((( クロノ・クロウラ 04 )))




離れようとするぼくの手を、蒼の大きな手が包み込んだ。
放さないでいてくれる。
男の人の手だ。
それでも、とてもきれいな手をしていた。
ぼくのように、乾いてはいない、温かい手だった。


蒼は、やさしい。
蒼は、何も知らない。
だから、一緒にいられない。

「ありがとう」
素直な気持ちで、いられる。

「ここで、別れよう」
汚れてなんかいない。
きれいだ、と。
そんなこと言ってくれる人は、ほかにいただろうか。
こんな、温かい気持ちになれたのは、今まであったのかな。
覚えていない。
覚えてないよ。


人がつくりだした光の奔流の中
自然の闇を削り取って造られた空間の中で
どれが本当で、どれが嘘なのかなんて、とっくに分からなくなっていた。
友だちも、笑顔も、ささやかれる言葉もみんな、みんな。
信じられるものを、見失っていた。

でも、この気持ちは。
「うれしい。蒼に会えて、うれしい」
この気持ちだけは、蒼といるこの瞬間だけは、本当だと信じたい。

ぼくを、大切にしてくれる、ぼくをすこしでも好きでいてくれるって
そう、信じたい。
蒼の言葉ごと、蒼の存在ごと、すべて。



まだ、直視する勇気はないけれど。
蒼の真っ直ぐな目は、見つめ返せないけれど。

「俺もだよ」
その言葉が、胸に染み渡った。
空っぽだった、乾ききった
感情なんてなかったはずのぼくの心に、水が染み入っていく。


信じたい。
信じられる。
人を愛することができる。
ぼくだって。
だれかを好きになれるんだ。
側にいたいと思う、気持ち。
前にも感じたこと、あった気がする。
空の星。
ずっと眺めていたい。
一緒に。
ずっと一緒に。
そう、感じていたんだ。
いつの、ことだっただろう。
それは、ずっとずっと、前の。


その瞬間、心臓が大きく脈打った。


真っ直ぐに立ってられなくて、苦しかった。

襲い来る。
眩暈。
胸の痛み。
吐き気。
息ができなくて。
苦しくて。
声が出ない。

「おい、大丈夫か。顔色が」
頭が、痛い。
蒼が、抱えてくれてなかったら倒れるどころか、意識すら飛ばしていたはずだ。


「だめ、かも」
本当に、体が動かないんだ。


そのまま、蒼へ倒れこんだ。
蒼は、ぼくの体を離さない。


回る。
世界が回る。
声が流れる。
一人じゃない。
たくさんの、声。
三倍、四倍速で駆け抜けていく、記憶の映像。

苦しい。
溢れるネオン。
何色にも重なり合い、流れる、光の渦。
その中にいる。
立っている。
ぼく。
ぼく。
ぼく。

過去見た映像。
風景。
流れていく記憶。
消えていた記憶。
これが、記憶?

白い光。
温かくて、でもなぜだろう。
柔らかく包み込む、体に馴染んだ温もり。
なのに、どうしてこんなに、痛いんだ。
喉が、胸が。


頭が、痛い。

「織!」
抱え込まれた、肩が痛いほど、蒼に抱きしめられていた。
汗の流れる額。
霞んでいる視界の中で、心配そうな顔で蒼が見下ろしている。

温かい。
声が出ない。
唇の微かな動きを、蒼が捉えた。
言葉の意味はわからなくても、言いたいことはわかってくれた。
ありがとう、と。

「目を閉じるな」
片腕でぼくを支えて、右手で頬に触れる。
何度も何度も、ぼくの名前を呼んで。
泣きそうな顔で。






「平、気」
両手で蒼の硬い胸板を押しやった。

「大丈夫、だから。もう」
頭はくらくらする。
でも、脳はいつもの調子を取り戻しつつあった。
頭痛もさっきほど酷くはない。

「けど、このまま放ってなんておけない」
「少し休んでから帰るから。だから蒼は、家に」
「帰らないからな。一人では」
何を言い出すのか。
関わらない方がいい。
会って何時間も経たないじゃないか。
このまま放って、帰ればいいのに。
家があるんだろう。
家族が、いるんだろう。

「織を連れて帰る」
「いったい、何を」
何を考えてるんだ。

「俺の家に来い」
わけがわからない。

「医者なんだ。俺の叔父が」
診てもらえって? 冗談。

「診察料ならいらない」
そういう問題じゃない。

「俺がずっと一緒にいるから」
「行けない。行かない」
行きたくないんだ。


蒼は違うって、分かった。
ほかの人間とは違うって。
ぼくを、見た目で差別しなかった。

蒼が普段見ることもないような
それこそ布切れかっていうような服を着ていても
こうして、触れてくれる。

けど、みんながみんな、そうじゃない。
ほとんどの人間は、ぼくから目を反らす。



「いいから、来い」
心配してくれている。
動揺している言葉から、覗き込んでくる表情からよくわかる。

うれしいと感じてしまうのは、不謹慎なんだろうか。
今まで、こうして心配してくれる人が側にいなかったから。

でも。
「行けない」

だって、ぼくは。
「迷惑、掛けられない。大丈夫だから」



一人でも、平気。
今までそうしてきたんだ。
蒼と別れたら、また、一人になるんだ。
それだけ。
それだけ、だろう?

「蒼、疲れただろ?」
ぼくは夜の人間だけど、蒼は違う。

「俺は、疲れてなんかいない」
「ぼくは、行かなきゃだめだ。案内は、ここで終わり」
だから、帰れ。蒼。

別れた方がいい。
一緒にいないほうがいい。
いられるわけが、ないじゃないか。
深く心を交わらせれば、辛いだけだ。

「それで、ここでさよならして、お前は仕事に行くんだろう」
「当たり前。食べなきゃ死ぬだろ」
そのための、仕事だ。
生きていくためだけの、仕事だ。


「仕事、できる状態じゃないだろ」
「いい加減にしろ! 何も分かってないくせに」


こっちの気持ちも知らないで。
だから、お坊ちゃんなんだよ、こいつは。


泣きたくなった。
いやだって思っても、頭が真っ白になっていく。
喉が、焼ける気分だ。


「行こう」
強引なやつだ。
つかまれた手首が熱かった。
それに、少しだけだけど、痛かった。

蒼といられること。
泣きたいほど、うれしいんだ。
握られている、熱さがとても、うれしい。

でも、怖かった。
失うことが。

その後に来る、一人の時間が。
その痛み、知ってるから。

ならいっそ、何もないままでいい。

真っ白な頭のまま、涙だけが溢れていた。
ずっと一緒にいたいのに、それが怖くて。
一人になるのが、怖くて。

つかまれた腕を振り払うこともなく、蒼について行った。
考えていたのは、お願いだから、振り向かないでくれって、それだけ。



目に痛いばかりの、赤青緑のネオンは遠ざかっていく。
人のざわつきはあるけれど、それも次第に遠ざかっていく。
明らかに、空気が違ってくる。
夜が明けていくように。
日がビルの隙間から覗く瞬間の、沈黙のように。

世界の空気が変わっていった。

ぼくの生きてきた世界とは、違う。
でも、繋がってるんだ。
変な感じがした。

背の高い建物に区切られた、小さな空。
星を探した。
見えないのは、隠してしまった雲のせい?
それとも、まだ目蓋の下に残る、涙のせい?

雨。
ぼくの目は、泣くのに飽いたから。
代わりに空が、雲が泣いているのか。

「降ってきた。さっきまで星がでてたのに」

薄雲に隠されていく。
光が薄くなっていく。

細い雨が、ぼくと蒼を、包み込んでいく。








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