((( クロノ・クロウラ 02 )))







「待った」

呼ばれて立ち止まってしまった。
そっとしておいてほしかったのに。
恐る恐るふりむいたら、男はコンテナの頂上から苦もなく降りてきた。

見事に着地を決めて飛び降りたのを見て、正直驚いた。
まったく運動なんてできそうにないのに。
窓の外でなく、内側で本を持って午後を過ごしそうな文学青年だった。




「いま、降りてきたよな」

息を上げることなく滑らかな低い声。
長い指は、ビルの間から見える小さな夜の穴を指している。

「落ちてきたんじゃなくて」

ぼくの顔をまじまじと見つめて付け加えた。
「何ていうか、ハネみたいだった」

答えるつもりはない。
聞かれたところで、答えられない。

関わるつもりはなかった。

「死のうとしたのか」

そんなつもりはない。
いままでだって、死のうと考えたことはなかった。
だから、今生きてるんだから。


地面に墜落することなく羽のようにゆっくり降下していった。
死ぬことなんて、考えてすらなかった。

「おい、待て」
ビルとビルの間から漏れ出る、光の奔流を目指して足を進めた。
と同時に、右肩を捕まれた。

「死ぬのは怖くない。でも、死に何も期待してないから」
だれも、悲しむ人はいない。

「どうして、ここに?」
明らかに場違いな存在。
だから当然湧き上がる疑問。

ぼくの目は男の足元から滑りあがって、頭の先へたどり着く。
改めて近くで見ても、やっぱりおかしい。

「変? 掛かってるコートを掴んできてしまったから」
「おかしい。ここをどこだと思ってる? 周りを見たのか?」

襟はきっちり喉元で止めてあるし、見てわかる肌触りのいい生地だ。
質素に見えて、仕立ての良さがわかる服。

不釣合い、だ。

異臭を放つ路地裏に、そんな服が似合うはずもない。


まるで自覚のない顔してる。
ほんとにわかってないのかな。

質のよさそうな衣服。
上品そうな顔。
それに眼鏡も、品のよさを引き立てている。

どこかのお坊ちゃまだって立て札かけてるようなものだ。
ぼうっとしてて、どこぞに売り払われてもしらないからな。

握りこまれた右肩が痛い。
「手、離して」

言われて、熱い物でも触ったかのように、手を引っ込めた。

生きているとわかったら、生きなくてはならない。
生きるためには働かなくてはならない。


「あの」
付き合ってやるつもりはない。
一人で帰れ。

一度引っ込めたはずの手で、今度は腕を掴んできた。

「暇ならさ、付き合って」
「相手にするつもりはない。通りに出たら、いくらでもいるだろう」

こいつの気が知れない。
空から降ってきた、何者とも分からない人間に
こうも容易く声をかけて。

「狭い夜空見上げるのも飽きたし」
「暇じゃない。そっちがどうだろうと、ぼくには関係ない」

ぼくのあからさまな拒否も構うことなく、大男に腕を引きずられる。
表通りから漏れる光と喧騒がボリュームを上げていった。




「いいかげん、これ放してくれないかな」
ひじのあたりをつかんでいた、大きな手を退けようとした。


「悪い」
ようやく邪魔な枷を外してくれた。
気持ちいいはずないだろ、犯罪者よろしく引きずられて行くなんて。


「それで、どこに行きたいんだ」
わしづかみされたところを擦りながら、首を僅かに反らせた。


「いいのか?」
顔がいいと、売られる。
健康そうだと、バラされる。
そうでなければ、喧嘩をふっかけられて、剥がれて路地裏に転がってる。

ここで別れたら、会うことはもうないだろうけど
ぼくの行動範囲内の道で、朝偶然こいつの死体を見つけたら
後味、悪すぎるだろう。

「連れてってやるよ。どこがいい。何がしたいんだ」

ひと巡りして、満足したら家に帰るだろうって
そう思ってた。

「そうだな、とりあえず」
二秒ほど考えた後、ぼくを振り返って言った。

「腹、減らないか」
 特に空腹感があるわけじゃないけど、こいつはそうみたいだ。

「いいよ。何食べたい?」
ポケットにも硬い感触はない。
財布は、こいつ。

当然。
こっちは代わりに道案内、か。



「名前は?」

聞かれるとは思わなかった。
真っ直ぐに見下ろしてくる目も、直視できない。

「いらないだろう」
「じゃあ、なんて呼んだらいい」

呼んだり、呼ばれたり。
そんな必要、なかったから。
名前、答えるのをためらった。

「おり」
織物の「織」と書く。

「俺は そう だ。蒼いって書いて、そう」
口元を軽く緩ませた笑顔、悪い人間じゃないってのは分かるけど。
なんか変なやつ。
警戒心ってものが、まるで欠落している。
昼間の人間なんだってことが、よくわかる。


「でさ、あんたは」
「なまえ。ちゃんとあるんだから」
 そうか蒼、だよな。

「それで、なんでこんなとこにいるんだよ」
「なんとなく」
こんな人間が、ふらふらとこんなところに踏み入れるなんて。
ここがどんな場所か、どういう風に呼ばれているのか
そっちの方が知っているだろう。

危険地域。
無法地帯とまで荒んではいないものの
裏道に入ればどこからナイフが飛んできても、不思議じゃない。


単調な生活。
それから逃げ出したくて、ここに来たんだろう。きっと。



表通りの光の中をふたりで歩く。
夜を削って作った街、作り物の光であふれている。
この光の中にほんとうの笑顔や本物の愛情はいくつあるんだろう。


「どうした。疲れてるんなら」
「それは平気」

ぼくには本物なんて、必要ないんだ。
誰かを好きになったり、愛したり、大切にしたり。
胸が熱くなったことなんてない。
そうなりたいと、思う?
ぼくは、思わなかった。
あきらめていた。

ぼくには「楽しみ」がわからない。
その逆の「悲しみ」も。
あるのは、「痛み」だけだ。

生きてることが、痛い。

感情は、どこにいったんだろう。
感情って、なんだ。
顔の筋肉を動かすだけの、システムか。
だとしたら、ぼくは。




「どうしたんだよ」
上半身をひねらせて顔を覗き込んできた。

「楽しそうだなって、思って」
生き生きとした表情、対してぼくは生きてるのか、死んでるのか分からない。

感情の波なんて、忘れてしまった遠いもののように思える。
だって、あまりに実感がないんだ。
そもそも、いつぼくは笑っただろう。
最後に涙を流すほど悲しかったのは、いつのことだ。




「楽しいこと、あんまり知らないんじゃないのか」
たいして感動も覚えない当たり前の言葉だったけれど
ぼくの気持ちを捕らえるには、十分の一言だった。



そうかもしれない。
そうなんだ。きっと。
街にあるのと同じ偽物の笑いに、いつのまにかぼくも捕まっていた。
心から笑ったことはないんだ。

何も信じられなくて。
信じることに、疲れていた。

「そうだな」
心底楽しい、激しく何かに執着した記憶はない。
もちろんそれはイコールで人生につながる。
素性のはっきりしないぼくのことを蒼は考えてくれる。

変だけどいいやつなんだな。
それだけは、わかるよ。


「でもさ、楽しいことなんて、これからだろ。ほら、友だちもできたことだし」
友達?
新鮮な言葉だ。
こいつのことか。
横を向いたら、視線がぶつかった。
銀色の眼鏡の中が細められた。


「いつ友だちになったんだ」
「目があったとき。嫌なのか」
空中のぼくと地上にいた蒼の目があった時だ。
友だちという言葉の響き、嫌じゃない。
慣れてないだけだ。
本当の友達っていないから。
友だち。
言われて、どう反応していいんだろう。
ありがとうって?
分からないのをごまかして、視線を反らした。

でも、分かってるよ。
ちゃんと、ぼくに注意を向けてくれてるってことは。
やっぱり蒼は、いいやつだ。



「あ、あそこ。けっこううまいんだ」
ぼくが指差したのは歩道に乗っかっている小さな屋台。
早速、蒼は年代もの屋台に納まっている
屋台に同じく古びたおじさんに注文する。

ぼくのほうに振り返って、いるかと聞いてきたけど
今は食べたい気分じゃなかった。
きっと、大声ださないと聞こえない。
すごい喧騒なんだ。だから、いらないと首を振った。


蒼が戻ってきたときには両手に注文した食べ物一人分と
二人分の飲み物が乗っていた。
不安定に揺らしながらも無事ぼくの元にまでたどり着いた。


大きな手をしている割に不器用で
落っことしそうになっている飲み物に救いの手を差し伸べた。


どうやら、無事みたいだ。
壁に背をひっつけて、真夜中の食事。

一人は容姿端麗な王子様。
隣に並ぶのはやせっぽちの子どもだ。

地域柄、このあたりはぼくみたいのがいっぱいいるから
かえってお隣さんのほうが目立ってるのが事実だけど。
なんだかすこし居心地が悪い。


「うん、本当だ。美味いな」
ぼくの頭の中など思いもよらぬ体で、暖かい湯気を上げつつ蒼は頬張る。

「いらないのか」
蒼が包装紙に包まれた食べかけを目の前にもってきてくれた。
「腹、へってないんだ」

おかしな気分だ。
いつだって空っぽの胃袋抱えてたのに。
自分の手にある飲み物に口をつけた。
甘くて、冷たいけど心は温かくて、妙に満ち足りていた。


「ご馳走様」
なんだ、もう食べたのか。
「まだ足りないって顔してる」
「わかるか?」

まさかほんとに家出少年じゃないだろうな。
「いつ家出したんだ?」
「大げさだな。日が沈んでからだよ」

蒼は手にもっていた紙くずを、山積みになっているごみ箱に押し込んだ。

「それに、家出じゃない」


わけ分かんないな。
ますます、理解不能だ。

「家で何にも食べてこなかったのか」
「食べた。ここに来る前に」
ぼくが顎を上げないと話ができない高さに顔のある男だから
比例して食欲旺盛なのも分からなくはないけど。


「織は反対にいっぱい食べないとだめだな」
いかにも体力なさそうだ、と笑っている。
ほんと、こいつにコードつないで栄養を分けてほしいよ。


「次はどこに案内してくれるんだ」
「そうだな」


視界の端で、蒼が顔を歪めた。

道案内の続きを考え始めていたのを中断して
蒼へ顔を向けた。

おかしなものでも見ているかのような顔つきをしている。
「何?」
腹でも壊したのか。
育ち盛りとはいえ、あんなにたくさん食べるから。


声をかけると首を振って、自分の顔を手でなでた。
「いや、何でもない」
低く、呻くように答えた。
調子悪いの、そっちの方じゃないのか。



気にするな、と言われたけど
考え込むような顔されては気にしないほうが無理だ。


「気分、悪いのか?」
「違う。本当に何でもないんだ。ごめん」
顔色もそんな悪いというわけじゃないし、大丈夫そうだ。


「そうだ、どこか星が見られるところってないのか」
蒼のお腹の虫も落ち着いたみたいだ。
「少し遠いけど」
「構わない。空が、曇らないうちに」

こっちに向けた顔は、もう笑っていた。



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