((( クロノ・クロウラ 03 )))




ひとの多い夜の表通りを抜けていく。
無数の光がぼくたちを頭から指先まで明るく照らす。
にぎやかな声が頭に響いている。
軽くあかるいその声に酔ってしまう。


でも朝がきて、目がさめる。
途端にむなしさが体中を支配されて。
息をひそめるかのように、ぼくは日が落ちるのを待つ。

繰り返し、繰り返し。
巡って、巡って。
またはじまりに戻る。

意味なんかない、ただそこに存在しているだけの毎日を
何度も繰り返しているだけの気がした。



何も変わらない。

何も終わらない。

そして何も、はじまらない。





回っているうちに
自分の価値なんてとっくの昔に忘れてしまっていた。

この世界にとって
ぼくが住んでいる、濁った空気の小さな世界にとって
ぼくは、あってもなくても変わらない。

ぼくには世界を変えることなんてできないし
変えようと思うほど、世界が魅力的に思えない。

だから、流されるように生きている。
感じないこと、不便に思ったこともないから。




なのに、こいつが。
蒼が。




「祭りみたいだ。子どものころ行った」
ネオン鮮やかなアルファベットを見上げて、目を細めている。

「楽しそうだな」
「楽しくないのか?」
「ぼくにとっては、いつもの夜だから」

ありふれた風景。
ネオンの谷間。

「でも、楽しそうだ」
「ぼくが?」
まさか。

ほかにだれがいるんだ、って言っている蒼の顔。
「初めて見たとき、暗い裏道で見たときよりも、表情が柔らかい」
「光の加減だろ」


「俺は楽しい。織に会えてよかったよ」
なんだか、蒼の顔が見れない。
ぼくの顔も、見てほしくない。


この街の空気にあてられてしまっている。
頭がぼうっとする。





やかましいほどの年中お祭り騒ぎも、先に進むにつれて
ぽつりぽつりと減っていった。

祭りの中心地を外れてきたから。

陽気な繁華街から外れた細道を行く頃には、ほとんど人に会うこともなくなった。
それでもまだ、ぼくの中の祭りは消え去っていない。
久しく感じたことの無い、胸や顔あたりのあったかさが残ったままだった。




「ずいぶんと静かになったな。同じ街とは思えない」
「蒼が住んでるところだって、同じ街とは思えない」


落ち着いていて、淡い色彩が居住区をおおっている。
そういうところなんだ、蒼の暮らしている場所って。


「道だって、こことは大違い。きれいに整備されていて石畳が欠けてたり、飛び出てたりしないだろ」
「そこに住む人間と同じでな。全部同じ、それがきれいだと考えてるんだ。欠けているタイルは取り除かれ、いびつな石はすぐに新しく入れ替えられる」

広い街はいろんな人間を抱え込んでいる。
ぼくと、蒼みたいにね。


不規則が交じり合って、混沌として。
でも人間は秩序が好きだ。
上下をつけ、境界を明確にし、線より向こう側のものは、受け入れない。







「ここだ」


いつもはひとりで来る。
ちょっとした丘になってるんだ。
暗くて人気が少ないから結構危険ではあるんだけど、静かだから。
騒がしい街に住んでるからといって、うるさいのが好きなわけじゃない。


「見てみろよ。街が見下ろせる」
子どものように、蒼が高台の手すりに駆け寄った。

さっきまでぼくたちが埋もれていた街が、目下に絨毯みたいに広がる。
雨風でボロボロになった手すりの下に夜空を映しとったような、眩い夜空があった。

今にも笑い声や音楽が聞こえてきそうだ。


「案外ちっぽけなものだったんだな」
密集している光の塊をみて蒼は言った。


「中にいるときはその街が、世界の全すべてに思えるのに」
「それだけ小さな世界に住んでるってことだよ。ここだけが世界のすべてじゃない」


群れる光ばかりを見つめていて疲れたのか、蒼は天上を見上げた。

「俺はこっちの方が好きだな」
ぼくも見下ろす夜空より、見上げるほうが好きだ。

「やっぱり薄いな。ここの星、光はツクリモノの光で削りとられたんだ」


ひとの創り出した地上の星に、ホンモノはかき消される。
本当はもっと美しく気高い輝きなのに。

「悲しくなる。目に見えない星はもっとたくさんあるのに、今は」

ここでは、見ることがかなわない。
いつも感じてたこと。
でも、言葉にすることなんて、なかった。
必要なかった。
隣には誰もいなかった。
友だちも、家族も、愛する人も。

今は、蒼がいるから、素直になれるんだ。
だれかが側にいることが、温かい。

「もっと離れたら、明るすぎる光から離れたら、月も星も白くてきれいだろうな」





「他の星を見てきたみたいだな」

他の星?
蒼の表情から言葉の意図に探りを入れた。

でも、見つからない。


「違う星。この街から一歩も出たことないんだろ。見えない星、どこで見た?」

記憶はない。
他の街を、ぼくは知らない。

覚えていないけど、白い強い光の月や星を、目に焼きつくほど知っている。
街はいつだって、強すぎる光を天に放っている。
夜空から下りてくる弱い光は、かき消されてしまう。


「空から降りてきた。やっぱり天使なんじゃないのか」
蒼が天上を指差して、真面目な声で言った。
あまりにぼくに似合わない言葉。

「天使なわけないだろ。そんな、きれいなものじゃない」

もっと、とても存在の薄いものなんだ。
汚れているのは、体?
違う。
心だ。
何も感じなくなるほどに、汚れきって濁る。

「ぼくだってちゃんと口からご飯食べる」
ニンゲン、なんだよ。

「家族は?」
横を見ると、こっちを見ていた蒼と目があった。

だめだ、見透かされそうな気がする。
口が重くなる。
話したくない。
ぼくのこと。

知られたく、ない?
知られるのがこわいんだ、ぼくのことを。


視線だけ蒼の肩口へとずらした。


「ひとりだよ」
ひとり暮らしだ。
小さな箱のような部屋。
窓は割れて床の板も落ちている、
部屋なんていえそうもない場所だ。

蒼が想像できないような場所だ。

それでも、雨がしのげるだけまし。



どこで?
何をしている?

次々に投げてこられる質問。
受け止められなくて。

「知りたい?」
本当に、知りたい?
そこで、目を反らしてくれたら
ぼくじゃない何かを見てくれたら
ぼくは、何も言わないで、笑っていようって、思ってた。

知らないほうがいい。
何もないまま、別れた方がいい。
また、繰り返される変わらない毎日。
それでいいんだ。
お互いに。

ガラスを砕いて、撒き散らしたような街並み。
鮮やかなネオン。

お願いだから、目を向けないで。
こっちを見ないで。
知ろうとしないで。



「知りたいよ」


「聞きたい。織のことを」
「どうして? 会ったばかりなのに。これから出会っては忘れていく、人間の一人なのに」
「理由がいるのか? 誰かを知りたいと思うことに。出会ったばかりだから、だ」
話すのが、怖くて。
でもどうして怖いのか、わからない。
嫌われるのが?
離れるのが?
失うのが?

「売っているのは、ぼく自身だよ」

軽蔑、するかな。
そうだ。
着こなされたスーツ。
シワのないシャツ。
整えられた髪。
彼らはみんな、ぼくたちを避ける。
触れてはならない禁忌のように、口を噤む。
どうして?
夜になると、ぼくたちを買うくせに。

何も知らない、蒼。
蒼もまた、ぼくに冷たい目を投げかけるのか。
住んでる世界そのものが違うから。
食べてるものも、服も、考え方だって違うから。

手が汗ばむのがわかった。
そのくせ、指先は氷に触れたように冷たい。

心細さと緊張が混じり逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
不安を押さえ込むために、着古した服の裾を握り締めた手に力を入れる。
未だ蒼は沈黙したままだ。
ぼくは、そんな蒼を見ることができない。
どうすればいいのか、分からない。

言ってよかったのか、悪かったのか。
それすら判断できなかった。

蒼はきっと、驚いた目で、軽蔑の眼差しで言葉を失ってるんだろう。
とにかく今は、この重い空気から逃れたかった。
胃が、痛い。


「からだを売るんだ」
街で、ぼくが暮らしている地区では、別に珍しくもない仕事。
祭りだって言っていたネオン、その半分にぼくたちの同業者が埋もれている。

見てわかるだろう?
わかっていただろう?
ほかに持ってるものなんかないんだ。
知識も教養も金も家族さえも、何もない。
だから持ってる唯一のもの、自分のからだを売るんだ。


生きていくために。
死なないために。

「恥じてるのか?」
仕事を?
生きていることを?
「恥ずかしくとも何ともない。ただ、蒼みたいな人間は、ぼくを違う人間みたいに見るんだ」

階級が違う。
明確化された、居住区の境界。
違う生き物がそれぞれに住んでいる。
恥ずべき行為。
金を貰って、体を重ねることが。
そう思われている。

「恥ずかしいと思うか?」
「そうしてしか、生きていけなかったから。だから」
かわいそうだって、言いたいのか?
こいつだけは、違う。
他の人間みたいに、ぼくを汚らわしいもののように扱わない。
期待、してたのかな。
何を?
わからない、けど。
悲しさと、期待への裏切りの怒りが腹の底を支配していた。

「同情なら、いらない。そんなもの」
「なら、いいじゃないか」
「え?」
蒼が、笑う。
曇りない眼鏡の向こうで。
薄いガラスの向こうで。

「いいだろう? 織が生きていくための方法なんだから」
「汚れていると、思わないのか」
「なぜ? 汚れていると、織は思うのか?」
蒼は、嫌がると思ってた。

「織がどう思うか、だ。織がいいなら、それでいいだろ。他人なんて、関係ない」
「そんなこと言われたの、初めてだ」
信じてもいいのかもしれない。
蒼を。




「雲が、出てきたな」
見上げた、空。
弱かった星が、薄雲に消されてしまった。

「空から降りてきたとき、天使だと思ったんだ。嘘じゃない。冗談でも、ない。つばさは無かったけど、本当にきれいだと思った」
「こんなに、服だって蒼みたいにきれいじゃないのに」
蒼が、ぼくの手に触れた。
握りこまれた手は、熱くて。
重なった場所から、蒼の体温が伝わってきた。


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