

背中をぽんっと叩かれて、

「あ、カワカミ」

「どうしたの? ぼうっとしてる」

「何でもないよ。やっぱり慣れないなあって思って」

「何が?」

ぼくは、アキレスけん運動ができそうな坂道を指差した。

「慣れないよ。ぜんぜん。だめだめ、だね」

「持ってきた? 色鉛筆」

「学校のロッカーだよ」

今日は三時間目に絵を描くんだ。
うまいって思わないけど、キライじゃない。

「あ、鉛筆けずり」

「忘れたの? 貸したげる」


いつものように、しゃべりながら
ひぃひぃはぁはぁ言いながら、坂を上っていった。










木は、上からでも横からでもなくて
下から眺めるのが一番きれいだということを知ってる。


図工の時間。


校庭の好きな場所の、好きなものの絵を描きなさいって言われた。
外に出る前から、何を描きたいのか決めていた。

木を描こう。

校舎に向かって右端の木。
今の時間だったらきっと、上からの光が一番きれいだから。
まだだれにも言ってない、ぼくだけのヒミツだ。

だから、見つけられたらどうしようって、どきどきしてる。
ここが人でいっぱいになるのって、イヤだ。


友だちはみんな、滑り台の上だとか、遊具の一番高いところだとか
花壇にへばりついて、画用紙を広げている。

ぼくは、頭の中で考えてた通り、木の下へ一人だけ座って上を見上げた。
葉っぱが、重なり合って、同じ緑でも濃いのや薄いのが散らばっていた。

目に入る緑の端から端まで眺めてから、手元の色鉛筆を見下ろした。
緑、黄緑、黄色、他にもいっぱい。
でも、どれを使えばあの透き通った色が出るのか、わからなかった。

きれいだ。
ここはぼくの特別な場所だから。

しばらく考えて、鉄棒の側に移動した。
二番目に好きな、桜の幹を描くことにした。

ぼくは、これの皮をめくるのを気に入っているから。










国語の時間は好きだ。

予習はしたことないけど、ものがたりのところだけは
四月に教科書をもらったら、すぐに読んだ。
おもしろそうなところだけ。




あと、好きなのは算数で使う、コンパス。

コンパスの足をおっきくしたり、ちっちゃくしたりして、模様を描く。
教科書の角に、針を当てて描いてたら、隣に座ってるヨシダに見つかった。

見せて見せてとうるさいから、先生には黙ってろよと教科書を突き出した。
黒板に書かせた解答を直すのに忙しい先生の背中を、ちらちら眺めながら。
すごいすごい、と言いながら最初のページから今日のページまでめくっている。

「ねえ、この時間だけ教科書交換してよ」

「この時間だけ、だな」

「ミカにも見せていい?」

「見せたり、だれかに言うなら返して」

「わかった、ひみつってわけね。おっけー」

どこまで信用できるかわからないけど、極秘ってわけでもないから、いっか。



どうなったかって、もちろん次の日にはしっかりヨシダのまわりに
教科書落書き問題はネタにされてた。

クラスの女の子、すみずみまで広がるのに三日はいらない。












そんなこといろいろ考えてたら、社会の時間半分は終わっていた。

ぼくにとって、この時間が一番たいくつだ。

今日は体育がないから、なんだか平たんな一日な気がした。

あと半分もあるのか。

でもこういうとき、窓がわの席って得だなって思う。

ぼんやり雲を眺められるし
大変だなあって校庭を丸く走ってる上級生を、見下ろせる。






残り一時間で今日一日の授業は終わりだ。
えっと、なにが残ってたかな。

カバンの中を思い出してた。
思い出しついでに朝、家を出るときの風景まで戻っていた。
お母さん、今ごろなにしてるかな。



お父さんのクツがなくなった玄関。

キミヒロが黄色いゾウのぬいぐるみを引きずって歩いてた廊下。

朝ごはん食べながら流れてた、テレビのニュースと今日のお天気。

今日はお姉さんがお休みで、代わりに晴れマークみたいな頭したおじさんが、棒を振っていた。



ぼく部屋の机。

あ、図書室で借りた本、忘れちゃった。

あした、返さなきゃな。

図書室では読まずに、借りて帰るほうなんだ、ぼく。



勉強机の前に、ぼくの巣がある。
まだ眠いといって顔をうずめたベッドと、抱え込んでたマクラ。





それから、今日の夢。

絵として浮かび上がったキオクが、ぽんぽん流れて消えていく。

ゼリーの夢だけは、はっきりと。
それだけはがっちり頭に食いついていた。

それほど好きなわけじゃないんだけど、ゼリーって。
プリンの方が好きだ。
ぷっちんじゃないのが、ぼくのこだわり。












窓の向こうの校庭に、ゼリーが重なった。
真ん中に、どっかり二つ揺れてたんだ。


次は、赤がいい。
赤い世界が見たいから。

夢の中でぼくが思ったことを、思い出した。
だれかが耳元で言ったみたいに、ちいさくつぶやいた。



赤の世界。




社会の授業はまだ終わらない。

先生は、手に持った教科書を見ている。

ヨシダは、ノートにウサギの絵を落書きしてた。

ぼくは、机の中、教科書にサンドイッチされた赤い下じきを取り出した。
左手の指ではさんで、前に座ってる二人を盾にして
そっと下じきをのぞき込んだ。



赤い、二人の背中。

赤い、ヨシダの横顔。

赤い、先生と教卓。

赤い、窓わく。

赤い、壁。

赤い、校庭の砂。

赤い、校門。

赤い、走りつかれてたおれてる生徒。



ぜんぶ、赤かった。

赤い、赤い、赤い、世界だった。

ゼリーにつかった感覚はなかったけど、赤い世界がたしかにそこにあった。

いつもと違った世界があった。

今日は、空を飛ぶ夢が見たい。






見たい夢、見たい世界。

ぼくの頭の中だっていうのに、夢の一つも自由にならない。

そういうものなんだ。



夢の中のヨシダや、カワカミ。

ぼくの中だけど、ぼくの思った通りにはなかなか動いてくれない。

だから、思うんだ。

ぼくが死んでしまったらって思うんだ。

もしかしたら目が覚めたらぼくは、ヨシダかカワカミであるかもしれない。









でも、これがぼくの見てる想像だったり、夢だったりしても

ぼくは、ヨシダが泣いてるのは見たくないし

キミヒロをだれかがいじめるんだったら、ぼろぼろになっても助けるだろう。

お母さんが泣いてたら、ぼくだって泣いてしまうかもしれない。






胸が痛いのは、ほんとうだから。


















お面みたいに、顔の前にあった下じきを外した。
ゼリーの外の世界が戻ってきた。



先生は、教科書から目を上げた。


時計を見たら、もう終わりの時間だった。
ヨシダも、ウサギの絵は描き終わったようだ。









「次、なんだったっけ」

短い休み時間、キノモトが両うでをぼくの机に乗せてしゃがみこんだ。



「クラスの係を決めるんでしょ」

ぼくの代わりにヨシダが答えた。
社会のノートは机のすみに閉じて置いてある。

「ね、ヨシダ」

「なによ」

「ウサギの絵、見せてよ」

「みっ、見てたわけ!」

机ごと、青いノートをブロックした。



「キノモトも見たいよな」

「いや、そうだな」

「見たいよな」

「でも、ヨシダがイヤなんじゃ」

「見たいよな」

全開の笑顔で揺さぶってやった。





「見たいって言ってる」

「言ってないし」

ヨシダはすぐさま反げきしてきたけど、ムシしてやった。



「ぼくのひみつ、ばらしただろ」

「言ってないもん」

「じゃ、だれがばらしたんだ」

「知らない」

目をそらした時点で、犯罪は確定。

ゆるんだうでの下から、ノートを引き抜いた。

「ほら、キノモト」

「あーっ」

「真ん中あたりだよ。どう、うまく描けてるか」

「もうっ」

うばい取ろうとしないのは、ヨシダに罪の意識ってのがあるからだな。

「かわいい、かわいい」

「ん、見せてみ」

まゆげを寄せて廊下に目を向けたヨシダのこちら側で
キノモトと二人でノートをのぞきこんだ。

「ミユ?」

キノモトが、ウサギの下に書かれた丸い文字を口に出した。

「ウサギ小屋の。おなかに赤ちゃんがいるの」










ヨシダは、友だちと帰りにウサギ小屋に行くと言ってた。

ぼくの家から歩いて二百歩のフジタは
今日は図書係の集りだといって、放課後すぐに図書室へ向かった。

「今日は本、借りて帰らないのか」

「家に置きっぱなしなんだ。あした、図書室に寄るよ」

「帰るか」

「そうだな」

キノモトとぼくは、ほとんど同じ背の高さだ。
だから、目の高さが合うし、話しやすいのかもしれない。

きっと、それだけだ。

下りの坂道。
走ってはいけません、と先生に言われてる。
こけて、ひざがとんでもなく痛いことになってる人は
クラスでも何人もいるから。

ぼくも、キノモトもその「何人」の数に入る。






ぼくも、ひとりだったら走ってたかなって
びゅんびゅん横を流れていくぼくと同じくらいや、少し小さい生徒を見て考えてた。



「走りたいだろ」

「少しね」

「走らないのか」

「今日はいいよ」

あしたはどうか、わからないけど。





「帰り道が水の中だったら、って。よくそう考えて帰るんだ」

「海みたいに?」

「キノモトの家の二階まで届くくらいの水」

「洪水なんて、やめろよ。冗談じゃない」



確かにね。

台風の通り道なニホンで、ひどい話かもしれない。



でも



「泳げるくらい、透き通った水なんだ」

「ここからあっちの、坂の下まで見えるくらい?」

「そう。水の上を浮きながら帰るんだ。泳いで、疲れたら休んで、また泳いで」

流れのない、青い水。

底には砂がたまって、同じ街なのに、水の中の建物にはだれもいない。

「放課後は、カバンを置いてから、水の中で遊ぶ」

「息、できなくて苦しいだろうな」

「建物の中に、空気がたまってるのはどこだってあるよ」

ぼくたちだけで遊ぶんだ。
見たことあるな、ここ。
だれの家だったんだろうって、探検する。






「朝だって、泳いで来るんだ。この坂もほとんど上らなくていい」

「なら朝は、行ってきますって言って、窓から水の中飛び込むんだな」

「どうだ」

「いいね、水中遺跡探検」

「もしだれにも教えたくないトクベツな場所を見つけたら、キノモトだけ教えてやろう」

「ありがとう」




真っ直ぐなニンゲンなんだ、キノモトは。
何でも真っ直ぐに表現する。

ごめんも、ありがとうも。

ケンカしても次の日に仲直りしてるのは、キノモトくらいかもしれない。










「キノモトは、何の絵描いたんだ」

「池だよ。校舎の左側にある」

「そっか」

「二番目に好きなんだ」

二番目。
その言葉に、ぴくりと反応してしまった。



「そっちも、あの木は描かなかったんだろう」

「何で知ってるんだよ」

怒る前に、おどろいてた。
いつ、見られたんだろう。



「言わないよ」

「ほんとうに?」

「池から見る、あれ」

キノモトは、指を真っ直ぐ上に上げた。

「空?」

「池のまわりが開けていて、よく見えるんだ。校庭の端だし、だれも来ないから」






坂の終わりが近い。
いつの間にここまで下りて来たんだろう。




「おたがいに、一番はだれにも言わない。ヒミツってことだな」

「そういうこと」


別れの角が来た。


「じゃあ、またあしたな」

「あした、いっしょに連れてってくれるか。あの木の下」

「いいよ」


もちろん。


初めてだれかとあの場所を共有する。
ふしぎと想像してたような、イヤな感じはまったくしなかった。


むしろ、うれしい。


「ぼくも、行くからな。校舎の陰にある池に」

ほんとに小さなヒミツだ。

でも、なんだか胸があったかい。




「あしたにな」

笑って手を上げたキノモトと同じように、ぼくも手をあげた。

「うん。また、あした」











いつもと変わらない道を帰る。

なのに、ふしぎだ。

ヒミツの共有っていう、ほんのちっちゃな変化が、こんなにうれしい。
帰る道が、長い道じゃなくなる。



そっか、こんなちっちゃな変化がつながって、集まって
今のぼくがあるのかもしれない。









ゼリーの向こう側の世界。

下じきの向こう側の世界。







ほんのちっちゃな変化だけど

見える世界が少しだけ変わる。

同じように見えて、でも少しずつ変化してる。










太陽が、電線を地面に落とした。




ここから落ちちゃいけないんだ。


そんな勝手なルールを自分で作って
今日も、いつものように
アスファルトの上にある電線を踏んで帰る。


今ぼくは、空中に引かれた一本の線を歩いている。









今日が終わったら、どうなってるだろう。

きっと

今日とは少し違うあした。

でも、変わらないあしたがくる。










家の前に着いて、空を見上げた。


白い雲が、細く伸びている。



あしたは晴れるかな。



遠足の前くらいしか、気にしたことなかった天気。



だけど、晴れればいいと思った。





















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