((( クロノ・クロウラ 10 )))




「ぼくは、あの子を愛しすぎてしまっていた」



役目を棄てても、離れたくなかったんだ。

生まれることのない「感情」が、生まれてしまった。
人間の、ように。




流せる涙はすべて流した。
抱きしめた魂の上を、滑り落ちていった。

もう、戻ってはこない、あの子の体。
だからこそ、こころだけでも、引き留めていたかった。


気配を消して、姿も隠したけど
いつかは見つかるって、わかってた。


でも、ほかにどうしようもなかったんだ


すこしでも、あの子と一緒にいる方法は、これだけだったんだ。


わずかな時間のために
ぼくがどんな罰を受けたとしても、構わなかった。


逃げるだけ逃げて。
隠れるだけ隠れて。



あの子が死んでしまった日。
それに、ぼくが見つけられてしまった日。

雨の日だった。
耳元でずっと、雨の音が喚いていた。



ぼくを探し出すのなんて、簡単だっただろう。
姿を消しても、見えなくてもすぐに見つけられる。

わかっていても、ぼくはその子を離したくなかった。
離れてしまったら、二度と会えない。
だからこそ、一秒でも長く側にいたかった。
もうそこに笑顔はなくても、腕の中にある光は、あの子だから。





追っ手は二人だった。









   わかっているな
   おまえのしたことの意味が





罪には、罰を





   力が、弱まっている
   散りはじめているのだ
   長いあいだ
   不安定な状況下でさらされていたから





一人が、光の珠に手を伸ばそうとする
抵抗は、した。
でも、力でかなう相手じゃない。





   送る人間と接触するだけでも
   禁じられているのに
   その上、魂を持ち去るなど





送るべき対象に心を傾けるなど、あってはならないこと。





   覚悟してのことだろう





腕の中の光は、彼らの手に渡る。
もう、会えない。
側にいられない。
愛していると伝えられない。
また、ひとりだ。

これほどまでにだれかを愛したことはなかった。
どんなに大切なのか、一緒に過ごした時間の重みが
よくわかった。

すべてが痛い。
心も、体も。





   ことばをあたえよう





わかっていた。
どんな言葉が、神から下るのか。
与えられる言葉が、彼らを通してぼくに伝えられるのかが。

同時に
願っていた。


おねがい。

涙が乾ききらないうちに、消してしまって。
後に残るのは、どうしようもない、空しさだけだから。


忘れたくない記憶
大切な思い出
それももう、戻ってはこない時間だから
それならいっそ、すべて消えてしまったほうがいい。

痛みも、苦しみも、寂しさも、悲しみも、感情すべて
ぜんぶ、あの子といた記憶とともに消してしまって。

もう二度と、だれかを愛することのないように。
もう二度と、こんな思いをしないように。

ぼくごと消してしまって。





   宣告する

   おまえを
   堕とす





ヒトとしての最上は、魂が天へ昇り
天の采配により、あるべき場所へエネルギーが拡散、配分されることにある。





   おまえはそれを妨げた
   のみならず、魂を危機にさらした





その罰が、「堕ちる」ことにある。





   おまえの記憶を消去し
   ヒトとしての生と死を与えよう





ヒトを愛した罪
役目を放棄した罪

ヒトとしての苦しみを、痛みを。
あくまでも生きること。
それが、与えられたぼくへの罰。

消される、記憶。

それでもいい。
これほどにまで痛い心が、切り捨てられるなら。

消してください。

もう、こんな思いはしたくないから。
ぼくは記憶とともに、あの子といた記憶と一緒に
消えるから。


罪を、償います。
罰を、お与えください。





振り上げられる、真っ白な手。
闇を裂く、強烈な光がぼくを焼く。




意識が、遠のいていった。

真っ暗だった、夜の世界が
真っ白になっていく。
この光は、救いなのかな
それとも、汚れてしまったぼくを
浄化しようとする、裁きの光なのかもしれない。


記憶が薄れていった。
もう、あの子の顔がどんなに愛らしかったか、思い浮かべることもできない。

輝いていた笑顔は、掠れていった。
声は、聞こえなくなった。

でも、失った悲しみだけは、最後まで残っている。
張り裂けそうな、胸の痛みに耐えなければならない。

その痛みもやがて消えていく。
それが、救いだ。

もしこのまま記憶を引きずっていたら
いつまでも癒えない痛みに、苛まれてるだろうから。


この苦しみももうすぐ、やわらいで
すぐに、感じなくなるだろう。

あの子のことは、完全に消去されてしまう。
忘れたくない記憶、大切なあの子が消えてしまう。

ぼくにとって、あの子がすべてだった。








「目を開けた。体に重みを感じた。重力だ。ほとんど触れたことのなかった地面は、思った以上に硬く、冷たかった」


人間としてのぼくは、最低限の知識だけを与えられ、記憶の一切を消されていた。

「それが、ぼくだ」

過去のすべてを失って、生まれた。
新しいぼくだ。

「ホンモノが何か、なんてわかるはずない」
ぼくにとって信じられるものなんて、始めからなかった。
ぼく自身が、何なのかわからない。

「消された記憶の上に上書きされたぼくは、何?」
過去のないぼく。
空っぽの感情の上に過ごしてきた時間。
そこに、昔のぼくはいない。

「逃げて汚れて、堕ちた」
だれも愛せない。
愛せるわけない。
愛したくなんてない。
もうだれも失いたくない。
大切な人と別れたくはない。

「ヒトになっても、まだ逃げてきた」
向かい合いたくなくて。
もう嫌だ。
痛いのは嫌だ。
心が潰れそうになるなんて。



でも、もう終わったんだ。



「蒼、ぜんぶ終わったよ。見える? 後ろに」
蒼は、首を捻ったけど、視界には何も入っていない。
空っぽの、部屋と絨毯に、背の高い本棚だけだ。


「何があるって? 織」
ぼくは上体を起こした。
支えていた右手を、ベッドの脇に座っていた蒼の額に当てる。

「目を開けていいよ」
手を退かしたら、蒼にももう見えているはず。

「あれ、って」
「見たままだ」
「じゃあ、織もやっぱり」





   わかっていたのだろう
   わたしが来ることを





穏やかな口調だ。
あのときは、二人。
今回は、一人だった。

でも、目的に違いはない。


「ぼくのしたことだから」





   ヒトと心を交わらせることは
   禁じていた

   そのために
   その感情も記憶とともに消した





「ぼくだって、消したままでいたかった」





   生は、終わる





「それも、わかってる。自分の体だから」





   言葉はすでにここに在る
   あとは、伝えるだけだ





「うん」





   逃げないか





「あのとき、罰が怖くて逃げたって思ってた?」





   私には、理解できない





「だろうね。ぼくも、そうだった」





   なぜ、逃げた





「一緒にいたかった。それだけだ」





   結果は同じだ





「だとしても、離れたくない。それが好きだってこと。感情、だ」





   わからない





「あってはならないものだから。ぼくたちには」
揺れる心は秩序を乱す。
だから罪とされ、破ると罰が与えられる。





   始めよう





「ごめん、蒼」


いきなり視線が向けられて、蒼は黙り込んでいる。
それとも、この状況下に順応できないでいるのかもしれない。
当然の、ことだ。


「助けてくれて、ありがとう。うれしかった。でももう、一緒にいられそうにない」





   いいな   





「あなたが来たのは、ぼくを裁くためだろう?」
しかたがないじゃないか。
それに、この体はもうそう長く生きていられない。

二度目に破った罪。
与えられるのは、完全なる消去か。
今度こそ、ぼくは消える。


「結果は、変わらない。それが、神さまのご意思なら」





   織
   前へ





不思議と、体は軽かった。
簡単に、ベッドから抜け出せる。





   ヒトとして生き
   ヒトとして死ぬ
   そしてこの瞬間
   あなたに今一度
   白翼を与えよう
   私の前へ進み出
   頭を垂れて跪け
   神のご意思を今
   おまえに授ける





言葉に引かれて、足が動いた。
ハネを消されたあのときと、同じ。


頭を低く下げると、使いの手がぼくの背に触った。
背骨を伝い、肩から肩へ指を横に切った。


背中が疼いた。
血流が、脇から背へ爆発しそうに脈打っている。
背中の筋肉が、引きつる感じだ。
自然と、背筋が伸びきった。


光が、背中からあふれ出る。
背中に、心地いい重みがかかっていく。
体が大きくなっていく気分だ。
馴染んだ感覚だった。
あるべき姿に戻っていっているんだ。


助けるかのように、使いの手が
ぼくの肘へと伸ばされ、体を支えてくれた。


「おり、おまえ」
横目で、蒼を見た。
唇が、動く。

天使。

でも、掠れた喉からはもうそれ以上、声は出ない。





   おまえの体に眠っていた
   翼だ

   記憶はもうすべて
   戻っただろう





伸びた翼は、大きく持ち上げても床につきそうなくらい長く垂れ下がっている。
鮮明に思い出せる。
あの子の表情も、全部。

愛しさも、それと等しい胸の痛みも。






   広げてみなさい





天井が高いことが救いだな。
ハネを伸ばせるから。


恐る恐る、広げていく。
柔らかい薄羽が、少しずつ空気を孕んでいく。

ぼくの体の何倍もある大きなハネは
部屋の縦いっぱいに広がった。


このハネ
懐かしいって感じたことなんてなかったのに。

今は
夜の空から、ずっと生きてきたこの街を
あの子を失って、蒼に出会った街を
見下ろしたいと思う。


これ以上引き伸ばしていても
また痛みが増えるだけだ。

もう、終りにしよう。





   いいか





「ああ。終わり、だな」


ハネをぼくの背丈くらいにまで折りたたむ。




「蒼、いろいろ、ありがとう」


天使がぼくの肩に手を乗せて、屈むように促す。
方膝をついて、腰を屈めた。

「いいのか、これで。全部捨てて、忘れて」
そうして死んでいく。消えていく。
消滅が、ぼくに痛みからの解放を与えてくれるなら。


「織、行くな。終わりなんかじゃない。お前は、人間だ」
「それも、できそこないだったけどね。何にも、できない」


始めてくれ。
垂れ下がる前髪の向こうを、見上げた。

銀色の髪が、風もないのに緩やかに波打っている。
温かい力の流れを感じた。





   もう、おまえは
   翼を得ることはできない
   




「わかってる」





   目を瞑れ





気配でわかる。

光が使いの左手に集中する。
正義の剣だな。
ぼくのハネは、裁きを受けるんだ。

激痛に息ができない。
ハネをもがれるって、こういう痛みなんだ。
これが、死の痛み、死の苦しみなんだな。

意識が、また拡散していく。
白く、白くなる。
痛みも感覚も散っていく。
あんなにぼくを苦しめていた、感情の波も
平らになっていく。
猛烈な眠気が、ぼくを包み込んだ。




ぼくも、エネルギーの一部になるんだろうか。
もう行ってしまったあの子と会えるんだろうか。
やがて来るだろう蒼とは、会うことができるのかな。


考えるのも、つらかった。



「織!」



薄く目を開ける。
使いが見下ろしている。
その間を、蒼がさえぎった。



「消えるな! 一緒にいられるのに。どうしてそれすら棄てようとするんだ!」


泣かないで、お願いだから。


声をかけたいのに、だめなんだ。
伝えることができないんだ。


「消えないでくれ。お願いだから、織を、消さないでくれ!」
だめなんだ。
これは、ぼくの罪。







でも、どうしてだろう。

安らぎはやってくるのに。

すべて忘れられるはずなのに。

どうしてこんなに、悲しい?

どうして涙が溢れてくる?

痛いんだ。






蒼の最後の叫び声も、もう遠くに聞こえる。

意識は白く濁って、溶けていく。
体も空気に、溶けていく。





さよなら


せめて、目を見て声で、伝えたかった。



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